第8話

「さぁ、弾き語る時間だ」


 1音目は柔らかく、2音目は情熱的に、3音目は強弱をつけて。

 目の前で舞い踊る彼女の動きに合わせて、僕は即興で楽譜を展開する。頭の中に広がる楽譜は誰かの作ったものでも、過去に聴いたものでもない。ただ、僕が彼女を思って彼女の音だと感じた音。


 “ヴァイオリンは友達”と言っていたやつを馬鹿にしていた僕はどこに行ったのだろうか。『僕に従え』と言わずにヴァイオリンを弾くのは、プロとして活躍し始めてからは初めてかもしれない。最初は純粋な気持ちで弾いていたヴァイオリンも、商業用に変化してからはいかに優れた技巧を詰め込んで弾くかということにしか興味がなくなってしまっていた。


 結局、ヴァイオリニストとしての僕を殺したのは他ならぬ僕であったのかもしれない。

 だから、僕に天罰が降ったのだろう。

 僕にはヴァイオリンを弾く資格など存在しないと。


「わぁお!」


 くるっと回った彼女に合わせて華やかめな音を鳴らすと、彼女は口を大きく開けて嬉しそうな声を出す。その声が、笑顔が眩しくて、僕はまた高らかな音を奏でる。


 ヴァイオリンを弾いて弾いて弾いて弾いて弾いて、リアルなら指の皮が剥けて血みどろになるぐらいに音を鳴らし立てて、僕はやっとヴァイオリンを手放した。


「楽しかったっ!!」

「そっか」


 『彼女の満面な笑みがご褒美だ』なんて月並みな言葉を思い浮かべて、僕は微笑む。夢の世界の中で幸せそうに生きる彼女は、何よりも本当に綺麗で、美しくて、………それでいて考えられないくらいに、信じられないくらいに、ーーー残酷だ。


「ーーー、愛してーーー………、」


 彼女に向かって手を伸ばして口を開いた瞬間、僕の身体はノイズとなった。


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