第26話 どすん、どすん


 老人は「旅館の扉を開いてください」と言うと、さっさと洞窟横の小道へと歩いていった。その場に取り残された一行に、後ろの鉄の扉をくぐって廃村に戻る選択肢はなかった。すでに日は落ち、あたりは暗い。

 旅館の窓から煌々と溢れている光に、一行は光に誘われる羽虫のように近づいていった。

 老人に言われた通り、カズ先輩が観音開きの扉のノブを掴むと、カメラの方を向いてゆっくりと頷いた。扉が開かれる。

 玄関から一段上がった場所にはすでに濃紺の着物をまとい、髪をひとまとめに結っている中年女性が正座をして待っていた。ちらりと除いた袖の隙間からきつく巻いた包帯が見える。四人の姿を見ると彼女は深々と頭を下げる。

『ようこそ、お客様。どうぞ、この旅館にて、お寛ぎくださいませ』

 客人を出迎えたのは彼女だけではなく、彼女の後ろの通路には暗い赤色の着物を着た女性が数人と、紺色の作務衣を来た男性が数人並んでいた。全員がにこにこと四人の方を見ている。並んだ従業員の身体には、ちらほらとガーゼや絆創膏や包帯が見える。旅館が危険な職場とは思えないが、山奥だからその分怪我も多いのだろうか。

 顔をあげた女将らしき女性が、満面の笑みをこちらに向けたと思うと流れるような動作で立ち上がる。

『どうぞ、おあがりください。長い間歩いて疲れたことでしょう』

 言われるまま、四人は靴を脱いで旅館へとあがった。最初は幻の旅館の存在をあまり信じていなかった四人もようやく身体を休めることができる場所に辿り着き、上機嫌だった。

 有谷はこの後の展開を知っているから内心上機嫌ではないかもしれないが、少なくとも俺には周りと同じように有谷が喜んでいるように見えた。

『お風呂とかどうなってるんだろー』

『温泉だったりして』

 女性二人が早く身体の汚れを取りたいと靴を脱ぎながら、笑顔でそう話す。その隣でさっさと靴を脱いだカズ先輩の腹が盛大に鳴った。

『風呂もいいけど、飯だろ、飯! 腹減ったぁ』

『温泉饅頭とかありますかね。温泉に入る前に食べるといいって聞きました』

 相手が先輩とはいえ、有谷が敬語を使うのを初めて聞いた気がする。

 四人のその会話ににこにこと笑いながら女将が頷く。

『もちろん、温泉もあります。温泉前のお菓子とお茶はお部屋に用意しております。料理は口にできないものや食べたいものがあるかお聞きしたいので、温泉に行く前に部屋にあるアンケート用紙を記入して、従業員に渡してください』

 案内された旅館の部屋は、有谷とカズ先輩の二人で泊まるにしては広く感じた。テーブルの上にはすでに急須とポットとお茶菓子が置いてある。襖を開ければ、隣の和室に繋がっている。テーブルをどけて布団を敷くのではなく、隣の部屋に布団を敷くのだろう。

『お、見ろよ、隆樹! 部屋の中に露天風呂があるぞ!』

 カズ先輩は初めて来た場所を探検しているようで、有谷もそちらの方へと近づいた。カメラを見て、カズ先輩が笑う。

『お前いつまでカメラ回してんだよ。今はいいって』

『そうですね』

 映像が終わる。

 次の映像を再生しようとして、俺の指が止まる。

「まさか、温泉の時までカメラは回してないよな?」

 男の入浴なんて見ても楽しくないだろうと思いながら、映像を再生させる。すると、すぐに一人一人の前に置かれた膳が映される。膳の上には、鯛の刺身やマグロの刺身などがあり、肉は合鴨や牛などが並んでいた。新鮮な野菜の天ぷらも並ぶ。しかし、他の人の膳を見てみると、それぞれの膳に並んでいる食べ物は異なっていることに気づく。

 膳の前に置かれている紙には四人それぞれの名前が書かれており、四人は疑いもなく、そこに座る。おおよそ、夕食前のアンケートにより、各々が望んだ料理が出てくるのだろう。

『すげぇもてなしだなぁ! 来てよかった!』

『ええ、ほんとね!』

『あ、私達、薔薇の花びらが浮かんだ温泉に入ったけど、そっちは?』

『もちろん、サウナで耐久レースをしてたよ』

 ユリコさんの質問に有谷が答える。

 陽キャは絶対にサウナがあるとそこで耐久レースをするんだろうか。

 飲み物も好きなものを出してもらえる。もう少し堪能したい献立があれば、おかわりがもらえる。ここまで個別にもてなしをしてもらえる旅館はあまりないだろう。あったとしてもとてつもない金額を要求されるに決まっている。

 食事が終わり、もう一度温泉に行ってきたらしいカズ先輩が夜食に何か食べたいと言うと、なんとラーメンまで出てきた。有谷はきつねうどんをしっかりと平らげていた。

 朝食はビュッフェ形式で、様々な食材に一行は胸を躍らせていた。有谷は山盛りのいくらをご飯の上によそい、他の面々もローストビーフをたんまりと皿の上にのせたり、フルーツをたっぷりヨーグルトと一緒にいただいたりしていた。

 チェックアウトの時間も「特にありません」と言われ、ゆったりと過ごした一行は、午前十一時頃にようやく荷物をまとめた。

『いくらですか?』

『お一人、千円です』

『せ、千円⁉』

 部屋を出る時に「俺が全員分奢ってやるぜ」と意気込んでいたカズ先輩の声が裏返った。

『昨日夕飯の時におかわりしたものとか、夜食に食べたラーメンとかうどんとか、アケミ達が受けたマッサージとかのお金は? ルームサービスってやつじゃ……』

『この旅館は、お金よりもお客様の笑顔を求めているので、満足していただけたら、それで結構ですよ』

 半信半疑になりつつ、カズ先輩が四千円を支払うと観音開きの旅館の玄関扉が開いた。

『こちらの車で近くの駅まで送迎します』

 有谷が「どうせなら歩いて景色を見ながら帰りたい」と言ったが、女将が駅まで歩くと五十分かかると言い、他の三人に徒歩での帰りは却下されてしまった。

 旅館の前に停まった車に歩き出した四人に女将が声をかけた。女将はにこにこと笑っていた。

『皆様、宇津詩依は楽しんでいただけましたか?』

『もちろん!』

『また来たいです!』

 四人は口々に満足そうな言葉を言うと、車に乗り込んだ。

 車の中を撮っていたカメラだったが、有谷が眠ってしまったのか、カメラは足元しか映さなくなっていた。

 しばらくして、エンジン音が止まる。車が停車したのだ。

 画面の端で扉が開き、女と男、数人の笑い声が聞こえる。

『包もう、包もう、笑いだ、笑い』

 ガコッと音がして、スマホが地面に落ちる。奇跡的にスマホは車の下の土か何かに突き刺さったみたいで、望まずとも俺は、その光景を見るはめになった。

 眠ったままの四人が足と頭を持って運ばれて、藁のむしろで身体を包まれていた。四人の両手はぶらりと垂れ下がっていたから四人ともしっかりと寝ているのだろう。その垂れていた手もしっかりと、まるでおくるみに包むかのように藁のむしろに包まれる。

 丁寧に丁寧に包んでいく。

 そのまま、等間隔に開いた四角い穴に藁を巻かれた四人がゆっくりと降ろされる。二人で眠った人間を一人運んでいる。紺色の作務衣の人間が四人のことを運び、その様子を赤色の着物を着た女性が眺めていた。それ以外の服装の人間もいたが、些細なことではないだろう。

 そうこうしている間に四人はぽっかりと空いた穴の底に横たわった。地面に置かれたスマホからは、もう穴に入ってしまった彼らのことを見ることはできない。それでも、まだ、誰も目を覚まさないのは分かる。

 一番端の穴の横にあった土がのったネットを数人で持ち上げ、穴の上にかぶせる。

 すると、その場にいた十数人の人々が思い思いに笑い始めた。

 表情を動かさずに笑う者。

 腹を抱えて笑う者。

 無理やり口の端を吊り上げて笑う者。

 笑い方は様々だが、全員が笑ってる。

 声はそろわず、感情も声も笑い方もバラバラなその音は、ひどく、耳障りだ。

『せーの』

 笑っていた全員が手を繋ぎ、おしくらまんじゅうをするように一か所に集まったと思ったら、その場で飛び跳ねた。

 どすん。

 ケタケタ、ガハガハ、笑いながら。

 どすん、どすん、と地面を踏みつける。

 踏みつけ終わると隣の地面に移動して、また、どすん、どすん。

 それが終わると、また隣で、どすん、どすん。

 最後の一人の土の上でどすんどすん。

 俺は口を押さえた。

 飛び跳ねるのをやめる。

 笑い声は消えない。

『これで、またしばらく笑いの絶えない日々を暮らせるな!』

『よかった、よかった』

『ワライ神様、万歳!』

 飛び跳ねて、笑っていた人間の中に、旅館にいた仲居や女将、案内役の老人までいた。全員が見たことのある顔だった。

 夜食なんて食べる気になれなかった。

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