藩公上洛(10)

 しばらくして、彦十郎家で行われた縫殿助及び養泉の一周忌には、源太左衛門が招かれた。そしてその直会と称して、彦十郎家の茶室で源太左衛門をもてなしながら、鳴海は十右衛門からの手紙を源太左衛門に見せた。

 源太左衛門は黙って書状を最後まで読み進めた後、「相分かった」と述べた。

「よくぞ知らせてくださった」

 源太左衛門の言葉に、鳴海はほっとした。

「鳴海殿。この件、他の者には?」

「我が家の者と、志摩殿だけは知っております」

「それ以外の者には、伝えておらぬのだな?」

「左様」

 芳之助の件は、裏に水戸の尊攘派が絡んでいる可能性が高い。となれば、どのような手段を講じて再び水戸や守山が動き出すか分からず、たとえ藩内の者と云えども、安易には事情を打ち明けられなかった。

「――お差し支えなければ、日野様のお見立てを伺っても宜しいでしょうか?」

 鳴海は、源太左衛門のための茶を点てながら、尋ねた。

「――拙者の見る処、京で水戸藩士が大人しくしているというのは、何か裏があるように思われる」

 茶筅で「の」の字を描いて泡を切りながらも、鳴海は落ち着かない気分になった。やはりそうか。あれから守山はちょっかいを出してくることはないものの、水戸や守山は決して信用してはならない相手である。

「殿や丹波殿が帰藩されるまで、我が国元を荒らされるわけにはいくまい。であろう?鳴海殿」

 鳴海の点てた茶を一息で飲み干した後、源太左衛門はきっぱりと言い切った。何かを決意したらしい。

「常州や水戸浪士との縁が疑われている総州諸藩に探索を遣わす。だが、探索の者はあくまでも休暇という体にするため、鳴海殿もご承知おき願いたい」

 つまり鳴海も番頭に昇格して藩政に関わる権利も出てきたが、この件に関しては素知らぬ顔をせよ、ということである。

「――藩の者を外に出すことについて、小うるさい方もいらっしゃいますからな」

 思わず出た鳴海の言葉に、微かに源太左衛門が笑った。鳴海が暗示しているのは、当然、和左衛門である。かつて農民らの「伊勢参りに行きたい」という素朴な願いすら却下しようとした和左衛門が、源太左衛門のやり方に反対するのは、目に見えていた。

「幸い、丹波様は現在京におられる。お二方とも、民を思うてのご信念には違いないが、顔を突き合わせれば互いに意地を張りたくなるご性分……。まあ、この件については、ゆるりとご覧あれ」

 鳴海の見る処、穏やかに笑う源太左衛門は、丹波とは異なる凄みを持つ家老に違いない。あの面倒な二人と、何十年も穏やかに付き合い続けている源太左衛門も、大したものだと鳴海は思った。

 

 彦十郎家での一周忌法要の数日後、二人の藩士が「兼ねてよりの持病平癒のため、しばらく休暇を賜りたい」との願いを出し、郡代が受理したとの報告が、城の大書院でもたらされた。その願いを受け取ったのは、羽木だったらしい。丹波の腰巾着とも揶揄される羽木だが、源太左衛門の実弟でもある。恐らく、和左衛門の動きを警戒する兄の意を受けて、このようなことをわざわざ皆に告げたものだろう。

 そちらから手を回したか、と鳴海は源太左衛門の手腕に感心した。無論、「持病平癒のため」というのは単なる口実で、探索役が領外に赴く際、他の藩士にあまり事情を深入りされないための典型的な言い分でもあった。

 休暇願を出したのは、岡佐一右衛門と味岡繁右衛門である。両人とも役目としては大目付であるため、和左衛門も何か察する処はあったかもしれない。だが、探索も大目付の職務のうちであり、和左衛門が文句を附ける隙がなかったのだ。さしもの和左衛門も、非の打ち所のない源太左衛門の指図には、どうやら逆らえないらしい。

 二人の探索役が再び広間に姿を見せたのは、文久三年も間もなく終わろうとする、十二月のことだった。

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