34 一緒にいる理由


 あー。


 気が重い。


 昨日、私が不用意に雛乃ひなのを詮索してしまったせいで微妙な空気になってしまった。


 私がもっと上手く誤魔化せば良かったのに、妙に重たい空気を翌朝も引きずってしまった。


 こういう対人スキルの乏しさを久々に実感した。


 一緒に住むと、こういう空気感が難しいんだなぁ……。

 

「はあ……」


 そう思いながら今日も今日とて作ってくれた雛乃のお弁当を食べている。


 どういう気持ちで食べたらいいんだか分からないよ。


 でも美味しいのだから困ったものだ。


「先輩、まだお昼食べてるんですか?もう休み時間終わっちゃいますよ?」


 すると、ランチから戻ってきたであろう七瀬ななせが現れる。


 いつもの陽気なテンションは変わらずだが、こっちはそういう気分じゃない。


「いいのよ、もう食べ終わるから」


 落ち込んでいるとご飯を食べたい気持ちになりにくいものだ。


 食べようと思うまで時間が掛かってしまい、今に至る。


「やっぱり最近、心労が多かったりするんじゃないですか?」


「そうね」


 その通りではあるのだが、現代社会人で心労がない人の方が稀有だ。


 だから七瀬の言っている事は誰にでも当てはまるので気にも留めない。


「そんな先輩の気苦労がなくなるといいですね」


 どうやったら雛乃との関係が円滑になるのか。


 それが解決したら気苦労はなくなるだろう。


「大丈夫、先輩の問題はすぐに片付きますよ」


「なにを根拠に言ってるんだか……」


 妙に自信のありそうな七瀬の発言に溜め息を吐いて、私は休み時間内にお弁当を食べ終えた。



        ◇◇◇



 仕事が終わると、気分が更にどんよりと沈み込んでいく。


 やらなければいけない業務がなくなると、思考の全ては雛乃に集中していく。


 良くも悪くも仕事中は他の事を考える余裕がなくなるのだ。


「でも、さすがに私も切り替えたいし。今日は明るく笑顔で振るまおう」


 何事もなかったかのように、いつものように振る舞う。


 そして、関係を元に戻す。


 それから私が犯してしまった過ちを謝罪することにしよう。


 そう決めて、私は家の扉を開けた。


「ただいまー」


 ……。


 あれ、返事がない。


 部屋の鍵は開いていたし、電気もついている。


 だから雛乃はいるはずなのに。


 トイレとかかな?


 ガチャリと居間への扉を開ける。


「うわっ、雛乃いるじゃんっ」


 ローテブルの前に座っている雛乃の姿があった。


 返事がないから何か作業をしているものかと思ったが、何もしていない。


 ただ黙って座っていた。


「なんだ、聞こえなかった?帰って来たよ雛乃」


 きっと、昨日の出来事が尾を引いて雛乃もどう反応したらいいのか分からなくなっているんだ。


 ここは大人の対応をしていかないと。


「今日もお弁当美味しかったよ。かぼちゃの煮物なんて手がこってるよね、さすがお料理上手」


 わざとらしいかもしれないけど、感謝と雛乃の料理の腕を褒めてみる。


 でも本音だから、これくらいはいいはずだ。


「アルバイトの調子はどう?まあ、雛乃の接客なら何も問題はないだろうけど。もしかして上手すぎて期間延長のオファーをもらってたりとかするんじゃない?」


 何かさっきから一人で喋ってばっかりで、雛乃の反応が何もないのは気になるけど。


 でも、これだけポジティブな雰囲気を作っているんだから、雛乃だって読み取ってくれるだろう。


「いやあ、それでいつも料理とか家事してくれてるんだからすごいよね。社会人の私なんかよりよっぽど立派で頭が上がらな――」


上坂うえさかさん」


 そこで、やっと雛乃の声が届く。


 けれど俯いたままで、声音もどこか固い。


「いや、分かってるよ。私がダメダメ人間なことくらいは。だからこうして雛乃がいるおかげで助かって――」


「あたし、ここから出て行こうと思うんだ」


 ……は?


 言葉の意味を理解するのに、随分と時間を要した。


 けれど言葉の意味を理解しても、その気持ちを理解するには至らない。


「な、なに。いきなり」


「うん、でも決めたから」


 その声の固さは意思の強さの現われだったのか。


 雛乃の返事は間髪入れずに返ってきた。


「いや、だから、なんでいきなり」


「ほら、あたし、上坂さんに迷惑かけっぱなしだし。色々マズいかなと

思ってきて、そろそろ出て行こうって」


 だ、だとしても何でこんないきなり……?


 私のせいなのか?


 私が不必要に雛乃に踏み込んだから、それに対して嫌になってしまったのだろうか。


「いや、いいよ。そんなの私、気にしてないし」


「でもやっぱこのまま上坂さんの負担になりたくないし」


 負担って……。


 私はそんなふうには思ってなくて。


「元々、あたしが押し掛けたようなもんだし」


「それはちがうでしょ」


 元々、私が酔った勢いで始まってしまったことだ。


 それに、私は雛乃を傷付けるようなこともしてしまっている。


 雛乃だけの過ちなんかじゃない。


「そうなんだって」


「だって、私が声を掛けたから始まったことでしょ?」


「そこはね」


「だから、私にも責任はある。それにあんたの条件を呑んだのも私でしょ」


 私が雛乃を抱く代わりに家に泊める、という条件。


 それを、実行したのは私だ。


 だから、雛乃が私に対して迷惑を掛けているなんて思う必要はない。


 いや、むしろ雛乃は子供で間違えるのは当たり前のことだ。


 それなのに、それを正そうともせず社会人としての地位を利用した私の方こそ罪深い。


「安心して、上坂さんは気に病むことなんて一つもないんだよ」


「そんなわけないでしょ、だって私は雛乃の初めてを――」


「何もしてないんだよ」


「……え?」


 何もしてない、って、何をだ?


「だから上坂さんは、あたしを抱いたりなんてしてないの」


「……え、えっと。でもそんなわけ」


「酔っぱらった上坂さんはね、あたしが高校生って分かったら手を出すのやめたんだよ。疲れて、そのまま寝ただけ」


「うそ、でしょ?」


 目が覚めたらお互いに裸同士で、何もなかっただなんて。


 そんなわけなくて。


「記憶ないんでしょ?」


「ない、けど」


「だから、それにあたしが付け込んだの。上坂さんが何も覚えてなかったから騙して、それで住まわせてもらったの」


「……そう、なの?」


 それを証明することは私には出来ない。


 したのか、してないのか。


 それは雛乃の発言に帰結する。


 彼女がないと言えば、それはなかったわけで……。


「うん、だから上坂さんはやましい事なんて何もしてない。あたしが一方的に住まわせてもらっただけ」


 私は雛乃を抱いていない。


 だとすれば確かに私の罪悪感は薄まる。


 その事実が、雛乃をここに留めていた私の理由ではあったのは確かで……。


「だから、上坂さんは住む場所に困っていた女子高生を助けてくれた優しい人。本当にそれだけだから、もう何も気に病まないで」


 雛乃が立ち上がる。


 やっと顔を上げて私の方を向いたのに、そのまま私の横を通り過ぎていく。


「でも、だからこそ上坂さんに迷惑かけるのあたしもう嫌だから。出てくね」


「いや、でもだからって何も今じゃなくても」


 しかし、雛乃の足は止まらない。


 私は、何を理由に彼女の行動を決定すればいいか分からない。

 

 雛乃は玄関へと向かって行く。


 その姿は、久々に見る制服姿の雛乃だということに今やっと気付く。


 扉を開けて、こちらを振り返った。


「今までありがとう上坂さん。ご飯ちゃんと食べて、お仕事頑張ってね」


 そう言葉を残して、扉は閉じられた。


 私は、何も返事をすることが出来ないまま、ただ立ち尽くした。


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