ぼっぱら堂禍異談
海千葉典
【礼】〜大学生・中山桂馬の語り〜
【断章】
「或る日の夕間暮れのことにございます」——。
薄闇から「ぬらり」と
まるで芥川の『羅生門』、その冒頭の如く。それはあえての模倣なのであろうか?
『百物語』の短縮版、否、その“凝縮版”として彼の翁が考案したと云う『
一
御存じの方には釈迦に説法となってしまうが『
ひと口にフォークロア=『
その分野を学びたいがために僕はこの春、都内にある『極嶽院大』に入学した。なにしろ民俗学専攻が存在する大学自体、世間にはそれほど多くはないようだ。僕も受験シーズンになって初めて知った学問であるため「その分野に強い」とされる少数の学校から選択する事になり、極嶽院という進路に落ち着いたのである。
ただ残念ながらというか、こんな事を云っては関係者の方に怒られてしまうだろうが、文学、哲学辺りと並んでいわゆる「つぶしが効くと云うには縁遠い学問」ではないか?という不安はヒシヒシと感じる。現代において「民俗学の徒」が果たして市井のお役に立てる道筋とは如何にや?とつまらなくも小市民的である青二才の僕は大いに悩むのである。
ただ誤解して欲しくはないが決してこの学問の将来性を悲観したいわけではなく、逆に「如何に素晴らしい学問であるか」を全人類に対して力説したい立場ではあるのだが、そうなると我が国の「民俗学の父」と云える
この日本民俗学の“偉人”について、あまたある研究書やあまたいる信者の方々がいち学生(それも柳田学を学び始めて一年足らずの青二才)の僕などより、よほど詳細に知り尽くしておられるのでここで詳しく紹介することはしない。ただ一つ『柳田翁(尊敬と崇拝の念を込めてこう呼ばせて頂く)』が著した数ある書物の一つである「あの代表作」との出会いについて少しばかり振り返ることにする。
現在大学一年の僕だが、かの誉れ高き名著『遠野物語』と出会ったのは高校三年に上がってすぐの頃。その日は受験勉強にこれといって身が入らず、図書室でのらくらと書物の群れの中を回遊していた。そんな時、重厚な単行本の厳つい背表紙ではなく、手軽な文庫本コーナーの片隅にてかの名作を“発見”したのである。
もちろん知識として柳田國男氏の名と『遠野物語』が岩手県の民話集である事くらいは知っていた。知ってはいたが当時いっぱしの文学青年気取りであった僕は「東北の民話集程度がなぜ名作扱いされておるのだ?」といった半ば小馬鹿にしたような態度で、とりあえず立ち読みしてみよう程度に思ったのである。
それまでの僕は読書家ではあるモノの、ジャンルを問わない乱読家でもあり「純文学の気高き魂は既に死に絶え、大衆文学はパズルのような一部愛好家の為の遊戯と化し、ライトノベルやネット小説は日々大量生産大量消費される“代替可能”なサブカルチャーでしかない」と意気がり倒していたわけである。
そんな生意気盛りの文学小僧だった僕が『遠野物語』に臨んで、それも「序文」を読んだだけでガツンと拳固を落とされたような衝撃を喰らった。柳田先生はその印象的な一文として「願わくはこれを語りて平地人を
柳田先生の文体は一見、当時の純文学調の典雅でお堅いモノを思わせるが、その中身はと云うと読者の想像力を遥かな“異界”へといざなう、奇怪ではあるものの自然主義の素朴さも入り混じった「剝きだしの原野のような物語」——つまりは“怪談”なのであった。
僕はこれまでこんなにも純粋な
そういったお伽噺、昔話を単に「子供のモノとして捨て置かず、ましてや村々の古老を廻って聞き取り蒐集し、分析する事を目的とする学問」があるとは、柳田先生の著作に触れるまで知らずにいた僕のなんたる無知蒙昧であったことか!
そんな浅はかなる僕ではあるが、「思い立ったが吉日」で行動が迅速なのは長所とも云える。曖昧模糊としていた「進路希望」を民俗学研究に定評のある極嶽院大へと決め、柳田翁の著作の素晴らしさに耽溺しながらも見事受験合格せしめたのである。
実に冗長な前書きとなったがそろそろ本題に入ろうかと思う。僕が『ぬらり
いやいや読者諸君「
いや本題とズレつつある自覚がある。要は「ひまびと」であるからこそ夏休みを前にして浮かれた空気が漂う都内一等地にあるキャンパスで、偶然にもこうした「謎の貼り紙」を掲示板にて発見した次第なのである。
【ぬらり翁という怪談好きのご老人が百物語の会を催されます。(会場・埼玉県本蔵市近郊)
就きましては怪談の語り手の方、もしくは若干の見学者(兼・記録係)の方を募集しております。
興味お有りの方は私の方までご連絡下さい。
*国文科一年・土倉間夢久(とくらま・ゆめひさ)TEL0×0-××××-0×××】
まず『ぬらり翁』って何だ?って話だ。自分のことを「ぬらりひょんと思い込んでる」コスプレ爺さんだろうか?埼玉県本蔵市というのも名前くらいは聞いたことがあるが、千葉県船梨市出身の僕にはかなり未知の土地だ。
ただ「百物語」というワードはいたく蠱惑的な響きに思える。柳田先生の著作をきっかけとしてそれまであまり興味がなかった怪異譚=ホラー方面への関心が個人的に急上昇しているのだ。
これまで一般教養として水木しげる先生や京極夏彦先生の作品には中高生の頃から親しんで来たし、それがきっかけとなって
情報提供者が同学年同学科というのも人見知りの僕には気安いではないか。もし土倉間君という生徒も柳田翁、もしくは妖怪の愛好家であるなら話も弾むに違いない。前期の授業期間を通して「一人の友達もできなかった」孤独な身の上としては、友達作りの一環ともなるかもしれない。
ただ一つ懸念があるのは「百物語」で話されるべき怪談のストックが僕には皆無なことだ。怪談というからには一種の「心霊体験」であって、僕は妖怪好きではあってもオカルト方面にはあまり関心がないというか、要は「霊感が無い」という奴である。
幽霊や妖怪も「いたら面白い」というスタンスであって、『遠野物語』に登場する
ともかくも「怪談の話者」足りえない僕ではあるが、後学のために百物語というモノを是非見学致したいし、そのための雑用なら喜んで致す次第だ。なので「電話をこちらから掛ける行為」が大層苦手な僕ではあるが勇気を持って連絡を取ることにした。
コール音三回目で通話は速やかに繋がった。
「もしもし、こちら国文科一年の中山桂馬と申しますが、土倉間夢久君の電話で宜しかったでしょうか?」
「はい、こちら土倉間です」と返信がある。
「あの学内の掲示板、百物語の会という、あれが少し気になりまして」
「はい、参加希望の方でしょうか?見て頂いてありがとうございます」
「ええと、怪談の語り手ではなく、その見学者も募集しているということで、ちょっと話をお聞きしたいのですが」
「はい、大丈夫ですよ。今学内にいらっしゃいますか?お時間あれば早速お会いしましょうか?」
というざっとこんな次第で土倉間君と接見する事と相成った。
そろそろ僕の無駄話はどうでもイイから、さっさと「怪談パート」に入れという声も聞こえてきそうなので要点だけに絞って、とりあえず「土倉間夢久君の印象」についてだけ語ろう。
百物語なぞに参加する大学一年生というからにはどんな「豪の者」かと思いきや、良い意味で予想は裏切られ、実に「爽やか好青年」といった風貌であった。どこか浮世離れした貴公子然としているというか、漫画のキャラに例えるなら「中川圭一@こち亀」、探偵モノに例えるなら「浅見光彦」といった感じであろうか?
学食にて待ち合わせ、互いに自己紹介する。
「こんにちは、初めまして。土倉間です」
「あ、どうも初めまして。中山桂馬です。僕も国文科一年です」
「同じくですね。早速ですが怪談、お好きなんですか?」
「ええまぁ、こういう大学ですから相応に興味がありまして。あの、柳田國男先生の遠野物語でその、そっち方面に興味を持ったと言いますか」
「ああ、民俗学なら極嶽院とも云われますしね。妖怪なんかはどうですか?」
「ええ、子供の頃はアニメの鬼太郎で育ちました。特に
「良いですよね、水木しげる先生。僕は京極夏彦先生も大好きで」
「僕も読んでます、百鬼夜行シリーズ。『
「『塗仏の宴』!僕は妖怪としての塗仏も好きで。鳥山石燕はもちろんご存知ですよね?」
「はい『画図百鬼夜行』ですね。画集も持ってますよ」
「いやぁ、話が合いますね。鳥山石燕の描いた塗仏って凄く冒涜的で。だってよその国だったら絶対、神仏をこのよう形で
「わかります、目玉がびよんと飛び出ちゃってますし」
「そうそう、あんな冒涜仏画ありえないですよ。でもそこを何ら問題にしない、この国の多神教やアニミズムの在り方が寛容であるなぁ、って」
とまぁ漫画に出て来そうな爽やか好青年の土倉間君であるのだが「妖怪を語らば止まらなくなる系」の良い意味でアブナイ人でもあったのは僕にとっては嬉しい誤算だ。いくら「民俗学に定評のある大学」と云っても柳田先生も京極先生も読んだことないなんて生徒はザラにいるわけで、初対面で石燕画伯の妖怪画を熱く語る男に巡り会えたのは“
「それでその、『ぬらり翁』というのは何者なんです?」
「ああ、やはりそこが気になってしまいますよねぇ」ニヤッとあまり似合わない『共犯者に対するような笑み』を返してくる土倉間君。
「僕も実はまだ二、三度しかお会いしたことはないんですが、とにかく面白いご老人であるとは思います」
「なるほど、やはりその『ぬらりひょん』に似てるってことなんでしょうか?」
「ええ、もちろん見た目にも似ているというか。ただし『アニメの鬼太郎』であるとか『画図百鬼夜行』に描かれた“悪人相”ではないですね」
「石燕画伯の描いた『ぬらりひょん』には似てないと?」
「ええ、『画図百鬼夜行』よりも以前に描かれた
「つまり悪人顔ではなく
「まさに!なので安心して下さい。決して恐い御方ではありませんよ。『恐い話が好きな御方』ではありますが」とやけにお似合いの爽やかな笑顔を返してくる。
「あの、それで会の日取りはいつになります?」
「“七”という数字にどうやらこだわりのある方で、当初は7月7日を予定していたのですが、どうやら人数が集まらず。なので来月『8月7日』ということになると思います」
「良いですね、僕らも夏休みに入ってますし」
「では中山桂馬君、正式に参加表明されます?」
「もちろん、します!」という経緯で、いよいよ『七夜噺』の
二
時に2007年8月7日当日、今月に入ってからの気温は30度を下回ることはなく、本日も32度超えで夏本番である。個人的に夏は好きな季節なので34度を超えなければそれほど暑さも堪えない。夏の涼を取る為に行う怪談会だとすればこれほどうってつけの日もまたとない。
最寄駅からJR路線でアクセス可能なので思ったほど運賃は掛らなかったが、それでも片道2時間半強の遠出になった。
土倉間君とは現地「JR鬼没原駅」で待ち合わすということになっている。駅に電車が到着しホームに降り立ったのが14時少し前。僕の地元である千葉県船梨市も緑豊かな土地は多いが、この埼玉県鬼没原も中々に田舎風情がある土地のようだ。
と半分観光気分になっていると気になるモノが目に映った。すぐに改札は出ずに上りホーム側を行くと、どこか目を引く建築物がある。立派な屋根が据えられ手前側には木製の賽銭箱もあり、いわゆる小規模な
賽銭箱の向こう側には七体のお地蔵さん?いや、これはどうやら『七福神』の像である。きちんと
なるほど「七福神尽くしの駅」か。ぬらり翁という人は「数字の“七”にこだわる」と土倉間君が云っていたが、この「七福神に
おっと、考察モードに入ると周りが見えなくなり「細かいことが気になってしまうのが僕の悪い癖by杉下右京」ってやつだ。土倉間君を待たせてもいかんという事で改札を出る。
駅前で土倉間君は既に待っていた。
「あ、どうもお待たせしました」
「全然、僕も今来たとこです。家は隣の本蔵駅なので、ここまでは自転車で」
「なるほど、ぬらり翁さんの御宅まではどのくらいの距離ですか?」
「歩きだとかなりの距離なので、タクシー代を頂いてますからタクシーで行きましょう」
「なるほど太っ腹な方なんですね」
「ええ、御宅の方に伺ったこともあるんですが立派なお住まいでしたよ」
駅前で僕らはタクシーに乗り込み、土倉間君が「鬼没原町×××までお願いします」と運転手に行き先を告げる。
「鬼没原というのは中々風変わりな名称ですよね。あと駅の構内に七福神像があったんですけど、あれって?」初めてこの地に降り立った僕は車窓に映る風景を珍しげに眺めながら、土倉間君にそう尋ねる。
「七福神!やはりアレは気になりますよねぇ。僕も同じくで、先日ぬらり翁にも質問してみたんですが『やはり“
「あと土地の名についてはその、
「戦場系の地名というと、例えば『合戦場』とか『古戦場』が付いたり、あと栃木県にはそのまま『戦場ヶ原』って地名もありますよね?」
「そうです。なのでここ鬼没原の由来も『戦国の鬼が没した地』。或いは『神出鬼没』と掛けて、鬼が跋扈するほどに戦の激しかった土地ではないか?と云われていたり。まさに近郊には“本蔵城”の史跡があったりもしますし」
「つまりちょっとした曰く付きのスポット、が多くあったりするのでしょうか?」
「そこまではわからないのですが。僕もその辺は気になって自分で調べたりはしているのですよ。なんたって一番身近な民俗学は自分の住む土地の伝承について調べること、というのは聞いたことがありますし」
「柳田先生の著書は読まれたりします?」
「ええ、『地名の研究』なんか面白い本ですよね。柳田先生は現代の視点だとややこじつけも多いなんて話も聞きますが、あのひたすらに自分の興味の対象に斬り込んで行く、その姿勢に現代人として見習うべきモノがあると思います」同世代とこうして柳田トークができるのは喜ばしい。と思ったのもつかの間、どうやらタクシーが現地に着いたようだ。
これをして“豪壮”と表現するのが適切な、手入れの行き届いた生垣とその広い敷地に見合うであろう日本家屋であった。表門の前で僕らはタクシーを降車し、土倉間君は携帯電話を取り出し、誰かに連絡するようだ。
「もしもし、土倉間です。同級生の中山君をお連れして今着きました。表門の前にいます」
風情を重んじる
「あ、ぬらり翁の本名を紹介していませんでしたね。『
それともう一つ、通常の表札よりもひと周りもふた周りも大きな『寺号表札のような大きな木札』が縦に据えられており、そこに墨書きで『赤蛸堂』と記されている。「あかたこどう」であろうか?
「ええと、この屋号らしきモノは?」と僕が訊くと、土倉間君が「せきしょうどう、と読むらしいのです」と答える。
「僕も気になりまして由来を尋ねましたところ、ぬらり翁は小説家の岡本綺堂先生を敬愛されているとか。岡本先生は『半七捕物帳』などの推理小説で世に知られる方ですが、一方で怪談作家でもいらっしゃって、有名な『
「なるほど『青蛙堂』なら僕も読んだことがあります。大変面白い本でした。それにあやかって屋号を付けられたと。ただなぜ『赤蛸』なのか——」と質問が終わる前に表門に家人の方が現れたらしい。
「お話の続きはお宅に招かれてからにしましょう。もちろん『
さて表門に現れたのはぬらり翁御本人ではなく二人のお手伝いの方?であった。一人の方は年齢が六十から七十代初めくらいに見える、丸顔で柔和な印象の女性で
「遠いとこ、ようござっしゃった。泊庵さんの身の回りの手伝いなどをしております、
「
僕ら二人も形式通りに挨拶すると「土倉間様、中山様、ようこそ赤蛸堂へいらっしゃいました。それでは御案内いたします」と稀介君の方が率先して案内を請け負ってくれる。僕ら二人も彼に続き表門をくぐり、
敷地内に入ってまず驚くのはその美しくも儚い印象の「侘び寂び」を感じる庭園だ。百坪ほどか?いや詳しくはわからないが、それくらいの広さに見える石庭をメインにした「枯山水庭園」であろう。そこに映えるのは恐らく「数奇屋造り」と呼ばれる日本家屋で、華美さはないが確かな和の風情を感じる住居である。案内されて玄関を入り、広く取られた土間に靴を脱ぎ揃え框へと上がる。
更に稀介君に付いて進むと渡り廊下からやはり石庭が見渡せ、この庭園とお屋敷を堪能するだけでも遠出して来た甲斐はあったと感動していると、土倉間君が内緒話をするように小声で話しかけてくる。
「実は、葦乃さんは『視える人』なんです」
「『視える』ってのは、要するに『霊的なモノを』ってこと?」
「ええ、僕もそういうわけで葦乃さんに見出されてぬらり翁に紹介されたわけです。なんでもとある地方の神社で『祓い専門の巫女』として活躍されていた、とか」
そうなんですか?といった感じで僕は後ろの葦乃さんを振り返る
「ホッホッホ、昔のことなんぞようけ恥ずかしことばかしですけんなぁ」とほんわかしたリアクションの葦乃さん。こんな癒し系なお婆さんではあるが、いわゆる「拝み屋さん」の類いだったのであろうか?
「例えば僕なんかにも何か憑いてるように『視えたり』します?」と戯れに質問してみる。
「いんや、桂馬坊っちゃんの方はなんぞ憑いてるようには視えんのだがや。ただなしてか『
葦乃さんの返答内容より初対面の人に「坊っちゃん」と呼ばれたのが衝撃であった。ただ葦乃さんのほんわかした物言いゆえに全く不快感はなく、むしろ「人生で初めて坊っちゃんと呼ばれて、なんだか嬉しい!」感がある。
「夢久坊っちゃんの方はなんぞ『がえなもん』が視えたんだがや。じゃからわしの方からどげさっしゃたかね?なんぞ困っておることねえかね?訊いてみたんだわや」
「それで土倉間君はなんと答えたんですか?」と質問してみる。ところが土倉間君が「ちょっと待った」と口を挟む
「中山君、申し訳ないんだけどその質問はこれから行われる怪談会に関わってくるから、秘密なんだ。先に話してしまうと僕の話す怪談内容に触れてしまうから、楽しみを奪ってしまうと思う」
いや、全くごもっともである。僕は単なる見学者であるが、土倉間君の場合「怪談の語り手」としての参加だから「ネタバレはNG」てことなんだろう。
「あいわかった。楽しみはあとに取っておかなくちゃだね」
と、我々を先導していた稀介君がある日本間の前で立ち止まり
「泊庵翁、お客様がいらっしゃいました」と申し立て障子を開けると、その座敷にはゆったりとした仕草で茶を啜る着物姿の小柄な老人が一人。まさに『ぬらりひょん』の写し身であるかのような『ぬらり翁』その人が存在したのである。
三
一般に公的イメージとして語られる『妖怪ぬらりひょん』の特徴とは、まずその「エイリアンでお馴染みのゼノモーフのように伸びた後頭部を持つ
また土倉間君の云っていたことも本当で、一般的イメージとして想像される「反社会的組織の
ぬらりひょんの着衣も二種類くらいのイメージがあって、一つは仏法僧のような法衣。二つ目は
しかし、しかしである。その全体的なフォルムというか醸し出される雰囲気というか、そもそも『ぬらりひょん』の語源とは掴みどころがなく滑らかな様子を表した“擬音”から来たという説が有力だそうだが、そういった飄々としていながらも「唯ならぬ老人」といった風格がこの御仁にはある。そう僕は結論付けた。
「ようこそおいで下さった、お客人。わたくしは影浪泊庵と申します。まぁなにそう堅苦しく構えず、ただの
「土倉間君と同じ極嶽院大一年、中山桂馬と申します」と僕も一通りに挨拶を済ませ
「あの僕は土倉間君と違って怪談に至る体験がないので、その見学と申しますか、ただそれだけでは申し訳ないので記録係を務めようと思いまして、一応小型のヴォイスレコーダーを持参しました」と説明すると、ぬらり翁はにっこりと微笑んで
「それはそれは、大変嬉しゅうことでございます。なにしろ怪談というモノは皆様にお話しするだけでは『その場限りの一度切り』で終わってしまいますゆえ。あなた様のように御自らそのような記録を取って頂けるのは、わたくし共としても大変ありがたいことにございます」
「その、怪談を記録するに当たってなのですが、何かこの点は気を付けて欲しいなどはありますか?ヴォイスレコーダーはデジタルなモノなので怪談を邪魔するような音を立てることはないとか思いますが」
「はい、あなた様の御好意からして頂けるものなのでこちらからあれこれ云うのも憚られるかとは思うのですが、もしあなた様が『確実に、この怪談会の記録を残したい』とお思いであらば、筆記具をこちらで用意致しますのでそちらの方でもメモを取っては下さるまいか、と」
「なるほど、プロの速記者の様にとは行きませんが、要所要点をまとめるといった形でも構わないでしょうか?」
「もちろんそれで結構でございます。ただ脅かすようなわけではないのですが、過去にこういった怪談会を催した折り、いざ電子機器にて記録を取らん、という方は幾人かおられました。しかしながらその機械にて『録音されたであろう音声』をのちに確認した際『全くの無音』でございましたり、あるいは予期せぬ、意味もわからぬ『
「なるほど——」と僕は一瞬言葉に詰まってしまった。もちろんぬらり翁の気配りと助言はありがたかったが、そういった話を聞いて正直、僕は「怪談会というモノを嘗めてた」のかもしれないと痛感する。巷間で云われるように「怪を語れば怪に至る。また怪に触れれば、怪からも
そこで土倉間君が沈黙した僕に代わり話題の転換を試みた
「ぬらり翁、こちらの中山君はまだ『
「フォッフォ、もちろん構いませんとも土倉間殿。つまらぬことですがわたくしからも是非とも中山殿に話しとうございます。お二人のような若き好事家の方はご存知やもしれませぬが、大正から昭和初期にかけて活躍された岡本綺堂という大先生がいらっしゃる。その大先生の代表作とされる怪談集が『青蛙堂鬼談』。それにあやかって名付けた号であるというのはご想像通りでありましょうが、ではなぜ『赤蛸』なのか?というのが気になりましょうか。いえ大して面白くもない洒落心でございます。わたくしの渾名『ぬらり翁』の由来となる妖怪ぬらりひょんでありますが、岡山は
「つまり『七本足の蛸』!数字の“七”にこだわりがお有りになるというのはその事ですか!?」と思わず僕は問い正してしまう。
「フォッフォッフォ、つまらぬ老人の『洒落ごと』にございますよ。なに『“七”福神』を
何たる
それともう一つ。こっちは悪い方の予感だが、僕はここに来るタクシーの車内での土倉間君との会話を思い出す。彼は確かこう云った——鬼没原の由来は『戦国の鬼が没した地』——言い換えるなら鬼没原とは「亡者の土地」。それとぬらり翁が云ったとされる「“七”に魅入られた土地」という言葉を合わせると、数字の“七”は「
四
さて、次に開幕寸前の状況を説明して、道化たる僕の役割はこれで終いとなる。今宵の怪談会に集まった「怪談の語り手」はぬらり翁を含めて計“六”名。おや、ぬらり翁の理想に数字“七”には一人欠けているではないか?けれどこれも「予定通り」であるらしい。飛び入り参加の許された、ある程度自由な怪談会らしく、いつ何どき「欠けた最後の一名」が埋まるかわからないからだ。
その「語り手六名」に「見学者兼記録係」の僕。そして「何か異変が起きた時の救護班」として寺古家葦乃さんが待機している。怪談会の会場となる和風の大広間には、中央にぬらり翁が『大首(妖怪の名が由来らしい)』と呼ぶ巨大な和蝋燭が鎮座する。
その大首蝋燭の周囲を円形に「六名分の座布団」が敷かれ、語り手が座るよう指定されている。語り手たちそれぞれの前にも一本ずつ小ぶりな和蝋燭が配置され、怪談を「語り終えた際は自分の目の前の蝋燭を吹き消す」という定番の作法だ。
更にぬらり翁なりの凝った演出だろうか。床の間には幽霊画で知られる
幽霊画のある床の間の前席がぬらり翁の“主座”であり、その背後には堅牢そうな
ぬらり翁の“主座”を日時計の「十二時の位置」とすると、「十時の位置に制服を着た女子学生」「八時の位置に二、三十代の男性」「六時の位置に寺古家稀介君」「四時の位置に二十代くらいの女性」「二時の位置に土倉間君」が座り、僕は土倉間のやや後ろ「三時くらいの位置」でヴォイスレコーダーとメモ用筆記具を携えているといった次第。
ちなみに八〜十時辺りの席は縁側が背後にあり、渡り廊下とは障子で仕切られているだけで、庭の『石灯籠』にも火が点されている為かほんのりと明るい。葦乃さんはその縁側席の後方、障子の前に正座して控えている。
最期に一つ付け加えると「六時の稀介君の席の後ろ」は襖が開け放たれ、奥の広間まで見通すことができるようになっている。
その奥座敷の最奥端には台座付きの“座鏡”がぽつんと置かれ、その鏡面をぼんやりと照らすかの如く、こちらにも
今宵“七”の時刻、ようやく『七夜噺』の幕が上がる——。
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