第3話 魔女工房
俊子を助けた聖良の話は、あっという間に集落全体に広がった。
特に達夫と、そして夫でもある敦也からはもういいから、と聖良が断る事態になるほどに感謝された。
その反応が、この地域が本当に魔女に対する偏見がない。むしろ敬意すらある土地柄だと、聖良に実感させる。
(私、ここに来てよかった)
魔女であることそれ自体が罪で、あの座敷牢で生涯を終えると思っていたのは、ほんの一月ほど前だ。
その時と今では、あまりにも環境が違い過ぎて驚くばかりである。
そして同時に、聖良はこの力を集落のために役立てたいと考えるようになった。
そして色々考えて出した結論が――。
「工房?」
「はい。工房といっても、職人がいるっていうのじゃなくて、いわゆる魔女の工房……つまり魔女の力で作った薬とかを売るんです」
この集落には医者がいない。
故に、多少体調を崩しても医者にかかる人はほぼいない。
自分の体力で何とかするか、あとは民間療法の類を試すか、だ。
魔女の力は医療行為とは認められない。
分類としては民間療法になる。
しかしその効果は絶大なのは、先に示した通り。
毒蛇に噛まれるなどという事故は滅多にないにしても、お年寄りが増えているこの集落ならば、ちょっとした怪我の治療や風邪などの回復に役立つもの、あるいは体力が落ちてきた人に対して少しだけそれを補うようなものであれば、問題ないはずだ。
そういったものを提供するお店をやりたい、と敦也に相談したのである。
「それはいいね。医者がいないこの集落だから、とても助かる」
敦也も賛成してくれて、工房を開く場所として空き家を一つ借り受けた。
すでに使われなくなった小さな家だが、集落の中心から少し外れた場所にあり、目立つわけではないが集落のどこからも程よい距離にあるのが良い。築年もそれほど古くなく、少し手入れするだけで問題はなさそうな物件だ。
また、家からも歩いて五分とかからない。
そして聖良が工房を開くという話を聞きつけたからか、集落の多くの人々が手を貸してくれた。
工房といっても特別なものはあまりない。
普通に炊事場があればたいていは事足りる。
あとは客が集まるためのスペースや、材料をためておくためのスペースなどを決めて区画を分ける。
昔の魔女との一番の違いは、最近になって急速に普及したという冷蔵庫の存在だろう。
「本当に……これは便利すぎる」
電気さえあれば素材を冷やしたまま保つことができる冷蔵庫は、聖良に、というより魔女にとってはとてもありがたいものだった。
魔女の術の中には、素材の状態を『固定』して保つという秘術もあるが、難易度が高い上に維持するための術を展開する手間は相当なものになる。
その術ほどではなくても、モノをある程度新鮮な状態で保てる冷蔵庫は、本当にありがたい。
冷蔵庫自体は安いものではないのだが、敦也と、さらには集落の人々が金を出し合って買ってくれた。どこまで人がいいのだろうとあきれてくるほどだ。
そうして、だいたい一か月ほどで工房の準備は完了し、魔女工房の営業が開始された。
開店するまでに聖良は、集落の人々から、どういうものがあれば助かるかというのを、世間話やあるいは直接聞いて調査、当面その要望に応じた商品を並べている。
そろそろ春めいてくるこの季節は、寒暖差から体調を崩して風邪をひく人が出てくるので、風邪予防、および風邪の症状を緩和する飲み薬。
腹下しなどに効く丸薬。
野山を歩くと張り出した枝などで切り傷が出来てしまうので、それを直す軟膏。
船酔い対策の粉薬。
打ち身などの痛みをを和らげ治療する湿布薬。
二日酔い解消のための飲み薬。
少し早いが虫が寄り付きにくくなる塗布薬。
他にも、栄養バランス――魔女にとっては常識なのだがまだ世間一般にはそこまで知られてない――の整ったお弁当を毎日十個限定で作ってみた。
この辺りは仕事に行く人が良く通るからだが――。
一番人気がお弁当になってしまった。
ちなみに敦也に渡しているお弁当も(器は違うが)ほぼ同じである。
ただ、敦也が「愛妻弁当が量産されてる気分だ」と少し複雑そうな顔をしたので、彼のお弁当だけはもう二品ほど追加すると、満足してくれたらしい。
ちなみに二番人気は、二日酔い解消のための飲み薬である。
この薬、効果は確かなのだが凄まじい苦さを誇り、飲んだ人は「二度と二日酔いになんてならないぞ」と言っているが、買いに来る人は大体いつも同じである。
やがて工房の噂が広まると、人がひっきりなしに押し寄せるようになった。
半ば工房がちょっとした集会所のようにもなってしまっている。
ただ、聖良としてはその中で人々の要望を世間話に交えて聞くことができるので、とてもありがたい。
「昨日のお弁当も本当に美味しかった。今日……ああっ、もう売り切れかぁ」
「いやぁ、魔女の薬って本当に良く効くねぇ。
「お姉さん、風邪薬すごく効いた。試験前だったから、本当に助かったよ!」
「あの虫よけ本当に効くねぇ。いっそ家用とかどうだい? 蚊取り線香より効果あると思うけど」
いろいろな意見を聞いてはメモしていく。
「ありがとうございます。お弁当以外のご要望は頑張りますね」
「弁当増えてくれないかぁ。まあそりゃ無理だろうが」
さすがに毎日十個以上作るのはそれなりに厳しい。
毎日
ちなみにお弁当だけは家で作ってきている。
聖良の最近の暮らしは、早朝起きて俊子と一緒にお弁当を作って、その後朝のうちに必要な素材――この辺りは野草や薬草が非常に豊富だった――を集めるか、あるいは少なくなってきた薬を作成。
だいたい十時過ぎに店を開け、調合をしたり店に来たお客の相手をして、夕方の四時か五時くらいに終わって帰宅。
その後夕食を作る、という生活リズムになっていた。
敦也が仕事がない日曜日や、午前中で終わってしまう日は工房は原則休み。
ただ、怪我をした人が急に出た時などは、できるだけすぐ対応している。
わずか三百人程度の集落でも、それだけ人がいれば毎日何かあるもので、聖良は毎日忙しく、だがとても充実して楽しく過ごしていたつもりだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(あ……れ?)
いつものように工房で人の話を聞きながら薬の調合をしていた聖良は、不意の
普段から風邪などに気を付けているので、聖良はずっと体調を崩したことはない。
座敷牢は暖房もなく、冬の寒さをしのぐのは申し訳程度の綿の入った布団しかなかったが、それでも風邪一つひかなかった――正しくはひいても自前の薬で何とかしていた――聖良である。
「あれ。聖良さんどうしたんだ……聖良さん!?」
視界が横になっている。
それが、自分が座敷で倒れているからだと気付くのに、やけに時間がかかった。
周囲の人が駆け寄って、何か話しているが――よく聞こえない。
視界が暗転し――聖良は意識を手放していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目が覚めた時、外は暗かった。
壁にある時計を見ると、ちょうど十二時を示している。
暗いという事は、深夜ということか。
「あれ……私……」
どうやら布団に寝かされていたらしい。
最後に倒れたことは覚えているが、その後が記憶にない。
とりあえず上体を起こすと――突然がば、と抱きしめられた。
「え!? って、敦也……さん?」
「よかった……医者はただの疲労だって言ってたけど、本当に……よかった……」
あまりに強く抱きしめられるので、さすがにちょっと苦しくなってくる。
「あ、あの、敦也さん。私は、大丈夫ですから……」
それでもなお抱き締める敦也に、聖良はなぜか嬉しくなって腕を彼の背に回す。
「落ち着いてください。本当に大丈夫ですから」
意識がはっきりしてくるにしたがって、自分の体のことも把握できた。
少なくとも今は体の疲れもないし、
しばらくして、ようやく敦也は聖良を解放してくれた。
「聖良さん、無理しすぎていたんだよ。工房のことも全部やってて、それに普段家のこともきっちりしてて。そりゃ、お袋も助かってたけど、聖良さんが倒れたのが自分のせいだって大慌てしてたくらいで」
「私はそんな無理なんて……」
「なってたから倒れたんでしょう?」
返す言葉もない。
自分の体力を見誤っていたという事だろう。
「その……敦也さん、ごめんなさい。ご心配をおかけして」
「僕もその、もう少し注意すべきだと思った。今思えば、朝、少しだけ身体が重そうだな、と思ってはいたから」
「……そうなのですか?」
「まあ、その、いつも君を見てるからね。……その、奥さん、だし」
照れながら言う彼が、なぜか――八歳も年上なのに――可愛いと思えてしまった。
あらためて体を少し動かすと、もう全く問題はない。
というかここまで寝続けてしまったので、むしろ今はあまり眠くない。
「体は……うん、もう大丈夫です。むしろ普段より調子がいいくらいで……。あの、敦也さんは……ずっと、ここに?」
「ああ。君が倒れたと聞いて、午後休ませてもらって医者を連れて駆けつけた。疲労だけだと聞いて君が安らかに眠ってるのに安心して……ごめん、寝てしまってたらしい」
という事は夫婦で一緒に居眠りしていたという事になるのか。
何かおかしくて、聖良はくすくすと笑った。
「まあ、もう大丈夫……そうだね。あまり眠くはないだろうけど、お休み。明日は土曜日だし、僕も明日は休みを取ってるから、ゆっくりするといいよ。たまには食事は僕が作るから」
「え。明日お休みなのですか?」
「うん。君が倒れたって連絡受けたら、上司が『明日も休め』って。勝手に休みにされちゃってる」
その
本当に――ここはいい場所だ。
「でもお食事は……」
「たまには僕も作りたい。実は、昔は料理人になりたかったことがあるんだ。だから、料理の腕なら聖良さんにも負けないと思うよ」
それは初めて聞いた。
ならば任せてもいいと思い――改めて敦也を見る。
実直そうな、それでいて優しさを感じさせる瞳が、まっすぐに自分を見ていた。
突然突き付けられた結婚によって結ばれた人。
彼は、最大限聖良を尊重し、そして――おそらく大切に思ってくれている。
その気持ちが、今もあふれていると思う。
「じゃ、僕ももう寝るね。まあ僕もあまり眠くはないけど……夜更かしは良くないし、ね」
そういって立ち上がろうとする彼の袖を、聖良は自然につかんでいた。
「……その、私もあまり眠くはないので、もう少し一緒にいませんか。まだ少し冷えますから、その、お布団一緒に入っていいですし」
その意味するところは――聖良も十分わかっている。
多分顔が真っ赤になってることを自覚するが、それでもその袖を離すつもりはなかった。
「え……その、それは……」
戸惑う敦也の言葉に、聖良は小さく、しかしはっきりと頷いた。
その日――二人は初めて、床を共にした。
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