落ちこぼれ聖女の私が、わんこ系大魔法使いの最愛になりました。
槙村まき
第1話
本殿の庭から離宮に向かう通路に出たとき、とある会話が耳に届いた。
「ねえ、聞いた? ナイラ様が、王宮魔法使い様の最愛に選ばれたらしいわ」
「王宮魔法使いといえば、魔法使いのなかでもエリートの方々。ナイラ様が羨ましいですわ」
白い聖女の装束で口元を覆いながらも、淑やかに会話をするふたりの聖女は、言葉遣いからしても貴族の出だろう。扇子を持っていたら白いドレスのような聖女の装いが一転して舞踏会のドレスに見えるかもしれない。
「魔法使いの心を癒す最愛になることは、私たち聖女にとっての名誉だもの」
「私もはやく魔法使い様に見初められたいですわ。――て、あら、あなたなにか御用かしら?」
ふたりの会話を偶然聞いてしまっただけなのに、レベッカは頭を下げて謝罪することしかできない。
「申し訳ございません」
「――あなた、レベッカさんね。まだ神殿にいたのね」
「レベッカさんと言えば、
「ええ、
自分が神殿内でどう呼ばれているかわかっていたし、いまは用があるから早くこの場を立ち去りたいのに、二人は行く手を塞ぐようにして立ちふさがっている。
無理に通ろうとすれば、容赦なく叱責されそうだし、二人の気が収まるまでレベッカは待つことにした。
「寄生虫」
神殿で過ごすようになって暫くしてから、よく耳にする言葉。
レベッカは平民出身の聖女で、なおかつ神殿に入った当初はいちばん神聖力が高いとして周りからもてはやされていた。
でも、いまは違う。
神殿に入ってからしばらくして、なぜかレベッカの神聖力は他の聖女より――いや、これまで聖女として選ばれた人々よりも少なくなってしまったのだ。それこそ雀の涙ほどに。
「昔はそれなりに神聖力もあったらしいけれど、聖女としての力は失われているらしいわ。それなのにいつまでの寄生虫のように神殿に住み着いているんでしょ?」
「まあ、厭らしいですわね」
「そんな恨めしそうな顔をしていたって、あなたが魔法使いの最愛に選ばれるなんてありえないわ。おやめなさい」
別にそんな恨めしそうな顔してないんですけど。
そう思ったけれど、愛想笑いをしてごまかす。貴族出身の聖女に楯突いたっていいことなんてなにもないから。
それに二人はすこし誤解をしているみたいだ。
レベッカは神殿に住み着いているのではない。
アーニアール王国に住む人々は、貴族や平民問わず五歳になると神殿で神聖力の検査を受けることになる。そこで神聖力を認められて聖女に選ばれたら、例外を除き神殿から出ることができなくなるのだ。その例外も必ず付き添いが必要となる。
たとえ神聖力が弱まったとしても神殿から出ることはできない。魔法使いの最愛に選ばれるまでは。
それはレベッカも、目の前の二人も同じはずなのに。
「まあ、それにしてもさっきからなにか匂うと思ったら、その手に抱えている黒いのはなにかしら?」
「動物、かしら。野良でしたら不潔ですわ。近づかないでいただけます?」
自分たちから近づいてきたくせに、二人はとても不愉快そうな顔をしている。
こうなったらと、レベッカは抱えていた黒い生き物を頭の上に掲げると、ずいっと一歩踏み出した。
「すみません急いでいるので、通してくださーい!」
すると、二人は可愛らしい悲鳴を上げて通路の端に寄ってしまった。
「まあ、平民出身の寄生虫だけあって、とんだ野蛮人よ」
「もういいわ。行きましょう。そんなことより聞きましたか? 最近、あの大魔法使い様が――」
二人はそそくさと逃げるように、離宮に向かって行った。
その後を追いかけるでもないけれど、レベッカも離宮に向かう。用があるのは離宮にある水汲み場だけれど。
水汲み場に着くと、桶一杯の水を汲み、そこに抱えていた黒い生き物を入れる。【
「あなた、黒い犬じゃなかったんだ」
水から出した黒い生き物――否、黒かった生き物のは体の汚れが薄まったことにより、本来の色を取り戻していた。
まだ少し濁っている部分はあるものの、黒い犬と思っていたのはただの汚れだったみたいだ。
水を汲み直すと、残っている体の汚れを落とす。
黒い汚れが落ちて、白くなったと思ったら、その毛が陽の光が反射してキラキラと輝いている。
「白っていうよりも、銀色? きれい。銀色の犬なんて初めて見たわ」
タオルで銀色の犬を包むと、レベッカは離宮にある厨房に向かって走り出した。
この不思議な銀色の犬を見つけたのは、数分前のことだ。
神殿の庭で黒い生き物が倒れているのを見つけたレベッカは、すぐ様子を確認して、その生き物が随分と弱っていることに気づいた。すぐにでもミルクを与えたいけれど、このまま厨房に持っていけば、「汚い」と追いだされることは目に見えている。
だからレベッカは先に黒い生き物を洗うことにしたのだ。神聖力が使えれば浄化の力ですぐに汚れは落とせるけれど、その力がないから。
厨房でいただいたミルクを器ごと銀色の犬の前に置くと、スンスンと鼻を鳴らし少し訝し気な様子で周囲を見渡しながらも、レベッカと目が合うとちろりと舌を出してミルクを舐めた。
なぜかチラチラとレベッカに寄こす視線を感じるけれど、銀色の犬はすぐにミルクを平らげてしまった。よほどお腹が空いていたらしい。
小さな子犬だと思っていたけれど、抱えてみると先ほどよりもなんだか一回り大きくなった気がする。
(気のせいよね。そんなことよりも、この子の飼い主さんを探さないと)
神殿にはよく迷い猫が迷い込んでくる。犬は珍しいけれど、この見事な銀色のけづやや首にかけられている宝石付きの首輪から察するに、貴族の飼い犬だと思う。
きっと飼い主も探しているはずだ。迷い猫のほとんどもそうだったから。
離宮から本殿に向かう通路を歩いていると、前から先程とは違う聖女二人組が現れた。レベッカの姿を見ると、厭そうに眉を潜めるのも先程の二人と同じ様子だった。
「あら、寄生虫――いえ、レベッカさん。本殿にどんな用があるのかしら?」
寄生虫のあなたが本殿に用なんてあるわけないでしょう? と遠回しに言われているのに気づいていた。
でもレベッカは笑顔を消すことなく答える。
「迷い犬を見つけたので、神官様に報告に行くところです」
「またなの? あなたよく猫や犬を拾っているけれど、聖女としてのお勤めはどうなさったのかしら」
神聖力のある聖女は本殿の祈祷室でお祈りを捧げるのが日々の業務だ。祈祷することにより、神聖力は洗練されて、より神聖なものになる。そう伝えられているから。
祈祷室でお祈りをするのは、神聖力が高い順から。いまは昼過ぎだから、目の前にいる二人の神聖力は中の下ぐらいだろう。それでもレベッカよりはるかに上だけど。
「私は――」
「あら、そんなこと口にするのはレベッカさんに失礼ですわ。なんて言ったってレベッカさんは、ねぇ」
「そういえばそうですわね。レベッカさんは神聖力が――ふふ」
五歳の頃、朝一で祈祷室でお祈りをしたことがある。あの頃はまだ神聖力も人一倍あって、朝一で祈祷室でお祈りをすると、眠気がすべて吹っ飛ぶほど頭のなかが澄み渡る心地よさに酔いしれていた。
だけどそれも神聖力をほとんど失くしてから変わってしまった。神聖力が少なくなった後も、何度も何度も祈祷室でお祈りをした。神聖力が戻りますように。またあの時のような心地よさを感じたくて。
だけど何度も祈っても、神聖力は戻らなかった。それまで優しかった神官たちも次第に表情を険しくさせていき、いまでは冷たい目で見てくるだけ。中には優しくしてくれる人もいるけれど、ほとんどの神殿関係者はレベッカを不憫そうに見るだけだった。
無理して祈祷室に来なくていい――ことあるごとにそんなことを言われていたら、いつの間にか祈祷室に寄りつかなくなっていた。
抱えている犬が、腕の中でもぞもぞ動いている。じっとしていられない性格なのかもしれない。
「アンリエッタ様もお優しい方よね。寄生虫を傍に置くなんて」
「あ、駄目よ」
待って! と叫ぶよりも早く、銀色の犬はレベッカの腕から抜け出すと、二人の聖女に向かって駆けだした。
そしてレベッカの制止を聞くこともなく、頭から突進していく。
鳩尾に衝撃を受けた聖女がしゃがむと、その頭に飛び乗り、勢いのまままるでとび膝蹴りをするかのように、もう一人の聖女にぶち当たった。
「わわわわ」
地面に着地した銀色の犬は、達成感のある顔をレベッカに向ける。
レベッカは呆然としていたが、我に返ると、銀色の犬を抱えてその場を駆けだした。
「すみませーん!」
聖女二人は憐れに思うけれど、それでもネチネチ嫌味を言われるのも億劫だったのでこれはこれで心が晴れやかな気分だ。
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