ある日、僕らの落ちこぼれクラスに『世界最強』がやってきた

動物園と海

プロローグ

「あ゛ーーー!!!仕事辞めたい!!」


「ダメです」



 ニューヨーク、国連安保庁本部ビルのとある一室。

 タブレットを投げ捨ててそう叫んだ男に、秘書然とした女が冷たく言い放つ。男の投げたタブレットがガン、と音を立てて床に転がった。



「えー、ひどくない?蓮月はづき。俺もう100年ぐらい働きづめなんだけど。一日も休みなしで」


「せいぜい70年ぐらいでしょう?」


「四捨五入すれば100」


「……長生きしてるくせに、小学生みたいなこと言わないでくださいよ。……ところで――」



 蓮月と呼ばれた女性は、放り投げられてひしゃげたタブレットを指さして冷たい視線を男に向ける。



「あれ」


「……ん、なに?」


「私のタブレットなんですが」



 ……剣呑な雰囲気。蓮月の目に静かな怒りが宿り始めるのを見て、男の額に冷や汗が流れる。



「ええ、ええ。『会議資料が難しくて分からない』と宣ったあなたのために、私が懇切丁寧にまとめたレジュメを放り投げたのはまだ許しましょう」


「あ、ありがとね……?」


「しかし、ねえ。人のタブレットを、しかもよりにもよってあれにしかない機密情報もりもりのタブレットを放り投げる?はー、明星めいせいさん。自分が何をしたのか分かってますか?」


「ひぇ。わかったって。そんな怖い顔しなくても――」



 明星が焦ったようにそう言うと、次の瞬間テーブルの上にタブレットが再構成される。何か不思議な力によって、高性能の3Dプリンターでも動かしたかのように。



「――ほら、元通り」



 蓮月と呼ばれた女性は、タブレットを受け取ると中身を確認する。機密資料に昨日作ったレジュメ、その他もろもろ。驚くべきことに、投げ捨てられて床に転がるタブレットに入っていたはずの情報は、一切のもれなく完全にコピーされていた。

 確認が終わると蓮月はため息をつき、床に転がったタブレットを見る。すると、これまた不思議な力によりタブレットは炎上し、一瞬もしないうちに消し炭になった。

 『ここにしか保存していない機密情報』が二つのタブレットに保存されていては困る。



「――……いや、俺も別に辛くなったから言ってるわけじゃないんだよ?」



 性懲りもなく、明星は口を開く。



「ほう、聞きましょう」


「終戦から結構立って、連邦政府の設立のごたごたもきれいさっぱり片付いた。国連軍の戦力だって安定したし、『天使』の封じ込めにもさしたる問題は起こってない。加えてブラド勢力の動きも落ち着いてきた」


「つまり?」


「つまり、ちょっとばかし俺がいなくてもどうにかなるレベルにまで安保庁も成長したかなってこと。だから俺がいなくなっても――」


「――いなくなったら、反政府勢力の活動が活発になり、国連軍が崩壊し、『天使』が解放され、世界が終わるでしょうね。いいですか?『世界最強』たるあなたが連邦政府に加担しているからこそ今の均衡があるのです。それを自覚して――」


「――なんとかごまかすから!ちょっとだけだから!!お願い!」



 明星と呼ばれた男は、もうほとんど頭を机に突っ伏す勢いで下げ、両手をその上で合わせる。その勢いに、蓮月は呆れたように眉を顰めた。



「そんなにお願いしてもダメなものはダメですって」


「お願い!許してくれたらなんでも言う事一つ聞くから!」



 ――何でも。

その言葉に蓮月は目を見開くと、少し考えて、



「……はぁ。まあ、ちょっとだけなら――」


「――えっ、いいの?」


「そこまで頼まれては無下にもできませんし。しかし約束は守ってもらいますよ」



 わーい、と両手をあげて喜ぶ明星に、蓮月はため息をつく。情報隠蔽など諸々、大変になるだろうな――と。



「それで、どこに行かれる予定なのですか?」


「ん?そうだな――どっかの特殊士官学校にでも行こうかなって」


「は?学園?なんでまた」


「能力を鍛えるには絶好の場所でしょ?そこにしかない物もあるし。あ、あと護衛のために蓮月もついてきてね」


「はぁ?護衛?どういうことですか、説明を――」



 説明を求める蓮月の声もむなしく、明星は「仕事は終わり!」とばかりに立ち上がり、部屋を後にした。

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