第13話 33日目①/人形様の呪い

 三十三日目


 壁には、真希の写真が埋め尽くされている。重複しているものもあるが、お構いなしだ。中でも、海を背景に映っている肌色の多い写真は他より大きいサイズで刷られており、壁の真ん中に目立つように飾られている。


「ま、真希チャン……今、俺があいつになるから……」


 男は、数週間ぶりに出かける支度をしていた。小さめのバックパックに財布と懐中電灯、サバイバルナイフにロープ、水筒を入れる。そして、例のぬいぐるみと木の板も。パソコンモニターには、例の木の板に描かれていた謎の紋章がウィンドウに映し出されている。そして、別のウィンドウには、『臼川神社』という神社のホームページが映っている。


「み、見つけたから、これできっと……俺が……」


 男はボサボサの髪を手櫛で雑に整えて、部屋を出た。


   *


 まだ春だというのに、日差しが暑い。いつも部屋に閉じ篭っている男にとって、堪える暑さだった。都心から二時間ほど離れた集落の田舎道を、のろのろと歩く。雑草だらけの空地をモンシロチョウがふわふわと軽快に飛んでいる。男はそれを死んだ目で睨みつけ、再び前を向いた。

 人一人いない、ひび割れたアスファルトの道路。スマホのバッテリーは六〇パーセント。あまり良くないペースで減っている。男は水分補給がてら立ち止まり、マップアプリを確認した。


「……この辺、のはず」


 水筒に口を付け、グイっと喉にただの水道水を流し込む。カルキの臭いが酷い。こんなことならミネラルウォーターを買っておけばよかったと男は後悔した。

 それでも水筒のお陰で常温に保たれていた水で頭と体が冷え、冷静にマップを見ることができた。確認すると、丁度今休憩していたここから、少し先で細い道に入る必要があることが分かった。

 運動不足で既に痛みがある足で、その道に行く。


「ま、まじか」


 その道はアスファルト舗装されておらず、土道になっていた。幅も二メートルちょっとしかなく、車の轍意外は雑草が道を覆っている。男は顔を歪ませ、虫やカエルがいないか細心の注意を払って歩みを進めた。

 十分ほど歩くと、大きな鳥居が見えてきた。臼川神社と書かれた石の柱も建っている。その手前には、舗装された道が堂々と通っている。男はショートカットできる田舎道を歩かされたようだ。暑い中長時間歩くのと、虫のいる土道を通るのを頭の中で天秤にかけた男は、自分を納得させるようにため息をついて境内に入った。

 白い砂利道がざくざくと音を立てる。男以外に人はおらず、神社の規模の割には閑散としている。男は本殿の臼川神社は完全に無視して、境内の端にある小さな神社に向かった。そ

こには、解説の看板が立っていた。


『一潟神社(ひとがたじんじゃ)

 一七七〇年頃造営。人形の神・人形(ひとがた)様を祀っている。当時は「人形神社」と書いていたが、一九一七年に現在の字に変更された。詳しいいきさつは残されていないが、「人形様の呪い」という逸話が原因ではないかいう説が語り継がれている』


 男は軽くガッツポーズをした。


「こ、ここだ……」


 『人形様の呪い』の話はネット掲示板に載っていたもので、男はその情報を元にこの神社にやってきた。作り話の可能性が高いと思っていたが、一か八かやってきた男は、正解だった。


   *


 人形様の呪い。

 大正初期。人形村の少女は、あるぬいぐるみを拾った。それはおそらく海外製のもので、日本人離れした女の子を模っていた。現代人が見たら、アニメのキャラクターに見えるかもしれない。

 その少女は、ぬいぐるみにすみれと名前を付け、大事にした。寝る時も、食事の時も、遊ぶのも、すみれと一緒。少女はすみれをとても気に入っていた。

 ただ、家族も村民も、そんな少女が気に食わなかった。なぜなら、少女は忌み子として生まれていたからだ。生まれた時から顔に大きな痣があり、十二の歳までにそれが消えなかったら、村に災いをもたらすので追放しなければならない。それは、村の長老の予言だった。長老は博識で、占いにも精通していたので村民は皆、信じた。その予言を話した直後に、長老は死んだので、村の中で予言はより真実味を増していた。

 だから、少女はすみれだけが友達だった。

 少女が楽しそうにしているのが、村民にとって目障りだった。

 ある日。それは少女が十一の歳になった日のこと。村の外からとある家族がやってきた。父、母、娘の三人家族は、五キロメートル離れた隣の村が火事で焼け、逃げてきたという。その娘は、少女とほとんど変わらない年頃で、名前をすみれと言った。

 似ている。

 少女は、菫とすみれが名前だけでなく、外見も似ていると思った。目鼻立ちがはっきりとしており、目や髪の色は違えど、美しさという点ではそっくりだった。少女は思った。

 あの子みたいに、美しくなりたい、と。

 少女は菫と仲良くなりたかった。だが、自分は忌み子。菫という美しい十一歳の少女に話しかけることは愚か、近づくことさえ許されなかった。

 少女は、古くから村にある臼川神社の境内の隅で、毎日すみれに願った。


「あの子みたいになりたい」


「あの子みたいになりたい」


「あの子みたいになりたい」


「あの子みたいになりたい」


「あの子みたいになりたい」


「あの子みたいになりたい」


「あの子みたいになりたい」



「……あの子になりたい」



 少女は、その願いを木の板に彫った。裏には、少女が考えた祈りの印を。

 そして、お守りみたいに大切にしていたすみれの腹を裂き、中に板を詰める。それは少女にとってのおまじないのようなものだった。少女はすみれを四六時中離さなかった。村民には一層気味悪がられ、疎まれた。顔の痣が時折増えることもあった。それでも少女はすみれを離さず、祈った。多くの時間は臼川神社の境内の隅で。

 その祈りは、神様に届いた。

 いや、少女が神様を創り出したと言ってもいいかもしれない。

 それは夜だった。家ではなく納屋で寝ていた少女は、夜中も眠りに落ちるまですみれに祈り続けていた。少女の意識が睡魔に飲み込まれる直前、すみれの腹が赤く光り出す。少女は、分かった。何をどうすればいいのか。だってそれは、少女が創った神だから。

 少女はまず、すみれの顔に手を当て、願った。


「菫の綺麗な顔をください」


 翌日、少女の顔は菫の顔となり、菫の顔は少女の顔となった。菫の家族は、大きな痣ができた忌み子の顔になった娘を見て、絶叫し、咽び泣き、暴れた。


「菫の美しい髪をください」


 翌日、少女の髪は艶のかかった美しい黒髪に。菫の髪は脂と土に汚れた髪に変わった。村民は菫を忌み子とみなし、少女を村へと受け入れた。菫の家族は少女を傷つけようとしたが、村民が許さなかった。


「菫の細い脚をください」


「菫の白い腕をください」


「菫の膨らんだ胸をください」


「菫の滑らかな腹をください」


 いつしか、菫と少女は完全に入れ替わっていた。少女は菫の体を乗っ取り、幸せに暮らす。菫は少女の体を押し付けられ、忌み子として村を追放される。

 願いを叶えた少女は、すみれに感謝の言葉をかけ、次は自分が標的にならぬよう、臼川神社の境内の隅に、木箱に入れて埋めた。村民は、少女のぬいぐるみ、つまり人形がすべてをやったのだと察していた。だから、少女が老衰で死んだあと、そこに鳥居を立て、「人形神社」として祀った。二度と菫のような女の子が現れないように。

 そして、その言い伝えがやがて風化し、昔話となったころ。「人形神社」が「一潟神社」になったころ、少女が埋めたすみれが何者かに盗まれた。

 現在、それがどこにあるのかは謎のままである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る