第6話


 死神しにがみ。死ぬ前の人間の所にあらわれるとはよく言うが、ただ魂を回収しに行く訳ではない。死ぬ幾日いくにちか前に人間界へ降り、その人間を観察し、天国へ行くべきか地獄に行くべきかを判断する。

 俺が初めて見たトキは、もう全てを闇にとらわれていた。

 死ぬ前の人間の心は、嫌でも見えてしまう。死神とは、そういう風に出来てる。

 上辺うわべだけにまどわされず、正常な判断をするために。

 トキは虚空を見つめていた。力を放出しながら、感情の見えない瞳。だがその心の声は、テヌートにはしっかりと届いていた。


 ーーーーい、や……だ。…………嫌だ…………ッ!


「分身は、例えその時人間でも、人間とは異なる存在で、魔王様にはおとるが、それに近い能力が使えた。そしてそれは、一度発現すると、もう止められない。そして分身は、その力を発動すると、……死ぬ」


『ーーーーーー』


 トキは、血臭にまみれた部屋に立ち尽くして、がらのようにそれを見ていた。

 感情のない人形のごとく、倒れた人間を見つめていた。

 そこに居たのは、自分を育てていた、ーーーー人間。


『ーーーー……、っ』


 それに気付いた時、彼の瞳に一瞬だけ人間らしい光が宿やどる。瞳を震わせ、今までの彼では見せた事もないような、今にも泣きそうな表情でそれを見つめると、ぐしゃりと顔をゆがませた。


『…………ぼく、は……っ』


 そして、力を使い果たしたトキは、そのまま倒れ、生きえた。

 魔王に利用され、自分の意思とは関係なく命を奪われる。そんな人間はこの世の中には山ほどいる。……彼女も、その一人だった。

 トキは魔王に近い分、その呪縛から逃れる事はほぼ不可能だった。


「ーーーー俺は、あいつも助けたい。だから、トキを連れて、ここへ来た」


 そこで、テヌートは芽依めいに顔を向けた。


「お前なら、トキの心のおりを、解いてくれるんじゃないかと、思ったんだ」

「…………わたし、が……?」


 テヌートは頷く。


「百年も変わらなかったんだ。だから、十年で変わるとも思ってない。でもあいつに、光を見せてやれるのはお前しかいないと、俺は思う。だから、あいつに、お前の知る光を、教えてやってほしい」


 芽依にはテヌートの正確な意図は分からない。

 だから、素直に自分の意見を吐露とろしてみた。


「……私、トキくんに感情がないなんて、思ったこと、ないよ」


 躊躇ためらいがちに呟く彼女に、テヌートは不意ふいかれた顔をした後、そうだなと笑った。

 そして今度は、先程よりも強い力で芽依の頭をぐりぐりと掻き回す。


「よしよし、お前はそれで良い。……腹減ったし、飯にしよーぜ。今日はいつもより多めで頼むな、めーい!」


 あまりにもぐりぐりされるので、子供扱いされていると感じた芽依は、一瞬ムカッとした顔をとると、テヌートの手を振り払った。


「……もう」


 ため息をつき、立ち上がる。どこからも上から目線のテヌートを見上げ、ぷいっと顔を背けると、部屋の奥へと入っていく。


忠文ただふみの分もあるんだから、大盛りにはしません。大人しく待っててよー」

「はいはい」


 乱暴らんぼうな返事をしてその場から去ると、テヌートはふすまに寄りかかって空をあおぐ。

 夜空に輝く満点の星空は、あの時からちっとも変わらない。


「ーーーー……姫」


 瞼の奥が震える。

 目をつむれば、目の前に浮かぶ笑顔がある。

 同時に。その笑顔が曇り、血を流して苦しげに倒れていた姿が頭から離れない。

 最期さいごに掴んだ手はあまりにも冷たくて。

 顔をぐしゃりと歪める俺を安心させるように、彼女は無理に笑顔を作った。

 重たそうな唇を開き、息もえで何事か呟く。

 テヌートがそれを聞いて瞠目どうもくする。瞳から涙がこぼれ落ちた。

 彼女は、更に笑みを深くする。



『ーーーーね。……約束、……だ、よ…………』


 言い終わると同時に、するりと手がすべり落ちる。


『……………………っ』


 もはや、言葉にならなかった。

 純粋な心を持ち、ひたすら無垢むくに、国の為に聖女として生きてきた彼女。

 その彼女に対する、"死"という残虐ざんぎゃくな仕打ち。

 ーーーーゆるせるはずがなかった。

 彼女は、その運命すら、赦していたけれど……、俺は、どうしても、赦せなかった。

 だから、自身の剣をさやから引き抜き、憤怒ふんぬに満ちた眼をぎらつかせ、王宮に向かうと。

 そこにいた兵士達を、一晩ひとばんで皆殺しにしたーーーー。


 ……あれから二千年余り。

 地獄に落ちてからも、にくしみとうらみだけは消せずに生きてきた俺の前に、彼女の魂を受け継ぐ少女が、この世に生を持って産まれてきた。


 ーーーーテヌート、こっち!


 死神の任務を他に任せて地上に降り、彼女の様子を見に行ったのは、芽依が三つの時。

 彼とは全く違う、活発で無鉄砲むてっぽうな少女。

 ……初めは、彼女の生まれ変わりがどんな人間なのか、見てみたかっただけだった。

 でも、芽依の中に彼女と同じものを感じた瞬間、彼はこの子の為に生きようって決めた。

 そしてその時、彼女とは真逆の魂を持つトキに出会っていたのも、決して偶然なんかじゃない。

 だからーーーー。

 瞼を上げると、空には一面の星空が広がっていた。テヌートの金色の瞳が、揺るがぬ眼光がんこうを放つ。


「…………俺は、あいつらを、死んでも守り抜く。絶対に死なせない」


 ーーーー姫。

 これが、俺の答えだよ。






 しずまりかえった夜の聖宮。

 バランスの悪いその屋根に、膝をななめにして上品に単座たんざする影が一つ。

 その横に、黒い獣が出現し、影に寄り添った。

 影は獣を一撫ひとなでして、うっそりと笑う。


「……えぇ。分かっているわ。ここ、よね……」


 それに呼応こおうするようにぐるると小さく鳴くと、獣は女に顔をすり寄せる。

 彼女は獣をでながら、片方の手でパチンと指を鳴らした。

 すると、渦巻うずまき状の空間が現れ、中から小さい魂が飛び出す。手のひらほどのそれは、よく見ると人の形をしており、真っ黒な羽や、すらりと長い尻尾しっぽも生えていた。


「ーーーー明日、私の計画が始まったら、お前達もお行きなさい。あの屋敷に居るものは全員、殺してかまわないわ」


 女がそうげると、人の形をした生物は、キーキーという超音波のような金切かなきり声を上げ、口角こうかくり上げる。歓喜かんきに震え、何度かちゅうで回転すると、地中へと消える。それに付き従うように、次々に現れた獣達も地中へもぐっていった。


「…………お楽しみはこれから、よね。ーーーー貴方の一番大切な人を、貴方の目の前で殺してあげる」


 女は、顔を隠していたフードとローブをはずして宙へほうると、北西に見える屋敷を見つめた。

 月に照らされたその表情は、たのしげに微笑ほほえんでいたーーーー。

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