第2話 この度、政略結婚を目論んでいる

「侯爵殿下。いきなりのお話で、お嬢さまは混乱されておいでです」


 伯父を咎める家臣の声が聞こえる。伯父は「そうか、そうだったな」と顎に手をやり、深く考え込んだ。


「とりあえず馬車を用意したから、道すがら話すか」

「はい!? ちょっと待ってください伯父様! わたし、他の方にも湿布を配らなくては……」


 パタパタと暴れると、伯父は微笑んだ。実は服装の趣味が悪いだけで、話せばわかる温和な人ではある。


「うーん。待っていてあげるから、終わったらここに来て。ああ、そこな修道女。私は喉が渇いた。何か所望したい」


 そこらへんの廊下にいた忙しい修道女をとっ捕まえて、回廊に椅子を持って来させ、優雅にミント茶を喫し始める横暴な面もあるが。



 実家や修道院のボロ馬車など木屑にみえてしまうほど、美しい馬車に乗せられた。


「あの、わたし、修道院に帰れますよね……?」


 向かいに座る伯父は群青の瞳を少し細めたまま、何も答えなかった。


「アストリット。お前は私の姪であることは承知していると思う」

「そこからですか、伯父様」

「私は誰だ?」

「記憶喪失ですか、伯父様」


 伯父は羽根付きの帽子を取った。最近、少しだけだが、伯父自身が髪の毛との戦いに勝利している。


「……私は国王陛下の忠実なる僕、国王諮問会しもんかいの会員のひとり、先王陛下の孫、オストヴァルト侯爵ヘンドリックである。この度、政略結婚を目論んでいる」

「伯父様ご自身の?」

「いや、あいにく私には足でこき使ってくる妻がいる」

「いつも思うんですが、伯父様とお父様は王様の孫なんですよねえ……?」

「左様。だが話の腰を折るな。弟は父の庇護下で贅沢暮らしをした記憶から逃れられず、逆に領地を失い窮乏してしまっている。兄の私も弟の扱いにはお手上げだ。だが姪は可愛いと思っている。その可愛い姪には幸せになってほしいのだ」

「わたしは幸せです、修道院で薬草さえ育てられていれば」


 姪の言葉に、伯父は「ツワモノだな……」と咳払いをした。


「単刀直入に話そうか。お前に縁談が来ている、いや、縁談を作ったというか、作らされたというか、三年続いた圧にとうとう耐えられなかったというか……」

「なんでそんなことするんですかぁーーーっ!?」


 姪の激昂に、伯父は「落ち着きなさい」とキリッとした表情をする。


「先ごろ、国王陛下の代替わりがあり、ご幼少の国王陛下がご即位なされた。宰相をはじめとした我々は国王陛下をお守りする予定だが、貴族の一部には、それを認めないものがいる。いずれ彼らといさかいがあるだろう。足元を固めておくため、年下の盟友であるブリューム辺境伯に娘を嫁がせたい。……というか、娘を嫁にをくれと圧があった」


 アストリットはある事実に気がついて、息を引いた。


「……伯父様、それはあまりに……無茶……」


 ぱっちん、と伯父は自分のおでこを叩いた。


「そう、娘がいないんだよ! 私には。無茶〜! うっかり〜!」 

 

 ですよねえ、とアストリットはヘラヘラした。伯父には娘がいないという事実を忘れたのかと思っていた。


「そこで娘だけは売るほどいる弟のところに行ったが、どれも結婚しているか『え? 辺境伯なんてやだぁ。字面からして田舎っぽーい。てゆーかぁ、辺境って熊でるんですか?』という娘ばかりでな。修道院にいるアストリットを還俗させるという話になり……」


 還俗する気はない。口を尖らせていう。


「えぇ? 辺境伯なんてやだぁ。字面からして田舎っぽーい。てゆーかぁ、辺境って熊でるんですかぁ?」

「うん、姉たちほど迫真感がないから却下。世俗から離れているお前でも知っているだろうに。辺境伯は田舎の辺境に領地があるのではない。辺境、それはつまり国と国との防衛線のこと。国防の要であり、軍事面での権限は侯爵たる私を大きくしのぐ。熊は森があればどこにでも出没するだろう。皆様のご期待に添えず残念だが、ブリューム辺境伯領は大河のほとりにあり、交易が盛んで」


 伯父はニヤリと笑う。


「見たこともない薬草がいっぱい入って来るそうだ」


 姪の群青色の瞳が揺れたのを、百戦錬磨の政治家である伯父は見逃さなかった。


「ちなみにブリューム辺境伯は金持ちで見目麗しい若い男だ。嫁ぎたくなってきただろう。ほおら、嫁ぎたくなってきた」

「……」

「なんだか嫁ぎたくなってきた気がするんじゃないか? ほら、アスト、伯父様に素直に言ってみなさい。金持ちで見目麗しい若い男に嫁ぎたいと!」

「……」

「そっかぁ! 嫁ぎたいかあ! いい男を紹介しよう! ブリューム辺境伯だ!!」

「……」


 意志表示をする前に、伯父はアストリットを近くの知人の館に連れて行った。そこに、そのブリューム辺境伯なる人が来るらしい。


 生まれて初めて化粧をされ、夜明けを思わす鮮やかな橙色の絹のドレスに着替えさせられた。


 自分は舞踏会も晩餐会も不慣れです、と伯父に目で訴えると、「いいんだ」と彼は言った。


「アストはこれから通す部屋の窓辺に腰掛けてボケっと景色でも見ていてくれ。それでブリュームは大丈夫だ」

「……は?」


 通された部屋は大窓から採光され、非常に明るい空間だった。伯父に言われた通り、窓辺に腰掛けて外の景色を見る。


 この国は森と湖が多い。

 ここから見える景色も同じで、鬱蒼うっそうとした森のなかに、いくつか青い宝石を宿したような湖が二つ三つ見える。舗装されている大きな道があり、旅人が行き交っていた。


 そんなのに見とれていると、杯を落とす音が聞こえた。からん、と。


「君がご執心なのは彼女だろ? ジルヴェスター君」


 伯父の、愉快も愉快といった、妙に不愉快な声が聞こえる。


「……侯。あの、どうして」


 低音の艶めいた声に振り向いた。癖のある黒髪で、翠の瞳をした、面長で白皙な若い男性が茫然と部屋の入り口に立っていた。足元にワインの入っていた杯が転がっている。

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