第6話 廃墟の恋人4
美女はロズリーヌと名乗った。
「ワレスはパーティーに招かれたお客さまなの?」
「まあ、そんなところかな」
「お父さまが今夜、わたしの婚約者を決めるとおっしゃるの」
「あなたに求婚しているのは、誰々だったっけ?」
「ル・イダ伯爵令息、ル・マルセイ子爵令息。それに、ル・トーバ男爵よ」
たしか、リュックが話していた言い伝えの令嬢の求婚者も伯爵令息、子爵令息、若い男爵だったはずだ。設定をちゃんと守っている。しかし、パーティーというには邸内が静かすぎる。
「客が見あたらないが」
「パーティーは夜からだもの」
「もう夜のはずだが?」
「まだ日は暮れていないはずよ。でも、今日は天気が悪いわね。こんな日に婚約発表だなんて、なんだか不吉だわ」
なるほど。窓を見ると雪が降っていた。
「あなたはさっき、アルベリクを探していたね? それはあなたの恋人かな?」
令嬢は微笑した。
「アルベリクはわたしの大切な猫よ」
「じゃあ、おれを猫とまちがえたのか?」
「ごめんなさい。音がしたから、てっきりアルベリクだと」
ワレスは令嬢の手をにぎる。
「なら、探さないと」
「えっ?」
「大切な猫なんだろう?」
「ええ」
二人で猫を探した。
いつのまにか、薄曇りの夕方のように、邸内はいくらか明るくなっていた。さっきまで夜だったのに、リュックたち、そうとう舞台効果に力を入れている。
「なかなか見つからないな」
「アルベリクは人見知りの激しい子だから、集まってきたお客さまを見て、どこかへ隠れてしまったんだわ」
「どんな猫?」
「黒猫よ。瞳は片方が金色。片方はグリーン。鈴を通した赤いリボンを首にむすんでいるの」
「なら、近づけば鈴の音がするはずだ」
猫を探して、屋敷をさまよう。屋根裏や、地下室、客室の一つ一つまで。貴族の邸宅にしては、こぢんまりしているので、さほど時間はかからない。
「疲れたろう? 少し休もう」
客室のベッドによこたわる。心地よい花の香りがした。が、調度品はわりと質素だ。ロズリーヌの家は贅沢ができるほど金持ちではないらしい。
「ああ、わたしも猫になって消えてしまいたいわ。そうしたら、今夜をやりすごせるのに」
「ロズリーヌは結婚したくないの?」
「うちは貧乏でしょ? だから、わたしがお金持ちと結婚しないと、もう暮らしていけないのよ」
これほど美しく生まれたのに、生活のために身を売らねばならない。貴族に生まれても、誰もが幸福なわけではない。
「求婚者たちを好きではない?」
「ル・イダ伯爵令息は退屈だし、マルセイ子爵令息は乱暴なウワサしか聞かないわ。男爵はお金儲けの話しかしない、がめつい人よ」
「最悪だね」
「でしょ?」
窓の外をながめるロズリーヌの目は涙ぐんでいる。
ワレスはそっと彼女の肩を抱きよせた。
「猫を探す? それとも、恋をする?」
真顔でワレスを見つめたあと、ロズリーヌは微笑する。
「あなたとなら、恋をするわ」
パーティーが始まるまでの、あわただしいが濃密なひととき。
純白のシーツに赤い花を咲かせて、初めての恋を堪能したロズリーヌは、ワレスの腕のなかで涙を流した。
「これで思い残すことはないわ」
「また来るよ。あなたがさみしいなら」
「いいえ。いいの。アルベリクが待ってるから、行かなくちゃ」
「ロズリーヌ?」
なんだか急速に眠くなり、視界がゆらぐ。
ワレスはいつしか寝入っていた。
夢を見た。夢のなかでは、ロズリーヌが塔にのぼっていた。屋敷の裏手にある古い時計塔だ。塔のてっぺんで、ロズリーヌは窓をあけはなち、小さな長椅子によこたわる。窓から雪が吹きこみ、やがて彼女を白く染めていく……。
塔の上から鈴の音がするので、家人が行ってみたときには、もうロズリーヌは冷たくなっていた。病弱な彼女の心臓は、あっけなく止まってしまったのだ。
(ロズリーヌ……)
——戻ってこいよ。そこは寒いだろう?
——あなたが来てくれたから、いいの。
目がさめると、ロズリーヌはいなくなっていた。ベッドにはワレス一人。まだ夜中だ。もとのように月光が青白くさしこんでいた。
階下で人のさわぐ声がする。
ワレスは服を着て、そこまで歩いていった。リュックとレノワがさわいでいる。
「だから、おまえをだますつもりなんかなかったって」
「じゃあ、なんで、おれの前にとびだしてきたんだよ」
「まちがえたんだよ。てか、ひとりぼっちなんだぞ? 怖いじゃないか」
「あんたが自分で仕掛けたんだろ?」
「そうだけど!」
ワレスは階段をおりて、二人の前に近づいていく。
「リュック。やっぱり、おまえのイタズラか。だと思ったよ。仕掛けておいて、自分が一番怖がれるなんて、幸せなヤツだな」
「く、クソ。おまえのそういうとこが嫌いなんだ。見てろ。いつか、ギッタギタにしてやるからな」
「言っとくが、おれがおまえに泣いて謝るなんて、一生ないと思うぞ?」
「うぐぅ……」
「おとなしく、おれの顔だけながめてろよ」
クスクス笑いながら、あごの下をなでてやると、猫みたいにおとなしくなった。
「さてと、じゃあ帰るか」
ワレスが言うと、リュックたちは黙って歩きだそうとする。
「待てよ。ロズリーヌもいっしょにつれて帰ろう。一人で残していくなんてかわいそうだ」
「誰だよ? それ」
「何言ってるんだ。おまえが仕込んだ役者だろ? 幽霊のふりして廃墟で待たせるなんて、おまえもヒドイやつだな」
「……」
黙りこんだリュックの顔つきが、なんだか、ただごとではない。
「……なんだよ?」
ゴクンとツバを飲み、リュックはふるえる声で言う。
「おれの用意した役者って、なんのことだ?」
「だから、おれをおどろかそうとして仕掛けてたんだろ? あんな美人、劇団にいなかった気がするんだが、新人か?」
すると、リュックが虚空にむかって手招きする。階段の下から現れたのは、カツラをかぶったサヴリナだ。なるほど。途中で消えたのは、そのせいだったらしい。オバケ役として再登場するつもりだったのだ。
ワレスは首をふる。
「ロズリーヌだよ。銀髪に水色の瞳の、ものすごい美女」
「そ、そんなの……おれは知らない」
嘘をついている顔ではない。
しばらく目を見かわしたのち、リュックたち三人は悲鳴をあげて玄関へ走っていった。
そのとき、ワレスの背後で、チリンと鈴の音がした。ふりかえっても、そこには誰もいなかったが……。
認めたくないが、ワレスは本物の令嬢に会っていたのかもしれない。
「……さよなら。ロズリーヌ。君のこと、忘れない」
暗闇で微笑む人の気配を感じたような気がした。
そのあと、ワレスは何度か、クルスミ畑にかこまれた屋敷を一人でおとずれた。だが、ロズリーヌには二度と会えなかった。
意に染まぬ婚姻に絶望して、清らかなまま天に召された乙女。
きっと、ワレスとのひとときの恋に満足して、旅立っていったのだろう。
了
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