境界のクオリア

山碕田鶴

第1話 プロローグ

「偶然だな」


 駅前のペデストリアンデッキ広場でベンチに座る僕に声をかける時、この男はいつもそう言う。


「こんばんは」


 何度目の偶然なのかは、もうわからない。約束もなく、僕はここで男と出会う。そう、偶然に。

 きちんと整えられた艶のある黒髪に、少し気難しそうな相貌。闇をまとったような黒い上下の装い。すれ違う人が振り返るのは、どこか人を惹きつける存在感があるせいだろう。だが目が合えば、何者をも拒絶する近寄りがたい雰囲気にたじろぐに違いない。

 僕は男の名前を知らない。男のことを何も知らない。

 この男は、僕が他人と接することのできる限界の距離の境界に背を向けて立っている。

 僕に関心がないのに、去ることをしない人。近付かれることのない安心感が、僕に偶然を重ねさせる。

 出会うことは、即ち同意。

 静かな波に誘われるまま、ただ流されて深い闇の水底に沈んでいく。

 それだけの関係。

 二人の遠さは、僕の理想のはずだった──。

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