第28話 楽しんでいただけましたか?


 午後八時に古いスマホから通知音がする。

 今夜もきっと眠れないだろうなと思いながら、画面を見ると画像が二枚届いている。どちらの画像もマップで、現在地と思われる場所にはどちらも赤いピンが刺さっている。

 一枚目は、廃村の位置。

 二枚目は、幻の旅館の位置だ。

 その周りのマップをネットで確認してみると、旅館の近くから道が伸び、公道へと続いている。それもそうだろう。あのようにサービスが行き届いた旅館のことだ。食料の調達のために旅館の近くまできちんとした道が出来ているのは当然だ。

 空から見下ろしたマップを見る限り、公道から旅館に続く道は通行止めになっていないようだった。

 画像の数分後に届いた二つの動画。

 その映像には、俺が指示した通り、黒くなった盛り塩があった。

 部屋の電気はつけていない。カズ先輩らしき太いいびきが響く中、有谷が声を潜めた。

『真博くん……俺、盛り塩はしたけど、黒く染めてはないんだ』

 その盛り塩が、インクを垂らしたことで黒くなったのではないとすぐに分かった。

 黒くなった塩の表面にぼこりと空気の泡が浮かんでは消えていく。

 ぼこり、ぼこりと。

 まるで息をしているかのように動くそれを見て、俺は息を呑んだ。

 この古いスマホに届く映像を父にも見せることができたのなら、きっと手を引けと言われてしまうだろう。俺はこういう本物に対して、特別何かができるわけではない。

『とりあえず、カズ先輩を起こしてみるよ。これを見れば、逃げ出さないといけないって分かってくれるはず……』

 テーブルの上にスマホを立てて、まだ寝ているカズ先輩のことを有谷が揺さぶって起こした。

『先輩! 盛り塩が、黒く……!』

 先ほどまでいびきをかいていた男はその言葉一つで布団をはねのけて、盛り塩の傍に駆けつけた。

 ごぽりごぽりと音を立てる黒ずんだ塩を見て、カズ先輩の顔が強張る。

『ここからすぐに出よう』

 前の映像では昼近くにこの旅館を出発したが、カズ先輩が荷物をまとめるように言い、四人全員が旅館の玄関に向かったのは午前六時のことだった。

『あら、皆さま、朝食はよろしいのですか?』

 四人が玄関に集まると、カウンターにいた者が女将を呼びに行き、すぐさま女将が玄関にかけつけた。

 その顔には満面の笑み。

『ちょっと用事を思い出したもので……』

 カズ先輩が強張った顔のままそう言うと、女将は笑顔のまま、思いついたように両手を合わせた。

『それでは、帰りのためにおにぎりを作りましょうか』

『いえ、いいです』

『そうですか……では、名残惜しいですが、お越しいただきありがとうございました』

『えっと、お金は……』

『いえ、お金は要りません。私どもはお客様の笑顔がもらえれば、それでいいですから』

 前の映像では一人千円だったが、今回は一円も支払いは要らなかった。

 そのまま、女将は玄関の扉の鍵を開けて、四人を外へと促した。

『最後に一つ聞いてもよろしいでしょうか?』

 女将はにこにことしながら、四人に尋ねた。

『皆様、宇津詩依は楽しんでいただけましたか?』

『は、はい……充分楽しみました』

 カズ先輩がそう答え、他の三人が頷く。早くこの場から帰りたいという気持ちがにじみ出ている。

 その答えに、女将の笑顔が濃くなっていった。

『満足していただけたようで何よりです。では、駅まで車でお送りしましょう』

 女将が指し示した方向に送迎用の車があったが、四人は首を振った。「そうですか」と肩を落としながら、満面の笑みは崩さない女将。

 途端、画面が揺れ、スマホが地面に落ちた。

 叫び声が急にくぐもり、地面に落ちたスマホからユリコさんが大人の男性に後ろから捕まえられて、口に布を当てられているのが見えた。画面の端ではカズ先輩がばたばたと手を動かしているのも見える。

 隠れていた旅館の人間に捕まったのだ。

『満足していただけたのですから、もういいですよね』

 女将の顔は見えなかったが、その声は紛れもなく、笑っていた。

 ふふふ、と。

『では、ワライ神様のために笑いをこの土地に閉じ込めましょう』

 そこで映像は途切れた。

 車に乗らなくても、ダメ。

 俺は有谷に連絡して、他のタイミングで抜け出せないかと聞いてみた。

 結果は散々。

 有谷が映像を回してくれているおかげで、どのタイミングの作戦がどの段階でダメになるか分かった。

 むしろ、そのせいで、どのタイミングで逃げ出そうとしたところで、結局はあの土の中に行くことになるのが分かった。

 旅館に入る前まではカズ先輩の好奇心のせいで四人で帰ろうと言っても却下されてしまう。かと言って、旅館に入ってすぐは部屋の外に出るだけで必ず部屋の前で待機している仲居に声をかけられる。

 旅館の外を見たいと言っても「暗いから危ないので」と言われて、無理やり外に出ても灯りを持った仲居が付き添うことになる。

 旅館に入ったその瞬間から、有谷達は旅館から逃げないように見張られているのだ。

 車に乗ることを拒んだところで、有谷達は周りにいた儀式の関係者達に捕まり、殺される。

 こんなのいったいどうしたらいいんだ?

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