第7話 アンシニカの瞳2



 名前も知らない盗人の女。

 じつのところ、ワレスは彼女が嘘をついていると知っていた。


 なぜなら、彼女が実家の所蔵品だったと言ったあのブローチは、ル・ギラン男爵家の家紋だ。少し前、十二騎士の家系の一つを乗っ取ろうとした罪で処刑されたのが、ル・ギラン男爵だ。皇都では一時期、その話題で持ちきりになった。男爵の似顔絵や家紋入りのふれがきが街をにぎわせたものだ。


 だから、あのブローチを見たとき、ひとめでル・ギラン男爵家のものだとわかった。だが、パッと見ただけでは、ヴィナの実と葉をデザイン化した装飾品にしか思えない。だから、あの女は家紋だと気づかなかったのかもしれない。


 処刑されたル・ギラン男爵には妹がいたはずだが、兄の件以来、どこか田舎の修道院へ行ったと聞いた。皇都になどいるはずがない。


 つまり、あの女は嘘をついて、あの場をごまかそうとしただけだ。もしかしたら、さっきの手口で何人もの男をだまし、宝石を買わせているのかもしれない。


 だから、馬に乗って裏通りを通ったとき、さっきの女がいかにも柄の悪い男と笑いあっているのを見ても、さほど腹は立たなかった。ああ、やはりねと思っただけだ。ワレスにとっては盗みの共犯にされなければそれでよかったので、無視して通りすぎていく。

 だが、きっと、「ごらんよ。これ、バカな男をだまして買わせてやったよ」なんてことくらいは言ってるに違いない。


 だが、それからほんの数日後だ。思いがけない場所で女と再会したときには、心からおどろいた。何しろ、女は貴族の夜会で、それも、伯爵夫人として現れたのだ。

 ワレスもおどろいたが、あっちもおどろいて、バツの悪そうな顔をする。


「こちら、ル・ヴェドール伯爵夫人アンシニカよ」と、ジョスリーヌから紹介されたときの気まずさときたら。


 ジョスリーヌが友達と話しに行ったすきに、ワレスはアンシニカに話しかけた。


「まさか、伯爵夫人だったとはね。てっきり、生活に困った街の性悪女だと思った」


 アンシニカは深々とため息をついた。


「ブローチはいずれ、お返しするわ。でも、もうしばらく待ってほしいの」

「あれはあなたにあげたものだ。別に返せとは言わない。ただ——わかるだろう? 伯爵夫人がなぜ、たった金貨十枚のブローチを買う金がなかったのか、それが疑問なだけだ」

「わたしは自分のお金を持ってないのよ。稼ごうにも、ずっと監視されているし」

「……」


 どうも深い事情がありそうだ。後難をさけるなら、ここで「あ、そう。じゃあ、これで」と言って離れていくべきだ。金のない貴婦人なんて、ワレスの商売相手になり得ない。


 だが、わかっているのに、口が勝手に動いている。しいて言えば、彼女の瞳が悲しげだったから。


「監視されてるって、誰に?」


 ああ……かかわってしまった。絶対、めんどうなことになる。


 アンシニカはチラリとワレスを上目づかいに見ると、低くささやいた。


「夫によ」


 そして、彼女がかえりみるほうを流し見る。

 やせぎすな黒髪、あご髭の男が立っている。五十代なかばだろう。アンシニカより十五か、それ以上は年上だ。


「なるほど。こっちを見たな。あなたが浮気しないか心配なんだろう?」

「浮気してるのは夫のほうよ。わたしはお金で買われた妻だから、それでも誰かにとられるのが惜しいんでしょうね。ケチなあの人らしい考えだわ」

「金で買われたとは?」

「あの人が見てるわ。あとで行くから、つきあたりの客間で待ってらして」


 アンシニカはこの館の間取りをよく知っているようだ。

 言われたとおり、飲み物をとりにいくふりをして別れ、そのまま廊下へ出た。


 アンシニカは妙な貴婦人だ。金で買われたと言ったり、高級宝石店で商品を盗もうとしたり、そういえば、宝石店の裏で話していたあの男は誰だろう?


 アンシニカはかなりワレスを待たせたあと、ようやくやってきた。


「ごめんなさい。夫がしつこくて」

「そんな調子で、よく先日は宝石店に来れたな」

「あのときは夫が愛人の宅へ行っていたから」

「そもそも、なんで、あのブローチが必要なんだ? あれは処刑されたル・ギラン男爵家の家紋をかたどったブローチだぞ」


 アンシニカは苦笑する。

「わたしは庶民なのよ。生まれつきの貴族じゃない。だから、家紋なんてよく知らない。母がまもなく亡くなるの。だから、あのブローチを見せてあげたくて」

「他人のうちのブローチを?」

「母は年のせいで頭がぼんやりしてるから、なんでもいいのよ。昔からずっと、『おまえはお屋敷の旦那さまの隠し子だよ。あのかたにもらったブローチさえあれば』というのが口癖でね」


 聞けば、アンシニカの母は若いころ、ある貴族の屋敷で小間使いをしていたのだという。アンシニカはそのときに授かった子どもで、旦那さまから認知の印にブローチをもらった。だが、その大切なブローチを盗まれてしまったのだと。


「あのブローチが見つかったと言えば、母も安堵して逝けるでしょうから」

「なるほど」

「それで、あなたにお願いがあるの」


 ほら、めんどうなことになった。


「夫に見張られていて、なかなか屋敷をぬけだせないの。母のいる修道院に、わたしをつれていってくれない?」

「……」


 ワレスにとってはなんのメリットもない。ふだんなら断るところだ。

 だが、なんとなく興味があった。謎が多すぎる。

 女の言葉が嘘なのか、ほんとなのか。真実をたしかめたい。

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