怪獣のいる風景

諸星モヨヨ

第1話

「……でも、ここにも出るんでしょ?……“怪獣”が」

高層マンションの23階から、外を眺めて女は言った。

窓外から望む港区の高層ビル群や東京湾に掛かるレインボーブリッジは、煩雑な活気にあふれているが、それでいてどこか無機質な静寂を保っている。それらのどこに、彼女は破壊と騒乱の影を感じ取ったのだろうか。

内見の案内をしていた高梨たかなし 春木はるきは顎をかいて唇を噛んだ。

「そう、ですね……まあ怪獣による首都崩壊はもう数十年前から予見はされていますがこの通り、今の今まで一度も起ってはいません」

「でも、可能性はあるんでしょ?」

「可能性の話をすれば、際限がなくなりますが、そんなに心配ですか?」

「心配かって? だってここは日本でしょ? 日本は怪獣大国、ドイツでも有名だわ」

彼女がドイツ人であることを、春木はその時初めて知った。

「たしかに日本は、怪獣災害の数は世界でもトップレベルですが、逆に言えばそれだけ対策が出来ているという事ですよ」

「対策って言ったって、怪獣が出ることに変わりはないんでしょ? いくら建物の耐久度を上げたって怪獣に叩き壊されて、火を吐かれればそれで終わりだわ。それとも、日本の建物は怪獣に踏まれても潰れないってわけ?」


「ただ、シェルターの数や避難経路の確保はかなり高い水準ですし、防災に対する考えも――」

「いい? 私は父と住むの。父の年齢は89。89歳の老人がそんな俊敏に逃げられると思う?」

 春木は苦笑した。

「だから、最初に頼んだでしょ? 怪獣の来ない場所がいいって」

「ですが、この日本にそんな場所は……」

「そもそも、貴方は平気なの?」

「私が、ですか?」

「というか、どうして日本人は平気なの? いつどんな時に怪獣がやって来て死ぬか分からないのよ?」

ビルの谷間から、夕日がオレンジの可視光を東京中に広げる。

街は無感情なまま、そこに佇んでいた。


「そういう感覚って、俺達にはないよなぁ」

帰宅した春木は缶ビールを開け、妻の舞子まいこに問いかけた。

レンジで温め直した夕食を食卓に並べながら、舞子は相槌を打つ。

「いつどんな時に自分が死ぬか分からない、ね」

「言ってることは分かるけど、そこまで心配することか?」

「うーん、たまにこーゆーこと考えたりしない?」

春木は缶ビールを飲み、首を傾げる。

「例えば、高い所とか地下鉄にいる時にさ、今ここで怪獣が現れたらどうしようって想像するの」

「ああー、トンネルとか、逃げ場のないとこにいる時にふと考えたりするかも」

「でもそれって、怖いから、警戒心から考えてる?」

「いや、どちらかと言えば、好奇心に近いかもしれない」

「私たちって、麻痺しちゃってるのかもね。よく言うじゃん。怪獣が現れた時に日本人は動揺しないって」

「麻痺か……」

ビールを片手に春木は夕食をつまむ。不動産業を始めて、10年。今まで様々な物件を紹介してきたが、多くの人が求めるのは、物件の立地や利便性、そして家賃だ。

怪獣が来るかどうか?―― そんなことを念頭に置いて物件を決める人間はまずいない。

「怪獣はいて当たり前だからな」

春木はビールを飲み干すと、不意にリビングに目をやった。

「そういえば、あおは?」

リビングに息子の藍の姿が見えず、春木は尋ねる。

「何時だと思ってんの? もうとっくに寝てるよ」

二本目のビールを手に持ち、寝室をそっと覗く。

息子は布団をかぶったまま、寝息を立てていた。

「お客さんの物件も大事だけど、私たちの家は探してくれてる?」

後ろから舞子が静かに呟く。

「ああ、大丈夫。ちゃんと考えてあるよ……」



つづく



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