第10話 聖良の力
雷鳴が轟き、視界が白く染まる。
その都度、ややあって地上の森に紅蓮の炎が爆ぜる。
すでに何発目の落雷か、分からない。
そしてその範囲は、徐々に広くなっている。
おそらく結界の要が近くにないことを理解し始めたのだろう。だんだん範囲を広げている。
(多分、その前に力尽きるだろうけど)
一番近い結界起点でも、ここから八百メートルは離れている。
そこにピンポイントで雷が命中する可能性は低い。まだ雷はせいぜい半径百メートル程度の距離までしか広がっていない。
ただ。
(このままだとこの辺りがすべて焼け野原になる。それに、もっと近い集落だってある)
災厄が力尽きるより先にどれだけの被害が出るのかわからない。
今はまだ人里に被害は出ていないが、遠からず被害が出る。
それまで傍観していることは、到底できない。
(力を、使い切らせればいい)
災厄はすでに力を補充する手段をほぼ失っている。
ならば、今持つ力を使い切れば、もうそれ以上の被害は出せず消滅するしかない。
考え方によっては、災厄は自らで消滅までの刻限を縮める行動をとっているのだ。
ただこのまま放置して好きなようにさせていては被害が広がるだけだ。
となれば。
聖良は意識を集中した。
上空に雷雲があるなら、それはそれほどに難しくはない。
(下れ、雷光――!!)
聖良の魔力に雷雲が応えた。
直後、悪魔が放つそれと変わらぬ落雷が、悪魔を直撃する。
果たしてそれで効果があるかは――いや、必ずある。
雷が電気であることは広く知られているが、同時に雷は
その強大な力は、いかに条理外の存在であろうと、無影響であるはずはない。
突如自らに雷を浴びた悪魔は、驚いた――果たしてそんな情緒や反応がある存在かはわからないが――のか、落雷を止めた。
直後、再び聖良の力による落雷が悪魔を直撃する。
そしてついに、悪魔が聖良を見た。
その醜悪な怪物めいた表情の目に、感情めいたものは一切感じない。
だというのに、その視線はまるで臓腑を直接鷲掴みにされたかのような気持ち悪さを感じさせた。
『ガァァァァァァァァァ!!!』
悪魔が咆哮する。
魔力を伴ったその衝撃は、しかし聖良には通じない。
不意打ちならともかく、わかっているのであればいかようにも抵抗できる。
数回咆哮が繰り返されたが、それが通じないとわかったのか、直上に光が瞬いた。
直後、轟音と共に光が降る。
直撃すれば、人間など一瞬で焼けこげるほどのエネルギーを伴ったその落雷は、しかし、聖良を大きく
「来るとわかっていれば、
悪魔が起こしているとはいえ、本質的にそれは普通の落雷だ。
であれば、誘導することもできる。
至近距離を抜けていく雷の威力に肌が焼けるとすら思えるが、直撃よりははるかにマシだ。
立て続けに
すぐ下の大地はその都度落雷の衝撃を受けて森が焼かれるが、それでも被害はそれほど広がりはしない。
悪魔が意地になったのか、文字通りの雷雨めいた状態になったが、それでも一発一発に対して反応してるわけではなく、聖良周辺に降る落雷を誘導しているだけなので、一発たりとも直撃することはない。
このままいけば、いずれ力を使い果たすだろう。
しかし聖良は立て続けに降る落雷すべてそらし続け、感覚がマヒしかけていた。
もう音がほとんど聞こえない。視界もかなり白い。至近距離の雷光の煌めきを何度も目にして、轟音が何度も響き渡っているのだから、それは仕方がなかったが――。
それゆえに、その変化に気付くのがほんの一瞬、遅れた。
(落雷が……止まった?)
白くなった視界が回復し、残響が響き渡る聴覚が戻りかけた時――悪魔の前が紅く染まっているのが見えた。
(あれは――!!)
本能的に聖良は準備していた呪符を取り出した。
事前に魔力を込めて術式を記述しておくことで、簡易的に発動可能な魔術符。
発動させる内容は防御術式。
魔力による壁を形成し、物理的・魔力的なあらゆる対象を遮断する術で、災厄と実際に戦う場合に備えて事前に準備していた符だ。
聖良はそれを一度に五枚展開した。
符の配置を五芒星に重ね、さらにそれらを紐づける術によって、防御術式の効果を跳ね上げる。
後で考えてもこの時なぜこうしたのかは、本能的に危険だと感じたからだ、としか思えなかった。
術の展開が終わったとほぼ同時に、悪魔の紅い輝きから、濁流の様な炎が解き放たれた。
物理法則を一切無視し、魔力を凝集し、炎に変換して放ったのだろう。
それは確実に聖良を捉えて――防御術式と衝突した。
「うそ!?」
配置した符が一枚、一瞬で消し飛んだ。
この方法での術の発動は、通常の数千倍の効果を持つ。
自慢ではないが、この防御術式は聖良が特に得意な術の一つだ。
そして今発動させた術は、範囲を自分正面だけに絞って防御能力に特化したものだ。
通常の防御術ですら、燃料を満載した自動車が至近距離で爆発してもやり過ごせるほどの力がある。その数千倍の力のはずが――。
ジュ!
また一枚消える。
(まずい、このままだと)
炎の勢いが弱まる様子はない。
むしろその勢いは増していて、術の範囲外の炎はそのまま後方へ抜けている。おそらく落雷とは比較にならないほどの被害が出ているだろうが、聖良にそちらを気にする余裕はなかった。
ジュ!
また一枚。これで残るは二枚。
聖良は何とか、この状態でさらに防御術式を展開した。
重ねて発動させた術より効果は落ちるが、ないよりもマシ――。
ジュジュ!
(うそ!?)
一気に二枚符が消えて、視界が紅に染まる
追加で術を発動させたことで、元の術の効果が落ちたはずはなかったが、あるいはそうだったのかは、わからない。
「きゃあああ!?」
紅蓮の炎に包まれた聖良は、その圧力に
そのまま地面に叩きつけられた様な衝撃があり――。
「生き……てる?」
着ていた服はあちこちが焼け焦げ、肌にも激痛が走る。
これは火傷の症状だろうが、それでも、肌が焼け爛れている、ということはなかった。最後に発動させた術が最低限の仕事をしてくれたのだろうか。
髪も少し先の方が焦げたようだが、それほどひどいことにはなってないようだ。
身体中のあちこちがひどく痛むが、体が動かないということもない。
骨にヒビくらいは入っている気がするが、今それを治療している余裕はないだろう。
何とか立ち上がり、悪魔を見上げる。
(大分力を消耗してくれた……?)
明らかに悪魔の持つ魔力が小さくなっていた。
体も幾分縮んでいるようだ。五メートルはあったその体躯は、人間よりは大きいが三メートル程度まで小さくなっているように見える。
とはいえまだ四散していない以上、相当な力は残しているはずだ。
聖良は手早く持っていたカバン――魔女の特別な皮革で作られたもので極めて強い耐火性があるため無事だった――から軟膏を取り出すと、適当に肌に塗りつけた。
怪我した時のために持ってきていたが、これで最悪痛みは少し和らぐ。
(
それで敦也に嫌われてしまうとは思わないが、やはり彼の前では綺麗な自分でいたい。
この状況でそんなことを考えている自分に呆れてしまう。
そうしてから、ふと先の炎の被害を確認しようと振り返る。
「え!?」
唖然とした。
文字通りの意味で、大地が削れていた。
見える限りの大地が削られ、森は消滅し、山すら抉られて形が変わっていた。
「うそ……」
運よく結界の要に直撃はしていないが、もし方向があっていたら、確実に吹き飛ばされていた。
見える範囲はかなり遠くまで、おそらく一キロメートル近く吹き飛んでいる。
この方角は山ばかりだったはずなので、人は住んでいなかったはずだが、もし住んでいれば確実に――。
その時、悪魔の前に再び魔力が集まり紅く輝き始めているのに気が付いた。
だが、もう一度放たれれば、聖良にはもう防ぐための呪符がない。
そもそも
辛うじて飛行するだけの
そしてあの炎がもう一度放たれれば、そもそもこのあたりの霊脈が破壊される。
それは、せっかく作った結界すら強引に破壊される可能性を示している。
(なんとかしないと、ダメ)
聖良は意を決して、目を閉じた。
ほとんど聞こえなくなっていた耳――聴覚も閉ざす。
味覚、嗅覚――さらに触覚。
これにより、火傷の痛覚もカットされる。
そうして、周囲の魔力だけにほぼ全知覚を振り向けた。
平衡感覚以外のすべてを魔力感知に振り分ける。
先日やってみて気付いたが、この状態なら
感覚のほとんどがなければ敵の姿も見えないが――。
今回に限ってはそれは問題はない。
魔力さえ感知できれば、悪魔の場所は完全に把握できる。
平衡感覚を残したのは、さすがにそれすらなくなると落ちているのか上に向かっているのかすらわからなくなるからだ。
それにこれなら、かろうじて立ってもいられる。
(お願い、魔力を少しでも回復させないと……え?!)
突然、
正しくは、あり得ないほどのペースで、
(これなら、いける)
突然こうなった理由はわからない。
だが、これほどに魔力が潤沢にあれば、災厄を消滅させることすら不可能ではない。
災厄は所詮人々の想念の集合体――魔力の塊に近い存在だ。
そして魔力は本来散逸しやすいという性質がある。
先の一撃で悪魔はすでに大幅に力を失っている。
あと一撃、悪魔の核になっている魔力に衝撃を与えてつなぎとめようとする力にゆさぶりをかけられれば、おそらくあっという間に四散するだろう。
問題はそのための一撃を繰り出すことだった。
聖良は悪魔の様に魔力を変換して放出する術を知らない。
魔力を符などに籠めることはできるが、その状態でも遠距離で放つことはできない。
やるとしたら――。
(至近距離まで近づいて接触するしかない)
そんな無理をする必要はないのかもしれない。
悪魔が先ほどと同等の一撃をもう一度放てば、いかにあの災厄でもその力を大幅に減らすだろう。あるいはそれで四散するかもしれない。
そしてこの距離で結界の要を破壊される可能性は低い。
今の状態なら、回避するだけならさして難しい話ではない以上、本来はそうすべきだ。
だが。
(もしその一撃が誰かの住む場所に向かったら、取り返しがつかない)
災厄を倒せたとしても犠牲者が出てしまったら果たしてそれでよいのか。
すでに先の『咆哮』でいくらか被害がすでに出ている可能性がある。
そしてあの炎の一撃は確実にそれよりはるかに大きな災害になるし、巻き込まれた人はまず助からない。
何より。
(それで、敦也さんたちが巻き込まれたら)
そうなっては悔やんでも悔やみきれないだろう。
その可能性がほんの僅かでもある以上、ここで災厄は止めなければならない。
悪魔の炎の魔力は、今まさに放たれる寸前。
だが、今なら間に合う。
聖良は魔力で全身を覆った。
その膨大な魔力はまるではちきれんばかりに膨らんだ風船のようで、ほんのわずかな衝撃でおそらく弾けるだろう。
だが、それで問題はない。
そしていくらか残した余剰魔力を手に持ったままだった箒――あの炎の攻撃でも奇跡的に残っていた――に付与していく。手にある感覚はすでにないが、魔力が伝達されていくのが分かる。
これなら安定した飛行が行える。
ただし、行うのはゆっくりとした飛行ではない。
どちらかといえば、自らが大砲の弾になるイメージ。
彼我の間には何もないのはわかっている。
だから、文字通り砲弾の様に体当たりしてその衝撃で魔力が弾ければ、おそらく悪魔の核にも届く。
その後のことは考えていない。
ただ災厄を散らす――それだけを考えて、聖良は魔力を高めた。
無尽蔵に近い魔力が自分の中にあふれている。
これならば。
悪魔の方でもそれに気付いたのか、こちらに意識を向けたような感覚があったが――もう遅い。
(いけーっ!!)
魔力が
意識を失うのではないかというほどの衝撃――加速による重圧――が聖良にかかっていたが、聖良はすでにそれらを感じる感覚を全てカットしている。
ただ一直線に、悪魔に迫る。
その速度は、聖良はわからなくなっていたが――音速のそれに匹敵していた。
生身の人間がそれに耐えらえるはずはないのだが、聖良の全身を覆った魔力がそれを可能にした。
コンマ数秒以下、刹那の時間で聖良は悪魔に到達、激突する。
その、瞬間。
文字通り魔力の砲弾と化した聖良の直撃を受けた悪魔は――。
一瞬で核もろとも四散してした。
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