第三の村 ギョソク

第32話 あんた、彼のなんなのよ


 俺は極力隣を見ないように真正面を見据えつつ、頭を抱えていた。

「ねぇ、有谷くんとどういう関係なの?」

 陽キャの中でも恋愛や友情破綻、様々な人間関係の問題があるのは分かっているが、俺がその陽キャの人間関係のいざこざに巻き込まれることは一生ないと思っていた。

 誰かと相席になりたくないから食堂のカウンター席に座っていたのに、俺の隣に青いカチューシャをつけた学生が座った。昼の時間も終わり、それぞれの講義へと向かう時間。席はテーブル席もカウンター席もがらがらに空いているのに、わざわざ彼女は俺の隣を陣取った。

 それだけでもありえないことになのに、声をかけられるなんてさらに驚いた。

 しかし、有谷という単語が出てきてなるほどとあることを思い出す。

 俺に話しかけてきたこの青いカチューシャをつけた女性は、去年、俺が高校三年生の時に一日だけ、いや、正確にはとある山から帰る時だけ関わった人間だ。

 有谷というのは、俺の小学生の頃からの腐れ縁の相手で、高校では陽キャの頂点にいた同級生。そして、その陽キャの頂点っぷりは大学でも遺憾なく発揮されているように見える。

 彼女はそんな有谷の周りにいる陽キャの一人。有谷と同じバイト先にいた女性で、有谷に片想いをしている可能性がある女性。

「く、腐れ縁、だけど……」

 そんな彼女だからこそ、有谷の近くにいた俺が気になったのだろう。去年は、幻の旅館に行った有谷たちのことを俺が迎えに行った時に彼女も俺の車に乗った。

 よく考えると、俺が女性を自分の車に乗せたのはあれが最初で最後かもしれない。

「腐れ縁?」

「ああ……」

「ただの腐れ縁なのに、どうしてたまに有谷くんと通学してるの?」

「……」

 最初から彼女とは目を合わせていないのだが、俺はちらりと彼女の手前のカウンターに視線を落とし、カウンターの上の彼女の手を視界に入れて、すぐに自分の目線を前へと戻した。

 それを指摘されるのも分かる。

 俺は陰キャ。

 有谷は陽キャ。

 普通なら関わらないのが吉だ。

 しかし、気になってしまったのだからしょうがない。

 あれは梅雨に入ってすぐのことだった。

 バイク通学をしているあいつは、雨合羽を着ていても、これでもかというほど濡れていた。足元は言わずもがな、袖も濡れていた。びしょ濡れの雨合羽をわざわざ別の袋にしまっていたのを見るに雨の日は非常に困っているのが分かる。

 その日も朝から土砂降りだった。俺の家のすぐ近くに有谷の家があるものだから、有谷の家の前を通りがかった時に俺はついつい雨合羽を着た有谷に声をかけたのだ。

 乗っていくか、と。

 それから、なんとなく雨の日は有谷のことを乗せて通学している。単位もある程度取り切った三年や四年の時なら、俺と有谷の講義の時間が合わずに帰る時間を相手にわざわざ合わせないといけないだろうが、一年の間は取得必須の講義の方が多いため、お互い月曜日から金曜日までずっと学校に来ているから、時間を合わせる必要もない。

「成り行きで?」

「私に聞かないでくれる?」

 これは手酷い。答えるんじゃなかった。

 俺は人と話すのが苦手だ。有谷はそれを分かってくれている上に俺の秘密を知っているから話しやすいのだが、あまり話したことがない人と話すのはやっぱり苦手だ。

 そもそも、この女性はいきなり隣に座って、いったい何が聞きたいのか。

「あれ、ユリコさんだ。真博くんとなに話してたの?」

 救世主が来た。

 その声の主の方へと顔を向けると、食堂の入り口から入ってきた有谷が俺と女性の顔を交互に見た。ユリコさん。そういえば、彼女はそういう名前だった。

「有谷くんとどういう関係か聞いてたのよ~」

 彼女は俺に話しかけてきた時のような万物に興味がなさそうな棘のある言い方から切り替えて、いきなり猫が飼い主に甘えるような声を出した。

 俺はそれを聞いて、思わず隣のユリコさんを凝視してしまった。

 一瞬、彼女が俺の顔を一瞥した。なにも言うなと目が言っている。変なことを口走ったら、なにをされるか分かったもんじゃない。

 俺はそっと目を逸らして、缶コーヒーに口をつけた。実はもう中身はほとんど入っていない。

「俺と真博くんがどういう関係か?」

「うん!」

「親友だけど」

「しっ」

 缶コーヒーに中身が入っていなくてよかった。もし、口にコーヒーを含んでいたら、噴き出していたことだろう。

 ユリコさんが俺と有谷の顔を交互に見る。

「嘘でしょ?」

 俺もそう思う。

「嘘じゃないよ。小学校からの親友」

 ユリコさんが訝し気に俺のことをじっと見る。そんな隣からじっと見られても困る。俺も今の状況を説明できない。

「へぇ」

 ユリコさんが目を細める。

 たとえ、彼女が有谷のことを好きだとしても、俺のことをつついて有谷の情報を聞き出すのは得策だと思わないから、俺に干渉するのはやめてほしい。

「そういえば、ユリコさん。グループ発表のメンバーの人達が探してたよ。北門のテラスに集合してたけど」

「あっ、やばっ」

 ユリコさんは慌てて鞄を手に取って、有谷にだけ「またあとでねぇ」とにこにこと手を振り、小走りで走っていった。まるで台風だ。俺にとってはひどい災害だった。

「真博くんは?」

「は?」

「なんて答えたの?」

 今度は有谷が俺の隣に座った。流れるように人の傍に来ても、その動作がぎこちなくならないのは、長年、陽キャとして活動してきたからだろう。

「腐れ縁」

「そっかぁ」

 俺みたいな陰キャといつも周囲に人間を寄せ付けるような陽キャの有谷が親友になれるわけがない。高校を卒業すれば、こうして、隣に座って喋ることもないと、大学でこいつに声をかけられるまで思っていた。

「本当に今でも信じられない」

「一緒の大学に通ってること?」

 俺は缶コーヒーの底に残った一口分を煽ると頷いた。

 有谷が俺に声をかけてきたのは、入学してすぐのこと。

 右から左から節操無しに飛び出してくるサークル勧誘のチラシを両手いっぱいに持って、どこに行けばいいのか分からずに目を回している時だった。

「真博くんはどのサークルに入るとか決めてる?」

 世間話をするかのように後ろから言われて、一瞬「こんなところに有谷がいるわけないだろう」と空耳だと思ってスルーしようと思ったら、有谷が俺の横に並んで、俺の手元を覗き込んだ。近い。

 そして、相変わらず、俺と有谷の背の差は縮まることを知らず、背が高い有谷の方が俺の手元を見るために屈む。

「おっ……⁉ 俺はまだどのサークルに入るか決めてないんだけど」

 いきなり現れた有谷に俺はぎょっとして、その場で尻餅をついた。

 幽霊を見た人間ってこんな風に驚くのかもしれないと場違いなことを思っていると、有谷がすぐに俺の手首を掴んで立たせてくれた。

「お、お前、なんで、この大学に……」

「え? 俺もここを受験したからだけど。俺、有谷くんと大学が一緒だって、楽しみにしてたんだ」

「俺が通う大学知ってたのか……?」

「なに言ってるの。うちの高校、大学の合格が発表されたら廊下に大学名と名前が張り出されるでしょ」

「……見てない」

 自分の合否結果が知れたら、他の人などどうでもいい。そんな俺が他人がどこの大学に行くのかを知る必要はまったくない。俺がぶんぶんと首を横に振ると有谷はくすくすと笑った。

「だと思った」

 こうして、俺は有谷に先導されてサークル見学をすることになった。結局、俺はサークルには入らなかったが、有谷は入ることにしたらしい。なんだか長い横文字の名前のサークルだったのは覚えているが、なにをしているところかまでは知らない。

 俺の隣に座っていた有谷は、にこにことしながら、俺に質問してきた。

「この後の講義ないよね?」

「ああ。図書館で参考文献を探したら、あとはフリーだな」

「だったら、付き合ってもらってもいい?」

 陽キャの有谷が他の陽キャではなく、俺のことを誘うのは珍しいなと思いつつ、俺は頷いた。

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