偽りの桜

一九四四年一〇月

 けらけらけらと虫が嗤う。気の違ったかのように鳥が鳴く。その上では航空機が互いを追い合っている。遠くからは砲声。破裂音が鳴り響く。

 私は今、フィリピンの密林の中に居る。空で、海で、陸で、同じ国の人間たちが戦う中で私は一人、煙の燻る零戦の中に居た。

 戦闘機パイロットである私はつい数時間前まで海の上を飛んでいた。その中で米軍の航空機と遭遇し、空中戦になった。

 戦闘は実にお粗末なものだった。出撃の時点でエンジン不調で出撃できない機体や途中で引き返す機体が出て、その状態で敵とぶつかりあった。俺は敵一つを撃墜したが、流れ弾がエンジンに命中。油が飛び出て風防が真っ黒になった。私は米軍機に集中攻撃されながら海の上すれすれまで逃げ込み、命からがら逃げ果てた。だと言うのに、燃料切れで零戦はとうとう力尽き、この密林の中へと飛び込むハメになったのだ。

 もはやこの機体は航空機の体をなしていない。翼は曲がり、プロペラはひしゃげ、エンジンからは油の焦げ付く臭いと共に灰色の煙が立ち上っている。

 思えば、私が戦闘機に乗って飛ぶ時、いつも我が海軍は敗北してきた。ミッドウェーも、マリアナも、俺が飛び立った後、その船はいつも

 沈んだ。加賀も、翔鶴も、そして今度は瑞鳳も沈むだろう。そのようにして、我が国の海軍はその実体を失うだろうと思われた。

 戦前なら信じられないことだった。世界に冠たる我らが聯合艦隊がボロボロになり、そしてやがて消えていくこの状況を、私は未だに認識し切れていなかった。ただ戦い撃墜し、撃墜され、そして帰ってくれば船が海底へと沈んでいるのだ。そこには命があり、誇りがあり、名誉があったはずなのに、私の中にあったそれらの感情は全て何処か有耶無耶になってしまった。それらは一体何処に行ってしまったのだろうか。あの船たちと共に海中へ没したのか。

 今はただこの場を生きねばならない。私は零戦の残骸から離れ、密林の中へと足を踏み出した。その瞬間、左脛がうずき、じんわりと熱くなっているのが分かった。脚を見るとそこには切り傷が出来ていて、服から血が滲み出ていた。被弾した際に出来た傷らしい。

 くそったれ。もう戦闘機になんか乗ってやるものか。畜生め。

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