第12話 身削る戦いに、あなたを思う



「じゃあ最後に、君たちがこの学校に入ろうと思った理由を教えてもらおうか」



 評定戦の前日。最後の訓練を終えた海和たちに、明星がそう言った。



「理由?」


「ああ。ここは国連軍の特殊士官学校、能力者の兵士を育成する学校だ。となれば君たちは、将来は特殊士官になりたいわけだろう?」


「うん、まあ」



 藪から棒に何を言い出すかと思えば――そう思いながら海和は明星の言葉を肯定する。



「何故君たちは特殊士官になろうと思ったのか気になってね。ま、特に深い理由はないんだけど……」


「私は、『せっかく戦える力があるんなら行っとけ』っておじいちゃんが言ってたからかなぁ。啓君は?」


「俺は、それが最も合理的な選択肢だと思ったからだ。能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。超能力を得て生まれて来た俺が最もすべきことは、それを使って世界に貢献する事だろう」


「へー、実に君らしい意見だ。海和はどうなんだ?」


「僕は……」



 そう問われ、海和の脳裏に思い浮かんだのはそれを決意した時のことだった。五年前の――海和の世界の全てを変えた、あの時に。



「――……僕は故郷のことを知らない。いや、覚えてないといった方がいいかな。十年近く過ごしたその村で、僕が知っているのはその最後の景色だけ。一面が瓦礫になった村の残骸と、その上に浮かぶ大量の白い影」


「それって……」


「うん。医者が言うには心的ストレスによる解離性健忘――記憶喪失だって。五年前、僕の住んでいた村に天使の襲撃があって、それで記憶を失ったって」



 その村は田舎にあって、近くに国連軍の基地がなかった。すぐに救援が来るはずもなく、そして比較的大規模な群体の顕現であったことも災いして集落は全滅だったらしい。

 海和は家族の記憶がない。だからそれを聞かされた後も、悲しむことすらできなかった。



「瓦礫をかき分けて外に出たら、空に天使が浮かんでいて――自分が誰だったかすら思い出せなかったのに、それが何か恐ろしいものだって理解できた。あちこちから上がる火の手に、夕焼けの赤い空。もうダメだと思ったその時――だけど救いの手が現れた」



 それは一筋の光だった。天使たちの大群にさっと何かが走ったかと思うと――次の瞬間に連鎖的な爆発が起こり、天使が慌てたように群れをつくって追いかけ始めた。その後はもう覚えていない。気が付いたら空に浮かぶ大群は消え去り、一人の能力者が海和の前に降り立った。



「彼女は一人だった。多分、正規の特殊兵なんじゃなくて、たまたま通りかかった能力者とか、そう言う感じなんだったと思う。何故だか顔も名前も思い出せないけど、彼女は僕を見て――『なんで泣いてるの?』って言ったんだ」



 それは客観的におかしな質問のように思えた。村が破壊され、村人が死んでいるのだ。その中で子供が一人泣いていて、「なんで?」なんて聞くのはおかしい。

だけど――海和はそこで初めて、自分が泣いていることを知った。自分自身ですら気づくことのできなかった涙。そうして何故自分が泣いているのかを考えて――一言、「悔しい」と掠れるような声で言ったのだ。



「悔しかったんだ。力のないものが、理不尽に蹂躙されていくそのさまが。そしたら彼女は、確かにこう言った。『だったら君が変えればいい。君が今手にしたその力で』って。そう言われて僕は――超能力を手に入れたんだ」


「……?」


「ああいや――……多分、そこで初めて自分自身の力に気付いた、とかそんな感じだと思う」



 明星が怪訝にそう尋ねてきて、海和は訂正した。

 何せその前後の記憶がないのだ。きっと彼女にそう言われて、海和は全身を包むその力に気が付いた。普通の人間ではありえない、超人化の能力に。



「その時気付いた力は万能感にあふれていて――その時僕は、この力は人々を守るために使うためにあるんだ、って思ったんだ。それが、僕がこの学校を目指した理由だね」



 そう言って海和の独白が終わった後も、三人はしばらく口をつぐんだままだった。語られたその過去の壮絶さに、どう言葉を発すればよいか分からなかったのだ。

 しばらくして、柊がぽつりとつぶやくように口を開いた。



「――だったら、負けられないね」


「え?」


「そんなに立派な夢があるんだったら、こんなところで負けてられない。茨木君も辰巳君もぶっ飛ばして――次にその人に会ったときに、強くなったって言えるようにならないとね」



 柊が拳を突き出して、珍しく真面目なトーンでそう言った。海和はその雰囲気に驚くと、すぐに「うん」と肯定して、



「……そうだね。彼女はきっと国連軍の人だから――僕がこの学校を卒業したときに、一人前になれているように」



 ――明日は何としても、茨木に勝たなければならない。





 ――そして今。

 明星が唐突に言い出したあれは、あの時はただの士気高揚のためだと思っていた。だけど今になって思えば、この時のために言ったのだとわかる。

 作戦の最終局面。最後の最後になって躊躇してしまわないように、強い信念を思い起こさせたのだ。



「――……茨木。お前が特殊士官を目指した理由って何?」


「あ?」



 もうほとんど死んでいる左足をかばいながら立ち上がり、海和は店の前で待ち構える茨木にそう質問した。

茨木は脈絡のない質問に首を傾げ、しかし苦し紛れの時間稼ぎだと考えたのか「フン、何を言うかと思えば――」と鼻で笑う。



「――そんなもの、俺がからに決まってるだろ?」


「選ばれた?」


「ああ。非能力者とは比べ物にならねぇほどの身体能力、既存物理では説明できない世界を捻じ曲げる力――凡百ではいくら望んでも手に入れられねぇ力を、俺は与えられたんだ!!生まれながらの才能――これを選ばれたと言わず何と言える!?非能力者や――てめぇみたいな弱くて意気地のねぇ奴とは違えんだよ!!」


「なるほど、ね……」


 ――これで合点がいった。海和は茨木の返答を聞き、そう思う。

 半年前に茨木に負けてから、事あるごとに海和は茨木にいちゃもんをつけられていた。別に茨木に何かをしたわけでもないのに何故――その疑問に対する答えが、今得られた。



「自分は弱い奴とは違う、ね。辰巳に勝てないくせによく言うよ」


「――あぁ!?」


「辰巳に勝てないからって僕に当たるなよ。僕にいくら勝ったって、辰巳より強くなれるわけじゃないのに」



結局のところ、茨木も海和と同じだったのだ。半年前に辰巳に負けて、そして自信を失っていた。自分は特別だと思っていた――その思いあがった鼻がへし折られ、そしてその鬱憤が自分よりも弱いものに向かっていた。

 弱い者いじめをすることで、自分は弱者ではないと思い込むために。



「……なんか負ける気がしないな。結局お前は逃げただけじゃないか」


「――はぁ!?何言ってんだてめぇは!わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇ!」



 逃げたものに、挑むものが負けるわけがない。ボロボロでもう戦う事すらままならない体であっても、海和の心の中にそんな考えが芽吹く。

 怖さはあった。だけどそれ以上に、勝ちたいという思いと勝てるという思いが海和の体を突き動かした。



「――もういい!おしゃべりはもう十分――さっさとかかってこいや!!」


「――……言われなくても!!」



 まずは――右足。海和はケガをしていないほうの右足から、茨木めがけて突進して行く。そして次に――左足。

 踏み出した瞬間、茨木の棘に貫かれた穴をふさぐ強化繊維が何かに押し出される感覚があり――全身を貫くような激痛が走った。出血とそれに伴う体組織の圧縮。常人であれば転げ曲がるほどの激痛を――しかし海和は関係ないとさらに強く、大地を踏みしめる。



「ッ――!!!!!」


「はぁ!?」



 さらなる加速。けがの状態を鑑みれば本来ありえない左足の踏み込みからの加速に、茨木の顔は驚愕に染まる。

当たり前だ。構えていたとはいえ、左足からの加速は茨木の想定外。完全に虚を突かれた形である。しかし――



「この――ビビらせんじゃねぇ!!」


(……やっぱりダメか)



 海和が踏み込みから首を狙おうと構えを取った時――茨木はもうすでに、迎撃態勢を整えていた。

原因は左足の怪我。痛みを我慢したとはいえ、大きな傷を負った左足では元と同じような速度は出せない。左足は使われることがないだろうという茨木の思考の虚を突いたとしても、パフォーマンスは覆すことができなかった。



「ハッ、残念だったなぁ。じゃあ――終わりだ」



 首を狙った海和の右手は茨木に届かず、返す刀で茨木が棘化した右手を振りかぶる。踏み込んだ体勢の海和には避けることもできず――左手の指を変化させた茨木の五本の棘が、海和の肉を貫いた。

 左肩――倒れこんでいた海和の体勢もあって、それは即死するほどの傷ではなかった。しかしこれで勝敗が決してしまうような、海和の運動能力を削ぐことのできるほどの攻撃でもあった。

メキッ!と硬いものが擦れるような音が体の中から聞こえて来た。骨が外れたか折れたか――その音は手を伝って茨木にも感じ取れたようで、茨木が眉を顰めた。

それほどの傷。そんな中にあってしかし海和は――



(――クッソ、痛ぁ!!!だけど……――躊躇したな、茨木!!!)



 茨木のその様子を見て、予想通りだと、心の中でそう吠える。


 苛立っただろう。自身の心を見透かすような一言に。

 驚愕して、そして安堵しただろう。自身の読みにはなかった左足の踏み込みに、そしてそれが取るに足らない一手であったことに。

 だから納得しただろう。海和修樹はこの程度なのだと。あの一言は間違いであったのだと。

 そして、躊躇しただろう。この戦いが始まって初めて――自分の神経が通う手足でもって、他人の肉を切り裂いた感覚に。


 全て作戦通りだ。揺さぶり、弱みを見せ、油断させ、隙を見つける。

 これで対等。だから右手が届かぬあと一歩は、気力で押し込む!!!



「――ッ、なっ」



 歯を食いしばって一歩前に踏み出した海和に――茨木の顔は驚愕に染まった。

 ブチブチッ!!と左肩から嫌な音がしたが、海和は気にしなかった。左手なんてくれてやる。能力で勝る茨木相手に元から五体満足で勝てるとは思っていない。だから――この身が裂けるような激痛も、くっついているんだかちぎれているんだか分からない左手の感覚も大丈夫。

 ただ一歩前に踏み出す。そうすれば――一歩近づける。いつか僕を救ってくれたあなたに。



「――ぁぁぁあああああああッ!!!!」


「クソ――海和ぁ!!!」



 躊躇はなかった。海和の右手が茨木の首に届き――次の瞬間。


 海和の人差し指が、茨木の喉元を掻っ切った。



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