第十二話 いちしの花
あり
いちしの花 いちしろく告げなむ
(あなたがあたしのもとへ)通い続け、このように恋してくれたからこそ。
あたしも恋しているのだと……。
* * *
八十敷とあり
あり
その次の日、陽が落ちきる前に、広瀬さまと、八十敷は、
しかし、八十敷は鎌売のもとへ会いにこなかった。
……次の日も。
* * *
り、りり……。りり……。りりぃ……。
こほろぎが鳴く。
戌はじめの刻(夜7時)。
「ふ……う……、う〜っ。」
女官部屋で一人、あたしは寝床につっぷして泣いていた。
あたしは、……少しだけ期待していたのだ。
八十敷がなんとか都合をつけて、早朝会いにくるとか、多少非常識な時間でも、自分に会いに来てくれることを。
八十敷が、覚悟を見せて、あり
期待していたのだ。
その期待は打ち砕かれた。
あたしだって、
二十歳まで婚姻したくない。
偽らざる本音だ。
なのに、この八十敷の行いに、傷ついてる自分がいる。
「うええ……ん。」
声を押し殺しながら、あたしは泣く。
手には、素朴な彩色の施されたいちしの花の
耳には、
今朝、この耳飾りをつける時、
───今日、八十敷があたしに会いに来たら、
そう思った。
そしたら八十敷は困ってうつむいて、でも、あたしの耳飾りに気がつくはず。
「これは気に入ってるのです。市歩きが楽しかったから。」
と言おう。
そしたら、八十敷は笑顔になるだろう。その笑顔を見たら、きっと、あたしは八十敷を許せるはずだ。
あり
そう思ったのだ。
でも、八十敷は、なかなか会いに来ず、
……今日も、八十敷は会いにこないのか。
もう、八十敷は、あたしを想わなくなったのだろうか?
日が沈む頃、耳につけた
衝動的に耳に触れ、……でも、
そっと、
……捨てられるわけがない。
八十敷が、優しくあたしの耳たぶに触れて、つけてくれた耳飾りを。
八十敷の思いがこもった
女官の務めを終え、一人、女官部屋に戻ってきて、どっと疲れながら、夜着に着替え、耳飾りをはずそう、と思った。
でも、愚かな事に、あたしは耳飾りをはずすどころか、部屋に飾っていた矢羽根の形の
───もう、あたしのことは想っていないの?
どうでも良いの?
このいちしの花の
「鎌売。オレは心からおまえを恋うている。それをいついかなる時も、忘れないでほしい。」
その想いがこめられているのではなかったの?
この矢羽根の
「二人……、心が離れないように。
その想いがこめられているのではなかったの?
あたしは泣く。
思い出の品を大事に
なんて愚かな。
あたしはこんなにも愚かな
こんなに傷ついて、物にすがって。ぼろぼろと泣いて。
自分が信じられない。
理屈じゃない。
……理屈じゃないのだ。
「ええん……。」
もとは三人いた部屋で、ただ一人、泣く。
「慰めてよぉ、
優しく背中をさすって、泣きやんで、と声をかけてほしい。
「
いつまで泣くのよ、と辛辣に、色が匂い立つような美貌で、言ってほしい。
「うええん……。」
今、話を聞いてほしい。八十敷ったら酷いの、って、……恋の話を。二人にしたい。
「なんで二人とも黄泉渡りしちゃったのぉ。五人部屋であたし一人なんて、寂しすぎるわよぉ……!」
聞こえてくるのは、庭のこほろぎの鳴き声だけ。
一人で泣くのは辛い。
からり。
部屋の
女官部屋に忍び込む不届き者など死罪だからだ。
あまり遅くまで
「蝋燭の無駄遣いはやめなさい!」
と
妻戸を見た。
そこには、八十敷が立っていた。
半月の月明かりが
泣いている無様なところを見られた屈辱より、戌はじめの刻(夜7時)に女官部屋の
「ここをどこだと思っているのです! 非常識ですよ!」
八十敷は無言で、後ろ手で妻戸を閉めた。
「オレは今宵、おまえを抱く。」
(なっ……!)
八十敷は全身から、むわ、と、何か獣じみた気配を発した。
……怖い。
身が
しかし、無礼を働かれたまま萎縮するなど、あたしの誇りが許さない。
あたしは立ち上がり、きっ、と八十敷を睨みつけた。
「今すぐ出て行って! 人を呼ぶわよ!」
「呼ぶなら呼べ。そうしたら、流石にオレでも死刑だ。鎌売、おまえはオレを殺せる。」
八十敷は大股で歩み寄り、肩を
「今宵、おまえを抱けなくても、オレの
もう、限界だ。
あり
もう待てない。恋いしさで、オレは死んでしまう、鎌売。
今宵、さ寝してくれ。おまえが欲しい。」
「………。」
あたしは始めこそ、八十敷の放つ気配に怯えたが、言うことを聴いているうちに、あっけにとられた。
「さ寝しなくても、人は死なないわよ?」
「違う。死ぬ。わからないか、鎌売。おまえが恋しすぎて、今にも張り裂けそうなんだ───。」
「…………。」
あたしは目を伏せた。
八十敷が
同時に、身の内が震えている。
恐怖ではない。
八十敷に恋心をここまでぶつけられて、あたしのなかの
……あたしも、恋うているから。
もう、八十敷の執着が、あたしから離れてしまったのかと、この三日間、ずっと怖かった。
八十敷には、あたしを恋うていてほしい───。
「いいわ。手を離して。」
「え?」
「手を離して、と言ったの。」
八十敷が不安そうな顔で手を離した。
あたしは目を伏せたまま、己の手で、えいっ、と帯をといた。しゅるり、と
とどまらず、ひらみ(女性が腰下につける下着)の下紐も、自らの意思で解いた。
次の瞬間、逞しい腕に抱かれていた。
ん、と言う間もなく、八十敷に口づけされた。
熱く、柔らかく、魅惑的に動く、
あたしの唇を引き剥がして飲み込んでしまうのか、というほど、引き、
(ひ、ひええ……。)
ちょっと引く。
やっと唇を離した八十敷は、あたしの頭の後ろに手をやり、額をこつんとあわせ、
「ずっと、こうしたかった。ずっと……!」
と熱い息で言った。
(そんなに? 八十敷。)
そんなに、あたしが欲しかったの?
八十敷の想いに呑み込まれてしまいそうだ。
あたしは無言でパチパチと瞬きをする。
↓挿し絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330665001267017
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