第十三話 改造計画

「皆さん、初めまして。白瀬涼です」


 web会議の画面上に涼の顔と月島の顔、それから複数名の中高年の顔が映し出されている。会議の名称は「広報チーム」——涼は「情報プライバシーを守る市民の会」の広報担当に就任していた。


 団体の認知度向上と影響力の拡大、それが今の彼の使命だった。だが、本当の目的は別にある——マクガフィンを告発するために、社会的な支持を得ることだ。


 団体の現状は厳しかった。主なメンバーは中高年層が中心で、SNSの活用が不十分だった。街頭でのチラシ配布や、公民館での勉強会といった旧来の手法が主流であり、若い世代にはまったくリーチしていなかった。このままでは、マクガフィンや政府と戦うには非力すぎる。


 涼はまず、団体の名称変更を提案した。より広範な層にアピールするため、組織のブランディングを強化する必要があった。


「——真っ当な団体であることを認識させるため、国や自治体の機関を連想させる、権威性のある名称が望ましいです。あとは、名称を一度聞いただけでどのような活動をしているか分かることも重要です。ほとんどの人は、団体の名前を聞いてSNSやwebで調べるようなことはしませんから」


 涼はweb会議で力説を続ける。


「それから、善い活動をしている団体だとイメージさせる名前である必要もあります。擁護、保護、推進、適正化——こういった聞こえの良い言葉がおすすめです。人の認識は、言葉のイメージによって形作られます」


 彼は、マクガフィンで学んだ戦略PRの技法を余すことなく発揮していった。


「——では、皆さんの意見を踏まえ、『日本情報プライバシー保護協会』に改称したいと思います」


 会議の場で、涼が提案すると、月島が腕を組みながら頷いた。


「うむ……確かに、信頼感は増すかもしれないな」

「広報戦略全般の見直しも必要です。SNSや動画共有サイトを活用して、プライバシー侵害の事例を発信しましょう。オンライン署名活動も開始します」


 最初は戸惑っていたメンバーたちも、涼の熱意に押される形で次第に動き出した。彼の指導のもと、団体のブランドデザインが刷新された。ロゴは団体の名称を略した「JIPA」(Japan Information Privacy protection Association)の文字があしらわれたものとなり、信頼感を与える青色がイメージカラーとなった。ホームページ、SNSアカウント、ニュースレターなど、団体が運営するあらゆるメディア媒体が、このブランドコンセプトに沿うように刷新された。


 SNSアカウントの運用方針も刷新され、勉強会の内容を要約したインフォグラフィックを投稿し、若年層にも理解しやすい形で発信を始めた。


 フォロワーは少しずつ増えてはいるものの、その伸びはすぐに鈍化した。思うように結果が出せていないことに涼は悩む。こんなとき、群衆シミュレーションがあればAIが多数のシナリオで結果の予測を提示してくれるので、無駄なことはしなくてよいのだが。


 そんな折、涼に転機が訪れる。大手消費財メーカーの広報担当としての採用通知が届いたのだ。


「よし、これで生活を立て直せる」


 彼は仕事と団体の活動を両立させることを決めた。団体から支払われる報酬の水準はアルバイトよりは幾分かよかったが、やはり本業なしではとても経済的に立ち行かなかった。


 並行して、弁護士の峯岡を通してマクガフィンに懲戒解雇取り消しの交渉を進めていたが、先方より、半年分の給与を支給することを条件に示談にしたいとの希望があった。峯岡は電話で涼に告げた。


「どうやら、マクガフィンはこの事態を大ごとにしたくないようです。労働調停に進むこともできますが、費用も嵩みますから、ここで手打ちにしたらどうでしょう」


 涼は半年分の給与を受け取り、マクガフィンと示談を成立させることにした。新しい職を手に入れた今、マクガフィンに戻る理由はないからだ。


 一方、ポラリス2.0に関する情報は一向に集まる気配がなかった。月島の協力のもと、webページとニュースレターで再度情報提供を呼びかけてはいたが、社会政策総合研究所の元職員から再び連絡が来ることはなかった。


 かといって、マクガフィンの社員に訴えかけて直接情報を引き出すのは困難だ。彼らには高給が保証され、平時から厳しい守秘義務が課されているため、内部告発は期待できない。


 そのため、涼は団体を通じて更に広く、さまざまな情報提供を呼びかけることにした。マクガフィンの名前を伏せるのは従来どおりで、政府関連の世論操作や不自然な情報拡散に関する事例を求める形で団体のSNSに告知を出した。特に、データ分析会社や広告代理店など、情報流通に関わる企業の元社員や関係者に向けた呼びかけを強化した。呼びかける対象は社会政策総合研究所に加え、マクガフィンの業務委託先も含めた。


 涼を中心とした広報チームの弛まぬ努力により、やがて団体の規模は拡大し、賛同者は倍に膨れ上がった。ユーモアを交えた発信や、トレンドに沿った発信の成果でSNSのフォロワーも大幅に増加した。それでも、この団体が社会に対して大きな影響力を持てているとは言えなかった。


 そんな折、ある新聞社から団体の活動を取材したいという依頼が舞い込んできた。涼にとってこれは一大チャンスだった。彼は月島に電話をかける。


「月島さん、新聞社から取材の依頼がきています。電話かweb会議で話が聞きたいと言っていますが、対面でやりたいです。団体の知名度を広げる、またとないチャンスです」

「新聞社だって?おいおい、ずいぶんでっかい話だな。構わんけどよ」

「——マクガフィンのことをネタとして渡そうと思っています。まだどこにも公表していないネタがあると言えば、彼らも脚を運んでくれると思うので」

「ついに……やるのか?」

「機が熟すのを待ってましたが、今がその時だと思いました。並行して、行政にもマクガフィンのことを告発する準備を進めます。私たちの団体の存在意義を、世の中に知らしめるときです」

「ニュースレターやSNSでも流すよな?」

「当然です。それから、この件は私が指揮を取りたいのですが……」

「構わんよ。お前さんのおかげで協賛金も増えた。おかげでオフィスも借りられそうだ」

「はい、峯岡さんとタッグで進めます」

「弁護士費用はうちの団体が持ってやるよ。思い切り暴れてこい」


 涼はすぐに峯岡と連絡を取り、仕事の半休を入れて彼の弁護士事務所へ向かった。


 大手町へ向かう途中、いつものように電車のディスプレイを眺めていた。


『内閣支持率25%、3ポイント下落』


 涼にとってその数字は全く違和感のあるものではなかった。


 今の日本では、記録的な円安と中東での紛争が物価高を引き起こす一方、賃金は伸び悩んでいた。内需が縮小する一方で、株や不動産に資金が流入し、日経平均株価は今年過去最高を更新していた。


 資産を持つ富裕層にとっては景気の良い話だが、世間では格差と分断が広がっていた。マクガフィンのような高給の大手企業で働くエリート層が倹約とは無縁の生活を送っている一方で、それ以外の庶民はますます倹約を強いられ、デジタル空間がその不満の捌け口となっていた。


 アジテーターを中心に、政府や大企業を標的にしたネガティブキャンペーンが頻発し、皮肉にもそれがPRの重要性を高め、マクガフィンの売上を増大させていた。


 政府はこの状況下で全く有効な解決策を出せず、社会保障を維持するために所得税や消費税の課税を強化し、年金の受給開始年齢も後ろ倒しするなど、現役世代へ一方的に負担を強いる政策を続けていた。


 与党の衆議院の議席はすでに単独過半数ぎりぎりであり、巷では次の衆議院選挙で下野するのではないかと囁かれている。


 涼は大手町にある弁護士事務所に到着し、受付の横に立って峯岡を待った。彼は首藤の手記とポラリス2.0の写真を携えていた。


「白瀬さん、待たせてすみませんね。どうぞ」


 峯岡が奥の扉から現れ、涼を事務所内に招き入れた。ソファーに座ると、彼はさっそく本題を切り出す。


「お電話していたとおり、マクガフィンの告発に動きます」

「——なぜこのタイミングで?」

「月島さんの団体に新聞社の取材が入ることになったんです。そのタイミングで記者にこの特ダネを渡します。正直、他にも証拠を集めたかったですが、行政への告発を事前にやっておかないと、記者も情報の裏どりに困るでしょうから……」

「分かりました。お持ちいただいた証拠を含め、公益通報の手続きに入りましょう」


 峯岡が証拠品に目を通す姿勢は冷静だが、指先は無意識に机を軽く叩いており、落ち着かない様子だった。涼は峯岡の聞き取りに淡々と答え、公益通報に必要な書類の準備が整えられていく。


 そして、峯岡は涼に告げた。


「——結論から申し上げると、マクガフィンの事業は公職選挙法に違反するものではありません。現在の法律では、特定の候補者や政党を宣伝するものでなければ、選挙期間外でも合法とみなされています。なので、その線は厳しいですね」


 涼は落胆した。意図的に世論が作られるのを規制する法律が存在しない以上、マクガフィンの世論操作を止めることは困難である。


 しかし、峯岡はもう一つの可能性を示した。


「ですが、個人情報の保護に関する法律に抵触する可能性は高いです」


 峯岡の説明はこうだ。


 デバイス位置情報の収集は通信会社、アプリ利用記録の収集はスマートフォンのメーカー、メッセージアプリの履歴収集はアプリの開発会社、それぞれ各企業が既に利用規約に反映している。しかし、これらの規約が改定されたのが最近であることから、マクガフィンがそれ以前に情報収集を実施していたのであれば、法律に抵触するという。


 そして、ポラリス2.0で行われていた与党勝利シナリオのシミュレーションは、規約改定よりも前に実施されていた。シミュレーションを行うには、前提となる情報の収集が不可欠であるため、涼はこの線で告発を行う方針を固めた。


「個人情報の取り扱いを監督する行政機関があるので、そこに公益通報を入れることになります」


 峯岡の提案に、涼は静かに頷いた。マクガフィンへの、事実上の宣戦布告である。


「もしマクガフィンから訴訟を起こされたら、一緒に戦ってください。費用は月島さんからお支払いすることになると思います」

「もちろん、それが仕事ですから」


 涼は峯岡と固い握手を交わした。

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