7話

ゆっくりと唇を離すと、上目遣いに秀の表情を伺う叶向。


「……っ」


 口をぱくぱくさせながら、驚きと混乱で言葉が出ない秀をよそに、叶向は再び唇を重ねる。

 ぢゅっ

 上顎を舌で舐め、軽く吸い付きいやらしい音を立てながら名残惜しげに唇を離す。


「秀さん……はぁ、好き」


 馬乗りになった叶向の硬くなったモノが、ゆっくり押し付けられながら秀の腰から下部へと当てられていく。


「ちょっ、まっ……」


 動転しきった秀は力一杯、叶向を突き飛ばす。

 いくら叶向が男であっても、工場仕事で鍛えられた秀に力一杯押されたことで、後ろ向きに頭からベッドの下へと落ちる。



 ゴキッ



 鈍い音と共にベッドから叶向の姿が完全に消える。


「……はぁ、はぁ……すぅ」


 荒い呼吸をやっとの思いで整えた秀は、突き飛ばしてしまった叶向の安否を確認する。


「……」

「おい、大丈夫か?」


 起き上がって叶向の元へと向かうが、その姿が見えた途端、秀は腰を抜かしてしまう。

 そこにはおかしな方向に首の曲がった叶向が、体を痙攣させて倒れていた。


「……嘘、だろ……おい! しっかりしろ!」


 体を揺するも、叶向からの反応はない。


「俺が、お前を……救急車、助けを呼ばないと……!」


 震える体をなんとか動かし、這うようにベッドに体を乗せると枕元にあるスマホに手をかける。



 119



 震えていうことを聞かない指先を押さえつけ、やっとの思いで番号を押すとスマホを耳元につける。

 





「コンタクトレンジの保存液とケースですね、お部屋のボックスまでお届けしますのでお待ちください」


 ツゥ————ツゥ————


「よかったですね、無料サービスがあって」


 聞き慣れた叶向の声におぼろだった意識が覚醒する。まだ焦点の合わない視界に叶向を捉えると、彼のいつも通りの様子に安堵すると同時にどっと汗が吹き出る。


「秀さん?」


 無言で自分を見つめる秀を不審に思ったのか、叶向が心配そうに近づいてくる。


「な、なんでもねえ。ほんと、よかったよ……寝る前にもう一回シャワー浴びてくるわ」


 勢いよくベッドの上で立ち上がると、秀は叶向から逃げるように脱衣所へと向かった。

 頭を冷やしたい一心で、真水に近い温度のシャワーを頭からかぶる。


「戻ったん、だよな? だとしたら……このあとまたあいつは……どーすればいいんだよ……」


 叶向の様子からコンタクトレンズを頼んだ時に時間が戻っているのは明らかだった。あのまま横になっていれば、前回同様叶向にせまられていただろう。


「俺が風呂に入ったことによって、あいつの行動が変わってくれればいいんだが……」


 風呂場に設置された給湯器の液晶画面に視線をうつす。

 


  0時39分

 考えても仕方がないと分かっていても、秀の頭の中は今夜をどう切り抜けるかでいっぱいだった。あのまま続けていたらどうなっていたのか? 腰から下にかけて押し付けられた感覚を思い出す。

 ぞくっと背筋から軽い痺れるような感覚が走る。体の震えは興奮からか、真水のシャワーのせいか。


「シャワーに決まってる……!」


 意を決して秀は脱衣所から出ると、何事もなかったかのようにベッドにつくと横になる。


「……よろっと寝るか」

「そーですね、電気消しますよ?」

「おー」


 枕元に設置されたダイヤルを叶向が操作すると、ゆっくり照明が消えていく。

 完全に暗くなると、秀は横にいる叶向へと意識を集中させる。ゴソゴソと布団に入り込む音、体勢を整える音、全ての音を聴き逃すまいと全神経を集中させる。


「……秀さん」


 不意に名前を呼ばれて大きく肩をびくつかせる。


「……なんだ?」


 口から出かけた心臓を飲み込み、必死に冷静を装い返事をする。

 ゴソゴソと叶向が自分の方に近づいてくるのを背中に感じながら、秀はぎゅっと目をつぶる。


「……俺ね、秀さんが好き」


 すがるような叶向の声に秀は硬く瞑った目を開ける。


「俺もお前のこと嫌いじゃねえよ」

「うん、でもね……俺の好きは、秀さんとは違うから」


 叶向は秀の右肩に触れると優しく力を入れて仰向あおむけに押し倒す。暗闇くらやみの中、自分を見つめる叶向の視線が痛いほど秀には分かった。


「なに言って——」


 優しく抱きしめられ言葉を失う。誰かに抱きしめられたのはいつぶりだろうか。もしかしたら初めてかもしれない、戸惑いの中で秀はそんなことを思う。

 それがあまりに心地よく、秀は思わず叶向の背中に腕を回すと、自らも優しく抱きしめる。

 秀の行動に叶向はビクッと驚きで体を震わせる。


「……あったけぇ」


 真水のシャワーで冷えた秀の体には、叶向の体温が心地よかった。じんわりと伝わってくる体温に、眠気すら感じてくるほどだった。


「俺の言っている好きって意味、分かってる?」


 不満そうな叶向の声に、秀は心の余裕を少し取り戻すと左手で枕元にある照明装置のダイヤルを少し回す。

 薄暗い光がぼうっと部屋を包む。

 叶向の両肩に手を回し軽く押すと、抵抗なく叶向は秀から離れる。口をかたく一文字に結んだ、やりきれない叶向の表情がそこにはあった。


「……わかんねぇ」

「だったら分かってよ」


 そういうと叶向は秀に唇を重ねる。舌を絡ませ、吸い付くたびに部屋には甘美な音が響く。


(やべぇ、すげーきもちい……)


 キスぐらいなら、と受け入れた秀は少し後悔していた。甘く、とろけるような熱い叶向の舌が絡みつくたびに、自分の中の理性が溶かされていくのが分かった。

 ちゅぱ

 甘い音と共に離された唇に名残惜しさを感じる。


「秀さん、俺……」


 もどかしそうに言葉を選ぶ叶向。


「……秀さんが好き」

「知ってる」

「秀さんは俺のこと……好き?」

「嫌いじゃねえって」

「……やだ」

「なんだよ……」

「俺のこと好きになってくれなきゃやだ」

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