我の随に
天野和希
まえがき
私は小説は書くが、昔からどうも人に向けた文章というのが苦手である。感想文、レビュー、小論文、ブログ、この世の文章はまぁほとんどが誰か見えない相手を想定している。その紙の向こうには人がいる。みなそれを想定して、誰か読む者のことを考えて文章を書く。しかし、文章とはそう単純なものでもない。読む者がどういう者か、こちら側からは全く見えない。たとえある程度絞れたとしても、それどころかたった1人に向けていたとしても、その読者は私ではなく、文章を読んで何を感じ何を考えるかなど分からないのだ。私が例にあげた「相手を想定した」文章は、どれもなにか明確に伝えたいことがあるものである。言い換えればつまり、人によって、読者によって、捉え方が全く違ってはいけないのだ。
さて、唐突だが、私はいま過去最高に生きるという行為にほとほと疲れ果てている。何か言葉にしようとするとどれも冗長で、だから今こうして筆を走らせている訳だが、何ともなしに面倒くさいのだ。何度か今の私自身のことを人に話した。しかし文章を綴るのが苦手な私は、どうも現状だとか自分の考えだとかそう言ったことを簡潔に伝えるのができない。これは困った。話に乗ってくれるものは皆、私が言葉を探して黙っていると少しの間だけ待って、それからアドバイスを話してくれる。これを遮る訳にはいかない。私のことを思い考え、わざわざ言葉に紡いでくれているわけで、それがいくら見当違いでも、私の考えに反していても、遮る権利がある訳では無い。そうして私はいつもいつも、話したいことの何割も話せないままに奇跡的に上手く言葉にすることのできた思いばかり口にして、また受け入れ難い彼彼女らの言葉だけを頭の奥底にしまい込むばかりだった。
ある日ふとなんだか響きのいい、都合のいい1つの文が頭に浮かんだ。心地よいナレーションのようだった。私のような、プロどころかアマチュアだと名乗ることすらおこがましいただの大学生が文豪を気取るにはそれはそれは使いやすい、そういう文章。それがこの駄文の最初の一節である。何かこれで1つ、小説とは言えぬものの、かと言って偉い人が書く誰かのための文章とも言えぬような、そんな我が真髄の随に筆を動かしたものを書いてみようと思った。私は人に伝える文を書くのが苦手である。ならば、どうせ正しく伝わらないのなら、全て委ねよう。これを読む物好きな君達に。これはフィクションである。ただひとつ、私が書いていること自体は、フィクションでは無い。
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