第3話 異常事態と自動修復

 朝陽あさひさんが言うやいなや、ズダダダダッとすごい音がした。まるで銃声のような、身の危険を感じる音だ。

 とっさにその場にしゃがんだオレの横を、せいさんが風のように駆けていく。

「お前たちは逃げろ!」

 はっとした朝陽さんがオレの方を見た――瞬間。

「ダメダメ、逃さないよー!!」

 見覚えのある大きな鎌が地面へ突き刺さり、オレと朝陽さんの間をへだてた。

「また来た!?」

 慌てて立ちあがり、オレは詩夏しいかさんを守るようにそばへ寄る。

 黒フードの少女はこちらを見て、にっこりと笑った。

「あーあ、もう覚醒しちゃったみたいだねー。でも、まだ使いこなせてない。じゃあ、さっさとつぶしちゃおう!」

 と、鎌を振り上げて両手に握り直す。

 見ると、静さんは金髪のヤンキーみたいな男と戦っていた。その両手には銃らしきものが握られており、静さんは触れた瓦礫がれきを浮かせて盾にすることで攻撃を避けていた。

「詩夏ちゃん、燈実とうみ君をこっちへ!」

「はいっ」

 と、彼女がオレの前へ出ようとし、オレは慌てた。

「危ない、詩夏さん!」

「わたしは大丈夫です! 燈実さんは朝陽さんの方へ――」

 黒フードの少女が鎌を振り下ろすのが見え、とっさにオレは詩夏さんを守ろうとして抱きしめた。

「っ……!?」

 死ぬ。絶対にここでオレは死ぬ。あんな大きな鎌、絶対にぶっ刺さって流血する!

「えっ!?」

 そんな声がしてはっと顔を上げると、鎌が少女の手を離れて上へと飛んでいく。――もしかして、弾いた?

 少女が体勢を崩して尻もちをつく。鎌が地面へ落ち、少女は呆然とこちらを見るばかりだ。

「燈実、さん……」

「あっ、詩夏さん大丈夫すか!?」

 慌てて彼女を離すと、詩夏さんは顔を赤らめつつ言った。

「わたしの『庇護円ビーフーイェン』も常時発動型で、管理人さんたちの攻撃は一切効かないんです」

「え?」

「なので、大丈夫と」

 なんてことをしてしまったんだ!!!!

「そ、そうとは知らず、オレはなんてことをおおおおおお!?!?」

 今さらどぎまぎするオレだったが、横から腕を引かれて我に返る。

「君はこっち!」

「わああっ」

 朝陽さんに引かれるまま廃墟の外へ。

 少し離れた辺りで立ち止まり、朝陽さんはオレを振り返った。

「やつらは君を狙ってる。ここにいるのは危険だから、すぐに日本支部へテレポートするよ」

「えっ、テレポート!? まだやったことないです!!!」

「そうだね。無理だと思うけど、僕の腕につかまっておいて」

「は、はいっ」

 すぐに朝陽さんの左腕につかまるが、状況がうまく飲みこめていないせいで不安しかない。

 っていうか、テレポートのやり方を、オレはまだ教わっていないじゃないか!? しかも日本支部ってどこだ!?!?

 ああもう無理だ、きっと置いて行かれる――!!!

 恐怖心に足がすくみそうになり、オレはぎゅっと両目をつむった。


「おかえりなさい」

 一瞬のうちに周りの空気が変わって、目を開けると知らない場所にいた。

「せ、成功した……?」

 呆然とつぶやくオレへ朝陽さんが言う。

天邪鬼あまのじゃくだからね、君は」

 はっとして、オレは自分の能力を思い出す。思っていることと反対のことが起こるという、それだ。

 朝陽さんはそれで、無理だなんて言ったんだ。そうすれば成功するから!

 急に気が抜けてしまい、オレはその場に座りこむ。

「そちらの方が、噂の?」

 と、事務員らしきセミロングの女性が歩み寄ってくる。胸は小さくて地味な印象の人だ。

「ああ、そうだよ。外野との燈実君、さっき覚醒したばっかりなんだけど、やっぱり管理人たちに狙われてね」

「まあ、大変! 怪我はしていませんか?」

 女性がオレのそばにしゃがみこみ、心配そうに見てくる。見ず知らずのオレに、なんて優しい人なのだろう。

「大丈夫です」

 と、オレが返すと、彼女はにっこりと微笑んだ。

「それはよかった。私は恵芽衣めぐみめいと言います。よろしくお願いしますね」

「あ、はい。こちらこそ」

 女性は立ち上がると、朝陽さんの方を向いた。

「そういえば、先ほど上から連絡があって、未覚醒者含め、管理人による被害は五百人を超えるだろうとのことです」

「うわ、それは厳しいね。燈実君だけでも覚醒できてよかった、って感じか」

「やはり規模が大きいですからね。混乱しているところを襲撃されているようです」

 若干の恐怖と不安を覚えつつ、オレは今いる場所を把握はあくしようと辺りを見回した。

 オフィスだろうか、机と椅子とパソコンがいくつか並んでいる。奥の方を見ると、古ぼけた感じのソファが壁際に設置されていた。

 確か、日本支部とか言ってたよな。レストレーショナーの集まる組織の、日本支部か??

「エラーも全世界に広がっています。代表たちが中央へ向かいましたので、今回の残り時間もいずれ分かると思います」

「そうだね。それじゃあ、燈実君」

 ふいに名前を呼ばれて、オレはびくっと立ちあがった。

「は、はいっ」

「ぼーっとしてたね?」

「す、すみません。さすがに、朝からいろんなことが起きてるせいで、へとへとっていうか」

 と、苦笑した。

 朝陽さんはくすりと笑ってオレを手招きする。

「ついておいで」

「はい」

 彼が向かったのは奥のソファだった。

「座って話そう」

「はい」

 ありがたく腰を下ろすと、見た目よりも柔らかくて座り心地がよかった。

「ここは僕たちが所属する、世界レストレーション協会日本支部。大きく分けると七つの地域に分かれるんだけど、ここは東アジアの管轄で、日本支部はその中の一つなんだ」

「なるほど、それで東アジア担当と」

「君も知ってるだろうけど、今回の大規模エラーについてきちんと話すね」

「はい」

 背筋を無意識に伸ばし、オレは真面目に耳をすませる。

「僕たちレストレーショナーは以前から、世界の初期化リセットをしようとする管理人たちと戦って来た。今回もその延長にあるんだけど、重大なエラーが起きた。それは、全世界の人々が記憶喪失になってしまった、ということだ」

「全世界……」

 考えてみるととんでもない規模だ。日本だけじゃなく、他の国々の人までもが、記憶を失ってしまったなんて。

「次元間を重複して存在する僕たちは、記憶を失わずに済んでいるけれど、管理人からしたら狙いやすいんだろうね。日本だけで、五百を超えるレストレーショナーがやられてしまった」

 と、朝陽さんがため息をつく。

「僕は判断を間違ったかもしれない」

「え?」

 どういうことかと怪訝けげんに思った直後、芽衣さんがグラスに水を入れて持ってきてくれた。

「そんなことありませんよ。朝陽さんにも限界はあるんですし、まだ確実な情報でもないですから」

「芽衣ちゃん……ごめん」

「いえ」

 彼女からそれぞれにグラスを受け取り、オレは「ありがとうございます」と、お礼を言う。

 芽衣さんはにこりと笑って、机の方へ戻っていった。

 一口、水を飲んだだけでも気持ちがほっとする。朝陽さんも少し水を飲んでから、話の続きを始めた。

「実は昨夜の時点で、今日何が起こるか、だいたいのことは見えていたんだ」

「透視能力で、ですよね」

「うん、君が狙われることも分かってた。だから、静さんに君を任せたんだ」

 それで彼はオレを助けてくれたのか。

「君を覚醒させるところまで出来たのは、いいことだと思ってる。でも、それで他の人を犠牲にしてしまったと思うと、やっぱりね……」

 オレはうつむき、グラスの中を見つめる。水面がかすかに揺れていた。――手が、震えている。

 もう片方の手も使ってグラスを持つが、震えはおさまってくれなかった。

「オレ、静さんに言われたんです。地球に選ばれた、って」

 その残酷さを全身に感じる。

 選ばれたということは、選ばれなかった人がいるということ。きっとそれは五百人という大勢の、一人一人であったということ。少し考えれば分かったはずの当たり前なこと。

「その時はオレ、喜んじゃったんですけど、それって、こういうことだったんですね」

「……そうだね」

 朝陽さんがそっとオレの肩を抱いてくれる。

「こんな話を君にしてしまって、すまなかった。じきにちゃんとした情報も入ってくると思うから、燈実君は『天邪鬼シンチングァイピー』を使いこなすことに集中してほしい」

「……はい」

 そうだった。オレはまだ自分の力を使いこなせていない。

 テレポーテーションが上手く行ったのは、朝陽さんがオレの思考を操作してくれたからだ。でも、それではいけない。

 自分一人でも使いこなせるようにならないと。

「あっ、おかえりなさい」

 机で仕事をしていた芽衣さんの声がし、オレはうつむいていた顔を上げる。

 そこにいたのは静さんと詩夏さんだ。

「すまない、回復を頼む」

 と、静さんが言い、芽衣さんはすぐに「あちらへ」と、隣の部屋へ彼を連れて行く。静さんは左腕から出血しており、激しい戦いだったことが分かった。

 詩夏さんはこちらへ寄ってくると、すぐにオレの隣へ腰かけた。

「さっきは大変でしたね」

「あ、そうですね」

 さっきのことを思い出してしまうと、オレは恥ずかしくなってまたうつむいた。

「その、すみませんでした。恥ずかしいこと、しちゃって」

 謝罪をするオレへ詩夏さんは言う。

「いいえ、気にしないでください。わたしは嬉しかったですよ」

「えっ」

 思わず顔を上げると、にっこりと笑う彼女が見えた。

「普段は誰もかばってくれないので、とっても新鮮でした」

 あっ、そういえば常時発動型の結界だっけ!?

「ピークの時には、味方である僕たちでさえ触れなかったもんね」

 と、朝陽さんが口を出し、詩夏さんは自嘲気味に笑った。

「あの頃は自分でも怖かったです。もう誰とも触れ合えないんじゃないか、って」

 そうか、詩夏さんの「庇護円ビーフーイェン」にもデメリットがあるのか。誰とも触れ合えないのは、やっぱり寂しいよな。

「でも、今はもう大丈夫です」

 にこっと明るく笑う詩夏さんは、前向きだった。

 胸のどこかがずくんと痛み、オレは言う。

「オレも、ちゃんと使いこなせるようになりたいです。それで、みんなの役に立ちたい」

「もちろんそのつもりだよ。君には戦力になってもらわなきゃ」

 と、朝陽さんがにこりと笑う。

「管理人たちも君には目をつけてる。つまり、君の能力はあちらにとって、脅威となりうるものなんだ」

「頑張りましょう、燈実さん。わたしもお手伝いします」

 そういえば、昨日の時点でオレのことが見えていたと、朝陽さんは言っていた。

 ということは、最初からオレはレストレーショナーとして覚醒し、彼らの戦力になることが決まっていたのだ。運命だと言ってもいい。

「はい、頑張ります!」

 と、少し声を大きくしたところで、静さんが戻ってきた。

「現在の状況から考えて、燈実はしばらくここにいた方がいい。万が一やつらが来ても守れるよう、詩夏はそばにいてやれ」

「分かりました」

 まさかの詩夏さんと一緒だ!? いや、でもそうだよな。今守られるべきはオレなのだ。

「朝陽は情報の収集を」

「分かりました」

「俺はまた外に出てくる」

 と、静さんが背中を向けて、オレはとっさに口を出した。

「また戦うんですか?」

 振り返った彼はきょとんとしてから、ふと真面目な顔をした。

「まだ息のあるレストレーショナーがいるかもしれない。味方は一人でも多い方がいいからな」

 そして静さんはテレポーテーションで行ってしまった。

「……やっぱり、大変な状況なんすね」

 全世界の人間が記憶喪失になった今、オレたちレストレーショナーだけが管理人と戦える。地球をリセットさせないためには、オレたちがどうにかするしかない。

「残り時間がもうじき分かりそうです。今回は短いかもしれません」

 ふいに芽衣さんがそう声をかけ、朝陽さんは腰を上げた。

「それならいいけど、やっぱり時間稼ぎは必要だよね」

 時間稼ぎ?

 思わず首をかしげたオレへ、芽衣さんが優しく教えてくれた。

「この地球には、いわゆる自動修復機能が備わっているんです。今起きているエラーが起こる前まで、地球が勝手に直してくれるんですよ」

「え、そんな便利機能が???」

「はい。その前に私たちが負けたら、管理人たちにリセットを許すことになります。なので、自動修復機能が働くまで、私たちは戦って時間稼ぎをするんです」

 ただ戦うだけかと思っていた。戦って、勝って……その後にどうなるかは、ちっとも考えなかったけれど。

「そっか、時間稼ぎか。だから静さんも、味方は一人でも多い方がいい、と」

 そこまで理解したところで、ふいに思い出す。

「エラーが起こる前って言いました?」

「はい」

「あっ、それじゃあもしかして――!?」

 コンビニで静さんが言っていた「なかったことになる」というのは、時間が戻るからという意味か!!

「なるほどなるほど、理解しました」

 だんだん話が見えてきた。オレたちレストレーショナーは、そもそもが地球側なのだろう。しかし、それを管理するやつらがいるから、オレたちは反抗し戦う。で、地球には自動修復機能がついていると。

「状況が把握できたようだね。質問はないかな?」

 と、朝陽さん。

「えっと、そうですね。今のところはないです」

「それじゃあ、あとは詩夏ちゃんに聞いて。僕は仕事に戻るよ」

「はい、任せてください」

 と、詩夏さんが明るく返し、朝陽さんは机のある方へ向かっていく。

 オレは気を取り直すように、ぬるくなった水を一気に飲んだ。それから彼女の方を向く。

「詩夏さん、よろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ」

 にこりと笑ってくれる彼女が、今はとても頼もしく見えた。

「それでは、さっそく練習しましょうか。まずは簡単なものから」

 と、彼女が視線をやったのは、オレの持っていたグラスだ。

「それはガラスなので、落としたら割れるはずですよね」

「ああ、確かに」

 水も全て飲んでしまったし、落としたら割れる。

「でも、燈実さんが落としたら割れないかも」

「うーん、なるほど」

 それはありそうだ。でも、万が一割れたらどうしよう。

「もしくは、さっきの破片みたいに、硬いはずなのに柔らかくなったりして」

「それもありますね」

「あれ? でも、燈実さんの意識とは、裏腹なことが起こるんですよね?」

「ええ、そうです。さっきも、殺される、死ぬって思っていたら、無傷だったので」

 詩夏さんが首をかしげ、オレも何かが引っかかった。

「もしかすると、単純に逆、というわけではないかもしれませんね」

「えっ、ますます面倒くさいのでは」

「だけど、一言で言えば、ネガティブに考えているとポジティブな結果になる、ということですよ。燈実さんは常にネガティブ思考でいればいいってことです」

 と、言い切ってくれる詩夏さんだが、オレはうなずけなかった。

「うーん、それはそれで難しいような」

 ずっとネガティブな気分でいるのはしんどい。そもそもオレは、そこまでネガティブになれない。

「そうですね、確かにネガティブなまま戦うのってきついかも。じゃあ、とりあえず意識を整えましょうか」

「どういうことですか?」

 たずねたオレへ詩夏さんがにこりと笑う。

「瞑想をするんです。雑念を取り払い、内なる自分と向き合うことで、周波数を上げるんです」

「覚醒しても、周波数は自分で上げていく必要があるんですね」

 と、苦笑するオレだが、詩夏さんはかまうことなく言う。

「初めは寝ながらやってもいいんですよ」

「え?」

 詩夏さんがその場で靴を脱ぎ、ソファへごろりと寝転んだ。

「眠りに入る前の、意識が遠くなっていく感覚が、内なる自分と向き合う感覚に似てるんです」

 そして彼女は目を閉ざし、あくびまじりに言った。

「どうぞ、燈実さんもやってみてください」

「え、えぇー……」

 本当にいいのだろうか。そのまま眠ってしまいそうなんだが。

 戸惑いながらも、オレはグラスを背もたれの上へ起き、靴を脱いでソファへ横になる。

 両目を閉じて呼吸を何度かすれば、雑念が飛んで意識が一つの方向へと落ちていく。――ああ、マジで眠っちゃいそう。

 真面目なオレは目を開けてしまい、はっとして起き上がる。

 見ると、詩夏さんはすうすうと寝息を立てていた。

「え、えっと、詩夏さん?」

 声をかけてみるが彼女は目を開けない。どうやら、本気で眠っているようだ。

「……瞑想、は?」

 もしかしてこの人、ただ眠りたかっただけではないだろうか? 瞑想と言いながら、普通に眠ってるんだもんな。

 どうしたものかと思いつつ、オレは詩夏さんの寝顔を見つめる。

 長いまつ毛、柔らかそうな頬。あどけない寝顔の緊張感のなさに、見ているこちらまでほっとしてしまう。

 かすかに上下する胸は、華奢きゃしゃな体と不釣り合いなくらいに存在感があるが、そこがまた魅力的だ。

 ――何だか、やたら人懐こい猫みたいだと思った。

「あっ、詩夏さん寝ちゃいましたか!?」

 はっと我に返って顔を上げると、芽衣さんがこちらへやってきた。

「すみません、この子寝るの大好きなんです」

「そ、そうなんすか……」

「一度寝ちゃうと、しばらく起きないんですよね。なので、燈実さんも休んでいていいですよ」

 休む、か。でも、オレも長時間眠ってしまいそうだ。練習もしたいし、休むわけには行かない。

「ありがとうございます。詩夏さんが起きるまで、待ってます」

「そうですか? 何かあったら、遠慮なく言ってくださいね」

 と、芽衣さんがにこりと微笑んでから、ひらめいた顔をする。

「そういえば、お昼ごはんは心配しないでください。おにぎりをたくさん用意してあるので」

「あ、そうなんすか。ありがとうございます」

 芽衣さんが戻っていき、オレは小さく息をついた。


「すまなかった。詩夏を寝かせるな、と言うのを忘れていた」

 午後一時を過ぎた頃、静さんがオレへそう言った。

「まさか、一度寝たら本当に起きないなんて」

 と、オレは微妙な気持ちを返す。

 詩夏さんはかれこれ二時間以上眠っていた。声をかけたりゆすったりしてみたが、全然起きない。

「本当にすまなかった」

 重ねて謝る静さんだが、オレはかまわずに返した。

「仕方ないので、一人でいろいろやってみたんすけど。硬いものを柔らかくするのは、比較的楽に出来ました。柔らかいものを硬くするのもです」

「そうか」

 と、静さんは脇に置いたトレイから、芽衣さんの作ってくれたおにぎりを一つ手に取る。

「オレが手を離すと、元に戻るようです。つまり、触っている間しか効果はないみたいですね」

「俺と似ているな。俺も一度触ったものでないと、効果を発揮できないんだ」

 おにぎりをもぐもぐと咀嚼そしゃくしながら、静さんは言う。

「俺の能力は『念動力ニィエンドンリー』。いわゆるテレキネシスだが、触ってからでないと動かせない。言い換えれば、どんな大きな物でも、一度触れば自由に動かせる力だ」

「でかいトラックとかも?」

「ああ、できるぞ。街を破壊しかねないから、あまり使わないがな」

 静さん、意外と常識人だな。

「生き物にも効果は発揮できるが、物質でないといけない。死体ならいくらでも動かせるが、生きている人間は霊質と物質が融合したものだから、動かせないということだ」

「うわっ、そんなことまで」

「もちろん、そんな使い方をしたことはない。だが、能力の影響する範囲には限界がある、ということを理解しておくといい」

「なるほど。確かにそれは大事ですね」

 オレは納得してうんうんとうなずく。

 自分の力が影響する範囲が分かれば、使いこなすのも早いだろう。いざ戦うとなった時にも、上手く使えるはずだ。

「燈実は常時発動型だったな。このタイプの場合、外と内で効果が変わる。外というのはそのまま、自分以外のものに対する効果であり、内というのは自分自身への効果だ」

「そういえば、詩夏さんも常時発動型だとか」

「そうだな。詩夏は常に自分自身が結界で守られているが、これは内への効果。外への効果は、他の人間へ一時的な結界を張ることができる、というものだ」

 外と内、二種類の効果があったのか。

「燈実も同じように、自分の思いと裏腹なことが現実に起こる。それがきっと内で、外は触れた物体を変異させる、ということだな」

 ふむふむ、分かってきたぞ。

「つまり、物体を変異させることと、現実に引き起こすこと。二種類の効果があるってことなんすね」

 静さんは二つ目のおにぎりを手に取り、かじりついた。

「そういうことだ」

 物質を変異させるだけでなく、現実に起こすことも考えると、上手く使いこなせるようになるには時間がかかりそうだ。本当に難しい能力なのだと、あらためて思う。

「となると、やはり大事になるのは自分の意思。意識とか思考とか、そうしたものを操っていく必要があるんですね」

「慣れるまで大変だろうが、こればかりは自分でコツをつかむしかないな」

「はい、頑張ります」

 もっといろいろ試してみよう。どこまで出来て、どこから出来ないのか。効果の範囲も把握できるよう、とにかくたくさん試してみよう。

 そんなことを思ったところで、朝陽さんがやってきた。

「静さん、正確な残り時間が分かりましたよ」

 おにぎりを食べながら、静さんは顔を上げる。

「二十二時間と三十八分、明日の正午に自動修復機能が起動します」

「そうか」

 明日の正午って、もう一日もないじゃないか。そんなに早く機能が働くなんて。

「そういえば、その自動修復機能が動いたら、その後はどうなるんですか?」

 と、オレが疑問を口にすると、朝陽さんが教えてくれた。

「この異常事態が起きる前に戻るよ。今朝の五時頃だったから、その直前になるね」

「それで、元通りに?」

 信じがたい話だったため、オレは思わず怪訝な顔になってしまう。

 静さんが視線を向けながら言った。

「管理人たちに魂を取られていなければ、な」

 ドキッとしてオレは朝陽さんを見る。

「残念だけど、死んだ人は生き返らせられないんだ。魂と肉体が残っていれば、生き返ることもあるんだけどね」

 と、悲しそうな顔で苦笑する。

「そう、なんすね……」

 地球の自動修復機能を持ってしても、死者は生き返らせられないのか。

 そう思うと悲しくて、悔しくて、心の奥の方がむずむずする。でも、選ばれてしまったオレは、このまま生き続けるしかない。

 すると朝陽さんがオレの前にしゃがみこみ、目線の高さを合わせた。

「いいかい、燈実君。死ぬというのは、ゴールのようなものなんだ。どんな形であれ、一度ゴールしてしまったら、スタート地点には戻れない。初期化されない限りはね」

「まさか、管理人なら生き返らせられるんすか?」

「うん、できるよ。でも、そうすると残っている僕たちも、すべてゼロからやり直すことになる。僕らが今日出会ったことも、なかったことにされてしまうんだ」

 はっとして、オレは詩夏さんの方を見る。

「詩夏さんからも、そんな話を聞いたような」

 すべてやり直されるなんて嫌だ。再び出会えるとしても、それを覚えていなくても。

 静かな口調で静さんが言う。

「いずれにしても、人間として生まれた限り、死ぬことは避けられないんだ。ならば、一人でも多くの人間が一分一秒でも、長く生きられる方を選ぶしかない」

 残酷だが正しいとも思った。きっとそれが、レストレーショナーとしての正義でもあるんだ。

「分かってくれたかい?」

 と、朝陽さんが問い、オレはうなずいた。

「はい、分かりました。辛いけど、そうするしかないんですよね」

 静さんも朝陽さんも、何も言わなかった。彼らにも、やはり思うところがあるのだろう。

「燈実君は素直でいい子だね」

 朝陽さんがそう言ってオレの頭をぐしゃぐしゃと撫で、立ちあがった。

「仕事に戻ります」

「ああ」

 静さんが最後の一口を口の中へ放りこみ、グラスに入った水を飲む。

「燈実、お前は将来有望だし、いいやつだ。でも、無理して今の話を受け止めようとしなくていいからな」

 そして腰を上げると、空のトレイを手に給湯室へ向かっていった。

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