その5
屋内でサバイバルゲームを行うための大型施設であり、全五階中四階がサバゲ―のステージという豪勢な仕様となっている。また残る一階は今や貴重品ともいえるモデルガンやサバゲ―に所縁ある物品の売店を、受付と兼用している。
ヒナワとジンが入店してみれば、中にはモデルガンを手に持って確認している者や軍隊を思わせるコスプレをした者、そして激しく動き回るには不向きな者が散見された。
二人が受付へと進むと、喜色を満面にした店員が応じる。
「こんにちは、本日は何の御用でしょうか」
「ペイント弾とステージの借り出し。弾頭は九ミリの」
「後ペイント仕様のカーボンブレードがあればそれもで」
ヒナワの要望につけ加える形でジンが続けるが、当の店員は困惑で眉尻を下げた。
「すみません、当店は事前予約制でして……それに会員でない方は申請書を書いて頂く必要がありまして……」
店員の余所余所しい態度に思わずヒナワは口を抑え、慌てて鞄から拳銃取扱特別免許を取り出した。銀枠で縁取られた免許証を一目すると、店員は先程とは一転して安堵に表情を綻ばせる。
「あぁ、免許をお持ちでしたか。それなら申請書は不要ですし、シルバ―免許でしたら特別会員の方が終了し次第お楽しみできますよ」
ライセンサーがステージの貸出を要求する時は、往々にして賞金首を前に手慣らしというシチュエーションである。店によって差異はあるものの、そういった火急の用事には地域の治安も兼ねて相応の対応を取ることが多々あるのだ。
首を傾げてジンをねめつけるヒナワであったが、ですが、とつけ加える店員の態度に表情を切り替える。
「当店ではカーボンナイフ以上の刃渡りの得物はありませんね。自前で、なら簡単な確認を行わせて頂ければご使用頂けますが……?」
銃刀法改正で刃物に関する内容が変更された理由の何割かは、軍人崩れの拳銃とナイフを併用するスタイルを考慮したもの。故にサバゲー用のサバイバルナイフならば用意していても、それ以上の刃物は用意していないというケースはままある。
というよりも、ヒナワ自身もジンを経由するまで改正内容への意識は薄かったのだ。店の品揃えに文句を言える立場ではない。
ジンは軽く手を振ると、店員に己が意志を伝える。
「別にナイフが一番長ぇならそれでいい」
「申し訳ございません。それでは、向こうで点検を受けてからアナウンスをお待ち下さい」
再度深く頭を下げると、受付は手招きで一つの扉を指し示した。ジンが倣って謝意を示すと、二人は案内に従う。
銃刀法改正当初、サバイバルゲームのステージ内で周囲には秘密で実弾を用いて発砲という悲惨な事件が発生した。死者も出た惨事の後、日本サバイバルゲーム協会は再発防止案として各ステージ提供者へ実弾所持への点検を厳命したのだ。
特に飯谷のように大型施設では、薬莢の反応を元にして開発した探知機を使用する徹底的な点検が半ば慣例化しつつある。
ペイント用に汚れてもいい衣服へと着替え、程なくして鳴り響くアナウンスに従って二人は二階のステージへと足を踏み入れた。
頭上から降り注ぐ照明が照らすは、黒を基調としたプロテクターを胴体や肩、両腕に装着したヒナワの姿。創作に於ける特殊部隊を彷彿とさせる衣服だが、お約束ともいえる頭部のヘルメットだけは、彼女が持参したカメラ付きのものであった。
二階は少数戦を想定したステージを多く配置しているらしく、互い違いの入口に立つ二人の前に立ちはだかる三メートル程度の壁は入り組んだ迷宮めいて待ち構えている。
カメラの準備は完了済み。
そして簡単な挨拶も終えている。
「それじゃ、前回のじゃ実感の湧かない双馬君の実力をこの模擬戦で確かめたいと思います……では、スタート!」
かけ声と同時、ヒナワは迷宮へと跳び込み周囲の様子を散策する。
通路には時折ドラム缶や木箱など、咄嗟の遭遇時に身を隠すためと思える道具が散見された。特に曲がり角への配置が多いのも、その印象を加速させる。
道が複数に分かれる度に壁を背にして、別の方角からの襲撃を警戒するのは神経に堪える。が、警戒を怠ればどうなるかをヒナワは眼前で目撃していた。
「足音……?」
模擬戦開始を告げて数分といった所であろうか。
微かに鼓膜を震わす音色が、敵の接近を告げる。
一歩一歩の間隔が遠く、馬やチーターのような四足動物の全力走に似たものが脳裏に浮かぶ。が、迷宮のような狭い空間でそれを行うメリットが分からない。
加えて、一定間隔で音が止むのもまた不気味であった。そちらは交差点でどちらへ進むか逡巡した結果と予想はつくものの、確信を抱くには情報が不足している。
ひとまず先手を取るべく、広い空間を求める。
否。
「……違う」
昨日一目した時点で、戦闘経験の差が歴然であることは疑うべくもない。ならば、セオリーに倣ってぶつかった所で敗北は必至。
故に必要なのは、ハイリスクハイリターン。
自ら死地へ飛び込むことで得られる活路に違いない。
ヒナワは片手で迷宮の壁に触れながら、道を進む。もう片方の手に買い換えて試し撃ちすらしていない拳銃を携えて。
やがて到達したのは袋小路。
「逃げ場はなくて道幅もそんなに広くない。
……つまり、相手の攻め口も正面一択」
ジンの得物は刀ですらないサバイバルナイフ。間合いの差など、わざわざ語るのも馬鹿らしい程。
購入したばかりのグロック一七をゆっくりと目線の高さにまで持ち上げ、両手で構える。滑り止め加工のなされた銃把は彼女の掌をしかと掴み、生半可な衝撃では弾かれぬと無言で主張した。
シングルアクション並に撃ちまくれる、とは店員の弁であったが、指をかけた引金の遊びの無さは良くも悪くも彼の言葉に説得力を与える。
「さぁ、どう出る……侍気取りの双馬君?」
「こう出んのさ」
「ッ?!」
声の方角──頭上へと銃口を向ける。
そこには、今まさにナイフを突き立てて落下する少年の姿。
咄嗟に引金を引き、耳をつんざく轟音と共に手首を蹴り上げる反動が駆け抜けた。秒速にして三〇〇メートルを越す超速度の弾丸は、瞬く間に襲撃者の眉間を射抜く。
が。
「なッ……?!」
ジンは素早く首を右に傾けると、直撃弾は彼とベレー帽を素通りして照明と接触、着弾を示すペイント塗料が華を咲かす。
そしてなおも迫るナイフに対し、二射目を撃つ余裕はない。
頭上から飛来した少年に押し倒され、ヒナワは衝撃で肺から空気を吐き出す。見開かれたターコイズの瞳が僅かに視線を落とせば、胸元にはナイフの切先が突きつけられていた。
確かに迷宮の壁は天井と隣接している訳ではなく、理屈の上では上れる形状である。
妙に大きい足音の感覚も壁から壁へ飛び乗っていたのであらば、一応納得はできた。
受け入れられるかは、ともかくとして。
「確か、三本先取だったな?」
苦悶と屈辱で歯を食い縛るヒナワとは対照的に、ジンは涼やかな表情でルールを確認する。
それが、少女のプライドを一層深く傷つけた。
「そう、だねッ」
腕を振るって照準をジンの胴体へと合わせる。
被弾面積が広く、動かす際に大きな動作を必要とする胴体は下手に頭部を狙うよりも確実。教習所の教官が自慢気に語っていた内容を思い出す。
そして、僅かに人差し指を引く。
放たれる轟音。身を捩るジン。無理のある体勢に愕然としながらも、ペイント弾は空を切る。
「そしてぇ、一発撃たれりゃ反撃OKってなぁ!」
マウントポジションからの反撃は、横薙ぎの一閃。
成す術ないヒナワの身体に横一文字のペイントが追加される。
一回目の被弾から僅か十秒にも満たぬ速度で喰らった二発目の切り傷。突発的に反撃へ転じた少女も、流石に焦燥とは別に状況を客観視した。
身体を乱暴に振るい、強引に拘束から開放されると後方に飛び退いて距離を取る。
即座に壁へ衝突しかけるが、左手を添えて半身で持ち応えた。
彼我の距離は五メートル少々。免許を取れる程度の実力があればまず外すことはない距離。だが、正面に立つジンは更なる近距離からの一撃を二度も回避していた。
偶然の二文字では、片づけられない。
「銃弾を避けてる……そんなまさか……?」
受け入れ難い事実を口にするも、懐疑の念は覆せない。
恐る恐る銃口を向けてみれば、ジンは素早く身を射線から逸らしていた。
おそらく先程までも銃口の軌道から射線を予測して、回避していたのだ。射撃前に回避動作を取っていたのだとすれば、まだ理解の及ぶ範疇である。
少なくとも、弾丸を視認した上で回避するという出鱈目に比べれば。
「何か、策は……?」
周囲の環境に目を凝らしてみても、有効活用できる置物には乏しい。そも、あくまで店の備品である設置物を安易に破壊する訳にもいかない。
銃把を握る手に力が籠る。
「どうすんのさ、このまま睨み合いで視聴者に退屈な場面を流すかぁ?」
「そんなのッ」
挑発に乗り、ヒナワは反射で撃鉄を叩く。
ジンは轟音を合図に横滑りすると、狭い道幅を左右だけではなく上下にも身体を動かすことで射線を紛らわせた。
事実、ヒナワは数歩遅れて幻影を撃つばかりでジン本人には掠りもしない。
距離を詰めるには、そう時間はかからなかった。
「照準がおせぇ」
「ひッ……!」
迫る少年に短い悲鳴を漏らし、ヒナワは咄嗟に引金を引く。
しかし遊底はロックされ、放つべきペイント弾の枯渇を主張する。
迎撃の一手がなければ、ジンの刃を止める手段などありはしない。
鞭の如くしなる腕がヒナワの身体を袈裟に引き裂く。綺麗に刻まれたペイントの後が、都合三回目の被弾を主張していた。
「……」
「……」
決着がつき、互いに無言。最後の一撃を放った姿勢のまま、静寂に包まれていた。
接敵からの鮮やかな対応は賞賛に値するのだが、些か鮮やかに過ぎた。具体的には貸出時間が五〇分程度余った状況で企画が終了してしまったのだ。
どこか気まずい空気の中、先に口を開いたのはジン。
「あー……五本先取で勝利にするか?」
「……賛成」
自分から口にするのは敗北を認めていないようで羞恥の念があったため、ジンの提案は渡りに船。
ヒナワはジンと向き直り、弾倉を入れ替えてリロードを完了する。
「折角だし、もっと広い場所でやり合うか。さっきそこそこ広い場所見つけたんだわ」
「……それも、賛成」
二度も相手に譲歩されて奥歯を噛むも、言い返せるような状況でもない。素直に受け入れて、ヒナワはジンの後を追う。
二人が到着したのは、木箱が散乱する広場であった。五〇メートル程度の面積であろうか。六角形を模した形で壁が設置され、それぞれに迷宮の通路が顔を覗かせる。
ある程度の距離まで進むと、ヒナワは足を止めた。そして向かい合うようにジンが歩けば、戦いを再開するのに適した間合いとなる。
「再開の合図はどうする?」
「それじゃあ、この空薬莢で」
拾っておいた黄金色の空薬莢をプロテクターの内から取り出すヒナワ。天高く放り投げ、落下の音を合図に再開するのだとジンが理解するのに、そう時間はかからなかった。
コイントスのように親指で弾くと、空薬莢が宙を舞う。
力の入り方が不均衡だったのか。やや前面に飛び出す形で浮いた薬莢は、さほど滞空せずに地上へ落下する軌道を描いた。
二人の視線が薬莢に釘付けとなり。
そして、甲高い音が再戦を告げた。
「ッ!」
先に動いたのはヒナワ。
拳銃を持ち上げると、視線を合わせる時間も惜しいと即座に発砲。
螺旋回転して空気を穿つ弾丸は、半歩遅れてジンがいたはずの場所を通過する。僅かに見えた足先は、木箱の背後へ身を潜めた証左。
左に大周りしつつ、ヒナワの視線はジンの隠れた木箱へと注がれる。
射程の利に慢心して足を止めれば、それこそ相手の思う壺。むしろ積極的に行動して相手の択を狭めることが、力量を埋める一助となる。
「いないッ……?」
しかし四分の一を回り、なおも少年の姿は見当たらない。
反対側から仕掛ける相手の思惑と最悪の噛み合いを見せたか。ヒナワは足を止め、次の一手を逡巡する。
「ドラァッ!」
「なッ……!」
突如として吹き飛び、ヒナワへと殺到する木箱。
咄嗟の事態に体勢を崩し、転がるように木箱を回避。しかし、それを待っていたとばかりに鋭い感覚が脇腹を刺す。
「後一つ!」
反動を殺さずに起き上がり、視線を向ければ振り返って追撃の一撃を加えんとするジンの姿。
バックステップで距離を取り、ヒナワは遮二無二乱射を繰り返す。
獲物の方から距離を詰めているのだ、一定の間合いを維持して撃ち続ければ一発程度は当たるはず。乱雑な目論みの下に繰り出される戦略は、ジンの超人的な回避力によって水泡に帰す。
絶句するヒナワが思わず口を開けた。
「どうする次は十本先取かぁ?!」
胴を引き裂く一閃が肉体に、挑発の如く述べられた譲歩が精神に敗北を刻みつける。
呆然とするヒナワだが、歯を強く噛み。
「上等!」
敗北を認めないと咆哮し、銃口をジンの頭部へと注ぐ。
「そらそらぁ!」
「ニ〇本先取!」
「まだまだぁ!」
「四〇本!!」
「オォラッ!!!」
「八〇本ッ!!!」
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
時間経過を感じさせない照明の明かりが、眩いまでに視界を覆う。
仰向けの姿勢で、ヒナワは天井を見つめていた。否、見つめていた、というのは正確には異なるか。
目蓋を閉じる気力も湧かないまでに心身共に疲弊し、目を見開いていただけの話。光は向いてる方角の都合上、視界に映り込んでいるに過ぎない。
プロテクターや貸し出された衣服には、ペイント加工であってもここまではしないだろうという程に刻まれた被弾の痕。傷の上に傷を注がれることも珍しくない有様の中、滴る汗の目立つ顔は放心状態にも等しい。
それでも様になるのは美貌の賜物か。首を倒すと、壁にもたれかかるジンの姿。
「流石に八〇本ともなると、疲れるな……」
大きく呼吸を繰り返して汗を拭うジン。
確かに相応以上の疲弊が伺えるが、仮に追加で十本と言われても何とか対応できそうな雰囲気を醸し出す。
彼のプロテクターに刻まれた被弾はたったの一つ。それも咄嗟にペイント弾を斬り払おうとしたら性質上、弾けた塗料がぶちまけられたというもの。ヒナワ自身もそんなものが有効打とは認識してはいない。
八〇本先取のストレート負け。
配信の場でとんでもない放送事故を叩きつけられた訳である。ヒナワも口を閉ざすというもの。
「……」
「なぁ、笛波娘」
「何、その……呼び方」
未だ呼吸の定まらぬヒナワは、息苦しそうに突っ込みを入れた。
「お前さぁ、その銃の試し撃ちはしたのか。なんか、初めて使った銃って感じだったぞ」
「……」
ジンの指摘にヒナワは口を閉ざす。
購入前の試し撃ちなど、一度たりともしたことがない。それに慣れない内から見切りをつけて新しい拳銃の買い替える悪癖が相まって、モラリストの多いガンショップから度々指摘されるのだ。
『碌に試し撃ちもせずすぐ買い換えては、店のためにはなっても君のためにはならない』
わざわざ自宅から駅を経由し、治安の劣悪な開発放棄区域にある藤本銃器店を好んで頼るのも、小言を言われないため。すぐさま利益を還元したくなる程の経営状況がヒナワの激しい買い替えと噛み合ったのだ。
視線を逸らす年上の少女へ、年下の少年からの指摘は続く。
「衝撃で照準がブレてる感じがするし、反動が制御できてるようにも見えねぇ。そもそも初動で動きを制約する狭所で待ち構える判断はいいが、頭上への警戒が疎か過ぎるだろ。それに……」
「……るさい」
「あぁ、なんだよ?」
「うるさいッ。うるさいうるさいうるさいッ!」
駄々を捏ね、ヒナワは勢いのままに立ち上がる。
そのままジンが静止を訴えるのも待たずに駆け出すと、サバイバルステージを後にした。
「そんなの始めから知ってるもん、知っててやってるもん!!!」
「あ……」
『ヒナワ様、ヒナワ様。終了時間五分前となりました、片づけ、簡単な清掃の上、受付へご連絡下さい』
遅れてアナウンスがステージに響くも、既に肝心のヒナワは捨て台詞を吐いて飛び出したばかり。
伸ばした腕を引っ込めると、被ったベレー帽へと置く。そして視線を誤魔化すように、ベレー帽を下げた。
「あー、こう、アレだアレ……あー」
ヒナワの潤んだターコイズの瞳が、思い出の中で元気に過ごす少女と重なる。
もしも生きていれば、ヒナワのように綺麗な容姿に成長した。と考えるのは、些か身内贔屓が過ぎるであろうか。それでも、理不尽に奪われた可能性を模索せずにはいられない。
「それでも、高二でもんはどうかと思うんだよな。お兄ちゃんとしてはさぁ……シンカ」
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