【双夜】『鐘姫詣りの怪』其ノ貳


     五


「清華からもお聞きになったかもしれませんが、その昔この地は度々『双子沼』に住まうとされる蛇頭の水神『怨陀羅魔尼おんだらまに』の起こす天災に悩まされてきました。これは村の口承と共通する点ですが、怨陀羅魔尼は天災を鎮める条件として、年に一度“生贄”の人柱の提供を要求し、大昔の村では『頭宇陀寺』の“釣鐘”に贄となる人を縛り付け、沼に沈めて納めたそうなのです。

 民俗学で云う『沈鐘伝説』とは、こうした生贄の儀式に由来するのではないか?と私などは考えますが、これは少し本題を外れてしまいますね。

 しかしある年、お山の方から『刈鐘姫かりがねひめ』と『清鐘姫きよかねひめ』という双子の巫女が村に現れ、その託宣によって村の農政に関する危機を救いました。

 ええ、村の口承と似ていますが少しづつ異なってきたでしょう?一番の違いはやはり『姫巫女は双子で在った』ということ。それに都から落ち延びて来たのではなく、『山から降りて来た』のです。山というのはそう、ここにいらっしゃる道中で桜花さんも御覧になったかと思う、あの雄大な『碧城山あおぎやま』のことです。

 碧城山には龍神『山神やまかがし様』が住まうと云われています。つまり村人を哀れに思った龍神がその使いとして二人の巫女、恐らくは龍神の娘たちをこの地に遣わしたのだと、私などは思うのです。

 双子巫女が龍神の娘というのはあくまで私の憶測に過ぎませんが、その他の事はここにある『古文書』に総て記されています。ええ、頭宇陀寺の僧の方々が遺して下さったのは梵鐘だけではありません。堅牢な長櫃ながびつに保存された状態で、こうした貴重な“文献”をも遺されていたのです。

 もちろんこうした記録が残されていることは村の有力者の方々もご存知のことです。しかしながらいくら『正しい伝承』が残されているとはいっても、『一度巫女に関わったことで村が滅びた』という忌まわしい記憶は一部の村人の心に深く根付いてしまっています。そして未だに『蛇神の祟り』があるという事実は払拭することが難しい問題なのです」。


「少し本題と離れてしまったので伝承の続きに戻りますね。双子巫女は類稀なる法力に恵まれており『生贄の必要なしに水神の災いを鎮めてみせる』と村人に宣言しました。

 その方法とはまず神楽舞かぐらまいによって水神の魂をおびき寄せ、次に巫女が二つの梵鐘の内側に入り祈祷する『鐘籠かねごもり』により水神の御霊を“鐘”に封ずるというモノです。事実、双子巫女の鐘籠りにより一旦は怨陀羅魔尼を梵鐘に封ずることに成功しました。

 しかし妹巫女の清鐘姫が水神の悪心に取り憑かれ、乗っ取られた躰で暴威を振るい、村に天変地異を惹き起こしました。姉巫女の刈鐘姫はその持てる法力の全てで清鐘姫の暴走を抑えつけ、僧侶たちに二人の巫女の身を寺社と諸共もろともに焼き払ってくれと命じます。

 こうして双子巫女と頭宇陀寺は焼失し、水神の祟りはそれ以降無くなりました。焼け残った鐘の下からは『焦げた稲穂と一体の蛇の死骸』が現れたというのがこの伝承の結びとして記述されています」。


「そしていつの頃からか頭宇陀寺の跡地に建てられた双龍神社では、二人の巫女による『鐘姫詣かねひめまいり』と云う儀式が執り行われるようになりました。

 鐘姫詣りとは祀られている二つの“梵鐘”の前で神楽舞を納め、その後巫女二人が『午前零時から黎明れいめい刻迄ときまで、それぞれの梵鐘の内部でひたすらに祈祷する』という、かつて双子巫女の執り行った『鐘籠り』をした儀式です。

 祟りが起こらなくなったとはいえ、私には惡神『怨陀羅魔尼』のおぞましい息遣いが双子沼の底の方から未だに感じられるのです。そうした理由で二十数年に一度の間隔にはなりましたが、この時代になっても二人の巫女による鐘姫詣りの儀式は『決して途絶えさせてはならない伝統』として継承されております。

 双子巫女の祝福かは解りませんが、双龍神社の宮司を務める“籠手家”では代々『双子の女児』が生まれて来る割合が高かったのも『鐘姫詣り』を執り行う助けとなりました。

 ただし清華の祖母に当たる母の代、私の代、清華の代とここ三代の籠手家には『一人子の女児』しか生まれておりません。『双子が生まれない年』の場合、村の娘からもう一人の巫女を選出するのが仕来りです。

 清華の祖母であり私の母である『キヨ』は元々霊力の高い祓い巫女で、村人からの人望も厚かったため村の娘の一人に協力して貰い、無事鐘姫詣りを成功させました。

 しかし誤算が起こったのは私の代でした。母がまだ存命で村の人たちの説得に当たってはくれたものの、双巳沢村から代理のもう一人の巫女が出ることはありませんでした。今となっては母の選定基準に適う巫女候補が見付からなかったのか、それとも単に協力を拒まれてしまったのかは解りません」。


「けれど当時の私は少し思い上がっていたのですね。『私なら一人で二人分の憑坐よりまし巫女ができる』そう母に進言し、母も私の霊力の高さを見込んでこれを了承しました。

『本来二人の巫女で行うのが仕来り』の鐘姫詣りですから、念を入れて巫女神楽も通常の倍に渡る時間の舞いを納め、鐘籠りにはもう一人の巫女分の形代かたしろとして母が職人に特製に作らせた文楽人形を用意しました。

 しかし“異変”はやはり『鐘籠り』の際に起こりました。午前三時を迎えた頃でしょうか、梵鐘の内部に突如“熱気”が篭り始めました。鐘の内側に入るといっても、頭宇陀寺の梵鐘はこの儀式のために『百八つある突起部分に通気口が開けられており』常時呼吸する分には全く問題はありません。

 けれどまるで『鐘の外側を炎で覆われた』かのように空気が薄くなり、明らかに周囲の気温も急激に高くなったように感じました。

 こういった不測の事態が起きた時の備えとして、巫女は撞木しゅもくという鐘を内側から叩いて異常を知らせる道具を持ち込むことを許されております。ですから私は必死になって撞木で鐘を叩き母に対して危急を知らせました。

 母が云うには『通常の消火活動では消せなかった黒い炎が二つの梵鐘を包んでいた』そうです。その黒い炎をなんとか母の法力を注ぎ込んで鎮め、村の人たちが鐘をけてくれたことで私の命は救われました。そして形代の文楽人形が入っていたもう一つの鐘の方を除けてみると、人形は跡型も残らずただの『黒い煤』と成り果てていたのです。

 その後、私の体にも“異変”は現れました。就寝中に背中が熱くなるのは感じていましたが、翌朝確認するとこうした火傷痕のようなモノが残されていたのです」。


     六


 刈穂さんは着込んでいた千早や白衣の装束を脱いで私にその“傷痕”を見せてくれました。『名誉の負傷』と云うには辛すぎる、女性にとっては直視し難かったであろう生々しく痛々しい傷痕です。そしてその“傷痕”の形は鎌首をもたげた“蛇”であるかのように私には見えました。

「まるで“蛇”の姿、そう見えるかと思います。私も一目見てそう感じました。これは蛇神の“烙印らくいん”なのだと。惡神『怨陀羅魔尼』は未だに健在であるという、その証左なのではないかと私は憂慮しているのです」

 私はここで初めて刈穂さんに質問しました。

「それで、その儀式の後に村に祟りなどは有りましたか?」

「いいえ。私の儀式は完全に失敗に終わったと思ったのですが、儀式の後にはこの烙印が刻まれただけで、村への祟りなどは起こらなかったのです」

 清華もここで補足してくれます。

「けど母さんの負った代償はとても大きかったと思う。我慢してるのは知ってるけどその“傷痕”は今でもうずくんでしょう?宮司の仕事を頑張り過ぎて時々倒れちゃうこともあったよね?私も父さんもいつも無理し過ぎは良くないって、負担が大きかったら手伝うからって云ってるんだけど・・・」

「ごめんね。清華にもお父さんにもいつも心配かけて。でもお母さんも自分で出来ることは無理しない範囲でちゃんとやるから——」

 清華と刈穂さんの遣り取りを見て、なんかじんと来ちゃいました。強い絆で結ばれた親子ってやっぱり良いなって。私の親なんか、私がいなくなったって——いえ、私のことなんかどうでもイイ話ですね。

「それで、次の、清華の代の『鐘姫詣り』はいつなんですか?」と質問しました。

「それが・・・今年——」清華がなんか言いづらそうに応えるのがちょっといじらしくて

「もしかして、私なんかが代理巫女として立候補しても良かったりする?」って自分から云っちゃいました。そしたら清華も刈穂さんもちょっと驚いた顔して

「でも、桜花は村の人じゃない。だからそんな——」

「なんでよ?さっき清華は自分よりも巫女の素質あるかもって云ってくれたじゃない?」

「それはただの冗談で。桜花は友達だから、そんな危ないことに——」

「だったら私の他に候補はいるの?」って、ちょっと意地悪な質問ですよね。清華があまりにもいじらしく健気な態度なので私もちょっと苛めたくなちゃったんですかね?

「今のところは——」と清華がやっぱり言いづらそうなので、私も質問の方向を変えました。

「あの、刈穂さん。鐘姫詣りの巫女の条件て何ですか?村の人間じゃなければいけないんですか?」

 刈穂さんも私の質問の答えにしばらく悩んだようでした。娘が思い詰める手前、自分が答えてしまって良いモノなのかという気遣いがそこにはあって、やっぱり素敵な母娘おやこなんだなって。

「二人巫女の条件は基本的に二つです。年齢が『十代の乙女であること』。そして『ある程度の“霊応力”を備えていること』でしょうか。村の住人であるか否かは厳密には巫女の条件には当たりません。しかしながら村外の方をこの儀式に招くことは宮司としてとても心苦しく感じざるを得ません」

「それはこの儀式が『身の危険を伴うから』でしょうか?もし何かの障りがあったとしても巫女の身の安全が必ずしも保証されないから?」

「その通りです。私の代の話をお聞き下さった桜花さんなら、例え祟りそのモノを鎮めることはできても、何らかの身体的代償を伴うリスクがあることをお解り頂けたかと思います」

「では、もう一つの巫女の条件である“霊応力”ってなんですか?霊感みたいなモノと捉えてイイんですか?」

「そうですね、巫女とは憑坐よりまし。神霊が『りてすモノ』と云われます。鐘姫詣りで巫女に降りる神霊はかつての二人巫女『刈鐘姫と清鐘姫』です。その神霊との相性の良さを便宜的に『霊に応える力』すなわち“霊応力”と私は呼んでいます」

「私にはその力があると思いますか?」

「まだ、わかりません。清華が云うように素質は感じても、それが花開くどうかは修練して試してみないと——今の時点で断言することはできないのです」

 どうしよう、やはり安請け合いして済むことではなさそうだ。「神楽舞だけ習得できれば後はなんとかなる」って思ってたのは甘かったのかなって。それでも——それでも私はこの二人のお役に立ちたいって思ってしまったんですよね。

「私、やってみたいです。巫女の修行。もし私でよければ清華さんのパートナーとして、私を“二人巫女”の候補にして下さい」って云ってしまいました。

「どうして、桜花!」って涙ぐんでる清華を見て——ああ、これで良かったんだって。なんかすっきりしちゃいました。

 ここまで来たのに「そんな話興味ありません。帰ります!」じゃ、あまりにも格好悪いじゃないですか。皆さん私のことバカだって思いますか?けど周りにバカだって思われても「やってやらなきゃならない時がある」って思うんです。人間なら誰しも。

「桜花さん、本当に宜しいんですか?厳しい修練になるかもしれませんよ?それにまだ親御さんの許可も取っていないでしょう?」って刈穂さんには『大人らしい心配』されちゃって。だから

「親の許可なら心配ありません。だからもし、なんなら住み込みでも良いんで巫女の修行させて下さい!」って再度お願いして。

 あ、大丈夫ですよ。そりゃ巫女修行はそれなりに厳しかったですけど、あくまでこの話は“怪談噺”ってわかってますから。いちいちその辺の細かい描写はしません。そういうとこはちゃんと端折って。そうですね、長くなってきてしまったのでそろそろ『鐘姫詣り当日』のお話をしますね。


     七


 初めて双龍神社に来た日から、一度実家に戻って荷物をまとめてからは私、結局“家出”同然で。清華の家から登校して。放課後には巫女の修行をして。寝る前には清華とたくさんお喋りして。人生で一番“濃密”で楽しかった時期かもしれないですね。

 親には心配されなかったのか?って思いますよね。けど心配してくれるような親がいたとしたら、そもそも自分から『何の保障も無い巫女候補』には手を挙げなかったと思うんです。もちろん清華と刈穂さんの役に立ちたいって気持ちもありましたけど、「これは自己実現の一つなんだ」って気持ちが強くて。

 今まで「何者にもなれなかった人間である私が、誰かの、或いは世界の役に立つかもしれない機会を与えられたんだ」って。

 それは命の危険を伴う“使命”かもしれなくて。それに私は選ばれた、いや自ら選び取ったんだって。

 あ、なんか感傷的なポエムになってますね。いかんいかんということで。そういえば鐘姫詣りの当日って「例大祭も兼ねてる」らしいんです。要は「一年に一度の大きなお祭り」なんですね、双龍神社の。

 だから意外と沢山の地元の方々で賑わっていて。なんだ、双龍神社を「不吉な場所」って嫌ってる人ばかりじゃないんだって安心して。お祭りだから神社の手伝いの人もいつもより大勢来て下さって。

「なんか凄い。予想以上の盛り上がりなんだね、お祭り」って清華に尋いたら

「多分村も新しい人たちが年々増えて来ていて、少しづつ偏見みたいなモノも消えて行ってるんじゃないかな。もちろんお客さんには村外の人もいるけど、半数以上は村の人たちだしね」って教えてくれて。そういえば私は双巳沢村の事はほとんど知らなくって。人口が何人いるとか何が名産とか。

 というか私の側でも「村には双龍神社に意地悪な人々がいる」って偏見もあったから。買い出しするときはやっぱり別の、もう少し発展した街の方に行ってしまったり。

 そういう「どちら側にもある変なわだかまりが徐々に消えて行くなら」それは良いことだなって。まぁ言うは易しで現実はもう少しシリアスなのかもしれないけど、希望は持っていたいなって。


「ねえ、清華。もしかして私たちの学校の生徒たちも来たりするかな?」

「それは、居るかもね。村からは私の他にも何人かうちの高校来てるし。なに桜花、気になる男の子に巫女姿を見て貰いたかったり?」ていたずらっぽく清華が云うんで

「そういうのじゃないって!むしろ普段清華に意地悪してるような生徒がお祭り見に来たらちょっと気分が良くないっていうか・・・」

「まぁ、確かにね。でも結構さ、この衣装の“威力”って凄くって。巫女装束であるってだけで小さい子には尊敬されちゃうって感じよ?あとうちの神社では他に巫女さんを雇ってないから希少価値っていうのかな?ほら『某遊園地の人気キャラクターがその時間、その一体しかパークにはいない』なんて話もあるでしょ?あれと同じで双龍神社には『二人の巫女しかいない』っていうのは凄いアピールポイントだと思うのよね」なんて変な考察しだして。

 清華って普段真面目なんですけど、突然ふざけたこと云ったり面白い子なんですよ。きっとまぁ私が緊張したり、気分がナーヴァスになってるかなとか気遣ってくれてるんでしょうけど。

「じゃあ私、母さんとちょっと打ち合わせがあるから。桜花はちょっと一人で自由にしてて。ほら、買い食いとかするなら今の時間ならまだ空いてるし。夜になるとそれこそ高校の連中とか、カップルが大勢いて気まずくなるかもしれないよ!」って云って清華は社務所の方に戻って行っちゃいました。

「ちょっと、なにそれ!ホント意地悪!」って思ったんですけど、確かに私の人見知り癖を治すには悪くない機会で。

 けど「お祭りで一人で買い食いする」ってちょっとハードル高くないですか?しかもこっちは巫女装束なんですよ!だからか清華の云うようにさっきから「小学校低学年かそれより下くらい」の子供達の視線はビシバシ感じるわけですよ!きっとこの姿で食べ物なんか買ったら

「巫女のお嬢ちゃん、アイス一個オマケね」とか屋台の人に変に気を使わせたり

「あー!あの巫女のお姉さんオマケ貰ってズリィんだ!」とか悪ガキに指摘されちゃうわけですよ!

 そんな仕打ちはちょっとメンタルが耐えられそうにないので、私も社務所に戻って普通に昼食を済ませました。


 あれ、なんだか横道に逸れて全然「怪談っぽくならない」ですね。でも、もう少しでそうなるから安心して下さいね。清華には悪いんですけど私は「巫女さん姿」で出歩くのはあまりにも恥ずかしくて。昼食後に一旦私だけ着替えてから、お祭りの様子を偵察に行くことにしました。

 というのは清華が中々「刈穂さんとの打ち合わせ」と称した何かから戻ってこなくて、仕方ないから一人で出歩くことにしたんです。それで、買い食いはしませんでしたが一通り屋台を巡ったり。お祭りを楽しむ方々の人間観察に勤しんだり。あるいは不審者に目を光らせたりと、頼まれてもいないのに色々なミッションをこなしていたわけですよ。

 で、そこで気になったのが「一人のお坊さん」だったんですよね、はい。“托鉢僧たくはつそう”の方って時々都会の街中とかでも見かけますよね?まぁ本物なのか、成り切りなのかっていうのは割と意見が分かれるところですけど。

 その托鉢僧らしき人が神社の入り口である“鳥居”横に立ってらして。なるだけ目立たないようにか隅の方には居るんですけど、やっぱりその「網代笠あじろがさと僧衣の存在感」みたいのは際立っていて。

 いや、だってお寺の山門に僧侶が居るとかならごく自然だと思うんですよ。けどなぜか神社の“鳥居”なんですよね。

 もしかして昔ここが『頭宇陀寺というお寺が在ったことを知っている寺社関係の方』っていう線はもちろん考えました。だけどそれも江戸時代とかきっと随分昔の出来事で。古文書に記されてるような出来事を知ってる関係の人がそんなにいるのかなって。

 それに神社・寺社関係の人なら入り口で立ちぼうけせずにまっすぐ社務所に方に挨拶向かうと思うんですよね。

 そこでちょっと「お、不審人物発見!」みたいに私の霊感?的なモノが発揮されて。恐いけどちょっとずつにじり寄ってみたんですよね。怪しいのはお互い様でしょ、みたいな言い訳を心の中でして。

〈りん——〉と一度“持鈴じれい”の清涼な音がしました。それで気付いたんですけど。私いつの間にその「怪しいお坊さん」に近付き過ぎてたみたいで。背の高い人だったので、網代笠の下のそのお顔が拝見できて。何というか意外と若い人で——二十代から三十代前半くらいの。一言で云うと“美僧”でしたね。

 私そんなに男の人の顔を褒めたりしないんですけど、そのお坊さんの場合「人形のように顔が整っていて、あまり性別を感じない」というか。

「わあ!美術品みたいな顔だ」って思わず見とれちゃいましたね。そんな調子ですから

「拙僧に何か御用がございますか?」ってあちらから尋かれちゃいました。咄嗟の質問でどうしようかと思ったんですけどここは素直に

「あの!神社なのに、お坊さんは何でいらっしゃったんですか?」って尋いて。捉えようによっちゃ気を悪くされるかと思ったんですけど

「拙僧は、そうですね。この神社というよりあの“沼”にえにしある者で——懐かしゅうて、参ったのでございます」とお坊さんは丁寧に応えられました。

「そうでしたか、変な質問しちゃってすいません。神社にお坊さんがいるのが珍しくて、失礼しました」と退散しようと背を向けたんですけど

「そこの巫女の方」と呼び止められて。いや、今私巫女装束じゃないんですけど。何で?って思ってたら

「鐘に気を付けなくてはいけません。あの鐘には——“魔障”が宿りますゆえ」と、そのままお坊さんはすっと神社の敷地から出て行かれてしまいました。不思議です。何者だったのでしょうか?あとで清華と刈穂さんにも尋ねなくてはと思いました。


     八


 早速清華と刈穂さんに見知らぬお坊さんがいたことを報告したんですけど、二人とも全く面識が無いみたいで。ま、そんなことより夜の本番に向けて巫女神楽の修練をしましょうということで。

 私正直体育の授業とかでやる創作ダンス?とかがメッチャ苦手だったんですけど。巫女神楽に関しては自分と凄く相性が良いと感じていて。

 雅びやかで静謐せいひつな調べに乗せたゆったりとした舞の型が多いので、練習していても本当に楽しい!って気持ちになれて。何で学校の授業で巫女神楽を教えないんだろう?大和撫子としての基礎教養でしょ!ってくらい神楽贔屓になれて。

 もちろん親友の清華が横に居てくれていて、『二人巫女』としての動きの合わせがあるからとても心強かったのもあります。あと刈穂さんは舞の師匠としてもとても優秀な方で。厳しいけれどその厳しさの中には常に思いやりとか気遣いが感じられるから、失敗して叱られても全然前向きに受け止められるというか。

 私が籠手家に泊まり込みでお世話になって、色々迷惑もかけてるのに事情を何となく察してくれて。清華と一緒に本当の娘みたいに接してくれて。なんで

私は籠手家に生まれて来なかったんだろうな、とか。清華の双子の姉妹として育てられたかった人生だよな、なんてバカなこと考えちゃったり。あれ?またおかしなポエムうたっちゃってますね、私。


 それで夜の巫女神楽の丁度本番前なんですけど。もちろん白衣はくえと千早、緋袴の巫女装束に着替えて。頭飾りには豊穣を表す“稲穂”の意匠の前天冠まえてんかんを着けました。

 神楽鈴は普通のモノと少し形が異なる“鉾鈴ほこすず”というのを使うみたいで。鉾鈴はその名の通り鉾というか先の部分が短刀のようになっていて、刀でいうつばの部分に鈴がついてる形になってます。

 あと神楽鈴のつかのお尻部分には「五色布」という鮮やかな装飾が付けられるのが一般的なんですが、双龍神社の巫女の場合これを用いないそうで。代わりに“蛇帯じゃたい”と呼ばれる細長い絹帯を、清華は“馬手めて”つまり右の手首に巻き。私は“弓手ゆんで”つまり左の手首に巻くそうです。

 “蛇帯”と云うとなにやら物騒な響きですし、実際“妖怪”の名前にもなってるらしいですけど。二人巫女が蛇帯を巻く由縁というのはちゃんとあって。山の神様である龍神の娘たち「刈鐘姫と清鐘姫」はまだ龍の子供=“蛇”という解釈で。

 沼の祟り神も“蛇”だからちょっとややこしいんですけど。同じ“蛇神”でも嫌われるばかりの悪い神様だけじゃなくて、日本は古来から“蛇信仰”が盛んだそうですから当然「良い蛇神様」も居るってことなんだと思います。


「緊張してる?」って清華に尋かれて。そういえば私ってこういう発表会?的なモノに縁がなかった人生だよなって振り返って。でも不思議と清華が横に居てくれてるからか心臓の鼓動もそこまでは激しくはなくって。

「ちょっと見て来て良い?」って舞台袖からお客さんの方をのぞいたら、神楽殿の前には大勢の人がひしめき合っていて。

「ええ!?清華って毎年こんな大勢のお客さんの前で踊ってるの?」てホントびっくりしちゃって。

「ねえ、お客さん多過ぎない?」って尋いたら

「そりゃそうでしょ。なんたってお婆ちゃんの代以来、四十数年ぶりの“二人巫女”の復活だもん。それはもう桜花に掛かる期待の大きさって言ったらね、あの碧城山の高さくらいはあるでしょうね」と清華にしては意地悪くにからかって来るんです。

「ちょっと!緊張が増したらどうすんの!」て抗議して

「でも桜花、あんまり緊張してるように見えないよ。もしかして意外と強心臓?本番になるとむしろ燃えちゃうタイプかな?」

「んなわけないでしょ!これでもメッチャ緊張してるよ。しかも今までの人生でこんな大きな檜舞台?初めてだからさ。どうリアクション採ったらイイのかわかんないし」

「じゃあ、どうしよう。私も滅茶緊張してるからさ。手でも繋いじゃう?」

「それイイじゃん。そうしようよ」っておバカなカップルみたいにお互い緊張しいしいで手、繋いじゃいました。

 互いの“蛇帯”が結ばれている方の腕を近付けて。清華の右手めてと私の左手ゆんでの指を絡め合って。

 あゝ“永遠”ってこういうことかなって、そのときは想いました。


     九


 神楽舞が無事終わって。お客さんにも予想以上の反響を頂いて。刈穂さんにも“絶賛”に近いくらい褒めて頂いて。

「私たちがんばった!良くできた!」って実感が湧いて来てから、清華とお互いの健闘を称え合って。けどお客さんにとっての「お祭り」は終わっても、私たちの“儀式”はまだ終わってなかったので。まだ緊張の糸は緩められなくて。

 流石にというか巫女神楽に関しては村内村外問わず大勢のお客さんの前で披露することが目的なので“公開”なのですが。その後、深夜零時から執り行われる本当の“本番”と云っても良い儀式、『鐘籠り』は刈穂さんを含め関係者の方も全員「社務所で待機」ということで“完全非公開”。

 私と清華だけが「その大事な御役目」に挑むことになります。

『鐘籠り』の時間に関しては先ほど刈穂さんの説明にあったように『午前零時から黎明れいめいの刻迄』。つまり「夜が明けるまでの四、五時間はかかる長い儀式」です。

 梵鐘内部に持ち込める物品は「燈明とうみょう」、「祝詞集のりとしゅう」、「少量の水と塩」、何か異常があった際に鐘を内側から叩くための「撞木しゅもく」といった物です。

 私たちは一旦、社務所に戻ってみそぎをし、本殿で予習のために祝詞を奏上しました。


 それと少し休憩を入れて、その時に今まであまり話す機会の少なかった清華のお父さんである籠手俊文こてとしふみさんが応援の言葉を掛けて下さいました。

 清華のお父さんは前にも述べたように神職ではなく村役場に勤める方で、夜遅くまで働かれていることも多く平日はあまりお見掛けしないのですが、お休みの日には朝早くから本職ではない神社のお手伝いもされていて「清華のお父さんて凄く働き者なんだな」って感心していました。そんな人が

「二人とも、巫女神楽とても良かったよ。特に桜花ちゃん、慣れないお役目なのに本当に頑張ってくれたみたいでありがとう。清華も妻も、もちろん私も、桜花ちゃんにはいつも感謝しています。本当にありがとうね」って涙ながらに私なんかを褒めて下さって。

 照れ臭いやら何やらでちょっと混乱してしまいました。その様子をちょっと離れたところから清華がニヤニヤと観察していて、もう!ホント趣味悪い!とか憤ったり。清華のお父さんの泣き顔を見てまた困惑したりで。

「それとこれ。二人の素晴らしい巫女神楽はちゃんと録画して記録に残したからね。桜花ちゃんはご両親と色々複雑みたいで、私も妻も少し心配しているけど。桜花ちゃんの頑張ってる姿見たら絶対ご両親も感動してくれるはずだから。だからちょっと照れ臭いかもしれないけど、機会があったらご両親とも是非ご覧になってみてね」と見せてくれたのは清華のお父さんが撮影されていたホームビデオで。

「そっか、清華と一緒の晴れ姿を撮影してくれたんだ」ってまた一層照れ臭いやらで

「こちらこそ、いつも籠手家の方々には大変お世話になっていて、本当にありがとうございます。巫女神楽、機会があったら両親にも観て貰いますね」とお礼を云いました。

「鐘籠りも凄く大変だと思うけど、私も妻も『二人なら絶対やり遂げられる』って信じてるからね。がんばって!」と俊文さんは云って、またお祭りの後片付けのために戻って行きました。

「えへへ、ごめんね桜花。うちのお父さん超お節介で、ちょっと迷惑だったでしょ?」

「そんなことないよ。良いお父さんじゃない。娘の晴れ姿をちゃんと撮影してくれたり、陰ながら応援してくれたりする。それって恵まれた人は“普通”だよって思うかもしれないけど、その普通ができない人たちだって世の中意外と多いんだから。だから清華は、ご両親に思いっきり感謝しなきゃダメなんだよ」

「も〜、なんでそんなお説教みたいなこと言うのよ。もしかしてさっきお父さんが『感動した!』って泣いてる時にほっといたから怒ってる?」

「怒ってないけど、困っちゃうじゃないよ!私、大人の男の人にそんな感謝されたことなんかないんだから」

「ごめん。次からはお父さんが調子乗ってたらさ、ちゃんと止めなさいって叱るから」

「だからお父さんは悪くないんだって。清華が横でニヤニヤしてるのが悪いんでしょうが〜!」

 こういう“普通”のお喋りを交わす機会が、もう既に残り少ないだなんて——この時の私たちにはまるで解ってなかったんですよね。


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