聖良の魔女工房運営記
和泉将樹@猫部
第一章 魔女の嫁入り
第1話 突然の嫁入り
「
まだ耳馴染みのないその名前を、再認識するために呟く。
広げられたやや大きな布団の上で、聖良は一人所在なさげに佇んでいた。
もう夜で外は真っ暗だが、部屋は明るい。
蛍光灯の光は、かつて過ごした場所にあった裸電球とは比較にならないほどに、部屋を明るく照らしている。
鏡を見ると、これまでの人生で一番きれいにしてもらった自分が映っていた。
腰の少し上まである長い黒髪は自分のものなのかと思うほどに艶やかで、光沢めいたきらめきすらある。
少しだけ化粧――初めてした――を施された顔は、確かに自分がこれまで見ていた顔のはずだが、別人かと思うほどに整って見えた。
昨日まで自分の名前は近藤
それが書類上と実質で変わったのは、今日のこと。
軽く千キロ以上離れているこの場所に嫁いできて、近藤姓から城崎姓に変わった。
近藤という姓にあまり愛着はない。
とはいえ、十五年ほどはその名前だったので、それが変わったことに違和感はあるが、この先は城崎姓でずっと呼ばれるのだから慣れるしかないだろう。
姓が変わるのは二度目だ。
一度目は五歳の時。近藤家に養子として引き取られた時に変わった。実は元の姓は覚えていない。記録を探せばわかるだろうが。
そして今回が二度目。
(ま、身売りされてきたようなものですが……あそこよりはマシでしょうか)
住んでいた地域は魔女が徹底的に迫害される地域だった。
そして聖良は――魔女だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔女。
魔法使い、呪術師、
魔女だからといって黒魔術と呼ばれるアヤシイ呪術を実践したり、悪魔を召喚したり、あるいは
むしろ生活お役立ちの力なのだが――魔女に対する偏見は強い。
魔女と関われば、不幸になる。
かといって魔女を害そうとするとその報いを受ける。
魔女の呪いとも呼ばれる現象があるのは、数多くの逸話が証明している。
それは、魔女の力の恩恵以上に、人々にとって恐怖の対象となるものだ。
故に魔女は忌み嫌われる存在。
それはこの国、というよりこの世界のどこであろうが、共通認識らしい。
聖良に魔女としての力があると分かったのは、十歳になるころ。
それまでは養父母は優しかったが、魔女と分かった直後から、その扱いはもはや罪人のそれに等しかった。
中学までは学校こそ行かせてくれたが、それまでの友達とも疎遠になった。それどころか、教師にすら邪険にされた。
外に出ることを許されるのは、学校と家の往復のみ。
そして家では、ほぼ座敷牢に等しい場所で過ごすことを強制された。
もちろん高校にも行かせてもらえず、中学卒業からの五年間、聖良にとって世界は非常に狭かった。座敷牢から出してもらえたことは、何回あっただろうか。
楽しみといえば、部屋の窓から見える山の景色が少しずつ変わっていく様を眺めることと、たまに来てくれる猫や鳥たちと話すことくらい。
そして――座敷牢の奥で見つけた、『魔女のノート』を読みふけること。
このノートは、聖良が近藤家に引き取られる際の荷物に入っていたものらしい。当時ただの白紙のノートだったはずだが、座敷牢に入れられる際、『魔女の持ち物なんて縁起が悪い』といって一緒に入れられた。
捨てられなかったのは、魔女の呪いを恐れたからだろう。
しかしそのノートが『魔女のノート』だと分かったのは、座敷牢に閉じ込められてから。
やることもなかった聖良が、その
幾度かそのノートを見ているところを見咎められたが、どうやら自分以外にはやはり何も書かれてないように見えるらしい。おそらく魔女にしか読めないのだろう。
代々受け継がれてきたのか、筆跡もまちまち。
あるいはこの中に、実母の筆致もあるのかもしれないが、それは分からない。
白紙のノートをじーっと見てる様はさぞ気色悪かっただろうが、それもあって聖良はずっと放置されていた。
なのでこっそりと魔女としての力を磨いていたが、だからといって何かしたいとはやはり思わなかった。すでに何もかもを諦めていたのだ。
このように閉じ込めて誰も関わらなければ、魔女の呪いが降りかかることはないと信じられているし、それは事実なのだろうと思っていた。
自分は存在するだけで、人と関わるだけで不幸を招く存在。
だからもう、このまま自分はここで終わるのだと――そう、思っていた。
それが突然座敷牢を出されて、初めて見る人に連れられて、一日以上も電車やバス、さらには船を乗り継いで海辺の集落にやってきた。
案内をした男性は四十歳くらいだと思うが、ただついてくるように、とだけしか言わず、あとは道中一度も話をしなかった。
そしてこの集落にたどりついたら、さっさと消えてしまい――。
その後は集落の人たちに囲まれた。
ようやく説明がされたのは、その日の夜。
自分がこの集落の
理解ができなかった。
魔女として忌み嫌われ、座敷牢に閉じ込められていない者として扱われていた自分が突然嫁に出されるなど、誰が想像できょう。
そしてその説明をしてくれたのは、どうやら自分の義母になる人らしい。
夫となるのは城崎
この集落はかなり僻地にあって嫁に来てくれるような人がいなかった。そこにある人物がいくばくかの金銭で嫁を連れてくるといって、藁をもつかむ気持ちで頼んだら、聖良が来たらしい。
忙しいのか、一方的に説明すると彼女はまた去ってしまった。
ああ、自分は売られたんだな、とその時に分かった。
多分彼らにそういう認識はないだろう。
おそらくここまで自分を連れてきた人は、厄介者である自分を故郷から引き取るのに金をもらい、そしてこの集落の人に金で売ったのだろう。
まあそれでも。
あの座敷牢に閉じ込められたままでいるよりはマシと言えるかもしれない。
この先は敦也という人の嫁として生きていくのだろうと覚悟を決めたのだが。
そのまま呆けていると、初めて見る男性が入ってきた。
背は聖良よりは幾分高い。聖良は百五十ちょっとだが、それよりは頭半分以上は高く見える。
髪は短く刈り上げているが、厳しい印象はない。そう感じられるのは、穏やかな表情からか。
第一印象はとても優しそう、と思った。
「初めまして、聖良さん……でいいかな。僕は城崎
第一印象は誤りではなかったらしい。
本当にこちらを気遣っているのがよくわかる。
そしてとても誠実な人だと思った。
少なくとも悪い人ではないだろう。
とりあえず、ここに来た経緯をそのまま話すと、彼は唖然としていた。
「まさか……君が全く事情も知らずに来ていたとは思わなかった。説明が遅くなって本当に申し訳ない。その、君が希望するなら、君の故郷に帰る手はずを整える。これじゃあほとんど誘拐だ」
その言葉で、少なくともこの人には悪意がないだろう、という事は分かった。
「いえ私は……帰りたいとは思わないです。ここにいたいですし……その、そういう目的で連れてこられたのなら、結婚すること自体は構いません」
敦也は困ったような顔になっていたが、幾度かの問答で聖良がある意味諦めていると知ると――結局、結婚式は実施されることとなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「聖良さん、お疲れ様」
式が終わって一人佇んでいた聖良のいる部屋に、敦也が入ってきた。
自然、身が固くなる。
「これからよろしくお願いします、敦也様」
そういって、正対して深く礼をする。
すると敦也は困ったような表情になっていた。
「いや……確かにまあ、夫婦になったけど、お互いまだ自分たちのことを十分知ってるとはいいがたい。だから、君のことをもっと教えてくれないだろうか」
確かに式までの間は本当にバタバタしてて、まともに話す時間も取れなかった。
彼は聖良が故郷に帰らないことを不思議がっていたので、そのあたりも説明しようと思って、自分の生い立ち――魔女であることも含めて――を素直に全部話す。
話し終えた時、むしろ敦也は呆れたような表情ですらあった。
「今時まだ魔女でそんな迫害をしている地域も……まあ、あるのか。聖良さん、大変だったんだろうけど……この集落はそういうところじゃないと思う。だから、気に入ってくれると嬉しいけど、聖良さんがここが嫌だと思ったら……その、いつでも言ってほしい。帰る……のは望まないのだろうけど、他の場所に住むための手助けもするよ」
思わず唖然としてしまった。
形ばかりとはいえ、結婚して妻となったばかりの相手にここまで正直に言う人は、おそらくいないだろう。
「大丈夫です。ただここがどういうところか、敦也さんがどういう方か分からないから……不安はありますが……」
すると敦也は、心底安心したように緊張を解いた。
やはり結婚したばかりでいなくなるのは、さすがに困ったのだろう。
「そ、そっか。じゃあ……これから少しずつ知ってもらって、いいと思ってくれると……嬉しい、かな。今日は疲れただろう? 僕のことはまた明日にでも。僕はもう寝るから、君もゆっくり休んでくれ」
「え?」
今日は結婚初日。いわゆる初夜のはずだ。
何もしないということだろうかと思ったら、本当にそうだったらしく、彼は立ち上がると部屋を出て行こうとする。
「あ、あの、その、何もしない……のですか?」
「形ばかりの夫婦でそういうことをするのは……僕はあまり、ね。君も僕のことはよく知らないだろうし、そんな男と――その、したくはないだろう?」
それはその通りだが、そんなことを遠慮する男性がいるとは思わなかった。
嫁に来た以上、もう家長に従うのが当然だと思っていたし、実際家でもそうだった。
確かに二十年ほど前に戦争が終わり、世の中が大きく変わって、女性の権利も認められるようなったと云われているが、それはあくまで制度上の話であり、人々の意識はまだまだだと思っていたのだが。
「今日は実際疲れただろう? ゆっくり休むといい。明日の朝、また集落のことは説明するよ」
そういうと、敦也は部屋を出て行った。
「変わった人……ですね……」
結局、聖良はそのまま横になると、疲れが出たのだろう。文字通り、泥のように眠りこけた。
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