鳴動(3)
彦十郎家に黄山が訪ねてきたのは、それからしばらくしてからのことだった。十右衛門の手紙が鳴海の元に届けられたのが昨年十一月の十日頃だったが、黄山はあの後も、商用かはたまた藩の密命を帯びていたものか、城下で姿を見かけることはなかった。
「久しぶりであるな、黄山殿」
鳴海は、黄山に茶を勧めながら話を切り出した。
「すっかり遅くなり申しましたが、鳴海様も御番頭への御就任、まことにおめでとうございます」
黄山は、懐から袱紗を取り出した。幾ばくかの金子が包まれているようであり、現在物入りの彦十郎家としてはありがたい。
つらつらと黄山が述べる四方山話から察するに、どうやら黄山は京を発ってから江戸や横浜、そしてなぜか水戸城下から棚倉街道を経由して二本松に戻ってきたのだった。
「随分と遠回りしてきたものだな」
鳴海は、微かに眉を顰めた。もちろん黄山が正式な手続を踏んだ上でその道を選んでいるのであれば、何ら問題はないのだが、奥州街道をまっすぐに北上するほうが、江戸から二本松には近い。
「水戸城下も探って参れと、お偉方から申し付けられましてな」
黄山は、微かに笑った。
「なるほど……。丹波様のお指図か」
丹波も京に在りながら、水戸の動きは気になるのだろう。源太左衛門も岡を水戸城下に潜入させていたこともあり、言われてみれば不自然さはなかった。
「丹波様もですが……。三浦十右衛門様からもご依頼を承りました」
「十右衛門が……」
こちらは意外と言えば、意外だった。京の様子の探索は頼んだが、水戸のことまでは頼んでいなかったのである。その鳴海の様子を見て、黄山は首を横に振った。
「京都にご滞在中の皆様方も、水戸の様子は気にしておられました。十右衛門さまも、何も鳴海様のご依頼を承っただけではなく、あの尊攘の空気は不穏極まりないと申されておりまして、遂に丹波様と和解されたようでございます」
「それほどまでにか……」
鳴海は、両腕を組んだ。想像以上に、京都の空気は荒れているらしい。互いに反目しながらも、十右衛門と丹波が一時的にであれ協力関係を結んだというのは、相当に深刻な状況なのだろう。
「十右衛門様が申されるには、やはり在京の水戸藩士の数が思ったより少ないと。例の『麗しき貴公子』という猿田愿蔵も、どうやらそれがしが京を発った頃と前後して、帰藩した由にございます」
手紙が人の手に渡るのを恐れたか、十右衛門はそこまで書き記していなかった。だが、その話を黄山は十右衛門から聞いたという。恐らく、本圀寺を探りに行ったときに小坊主から聞き出したのだろう。
「……芳之助もか?」
鳴海の問いに、黄山は眉根を寄せた。
「芳之助様のことは、大和でそれらしき姿をちらりと見掛けたきりでございます。ですが、確か守山藩の三浦平八郎様のご紹介で、野口郷校に身を寄せたのでしたな」
「左様」
「であれば……」
黄山はしばらく難しい顔をして考え込んでいた。
「水戸城下には、芳之助殿は姿を見せておらぬかもしれませんな。何せ、猿田愿蔵と東湖様の御子息である小四郎は、共に弘道館で机を並べた仲ではございますが、同床異夢のような関係と申しますから」
「同床異夢……」
その言葉の意味するところについて、鳴海は戸惑った。猿田愿蔵も藤田小四郎も共に「天狗者」でありながら、目指すところは同じではないということか。
「小四郎らが上州や野州で盛んに動き回っているというお話は?」
「それについては、味岡殿や宗形殿からも報告が上がっている」
これも、気になるところではある。既に郡代の植木や和左衛門、羽木らとも話し合って、水戸浪士と疑わしき領内の不審者があれば、詮議を厳しくしようということになっていた。丁度来月は再び五番組の城下見回りの任務が回ってくるため、その打ち合わせの席でのことである。
「小四郎らは乱暴者ではありますが、幕府を覆そうなどという大それたことは考えぬでしょう。幕閣の交代くらいは迫るかもしれませぬが」
それはそれで、物騒な話である。事実、水戸藩の過激派は過去に井伊大老の暗殺や同じく大老であった安藤信正の襲撃の主犯であったから、それくらいのことはやりかねない。
「ですが、猿田は……」
そこで、黄山は言葉を切った。いつもはすらすらと淀みのない説明をする黄山にしては、珍しい。
「申されよ」
「――幕府そのものに対して、左程忠義心は持ち合わせておらぬかもしれませぬな」
鳴海はしばし言葉を失った。それは、倒幕すら厭わないということではないか。
「彼の御仁は、そもそもの出自が他の水戸藩士とは異なりますれば」
黄山によると、猿田愿蔵は元々医者の息子なのだという。つまりは市井の一人だった。ただし、二本松藩でもそうであるが、才学に溢れていたり藩の為に何らかの功労があったりすると、武士として取り立てられることもある。猿田はそうして取り立てられた士分であり、発想や道徳心が生まれながらの武士とは異なっているらしい。良く言えば固陋に囚われない自由闊達さがあるのだが、それ故、水戸城下育ちの小四郎らとは毛色が異なる。また、その祖先を辿れば、徳川家の入部以前に常陸を治めていた佐竹家臣団の一員であるともいう。そのため、そうした土豪らは「徳川家の家臣」であることよりも、「佐竹家の家臣」であった過去を大切にしているというのだ。
「そのような者がおるのか……」
生粋の二本松の士として育った鳴海には、想像すらつきかねる話である。
「鳴海様には、お分かりになりますまいな」
黄山が、口元に微かな苦笑を浮かべた
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