4,全ては体の不調
「アドウェル‼ よかった、何故だか急に泣き出してしまって……!」
「泣いている?」
「泣いていません」
「あれっ⁉」
怖いので涙もすっこみました。
すげぇや、足がガクガクしてる。
アドウェル・パッド・バーミンガム。何という男だ、対峙するだけでとんでもないオーラを放っている。……私が小物なだけかもしれないけど。
「ほ、ほら! アドウェルはアイリスに用があるんじゃなかったの?」
「ああ、そうだった。中へ」
少し扉を大きく開けられ、人一人通れるくらいの空き間が出来た。
中は書類の山、山、山……団長職って凄いなぁ。
「アイリス、意識戻して!」
「はっ⁉」
「あまり時間は取らせない」
ああ、さっさとクビ宣告して自由の身にしてくれるというのですね……。
もうどうにでもなれ、さらばだ心の親友、ウィル。
壊れかけたブリキの人形如く、関節をギシギシ言わせながら開いた魔の洞窟へ自ら足を踏み入れた。
「急に呼び出してすまないな」
「イエ」
通された部屋は、それはそれはとても凄かった。
入った瞬間に視界いっぱいに入った書類の山も凄いけど、なにより調度品が凄い。
足音を全て吸収するビロードの絨毯も、あれ宝石じゃね? というくらい輝くシャンデリアも、猫足のソファーも。窓枠だってよく見れば細かい模様が刻まれている。あの掛け時計どうなってんの? 人の手で作ることが出来るのかっていうくらい精巧で複雑な造りだ。あ、このランプ、壊したら私の給料が全部吹っ飛ぶだろうな。
と、まあ現実逃避は続いていたのだが。
「まあこれでも飲んで落ち着いてくれ」
「アリガトウゴザイマス」
そうですよね、許されませんよね!
差し出された紅茶の香り高いことよ。私なんて井戸水で結構です。
「忙しいときにすまない」
「トンデモゴザイマセン」
「ここまで来るのに遠かっただろう」
「トンデモゴザイマセン」
「……アドウェル、ダメだ。完全に固まってるよ」
多分今なら殴られても痛覚が鈍って痛みを感じないだろう。
私はそれほど緊張していた。
「……そうか。ならさっさと要件を済ませてしまおう」
来た。
断罪される時ってこんな気持ちなのかな。
膝の上で手を固く握り、視線を落とす。
「アイリス・クラーク。この書類にサインをしてくれ」
「………………できません」
蚊の鳴くような声だった。
上官に逆らう以前に、クビを拒否するなんてなんと烏滸がましいことだろうか。
しかし、断る理由がある。
「だがこちらにも都合がある。ただ名前を書いてくれればいい」
「バーミンガム団長、確かに私は知人の伝手を頼りに王立騎士団へ入団しました」
本来であれば厳しい試験を受けて何人もの試験管と面接を繰り返しながら入団する。
それを私はチョコッと強いコネを持っていたから、免除して入れて貰ったのだ。
だが、そんな私でも離れたくない存在が出来てしまった。
「私がこの団にとってお荷物なのは承知の上! ですが、どうしてもこの王立騎士団に、陸上軍団に残りたいんです! それでも私をクビにするというのなら……! せめて厩舎清掃員として雇って貰えませんか⁉」
……ん? これが一番良いんじゃない?
勢いで言っておいてなんだが、一番良いじゃん!
そしてらキツい訓練しなくて済むし、ウィルや他の馬たちとずっと一緒にいられるし……我ながら天才‼ むしろそうしてくれ‼
期待の籠もった目で団長を見上げると、翡翠の麗しき瞳に射貫かれた。うん、怖い。
「何を勘違いしているかはわからないが、俺は君をクビにするつもりはない」
「…………え?」
な、なんだって……?
じゃあなんで私をここに……?
混乱する私の前に、副団長がお菓子を置いた。
「僕も聞いてなかったけど、その書類なに?」
「重要な書類だ。あとはアイリスの名前だけ記入すれば成立する」
借用書、なんてあり得ないか。
団長はかの有名なバーミンガム公爵の第二子に当たるお方。田舎出身のちっぽけ男爵令嬢にお金をたかるなんてあり得ない。
「(とりあえず、クビじゃない……!)」
ッシャ‼ これでウィルと離れなくて済む‼
差し出されたペンを受け取ると、「ここだ」と指さされた欄に書き慣れた自分の名前を記入する。隣に団長の名前が記入してあったのが少し気になったが、まあいいっしょ!
安堵と重度の緊張感から解放された私はそれを〝何の書類〟かも確認せず、力強く名前を書ききった。
「ありがとう。これで提出すれば完了だ」
「いいえ、では私はこれで……」
「ああ。荷物をまとめておいてくれ」
「荷物? 何でですか?」
副団長が団長の持っていた書類を後ろから覗き込んだ。
すると、ヒルに血でも吸われたのかと心配するほど顔色が青ざめていく。
「おま、これ……‼」
「なんだ」
「アイリスに説明してないだろ⁉」
「説明したら絶対逃げられるとアドバイスを受けたからな」
「だからといって‼」
「(な、なんなの……)」
こんなところで喧嘩しないで欲しい。私はこれからウィルのところへ行くんだから!
ここからは団長と副団長の話だろう。そう思って腰を上げると、先ほどの書類が団長の手から離れて私の足下に落ちた。
「(結局なんの書類だったんだろう)」
「「あっ――」」
団長と副団長の声が重なった。
しかし声より私の視線の方が早かった。
うん、さっき私が書いた自分の名前だ。隣はやはり団長の名前。
そして……え? なんで私の実家の住所が書いてあるんだ? 不安になって視線を書類の上にずらすと。
「……婚姻届?」
とうとう目も可笑しくなったようだ。
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