共有型経済とは

 共有型経済とは何か。聞いたことがない人が多いため、知らない人も多いだろう。それも当然だ。この言葉は、私が作った造語だからである。もちろん、それは私自身の認識であり、もしも、この言葉を私より先に考えた人がいるのならば、ここで先に謝っておきたいと思う。


 さて、共有型経済とは何だろうか。それは、資本主義で常識となっていた大量生産、大量消費、浪費の3つを無くすための経済システムだ。しかし、共有型経済が最終的に目指すのはそこではない。というのも、資本主義社会では、自由な競争の下、持つ者と持たざる者の貧富の差が、どんどん拡大している。ゆえに、資本主義で生まれた経済格差を、共有型経済という新しい経済システムで解消するのが最終的な目的である。


 だが、この説明だけでは抽象的すぎて、具体的なイメージが湧かないだろう。もしかしたら、共産主義ではないかという指摘が来る可能性もある。そして、その指摘については、共産主義ではないというのが私の見解だ。なぜなら、共産主義は私有財産の全てを否定するが、共有型経済では一部の私有財産を認めるからだ。だからと言って、何でもかんでも私有財産を認めていたら、共有型経済である意味がない。そこでどんなものを私有財産と認めるのか、考えなくてはならない。


 まず浮かぶのは、靴と衣類だろう。これらのものを私有財産と認めなかったら、外出時には全裸で、ということになりかねない。そんなのは御免だ。特に、下着を他人と共有することは嫌悪感さえ感じる。加えて、靴下やハンカチも絶対とまではいかないが、出来れば共有は避けたい。逆に、他の衣類については、あまり分からないことが多い。というわけで衣類はともかく、靴は1人当たり2~3足(普段用+予備)までのラインに落ち着きそうだ。


 また、電子機器もその対象となるだろう。自分の大事な情報を、他人に見られたくない人は多い。また、生活や趣味の一部として使う人もいるはずだ。したがって、これら電子機器は、1人当たり合計2つまでを私有財産とするのが妥当だと思う。


 では、家はどうなのか。家も条件付きだが、私有財産と認められる。条件付きというのは、つまり、一定の面積以下の家が1つだけで、在住目的での所有という意味だ。別荘がある、家が複数ある、豪邸がある、不動産を持っている等という場合には、共有財産として、政府に差し出さなければならない。もちろん、これには強制力が伴う。反発も当然あることは予想されるが、共有型経済が掲げる夢を実現させるためなのだから、説得して理解してもらうしか方法はない。また、一定の面積以下の家という条件に関しての唯一の例外は大家族だが、それは別途対応していく必要があると考えられる。


 他はどうだろう。歯ブラシや、生理用ナプキン、本人確認書類など挙げれば次々に出るのかもしれないが、絶対に私有財産としなければならないものは、今の世の中、あまりないように思える。おそらく多くの人々が潜在的に求めているのは、物の所有そのものではない。使いたいときに使いたいものが自分のすぐ近くにあると言った状況が、いつでも欲しいだけなのだ。


 それゆえに、資本主義社会では、金のある人々が、欲しい商品を自分のお金で買える範囲だけ買える仕組みになっている。だが、それでは解決しない。何が解決しないかと言われれば、金のない人々が使いたいと思ったものが、手元にない、或いは近くにないといった問題だ。


 それなら、どうすればいいのか。その答えが、共有型経済だ。共有型経済では、あらゆるものを共有することで、金のあるなしに関係なく、今よりも自由にモノを利用しやすくなる。そうして挙げられそうな課題が、共有するモノの管理元をどこにするのかといったことだ。これは重要かつ難しい問題である。しかし、1つ提案するならば、こんな方法はどうだろう。家の中に入るものは、公的施設と化した倉庫を活用して保管・共有、家の中に入らないものは役所が保管・共有、家そのものは国が保管・共有とするのだ。当然、保管スペースは足りなくなるので、その分は商業施設などを壊して対応していくことが必須だと思われる。


 次に、何を基準にどうして共有元を分けるのか書いていく。まず、共有元を分けた基準は価値の大きさだ。価値の大きさが大きければ大きいほど、盗難などの犯罪リスクが増えるのは承知の通り。だが、共有型経済では、無許可での私有化行為を許していない。許していないということは、それ自体が罪に繋がる。しかし、文房具などの小さなモノは国では対応しづらい上、家や土地などの価値の高いモノは、国(あるいは役所)でないと対応が出来ないのではないか。そこで、価値基準を明確にし、保管・共有元をいくつかに分けることで、盗難の際の対応元を明らかにするのが理由であり、狙いでもある。


 それで、盗難以外にも想定されるリスクがある。紛失や、破損だ。小さなものであれば失くしやすいし、どんなものでも経年劣化すれば壊れやすい。そんな時にも、それぞれの保管・共有元は、しっかりと対応していく必要がある。そして、ケースによっては、同じものでも紛失と、破損は分けて考えなければならない。例えば、消しゴムを失くそうが、消しゴムがちぎれようが、大して結果に変わりないが、それが冷蔵庫などという際は、訳が違う。冷蔵庫などの大きなモノを失くしたなどと言われた時は、申告した本人の私有財産化の試み行為を含めて疑い、家の中の調査をすることも念頭に入れて、作業を進めなければならないからだ。


 本当に、紛失や破損をしてしまったら?そうなったら、本人に返済ポイントが付く。申告しなかった場合はバレた瞬間に、共有期間の長さに応じて返済ポイントが加算される。この返済ポイントというのは、返さなかったからと言って、特に増えるわけではない。しかし、その代わりとして、返済ポイントの数が多いほど、共有できる期間や、共有できるモノの数で制限を受けることになってしまう。そのため、紛失や破損をしたら、少なくとも行わずに後でバレる場合よりも、損はしない制度になっていることは確かだと言える。


 そうして、共有期間が過ぎても返済ポイントが付くので、その前に共有したものを保管・共有元の場所に返さなければならないのだが、その共有期間というのも、数時間から数年と様々で、共有するモノの大きさと価値によって大きく変わってくる。まあ、自転車等なら数時間でも充分に足りるだろう。


 共有と返済において、語るべき問題は、盗難と紛失くらいだろうか。これらを混同させてはならないのは言うまでもなく、紛失を盗難と騙るケースの対策も、事前に決めておかなければならない。この段落では、騙るを語るになりそうだ。さてと、申告した本人が盗難を主張した際、2つの事柄を同時に頭の中に思い浮かべるケースがある。正直者なパターンと、嘘つきなパターンだ。正直者なパターンは語るまでもないので、脇に置く。問題は、嘘つきの騙りだ。これは見分けるのが非常に困難だ。うそ発見器でさえ完璧な解決手段とはならないだろう。この場合、盗難を申告してきた全員を疑う覚悟が求められる。割り切ってもらうと表現した方が適切かもしれない。そう、調査を行うのだ。本当に盗難があったのか、本人の言う現場付近を防犯カメラで分析したり、実は隠していないかなどを調べるために、家の中の調査を実施する。それで盗難だと判明すれば万々歳だし、分からなければ盗難ということでいい。要望としては、盗難専門の審議調査チームを、各対応元に設けることくらい。今はそう思っているくらいだ。


 そろそろ終盤だ。共有型経済での、経済活動に関しても少し触れておきたい。資本主義ではモノを売って儲けることで金を得ているが、私有財産の全てを認めるわけではない共有型経済では、それをやりづらい。従い、共有型経済では、共有しているモノ、或いは私有財産となっている電子機器を使って、資本主義で言うところの金を稼ぐことになる。言うところの、と表現したのは、共有型経済では、それをポイントという風に呼んでいるからである。どうやってと思うかもしれないが、それは次回以降考えることにするので今回は割愛。共有型経済では、経済活動すればするほどポイントを稼ぐことが出来、そうじゃなくても最低限のポイントを貰える。人々はそのポイントを使って、使いたいと思ったものを、それぞれの管理・共有元に申請して、そのモノに合った共有期間だけ、共有することが可能になる。

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