その5
滝飛沫イクサを追跡した翌日、平日。
多くの生徒が歓喜の感情を表面に出し、部活や帰路へつく中。一人の男子生徒は嘆息を一つ吐き、机に突っ伏す。
少年は廊下へ首を倒すと、教室内へ視線を向ける女子生徒がいないことを確認。
「……帰るなら今の内か」
意を決して席を立つと、少年は足早に廊下を目指す。
幸いにも多くの生徒は意識を学外へと向けており、上手く気配を殺して抜け出せばどこに消えたのかも検討がつかないだろう。
危険地帯に首を突っ込むこともない生徒如きから逃げ出すなど、造作ない。
少年は意気揚々と廊下へ乗り出し──
「お、双馬君見っけ」
直後、真横に立っていた笛波ヒナワから声をかけられた。
少年──双馬ジンは廊下から姿を出した直後の姿勢で静止し、首だけが錆ついた金属部品のように音を鳴らして声の方角を向く。
「はぁ?」
驚愕の声のつもりだろうか。あまりにも衝撃が強過ぎたのか、間の抜けた色味が濃く反映されていた。
そして思い出す。
ヒナワは学校でも男子物のブレザーを好んで着用していたことを。ついでに言えば、外では厚底ブーツを着用している都合上、室内とは身長差が生じることを。
「はぁ、って……どんだけ食べたくないの。お父さんの料理は絶品だよ」
「……お前が作る訳じゃないのか、料理って」
「餅は餅屋って言うし、こういうのは専門家に任せるのが一番だよ」
ジンからの質問にあっけらかんと答え、ヒナワは人差し指を立てる。
お前のお礼じゃないのか。
内心に抱いたものを吐き出すことなく、代替として鞄に入れていたベレー帽を取り出す。帽子の心地よさが、ジンの内心に凪にも似た穏やかなものを流す。
「ま、そういうもんか」
一人納得の言葉を零すと。
「そういうもんよ」
ヒナワが続けて相槌を打つ。
それじゃ行こ、と手を伸ばす少女の手を掴む気はない。
が、少し先を進んでいけば相手も意図を察したのか。すぐに追い越してから案内を開始した。
ヒナワ宅へ向かう道中、ジンは幾度か人々の視線が二人へ注がれているのを感じた。厳密には男子生徒と共に歩くヒナワに、であろうか。
度々顔の良さに言及していたような覚えがあるものの、人の視線という形で改めて彼女のそれを実感する。
陶磁器を連想させる白い肌。ターコイズの瞳。整った顔立ち。流れる紫髪の艶は丁寧にシャンプーがけしているからこそのものに違いない。
茜色に染まる空から注がれた光が、ヒナワの普段とはまた違った魅力を引き出している。
一歩後ろから後を追うジンは、そう思った。
「……綺麗だな」
「ん、ありがと」
思わず零れた感想に率直な礼を述べられ、ジンは一瞬反応が遅れた。
「…………あ、もしかして今の」
「滅茶苦茶聞こえてる」
「んだよ、そこは聞こえた振りしてくれよ……」
背後へ振り向いたヒナワから顔を逸らすと、ジンは頬を紅葉させる。
「はは、可愛い所あるんだね。双馬君って」
「つうか、可愛げねぇな。褒められたんなら少しはもっとこう……あるだろ、相応しいリアクション」
反応を誤魔化すべく、ジンはヒナワの対応へ口を出す。
とはいえ、ヒナワにとって顔を褒められるのは慣れたものなのか。特段妙な反応を出す様子はない。
「顔なら昔からずっと褒められてたし、むしろそれくらいしか褒められなかったし……」
「褒められる一点があるっていいことだろ。俺なんて国語がゴミ過ぎるって先生からよく言われてたぞ」
「お母さんが世界的なモデルだし、それくらい当然でしょ。私からすれば、親を褒められてる感覚、って言えば分かるかな」
「……」
口を挟むつもりはない。
事情を説明していない分際で理解だけを求めるのは傲慢極まりない。故に回答は控えて、利き手に徹する。
すると、ヒナワは正面を向いて話を続行した。
「前提だけど、もちろん嬉しいよ。そこは履き違えないでね。
けどさ、それは私の力じゃない。私を通した両親の力……彼らが褒める私は、言わば脚本。シナリオそのものや脚本家を褒めることはあっても、冊子の出来へ意識を向ける人はいないでしょ」
「……なるほどなぁ」
言いたいことが分かるような、分からないような。
曖昧な返事で相槌を打つ。
「だから私は私の存在を世界に示したい、って訳」
振り返り、左手で口端を吊り上げて強引に笑みを作る。
思えば、度々外的に笑顔を形成する仕草を取るが、それも彼女にとって自主表現の一種なのだろうか。
せっかくの美貌、自然に笑えればより彼女の目的にも都合がいいのに。
口にこそ出さないが、ジンはそう思うのであった。
「そろそろ到着するよ」
ヒナワと進む道の様相が、徐々に様変わりする。
コンビニや住宅が姿を隠し、階層は徐々に増していく。一階や二階といった小刻みな上昇数ではなく、指数関数的な加速力で増していく。
所謂高級住宅街。
立ち並ぶ高層ビル群も、見上げねば屋上を視界に入れることが適わぬ程に。
気のせいか、横切る人の纏う雰囲気からも気品を感じてしまう。もしかしたらジンに金銭的余裕がないからこそ、より強調されるのかもしれないが。
そうこうしている内にヒナワは赤煉瓦造りの高層ビルを潜る。
遅れてジンが入れば、ちょうど玄関前の鍵を開けている最中であった。
「結構なマンションだな」
「子供からすれば、妙に高くて上るのが大変って感じだけどね」
二基並ぶエレベーターの右側に二人が乗り込んだのを確認して、ヒナワは十階を押す。
最先端のガイドレールが鉄鋼を巻き上げ、最低限の音で昇降路を駆け上がる。
十階へ到着すると扉が開き、ヒナワとジンは再度足を進める。赤煉瓦造りの外観から来る印象とは異なり、内側は一定に絞られた光がシックな雰囲気を醸し出していた。
ヒナワが自宅の鍵を捻ると、扉を開く。
「お父さん、ただいま。昨日言った通り知り合いを連れてきたよ」
「お邪魔しや……します」
「え……ヒナワ、知り合いって……」
玄関へ呼びかけられた男性の声は恐怖に震え、初対面どころか顔すら合わせていないジンにも動揺の色が伝わってきた。
父親の異変に関心を持たずに厚底ブーツを脱ぐヒナワを見つめ、彼女ならば男の知り合いが来ると連絡していなくてもおかしくない。と少年は一人得心していた。
「知り合いって、男の子……?」
「そうだよ。伝えてなかったっけ」
「全く知らない……知りたくない……」
「あー、すみません。いきなりな顔見せになりまして」
扉を潜ると、温和な顔立ちをした男性が無の仮面を張りつけて姿を現した。
平静とは言い難い表情だが、ヒナワは特別意識したとは思えない態度で接する。一人娘を持つ父親とはこうなるのか、とある種の関心すら抱いてジンは形ばかりの謝罪を口にした。
すると錆ついた金属が軋みを上げる。
やたらと錆ついた金属部品が目立つ日だと思うも、内一つは自身が鳴らしたものである。
「いや、君は悪くないよ……うん、実家の味を楽しんで欲しいってヒナワの思いはね……尊重しないとね、うん……」
「いや、別に娘さんとはそんな大層な関係ではねぇ……ないんですので。今まで名前も碌に言ってないくらいですし」
「あだ名呼びッ?!」
一瞬否定の言葉が喉を出かかる。が、笛波娘という個人を見てないようなものでも一応はあだ名かと考えると、即答するのも躊躇われた。
廊下であまり冗談を交わしてもしょうがない、とヒナワは一人リビングへ足を進める。
父親──トツビとジンも少女に続いてリビングの扉を通過。
開けられた窓からは春の陽気が顔を覗き、つられたカーテンが揺らめく。二対二席の椅子に挟まれたテーブルの内、三つには食器の準備が為されていた。台所と一体化した構造の都合か、招かれた客人は鼻腔をくすぐる夕食の香りに腹の虫を刺激された。
「あぁ、そうだね。料理がまだだったね。作ってくるよ」
明らかに平静を欠いた声である一方、台所で食材相手に振るう手捌きには高い技量を感じさせた。包丁が食材を切る小気味いい音は、眠気さえも誘発する程に。
ヒナワはテレビの前に設置されたソファーへ腰を下し、女性宅のソファーに座ることへ若干の抵抗を覚えたジンは側に立って完成の時を待つ。
ついていた報道番組の話題が切り返った辺りで、トツビはテーブルに料理を並べた。
「できたよ」
「はーい」
呼ばれて足を運んだ先には、湯気を発する出来立ての白米に白味噌を解かした味噌汁、そして狐色の衣を纏った豚カツにキャベツの千切りを添えた皿が待ち構えていた。
既に座っていたトツビと向き合う場所にヒナワが着席し、隣にジンが座る。
「そういえば、君はなんて言うんだい。僕は笛波トツビっていうんだ」
「双馬ジン……です。娘さんとは、あー……学校の知り合いで」
慣れない丁寧語につまりながら、ジンは自己紹介していく。流石に娘さんの危機を救ったのが初顔合わせです。などと無用な心配を持たせるのも悪いと、無難な内容に改変して。
軽い自己紹介を済ませ、親子は両手を合わせて食事への感謝を述べる。
「いただきます」
「いただきます」
「……いただきます」
二人につられる形でジンも続き、まずは豚カツへと手を伸ばす。
一口齧れば口内に熱々の豚の旨味が炸裂し、何よりも久々に人の手が加えられた料理を味わえたことで箸が進む。味噌汁も豆腐とわかめのシンプルな具材故に雑味もなく、整えられた味わいが心身ともに熱を帯びる。
その間、最初の内は二人もジンへ話しかけていた。が、彼があまりに食事へ夢中になっていたことを認めると、すぐに二人は二人の会話へと移行した。
気づけば、皿の上には衣の欠片や味噌粕だけが残り、全てが平らげられていた。
「ご馳走様でした……旨……美味しかったです、トツビさん」
「それは良かったよ、双馬君」
「どう、美味しかったでしょ。お父さんの料理は?」
「ま、それはそうだな」
ヒナワに面と向かっていうのは口恥ずかしかったのか、顔を逸らして感想を漏らす。
「それは良かった。ちょっと待ってて、ご飯食べたら、私の部屋で少し話そ」
「部屋でッ?!」
トツビの哀れにすら思えるリアクションを他所に、ヒナワは残った白米を食べ尽くして両手を合わせる。
そして少女に追随する形でジンは廊下を歩み、横の扉から入室。
「おぉ……」
室内の光景に、ジンは言葉を失う。
三平方メートル程度の広さに勉強机とシングルベッド。背中合わせに並ぶもう一つの机にはパソコンやマイクなど、配信活動に用いると思わしき道具が散見される。
しかし、それ以上に目を引くのは壁のラックにかけられた拳銃の数。
最初に出会った時に使用していたP二二〇、グロック一七の後継機と言えるグロック社の拳銃、その他の企業が開発した拳銃が所狭しと並んでいた。懸賞金を拳銃集めの資金に当てていると言われても納得できる部屋模様は、とてもではない女子高生のそれではない。
「どうしたの、座りなよ」
「お、おう……」
ヒナワが勉強机の椅子に座り、ジンは手招きされた先にあるベッドへ腰を下す。
「で、話って何だよ。親父さん、エラいショック受けてたぞ?」
「別にどうでもいいよ。お父さん、アレで過保護な所があるし」
「過保護、ねぇ……」
無策や浅慮な面が目立つ彼女の活動方針には、その過保護さこそが必要なのではないか。とも思うが、特段話を広げることなく、ジンは続けた。
「で、話とは」
「話はね、私達の今後についてよ」
「んだよ。親父さんの冗談を真に受けたのか?」
「違う違う」
ジンの冗談めかした言葉に、手を振って否定するヒナワ。
そして本題へと踏み込む。
「次はどういったネタを動画にするか。具体的には、次は誰を追うのかって話」
滝飛沫イクサの追跡は突発的な開幕だったこともあり、カメラを回してはいない。それにジンとしても、仮に動画撮影の許可を乞われても確固とした態度で拒否していただろう。
故にヒナワとしては、動画のネタが枯渇していたのだ。
「双馬君と一緒に追えば、これまでよりも各段に効率的なネタ出しができる。それに私一人じゃ不可能な相手も、君と二人でなら現実的な話になる」
魅力的な内容であるかのように、大企業で行うように身振り手振りを加えてプレゼンを行う。
ジンが何を思っているのかなど、意識することなく。
「どう、美少女女子高生と現代の侍……人の目を引くキャッチコピーだとは思わない?」
「……」
指差し、同意を求めるように。
問いかけられたジンは視線を落とし、思案する。
尤も、内容はヒナワと手を組むか否ではない。より深く、抜本的な部分へ。
しかし首を左右に振ると立ち上がり、身を翻したジンは扉を目指す。
「ちょっ、ちょっと……」
手を伸ばすヒナワに対し、ジンは腰を回して顔を向ける。
その表情は暗く、鋭利で、まるで駄目な弟妹を叱責するかのように。
「お前と二人? ハッ、他力本願の間違いだろ」
「は……?」
突然翻意を向けた態度に困惑する少女へ、少年は詰問する。
「じゃあ聞くが、動画制作以外でお前に何ができる?」
「何がって……それは現場でのサポートとか、視聴者経由での情報収集とか……」
問われれば、当然ヒナワは返答する。
それはイクサを追跡したのと同様であり、垂れ込みさえあればより円滑な連携を行える。また純粋な裏方とは異なり、現場でのサポートにも追随できるのは魅力的なはずである。
が、ジンにとっては不服の極み。表情が軟化する気配はない。
「んなもん、わざわざ実力不足のお前を連れる理由になんねぇよ。増して、わざわざお前にとって好都合な話なら尚更だ」
確かに、廃工場では彼女に助けられた側面があるのは否定できない。
が、それはジンが手綱を握っているのが大前提。
独自の判断で最低限の活動が行え、その上で指示を遵守することが重要なのだ。
「お前が弟子入りするってんならともかく、同等の立場でそれはふざけんなってんだよ。
拳銃をやたら買い換えて、礼は父親に作ってもらって、挙句の果てには俺の手を借りて動画作成だぁ? 馬鹿も休み休み言えや」
「そ、そんなことッ……!」
否定の言葉を綴ろうとするも、脳裏に過るのは他者に頼った言動ばかり。
言葉に詰まったヒナワを眺め、嘆息を一つ零す。
「ほらな、何も反論できねぇ。
親からは愛されて、人が近づく切欠も持ってて、それ以上に何を望むのか。答えが出たら、また話してくれや」
扉を閉じる直前、少年の赤い瞳が冷厳に少女を見つめていた。
嫌に丁寧な音で閉じられた扉は、一層強烈な拒絶を以ってヒナワへ突きつけられた。
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