暗闇渡り/逆参り

大塚

第1話

 ──先輩の話。


「地元にある小さい神社。そんなに有名じゃない。別にパワースポットってわけでもないし、観光地としてガイドブックに載ったりもしてない、ただ大昔からずっとそこにあるってだけの神社。その神社には、地下神殿がある。珍しいだろ? そうでもない? 本殿自体は大きくないのに、地下神殿はやたらと広い。そして暗い。聞くところによると壁一面に黄泉国よみのくに──死後の世界についての絵が描かれているらしいんだけど、何せ暗いので参拝者でそれを見たことがあるって人間はほとんどいない。年に一度の大掃除の際にだけ明かりを点けるから、神社の関係者だけが絵を見ることができるらしい。


 地下神殿には、誰でも入ることができる。とはいえ普段は鍵がかかっているから、本殿参拝の際に神主だとか巫女に「地下神殿にも行きたい」と伝える必要があるんだけど。そうするとジャラジャラした鍵の束を持って地下神殿の入り口まで案内してくれて、参拝者が中を周って戻って来るのを外で待っていてくれる──っていうのがまあ、定石だ。地下神殿の参拝方法は地上でのやり方とはだいぶ違っていて、というのも暗いから賽銭箱もないし、ガラガラ──本坪鈴ホンツボスズっていうんだっけ?──もない。大掃除以外の時に明かりを持ち込んではいけないという決まりになっているから、中に入りたいという参拝客には巫女や神主が事前に説明を行う。階段を降りて、地下へ。明かりがまったくない場所まで来たら、右手で右側の壁を触る。そして、そのまま真っ直ぐ歩く。途中曲がり角が幾つかあるけれど、そこでも素直に曲がる。反時計回りに地下神殿を一周すると、やがて最初に降りてきた階段のところまで戻ることができる。地下神殿のお参りはそれでおしまい。神殿内を周りながら何か願い事をしてもいいし、しなくてもいい。目を閉じていても、開けていてもいい。何をしてもいい。あ、明かりを点けるのは当然ダメだけど。地下神殿は完全なる暗黒だから意味があるっていう……そういう方針らしくて。とにかく右手の感覚だけを頼りに反時計回りに一周。それでおしまい。


 さっきも言ったけど、別に有名な神社ってわけじゃない。パワースポットでも観光地でもない。パワースポットや観光地として有名な神社は県内に掃いて捨てるほどあるから、そういうのが好きなやつはそっちに行くだろう? あの神社の売りは真っ暗な地下神殿だけ。反時計回りにぐるりと巡ることを、神社の人たちは「暗闇渡くらやみわたり」と呼んでいる。


 それで──そう、先輩の話。暗闇渡りをしているあいだの禁止事項は基本的に明かりを点けることだけなんだけど、厳密にはもうひとつある。。そう。左手を左側の壁に付けて、一周。それだけは絶対にしてはいけないってルールになってるんだけど、まあ、言われなくても誰だってしないよな。鍵を開けてくれる巫女や神主が、「右手を右側の壁に付けて……」ってちゃんと説明してくれるんだから、その通りにやるよ。ふつうは。でも俺の高校の時の先輩、いい人なんだけどちょっとやんちゃで、やんちゃ……わかるだろ? 不良っぽいっていう。その先輩が高校卒業してすぐ地元の飲料工場で働き始めて、2年ぐらい経って出向って形で都会で仕事するようになって、そこで知り合った年上の女と結婚して戻ってきて。デキ婚よ。地元こっちでは別にデキ婚とか珍しくないっていうか俺の友だちとかも大体子どもできてから結婚するんだけど、その都会の女は違ったみたいでさ。できちゃったから仕方なく結婚した、みたいな。偏屈な。結婚式も向こうで一回、地元こっちで一回やったんだけど気の強そうな女だな〜先輩尻に敷かれてんのかな〜ってみんな噂してて。実際どうだったのかは分からないんだけど。それで子どもも生まれて。嫁さんは専業主婦になって。先輩それなりに稼いでたからさ。どうにかなってたみたい。

 でもさ。でもよ。これは本当に先輩だけから聞いた話だから、本当のところはどうなのか俺は知らないよ。嫁さんに男がいたんだって。そう。都会あっちに。元カレと切れてなかったのかな? それとも田舎暮らしにうんざりして学生時代の男友だちと連絡取り合っているうちにそうなったのか、流れは良く分かんないけど……とにかく先輩と嫁さん大喧嘩になって。嫁さんは別れる、実家に帰るって言い張るんだけど、先輩は子どもは置いてけってキレちゃってもう大変。これに関しては先輩が完全に悪いんだけど嫁さんのこと引っ叩いたりもしたみたい。でまあ都会から嫁さんの親が来たりして話し合いになって。ちょっと距離を置きましょうって嫁さん子どもを連れて帰っちゃって。先輩はひとりになって。


 ヤケになっておかしいことしないかなって先輩の同期とか俺ら後輩とかみんな心配してたんだけど、嫁さんが出てってから半年ぐらい経った頃かなぁ──「肝試しやろう」ってメッセージが来たんだよね。夏だったから。

 あ、暇潰しがしたいんかな、ってみんな集まったよね。その、例の神社に。何度も言うけど観光地でもパワースポットでもねえから。17時過ぎると本殿も閉まっちゃうし。神主も巫女も帰っちゃうし。巫女つっても地元の大学の学生がバイトでやってるだけだからね。定時退勤当たり前。だから、夜になるとあの神社は暗いんだ。

「暗闇渡りをしよう」

 って先輩は言った。

「鍵ねえら」

 って先輩の同期が言った。先輩はニヤッて笑って、ポケットから銀色の鍵を取り出した。先輩ん実家が鍵屋だったって、俺らその時思い出した。土地にひとつしかない鍵屋だから、神社の合鍵を預かってた。信用商売ですからね。神主もまあ、先輩の実家との付き合いも長いし、まさか悪用されるなんて想像してなかったんだと思う。そんで先輩の父親も、まさか息子が地下神殿の鍵を持ち出すなんて、想像も──

「勝手に入ったら怒られるだろ」

 先輩と同い年の人は同期の人しかいなかったから、止めるのも自動的に彼の役割になってた。「怒られる?」と言って先輩は笑った。薄暗がりの中にぼうっと浮き上がる笑顔が、ひどく不気味だったのを覚えてる。

「俺の方が怒ってんだよ」

 嫁さんと、嫁さんの親のことを言ってるんだって分かんないほど俺らも間抜けではなかった。

「暗闇渡りしても、お前」

 それでもまだ止めようとする同期の人に、先輩は「違う」って唸った。

 絶句したよ。一瞬誰も、何も言えなくなってた。

 結局先輩と、その同期の人がふたりで地下神殿に降りた。声をかけられて集まった俺ら後輩──俺含めて4人だったかな。は、みんな帰った。同期の人に「帰れ、忘れろ」って言われたから。先輩はもう就職して社会人だからいいけど、俺とか、俺のツレはまだ大学に通ってたりとかして、正直勝手に地下神殿に入ろうとしたとかバレると色々やばいから、「帰れ」って言われたのはありがたかった。


 それで次の日、同期の人が電車に轢かれて死んだ。


 特急の。時間をちゃんと調べて駅に行かなきゃ飛び込めないぐらい本数が少ないあの特急列車に轢かれた。自殺だったってことになって、新聞にも載った。全国紙にも載ったんじゃない? 分かんないけど。

 でもさ同期の人は別に死ぬ理由とかなかったんだよな。カノジョとも仲良くやってたし、あの──死んだあとに分かったんだけどカノジョお腹に子どもいたらしくて。流産したんだけど。それで先輩には連絡しないでツレとこっそり電話したりして話し合った結果、やっぱあの日の『暗闇渡り』がまずかったんじゃない? ってなって。なるでしょ普通。しかも先輩は、先輩のあの日の言葉が本当としたら、逆参さかまいり──左手で左側の壁に触れて地下神殿を周ってる。それやっちゃダメだってみんな知ってるのに。


 それから一週間後ぐらいに先輩も東京のあのオレンジ色の電車に飛び込んで大怪我をしました。大怪我で済んで良かったっていうか、電車の会社にお金とか色々払わなきゃいけなくて大変だったみたいだけど、生きてる分まだマシかなと俺は思って……でもなんで先輩が東京にいたのか分からないんだよな。あのー、嫁さん? 結局別れたから元嫁さんになるんだけど、東京の人じゃないんだよね。神奈川。俺行ったことないけど横浜? だったっけ? 先輩が出向してたのも横浜。そこで知り合って子どもができて結婚して……。だから元嫁さんに会いに行ったんだとしたら東京で電車に飛び込んでるの変なんですよね。なんだったんだろう。」

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