魔物の存在
最初のその存在に気が付いたのはアリアだ。
身体のつくりは同じに見えてもそれは明らかに人よりも大きな存在。2メートルをゆうに超え。アリアたちからすれば5倍ほどの質量を持っているように見えた。太い腕に、村にはいない肥えた腹、巨大なそれらは支えるためのひときわ大きな脚。間違いなく魔物の一種。
アリアなど一振りした腕に当たったらひとたまりもないだろう。
悲鳴は上げなかったのはとっさの判断だ。向こうがまだ気が付いていないとその様子から察することが出来たのは運が良かった。
ただ、そのあとの判断が正解だっと。結果から見ればそれは言い難いことだ。
ちらりとサリアの様子をうかがう。さらさらとした前髪が瞳を隠しているが寝息が聞こえてくると思えるくらい安らかな顔をしている。
逃げるべきかアリアは必死に考える。でもどうやってだろう。あの巨体から逃げ切ることができるのか。見つかったら最後。
覚悟を決めてアリアはサリアの肩を静かに揺らした。
「うん? どうしたのアリア。えっ……ひぃ」
サリアはすぐに魔物に気が付いて小さく悲鳴を上げてしまった。
「逃げるよっ」
とっさの判断だ。きっと今の悲鳴を聞き逃してはくれない。
魔物がこちらに視線を送っている。それを背中で感じながらサリアの手を引っ張って立ち上がらせると走り始める。地面は根っこで素早く動けるはずもなく。サリアも恐怖が大きいのか足元は安定しない。
起伏の激しい根元はアリアたちの動きを阻むようにしているが、魔物にとってはそんなことはお構いなし。一歩で根っこを渡り歩いている。
「アリア! 待って。息が……」
「止まらないで! 死んじゃうよっ!」
叫ぶ元気があるのなら足を止めないでとアリアも口から心臓が飛び出しそうなのを必死に堪えながら走り続ける。全部死にたくないという一心だ。
サリアを引いている腕に一層力が入る。力を込めなければサリアが離れて行ってしまいそうだからだ。その思いが強くなればなるほどに握る力は強くなる。
「い、痛いよっアリア」
そうサリアが言っても力を緩めることはしない。いやできない。後ろを振り向くことさえ恐怖できないが、間違いなく足音は近づいてきている。
お腹がなったときの音をずっと低く荒々しく禍々しいものへと変えたものが後ろから聞こえてくる。魔物が唸り声だろう。それがどんどん近づいきている。
速度を上げるしかない。でも身体はもう限界。それはアリアもサリアも同じ。足音さえもう近くまで来ている。風を押しのける唸るような音が聞こえる。魔物が腕を振り上げたのだろう。そこまで追いつめられている。全身の血がサーっと足元に落ちていく感覚に襲われる。
ここでふたりで死んじゃうんだ。アリアはそう覚悟した。それはサリアも同じみたいで握っていた手から力が抜けていくのが分かる。
引っ張られた感覚と共に足元で何かにつまづいた。同時に魔物が腕を横に薙いだ。前に倒れ始めているアリアとサリアの頭上を丸太のような腕が通り過ぎる。サリアを抱えるように倒れこんだ。
サリアの体重が乗ったこともあり、衝撃で息が出来ない。
「ごめんね。アリア」
謝られたけれどサリアが悪いわけじゃない。運が悪かったんだ。魔物が大樹のそばにいるなんて聞いたこともなかった。異常事態なのは間違いない。村に帰って知らせないとみんなの身も危ない。でもそれは叶わない。
覚悟を決めて目をつぶった。
鈍い音が辺りに響き渡る。でも同時に来るであろう衝撃は襲ってこなかった。きっと、あまりの勢いに衝撃を感じる間もなく絶命したのだと。アリアはそう判断する。でもと。同時に考えもした。そうであるならば今考えている自分はなんなのだと。
精神だけの存在になることがあるのだろうか。そうであるならばまだサリアと一緒にいれるのだ。であれば悪くない気もする。
「おい。無事か?」
精神だけの存在になったはずなのに知らない声に話しかけられた。もしかしたら案内人なのだろうかと。辺りを見渡そうと閉じていた瞳を開ける。
目に飛び込んできたのは白銀。傷だらけであるのに、木漏れ日を均等に反射している。柔らかかった光が力強く感じられる。
視線を上方に向ける。
その白銀が人の形をしており、鎧であることが分かる。そしてそれは天使か何かだと思うほどに美しい立ち姿だった。
全身に纏っている鎧は人である印象を弱め、神々しさを増すのに一役を買っている。兜はかぶっていなかった。銀色の髪はきれいに整えられているとはお世辞にも言えない。あちこち髪の毛が跳ねている。硬そうなその髪は武骨な印象を受ける。
そして、魔物が振り下ろした腕をその人物は片手でがっちりと掴んで止めていた。
「えっ。あの」
腕の中にはサリアが気絶しているのか小さく呼吸をしている。状況が把握できないけれど、どうにか生きているのだとアリアは判断する。
「ぶ、無事です」
声からして男性であるその人は魔物腕を押しのける。その勢いで魔物が体勢を崩した。恐ろしいほどの力だ。
「目を閉じてな」
考えることもなく言う事に従ってしまう。不思議な説得力がある声だった。
鋭いながらも鈍く短い音がしたあと、何かが地面に落ちた音がする。
「もういいぜ」
おそるおそる目を開けると、首なしの魔物が立っていた。そのまま灰になっていく。マナに戻っていくのだ。見えない位置で顔が同じように灰に変わっていっているはずだ。
「あ、あの。ありがとうございます」
倒れたままだけれど首だけ動かして礼儀を尽くす。
「ああ。例を言われるほどの事はしてない。当然の義務だ」
なんのことはない。そう言いたげな声だ。振り向いて手を差しだしてくる。けれどアリアはその手を取ることが出来なかった。
人間離れしていたのは立ち姿だけではなかった。その顔をアリアには覚えがないくらいに美しかった。
整っているのにも関わらず、触れれば壊れてしまいそうな印象はない。悠然とそこにあるのが必然と言わんばかりの顔。瞳は見たこともないくらいに濃い紫に染まっている。
「どうした? 立てないのか?」
そう心配されているのに、なんの反応もできず、ただただ人間離れしたその姿に見とれてしまっていた。
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