ぼっぱら堂禍異談

海千葉典

【礼】〜大学生・中山桂馬の語り〜

【断章】極嶽院ごくがくいん大学不可視研究会・平成十九年度発行誌『実録・志怪伝承』より抜粋


「或る日の夕間暮れのことにございます」——。

 薄闇から「ぬらり」と顔貌かおを出でたその『おきな』は語り始める。

 まるで芥川の『羅生門』、その冒頭の如く。それはあえての模倣なのであろうか?

『百物語』の短縮版、否、その“凝縮版”として彼の翁が考案したと云う『七夜噺しちやばなし』。その暗幕の向こう側が今、あきらかにされようとしている——。


     一


 御存じの方には釈迦に説法となってしまうが『民俗学みんぞくがく』とはフォークロアについての学問である。

ひと口にフォークロア=『民間伝承みんかんでんしょう』と云ってもその学問領域は多岐に渡るが、僕が個人的に俄然がぜん興味を持っているのが「民話・神話・怪談」の類、つまりは“お伽噺とぎばなし”なのである。

 その分野を学びたいがために僕はこの春、都内にある『極嶽院大』に入学した。なにしろ民俗学専攻が存在する大学自体、世間にはそれほど多くはないようだ。僕も受験シーズンになって初めて知った学問であるため「その分野に強い」とされる少数の学校から選択する事になり、極嶽院という進路に落ち着いたのである。

 ただ残念ながらというか、こんな事を云っては関係者の方に怒られてしまうだろうが、文学、哲学辺りと並んでいわゆる「つぶしが効くと云うには縁遠い学問」ではないか?という不安はヒシヒシと感じる。現代において「民俗学の徒」が果たして市井のお役に立てる道筋とは如何にや?とつまらなくも小市民的である青二才の僕は大いに悩むのである。

 ただ誤解して欲しくはないが決してこの学問の将来性を悲観したいわけではなく、逆に「如何に素晴らしい学問であるか」を全人類に対して力説したい立場ではあるのだが、そうなると我が国の「民俗学の父」と云える柳田國男やなぎたくにお先生を私淑する事になったきっかけについて語らねばならない。


 この日本民俗学の“偉人”について、あまたある研究書やあまたいる信者の方々がいち学生(それも柳田学を学び始めて一年足らずの青二才)の僕などより、よほど詳細に知り尽くしておられるのでここで詳しく紹介することはしない。ただ一つ『柳田翁(尊敬と崇拝の念を込めてこう呼ばせて頂く)』が著した数ある書物の一つである「あの代表作」との出会いについて少しばかり振り返ることにする。

 現在大学一年の僕だが、かの誉れ高き名著『遠野物語』と出会ったのは高校三年に上がってすぐの頃。その日は受験勉強にこれといって身が入らず、図書室でのらくらと書物の群れの中を回遊していた。そんな時、重厚な単行本の厳つい背表紙ではなく、手軽な文庫本コーナーの片隅にてかの名作を“発見”したのである。

 もちろん知識として柳田國男氏の名と『遠野物語』が岩手県の民話集である事くらいは知っていた。知ってはいたが当時いっぱしの文学青年気取りであった僕は「東北の民話集程度がなぜ名作扱いされておるのだ?」といった半ば小馬鹿にしたような態度で、とりあえず立ち読みしてみよう程度に思ったのである。

 それまでの僕は読書家ではあるモノの、ジャンルを問わない乱読家でもあり「純文学の気高き魂は既に死に絶え、大衆文学はパズルのような一部愛好家の為の遊戯と化し、ライトノベルやネット小説は日々大量生産大量消費される“代替可能”なサブカルチャーでしかない」と意気がり倒していたわけである。

 そんな生意気盛りの文学小僧だった僕が『遠野物語』に臨んで、それも「序文」を読んだだけでガツンと拳固を落とされたような衝撃を喰らった。柳田先生はその印象的な一文として「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せんりつせしめよ」と記しておられるが、まさに僕こそが「戦慄せしめたる平地人」の一人だったのだ。

 柳田先生の文体は一見、当時の純文学調の典雅でお堅いモノを思わせるが、その中身はと云うと読者の想像力を遥かな“異界”へといざなう、奇怪ではあるものの自然主義の素朴さも入り混じった「剝きだしの原野のような物語」——つまりは“怪談”なのであった。

 僕はこれまでこんなにも純粋な原物語げんものがたりと呼べるモノを見逃してきた事を恥じた。もちろん「怪談、お伽噺、昔話や民話」の類といったモノは、日本人なら誰しもが幼き頃より親しむモノではあるが、長じるに従い所詮しょせんは子供のための“寝物語”であると結論付け、自然と読者は離れていってしまうのも事実である。

 そういったお伽噺、昔話を単に「子供のモノとして捨て置かず、ましてや村々の古老を廻って聞き取り蒐集し、分析する事を目的とする学問」があるとは、柳田先生の著作に触れるまで知らずにいた僕のなんたる無知蒙昧であったことか!

 そんな浅はかなる僕ではあるが、「思い立ったが吉日」で行動が迅速なのは長所とも云える。曖昧模糊としていた「進路希望」を民俗学研究に定評のある極嶽院大へと決め、柳田翁の著作の素晴らしさに耽溺しながらも見事受験合格せしめたのである。


 実に冗長な前書きとなったがそろそろ本題に入ろうかと思う。僕が『ぬらりおう』と呼ばれている妖しげな老翁の主催する「怪談会」、短縮版とも濃縮版とも表現できる「百物語の変格版」、その名を『七夜噺しちやばなし』と称される会に参加するきっかけとなったのは——単に閑人ひまびとであった——からとも云える。

 いやいや読者諸君「閑暇かんかといふモノ」を馬鹿にしてはいけない。幕末の天才発明家・大野弁吉もこう述べている「知と銭とひまの三つのもの備わざれば、究理発明することあたわず」。僕がもしアルバイト等に忙しき勤労学生だったなら、こうした妖しげなる「怪談会などといふモノ」に参加する機会など永久に訪れなかったわけである。江戸川乱歩の初期作品にも「暇そうな書生さん」がよく登場するが、彼らが毎度面白い状況に引き寄せられるのは「ひまびと」だからなのであって、これを「天の配剤」と云わずして何と表現できよう?

 いや本題とズレつつある自覚がある。要は「ひまびと」であるからこそ夏休みを前にして浮かれた空気が漂う都内一等地にあるキャンパスで、偶然にもこうした「謎の貼り紙」を掲示板にて発見した次第なのである。


【ぬらり翁という怪談好きのご老人が百物語の会を催されます。(会場・埼玉県本蔵市近郊)

就きましては怪談の語り手の方、もしくは若干の見学者(兼・記録係)の方を募集しております。

興味お有りの方は私の方までご連絡下さい。

*国文科一年・土倉間夢久(とくらま・ゆめひさ)TEL0×0-××××-0×××】


 まず『ぬらり翁』って何だ?って話だ。自分のことを「ぬらりひょんと思い込んでる」コスプレ爺さんだろうか?埼玉県本蔵市というのも名前くらいは聞いたことがあるが、千葉県船梨市出身の僕にはかなり未知の土地だ。

 ただ「百物語」というワードはいたく蠱惑的な響きに思える。柳田先生の著作をきっかけとしてそれまであまり興味がなかった怪異譚=ホラー方面への関心が個人的に急上昇しているのだ。

 これまで一般教養として水木しげる先生や京極夏彦先生の作品には中高生の頃から親しんで来たし、それがきっかけとなって鳥山石燕とりやませきえん画伯の妖怪画集も高価だったが手に入れた。そこに柳田先生の“知見”が加わった事で、バラバラだった知識の点と点が線として繋がり、怪異妖怪譚に関する素養がより立体的になった気がするのだ。

 情報提供者が同学年同学科というのも人見知りの僕には気安いではないか。もし土倉間君という生徒も柳田翁、もしくは妖怪の愛好家であるなら話も弾むに違いない。前期の授業期間を通して「一人の友達もできなかった」孤独な身の上としては、友達作りの一環ともなるかもしれない。

 ただ一つ懸念があるのは「百物語」で話されるべき怪談のストックが僕には皆無なことだ。怪談というからには一種の「心霊体験」であって、僕は妖怪好きではあってもオカルト方面にはあまり関心がないというか、要は「霊感が無い」という奴である。

 幽霊や妖怪も「いたら面白い」というスタンスであって、『遠野物語』に登場する化生けしょうの者たち全てが現実世界に存在したとは思わない。例えるなら「ミラのニコラオという聖人がいたことは信じるが、サンタクロースはその蜃気楼に過ぎない」といった立ち位置だろうか。

 ともかくも「怪談の話者」足りえない僕ではあるが、後学のために百物語というモノを是非見学致したいし、そのための雑用なら喜んで致す次第だ。なので「電話をこちらから掛ける行為」が大層苦手な僕ではあるが勇気を持って連絡を取ることにした。

 

 コール音三回目で通話は速やかに繋がった。

「もしもし、こちら国文科一年の中山桂馬と申しますが、土倉間夢久君の電話で宜しかったでしょうか?」

「はい、こちら土倉間です」と返信がある。

「あの学内の掲示板、百物語の会という、あれが少し気になりまして」

「はい、参加希望の方でしょうか?見て頂いてありがとうございます」

「ええと、怪談の語り手ではなく、その見学者も募集しているということで、ちょっと話をお聞きしたいのですが」

「はい、大丈夫ですよ。今学内にいらっしゃいますか?お時間あれば早速お会いしましょうか?」

というざっとこんな次第で土倉間君と接見する事と相成った。

 そろそろ僕の無駄話はどうでもイイから、さっさと「怪談パート」に入れという声も聞こえてきそうなので要点だけに絞って、とりあえず「土倉間夢久君の印象」についてだけ語ろう。

 百物語なぞに参加する大学一年生というからにはどんな「豪の者」かと思いきや、良い意味で予想は裏切られ、実に「爽やか好青年」といった風貌であった。どこか浮世離れした貴公子然としているというか、漫画のキャラに例えるなら「中川圭一@こち亀」、探偵モノに例えるなら「浅見光彦」といった感じであろうか?

 学食にて待ち合わせ、互いに自己紹介する。

「こんにちは、初めまして。土倉間です」

「あ、どうも初めまして。中山桂馬です。僕も国文科一年です」

「同じくですね。早速ですが怪談、お好きなんですか?」

「ええまぁ、こういう大学ですから相応に興味がありまして。あの、柳田國男先生の遠野物語でその、そっち方面に興味を持ったと言いますか」

「ああ、民俗学なら極嶽院とも云われますしね。妖怪なんかはどうですか?」

「ええ、子供の頃はアニメの鬼太郎で育ちました。特に牛鬼ぎゅうき、おとろし、朧車おぼろぐるまあたりの顔の大きな妖怪が好きですね」

「良いですよね、水木しげる先生。僕は京極夏彦先生も大好きで」

「僕も読んでます、百鬼夜行シリーズ。『塗仏ぬりぼとけ』まで読みました」

「『塗仏の宴』!僕は妖怪としての塗仏も好きで。鳥山石燕はもちろんご存知ですよね?」

「はい『画図百鬼夜行』ですね。画集も持ってますよ」

「いやぁ、話が合いますね。鳥山石燕の描いた塗仏って凄く冒涜的で。だってよその国だったら絶対、神仏をこのよう形でおとしめるとは!って問題になると思うんですよ」

「わかります、目玉がびよんと飛び出ちゃってますし」

「そうそう、あんな冒涜仏画ありえないですよ。でもそこを何ら問題にしない、この国の多神教やアニミズムの在り方が寛容であるなぁ、って」

 とまぁ漫画に出て来そうな爽やか好青年の土倉間君であるのだが「妖怪を語らば止まらなくなる系」の良い意味でアブナイ人でもあったのは僕にとっては嬉しい誤算だ。いくら「民俗学に定評のある大学」と云っても柳田先生も京極先生も読んだことないなんて生徒はザラにいるわけで、初対面で石燕画伯の妖怪画を熱く語る男に巡り会えたのは“僥倖ぎょうこう”と云うより他ない。

「それでその、『ぬらり翁』というのは何者なんです?」

「ああ、やはりそこが気になってしまいますよねぇ」ニヤッとあまり似合わない『共犯者に対するような笑み』を返してくる土倉間君。

「僕も実はまだ二、三度しかお会いしたことはないんですが、とにかく面白いご老人であるとは思います」

「なるほど、やはりその『ぬらりひょん』に似てるってことなんでしょうか?」

「ええ、もちろん見た目にも似ているというか。ただし『アニメの鬼太郎』であるとか『画図百鬼夜行』に描かれた“悪人相”ではないですね」

「石燕画伯の描いた『ぬらりひょん』には似てないと?」

「ええ、『画図百鬼夜行』よりも以前に描かれた佐脇嵩之さわきすうしという画家の、『百怪図巻』にある柔和な顔のぬらりひょんの方が近いかなと」

「つまり悪人顔ではなく好々爺こうこうやなタイプのぬらりひょん?」

「まさに!なので安心して下さい。決して恐い御方ではありませんよ。『恐い話が好きな御方』ではありますが」とやけにお似合いの爽やかな笑顔を返してくる。

「あの、それで会の日取りはいつになります?」

「“七”という数字にどうやらこだわりのある方で、当初は7月7日を予定していたのですが、どうやら人数が集まらず。なので来月『8月7日』ということになると思います」

「良いですね、僕らも夏休みに入ってますし」

「では中山桂馬君、正式に参加表明されます?」

「もちろん、します!」という経緯で、いよいよ『七夜噺』のときは迫る。


     二


 時に2007年8月7日当日、今月に入ってからの気温は30度を下回ることはなく、本日も32度超えで夏本番である。個人的に夏は好きな季節なので34度を超えなければそれほど暑さも堪えない。夏の涼を取る為に行う怪談会だとすればこれほどうってつけの日もまたとない。

 最寄駅からJR路線でアクセス可能なので思ったほど運賃は掛らなかったが、それでも片道2時間半強の遠出になった。

 土倉間君とは現地「JR鬼没原駅」で待ち合わすということになっている。駅に電車が到着しホームに降り立ったのが14時少し前。僕の地元である千葉県船梨市も緑豊かな土地は多いが、この埼玉県鬼没原も中々に田舎風情がある土地のようだ。

 と半分観光気分になっていると気になるモノが目に映った。すぐに改札は出ずに上りホーム側を行くと、どこか目を引く建築物がある。立派な屋根が据えられ手前側には木製の賽銭箱もあり、いわゆる小規模なやしろであろうか。「駅の構内に社が建てられている」なんて光景は初めて目にする。

 賽銭箱の向こう側には七体のお地蔵さん?いや、これはどうやら『七福神』の像である。きちんと七柱ななはしら存在する薄い灰色の石材で作られた七福神像で、なにかいわれがあるのであろうか。その社のそばには大小の岩を組み合わせた日本庭園式の池もあり、鯉が泳いでいる。更に池といえば七福神では弁天様が司るモノだが、やはりこちらにも社の七福神像と比べるとかなり小ぶりな石像が存在し、バランスよく大岩を囲むように配置されている。

 なるほど「七福神尽くしの駅」か。ぬらり翁という人は「数字の“七”にこだわる」と土倉間君が云っていたが、この「七福神に所縁ゆかりのありそうな土地」だからというのが理由なのであろうか?

 おっと、考察モードに入ると周りが見えなくなり「細かいことが気になってしまうのが僕の悪い癖by杉下右京」ってやつだ。土倉間君を待たせてもいかんという事で改札を出る。

 駅前で土倉間君は既に待っていた。

「あ、どうもお待たせしました」

「全然、僕も今来たとこです。家は隣の本蔵駅なので、ここまでは自転車で」

「なるほど、ぬらり翁さんの御宅まではどのくらいの距離ですか?」

「歩きだとかなりの距離なので、タクシー代を頂いてますからタクシーで行きましょう」

「なるほど太っ腹な方なんですね」

「ええ、御宅の方に伺ったこともあるんですが立派なお住まいでしたよ」


 駅前で僕らはタクシーに乗り込み、土倉間君が「鬼没原町×××までお願いします」と運転手に行き先を告げる。

「鬼没原というのは中々風変わりな名称ですよね。あと駅の構内に七福神像があったんですけど、あれって?」初めてこの地に降り立った僕は車窓に映る風景を珍しげに眺めながら、土倉間君にそう尋ねる。

「七福神!やはりアレは気になりますよねぇ。僕も同じくで、先日ぬらり翁にも質問してみたんですが『やはり“しち”に魅入られた土地なのでございましょうな。フォッフォッフォ』という応え、で全く要領を得ませんでした」と困った感じで答える土倉間君。土地の古老でさえわからないのか?否、それとも他に何か“秘密”めいた事柄があって明かせないのか?実に気になるところではある。

「あと土地の名についてはその、戦場いくさば系統のモノなんじゃないか?と云われたりもしてるんですが」

「戦場系の地名というと、例えば『合戦場』とか『古戦場』が付いたり、あと栃木県にはそのまま『戦場ヶ原』って地名もありますよね?」

「そうです。なのでここ鬼没原の由来も『戦国の鬼が没した地』。或いは『神出鬼没』と掛けて、鬼が跋扈するほどに戦の激しかった土地ではないか?と云われていたり。まさに近郊には“本蔵城”の史跡があったりもしますし」

「つまりちょっとした曰く付きのスポット、が多くあったりするのでしょうか?」

「そこまではわからないのですが。僕もその辺は気になって自分で調べたりはしているのですよ。なんたって一番身近な民俗学は自分の住む土地の伝承について調べること、というのは聞いたことがありますし」

「柳田先生の著書は読まれたりします?」

「ええ、『地名の研究』なんか面白い本ですよね。柳田先生は現代の視点だとややこじつけも多いなんて話も聞きますが、あのひたすらに自分の興味の対象に斬り込んで行く、その姿勢に現代人として見習うべきモノがあると思います」同世代とこうして柳田トークができるのは喜ばしい。と思ったのもつかの間、どうやらタクシーが現地に着いたようだ。


 これをして“豪壮”と表現するのが適切な、手入れの行き届いた生垣とその広い敷地に見合うであろう日本家屋であった。表門の前で僕らはタクシーを降車し、土倉間君は携帯電話を取り出し、誰かに連絡するようだ。

「もしもし、土倉間です。同級生の中山君をお連れして今着きました。表門の前にいます」

 風情を重んじる数奇屋門すきやもん、それゆえにインターフォンが付いていないのであろうか?確かに時代劇のように「たのもぉぉ〜」と門をドンドン叩いて来客を知らせるより、ケータイで連絡する方が遥かにスマートな手段ではある。表札には『影浪』とあるが「かげろう」もしくは「かげなみ」か?

「あ、ぬらり翁の本名を紹介していませんでしたね。『影浪泊庵かげなみはくあん』さんとおっしゃいます。僧侶みたいなお名前ですが、ご本人はお坊さんではなく、先代の和尚さんから土地と建物を引き継いだそうなので、それをお寺としては継がずに住居に改築なされたそうです」すかさず土倉間君が適切な説明をしてくれたので、この建築の秘密の一端が見えてきた。

 それともう一つ、通常の表札よりもひと周りもふた周りも大きな『寺号表札のような大きな木札』が縦に据えられており、そこに墨書きで『赤蛸堂』と記されている。「あかたこどう」であろうか?

「ええと、この屋号らしきモノは?」と僕が訊くと、土倉間君が「せきしょうどう、と読むらしいのです」と答える。

「僕も気になりまして由来を尋ねましたところ、ぬらり翁は小説家の岡本綺堂先生を敬愛されているとか。岡本先生は『半七捕物帳』などの推理小説で世に知られる方ですが、一方で怪談作家でもいらっしゃって、有名な『青蛙堂鬼談せいあどうきだん』という怪談作品があります」

「なるほど『青蛙堂』なら僕も読んだことがあります。大変面白い本でした。それにあやかって屋号を付けられたと。ただなぜ『赤蛸』なのか——」と質問が終わる前に表門に家人の方が現れたらしい。

「お話の続きはお宅に招かれてからにしましょう。もちろん『赤蛸堂せきしょうどう』の由来もぬらり翁御本人から説明頂けると思います」


 さて表門に現れたのはぬらり翁御本人ではなく二人のお手伝いの方?であった。一人の方は年齢が六十から七十代初めくらいに見える、丸顔で柔和な印象の女性で

「遠いとこ、ようござっしゃった。泊庵さんの身の回りの手伝いなどをしております、寺古家葦乃てらこやよしのと申すもんです。よろしゅうお見知りおきのほど、頼んますのじゃ」と名乗られた。もう一人の方は時代が違えば丁稚でっちさん?と呼ばれてもおかしくない、小学校高学年くらいに見える少年で

寺古家稀介てらこやまれすけと申します。葦乃お婆ちゃんの孫です。僕も泊庵翁の弟子と申しますか、お手伝いやお茶汲みを任せて頂いております」と名乗られた。ハキハキとした物言いの賢そうな少年である。

 僕ら二人も形式通りに挨拶すると「土倉間様、中山様、ようこそ赤蛸堂へいらっしゃいました。それでは御案内いたします」と稀介君の方が率先して案内を請け負ってくれる。僕ら二人も彼に続き表門をくぐり、殿しんがりを務めるかのように葦乃さんが後ろを付いて来てくれる。

 敷地内に入ってまず驚くのはその美しくも儚い印象の「侘び寂び」を感じる庭園だ。百坪ほどか?いや詳しくはわからないが、それくらいの広さに見える石庭をメインにした「枯山水庭園」であろう。そこに映えるのは恐らく「数奇屋造り」と呼ばれる日本家屋で、華美さはないが確かな和の風情を感じる住居である。案内されて玄関を入り、広く取られた土間に靴を脱ぎ揃え框へと上がる。

 更に稀介君に付いて進むと渡り廊下からやはり石庭が見渡せ、この庭園とお屋敷を堪能するだけでも遠出して来た甲斐はあったと感動していると、土倉間君が内緒話をするように小声で話しかけてくる。

「実は、葦乃さんは『視える人』なんです」

「『視える』ってのは、要するに『霊的なモノを』ってこと?」

「ええ、僕もそういうわけで葦乃さんに見出されてぬらり翁に紹介されたわけです。なんでもとある地方の神社で『祓い専門の巫女』として活躍されていた、とか」

 そうなんですか?といった感じで僕は後ろの葦乃さんを振り返る

「ホッホッホ、昔のことなんぞようけ恥ずかしことばかしですけんなぁ」とほんわかしたリアクションの葦乃さん。こんな癒し系なお婆さんではあるが、いわゆる「拝み屋さん」の類いだったのであろうか?

「例えば僕なんかにも何か憑いてるように『視えたり』します?」と戯れに質問してみる。

「いんや、桂馬坊っちゃんの方はなんぞ憑いてるようには視えんのだがや。ただなしてか『あやしもん』に惹かれる性質たちに視えるだけんのう。ほんならなんぞいつかはエエかもんかわりかもんか分からんけん、憑くやもしれませんなぁ、ホッホッホ」

 葦乃さんの返答内容より初対面の人に「坊っちゃん」と呼ばれたのが衝撃であった。ただ葦乃さんのほんわかした物言いゆえに全く不快感はなく、むしろ「人生で初めて坊っちゃんと呼ばれて、なんだか嬉しい!」感がある。

「夢久坊っちゃんの方はなんぞ『がえなもん』が視えたんだがや。じゃからわしの方からどげさっしゃたかね?なんぞ困っておることねえかね?訊いてみたんだわや」

「それで土倉間君はなんと答えたんですか?」と質問してみる。ところが土倉間君が「ちょっと待った」と口を挟む

「中山君、申し訳ないんだけどその質問はこれから行われる怪談会に関わってくるから、秘密なんだ。先に話してしまうと僕の話す怪談内容に触れてしまうから、楽しみを奪ってしまうと思う」

 いや、全くごもっともである。僕は単なる見学者であるが、土倉間君の場合「怪談の語り手」としての参加だから「ネタバレはNG」てことなんだろう。

「あいわかった。楽しみはあとに取っておかなくちゃだね」


 と、我々を先導していた稀介君がある日本間の前で立ち止まり

「泊庵翁、お客様がいらっしゃいました」と申し立て障子を開けると、その座敷にはゆったりとした仕草で茶を啜る着物姿の小柄な老人が一人。まさに『ぬらりひょん』の写し身であるかのような『ぬらり翁』その人が存在したのである。


     三


 一般に公的イメージとして語られる『妖怪ぬらりひょん』の特徴とは、まずその「エイリアンでお馴染みのゼノモーフのように伸びた後頭部を持つ金柑頭きんかあたま」であろう。ただしもちろん目の前の『ぬらり翁』の後頭部は人並み外れて伸びていたりはしなかった。ただやはりどちらかというとやや大きめな後頭部をしていらっしゃるという印象で、それは顔が小さいからそう見えるとも云える。

 また土倉間君の云っていたことも本当で、一般的イメージとして想像される「反社会的組織の首領ドンのような悪人相」では全くなく、むしろ鬼没原の駅で見かけた七福神の「福禄寿や寿老人」であるかのような——どこか“仙人”めいた柔和な表情のまさに好々爺を絵に描いたような風貌の方である。

 ぬらりひょんの着衣も二種類くらいのイメージがあって、一つは仏法僧のような法衣。二つ目は大店おおだなの旦那か地廻りの親分かといったようなどこかヤクザな着物姿。そういった印象が定番ではあるが『ぬらり翁』の場合は“老巧”の噺家はなしかといった風情の海老茶の渋い着物姿で、粋でありながらもどこか力の抜けたような『侘びの装い』に感じる。

 しかし、しかしである。その全体的なフォルムというか醸し出される雰囲気というか、そもそも『ぬらりひょん』の語源とは掴みどころがなく滑らかな様子を表した“擬音”から来たという説が有力だそうだが、そういった飄々としていながらも「唯ならぬ老人」といった風格がこの御仁にはある。そう僕は結論付けた。

「ようこそおいで下さった、お客人。わたくしは影浪泊庵と申します。まぁなにそう堅苦しく構えず、ただのはなし好きのじじいと思って下さって結構。どうぞお入んなされ、お入んなされ」と招かれるまま僕らは座敷に通される。


「土倉間君と同じ極嶽院大一年、中山桂馬と申します」と僕も一通りに挨拶を済ませ

「あの僕は土倉間君と違って怪談に至る体験がないので、その見学と申しますか、ただそれだけでは申し訳ないので記録係を務めようと思いまして、一応小型のヴォイスレコーダーを持参しました」と説明すると、ぬらり翁はにっこりと微笑んで

「それはそれは、大変嬉しゅうことでございます。なにしろ怪談というモノは皆様にお話しするだけでは『その場限りの一度切り』で終わってしまいますゆえ。あなた様のように御自らそのような記録を取って頂けるのは、わたくし共としても大変ありがたいことにございます」

「その、怪談を記録するに当たってなのですが、何かこの点は気を付けて欲しいなどはありますか?ヴォイスレコーダーはデジタルなモノなので怪談を邪魔するような音を立てることはないとか思いますが」

「はい、あなた様の御好意からして頂けるものなのでこちらからあれこれ云うのも憚られるかとは思うのですが、もしあなた様が『確実に、この怪談会の記録を残したい』とお思いであらば、筆記具をこちらで用意致しますのでそちらの方でもメモを取っては下さるまいか、と」

「なるほど、プロの速記者の様にとは行きませんが、要所要点をまとめるといった形でも構わないでしょうか?」

「もちろんそれで結構でございます。ただ脅かすようなわけではないのですが、過去にこういった怪談会を催した折り、いざ電子機器にて記録を取らん、という方は幾人かおられました。しかしながらその機械にて『録音されたであろう音声』をのちに確認した際『全くの無音』でございましたり、あるいは予期せぬ、意味もわからぬ『卦体けたいな雑音』だけが残されていた、といった話はよくあることなのでございます。そういった場合の備えとしてデジタルとアナログ、両方で記録をされた方がご心配がなかろうかと」

「なるほど——」と僕は一瞬言葉に詰まってしまった。もちろんぬらり翁の気配りと助言はありがたかったが、そういった話を聞いて正直、僕は「怪談会というモノを嘗めてた」のかもしれないと痛感する。巷間で云われるように「怪を語れば怪に至る。また怪に触れれば、怪からもさわる」ということは“実際”に起こり得るかもしれない。そう——僕は事ここに至って初めて——背筋がザワザワと総毛立つかのような悪寒を抱いた。


 そこで土倉間君が沈黙した僕に代わり話題の転換を試みた

「ぬらり翁、こちらの中山君はまだ『赤蛸堂せきしょうどう』の由来を知らないので、説明をお願いしたいのですが」

「フォッフォ、もちろん構いませんとも土倉間殿。つまらぬことですがわたくしからも是非とも中山殿に話しとうございます。お二人のような若き好事家の方はご存知やもしれませぬが、大正から昭和初期にかけて活躍された岡本綺堂という大先生がいらっしゃる。その大先生の代表作とされる怪談集が『青蛙堂鬼談』。それにあやかって名付けた号であるというのはご想像通りでありましょうが、ではなぜ『赤蛸』なのか?というのが気になりましょうか。いえ大して面白くもない洒落心でございます。わたくしの渾名『ぬらり翁』の由来となる妖怪ぬらりひょんでありますが、岡山は備讃灘びさんなだの方の伝承では『海に現れる蛸の化生』とも云われているようでございます。禿げ頭ゆえに海坊主、いえ『蛸坊主』といったモノの類いやもしれませぬ。そこから『蛸』を拝借し、茹でれば赤くなるゆえに『赤蛸』ともなれば『青蛙』と色対称になりまする。ついでを申せば綺堂先生が題材となされた『青蛙』とは大陸の妖怪『青蛙神せいあじん』のことにございます。『青蛙堂鬼談』の最初の一遍を読んでいらっしゃればお分かりのように、『青蛙神』とは通常のカエルより一本足の少ない『三本足の蛙』にございます。ではこの例に習いわたくしが為すべきことは何か?『通常より一本足の少ないタコ』を祭神として祀ることではありますまいか」とぬらり翁は床の間に飾られた『蛸の木像』を示して説明する。

「つまり『七本足の蛸』!数字の“七”にこだわりがお有りになるというのはその事ですか!?」と思わず僕は問い正してしまう。

「フォッフォッフォ、つまらぬ老人の『洒落ごと』にございますよ。なに『“七”福神』をまつる土地で『“七”本足の蛸』をばたてまつり、更にて『“七”のときにて“七”人、“七”つの怪談語り』。わたくし事ではございますがこのような『“七”並べ』が楽しゅうございます」

 何たるひょうげた数奇者すきもの老人!だが面白い、僕はワクワクしてる。僕は怪談会を嘗めてたが、ぬらり翁すらも侮っていたのかもしれない。この人は単なる「妖怪成り切りが趣味の怪談好き爺さん」などではなく、「もっと深い部分での“狂気”」を感じる。その狂気の“底”に何があるのか知りたい。それが怪談という純粋な原野の物語の“真髄”なのではないかと、僕は予感している。

 それともう一つ。こっちは悪い方の予感だが、僕はここに来るタクシーの車内での土倉間君との会話を思い出す。彼は確かこう云った——鬼没原の由来は『戦国の鬼が没した地』——言い換えるなら鬼没原とは「亡者の土地」。それとぬらり翁が云ったとされる「“七”に魅入られた土地」という言葉を合わせると、数字の“七”は「死地しち」に通じる。もちろん僕の思い込み、牽強付会けんきょうふかいが過ぎると云えばその通りだろう。けれどそこまで“七”にこだわるというぬらり翁の『洒落心』を憶測するなら、それすらも単なる偶然とは思えないのである。


     四


 さて、次に開幕寸前の状況を説明して、道化たる僕の役割はこれで終いとなる。今宵の怪談会に集まった「怪談の語り手」はぬらり翁を含めて計“六”名。おや、ぬらり翁の理想に数字“七”には一人欠けているではないか?けれどこれも「予定通り」であるらしい。飛び入り参加の許された、ある程度自由な怪談会らしく、いつ何どき「欠けた最後の一名」が埋まるかわからないからだ。

 その「語り手六名」に「見学者兼記録係」の僕。そして「何か異変が起きた時の救護班」として寺古家葦乃さんが待機している。怪談会の会場となる和風の大広間には、中央にぬらり翁が『大首(妖怪の名が由来らしい)』と呼ぶ巨大な和蝋燭が鎮座する。

 その大首蝋燭の周囲を円形に「六名分の座布団」が敷かれ、語り手が座るよう指定されている。語り手たちそれぞれの前にも一本ずつ小ぶりな和蝋燭が配置され、怪談を「語り終えた際は自分の目の前の蝋燭を吹き消す」という定番の作法だ。

 更にぬらり翁なりの凝った演出だろうか。床の間には幽霊画で知られる鰭崎英朋ひれざきえいほうの『蚊帳の前の幽霊』の写しであるらしい掛け軸が飾られ、またこれも定番作法の一つである「青色の紙を貼った行燈あんどん」が、幽霊画を漠と浮かび上がらせるように朧な光で照らしている。

 幽霊画のある床の間の前席がぬらり翁の“主座”であり、その背後には堅牢そうな長櫃ながびつが据えられ、右手側には小ぶりな葛籠つづらが一つ置かれている。

 ぬらり翁の“主座”を日時計の「十二時の位置」とすると、「十時の位置に制服を着た女子学生」「八時の位置に二、三十代の男性」「六時の位置に寺古家稀介君」「四時の位置に二十代くらいの女性」「二時の位置に土倉間君」が座り、僕は土倉間のやや後ろ「三時くらいの位置」でヴォイスレコーダーとメモ用筆記具を携えているといった次第。

 ちなみに八〜十時辺りの席は縁側が背後にあり、渡り廊下とは障子で仕切られているだけで、庭の『石灯籠』にも火が点されている為かほんのりと明るい。葦乃さんはその縁側席の後方、障子の前に正座して控えている。

 最期に一つ付け加えると「六時の稀介君の席の後ろ」は襖が開け放たれ、奥の広間まで見通すことができるようになっている。

 その奥座敷の最奥端には台座付きの“座鏡”がぽつんと置かれ、その鏡面をぼんやりと照らすかの如く、こちらにも青行燈あおあんどんが間接照明として配置されている。『和の鏡』に対してなぜ僕はこんなにも“本能的恐怖”を感じるのか?誰かに解説して欲しいところだが、いよいよその刻限が迫って来たようだ。

 今宵“七”の時刻、ようやく『七夜噺』の幕が上がる——。

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