第40話 「私、魔王になる」

 母に似ていること。

 ザックの初恋の相手がもしかしたら母かもしれないこと。

 私を恋人だと言ったザックは本当に私自身をみてくれているのか。

 以前の私、そう、転生前の私なら「それでもいい」と言っていたんだろう。そもそも、ザックを好きなことに気づきもしなかったかもしれない。でも、私は生まれ変わって、母と父に愛されて、自分を愛することを知った。自分が愛される存在なのだと知った。

 今の私は誰かの代わりに愛されるのは嫌だ。それが尊敬する母の代わりだったとしても、嫌だ。

 ハリーとの食事から、私の頭はザックと母のことに占められた。考えなければならないことは他にもあるのに、頭がそちらに向かわない。

 ザックはどんな風に母を見ていたのだろうか。

 母の美しい顔が思い浮かぶ。

 母が亡くなってもう九年。今でも鮮明に顔を思い出せる。

「私の可愛いフィラ。あなたはただ一人。大切な大切な私の娘よ」

 母の声が頭で響く。

 もう転生前の母の顔は思い出すことが出来ない。母といえば、新緑の髪にピンクの瞳をした可愛く美しいフローラルの顔が頭に浮かぶ。私を初めて愛してくれた人。大切な大切な人。

 私は自室のベッドの中、体を丸めて膝を抱える。

ー母さん、ごめんね、一瞬でも母さんの子供に生まれた事を後悔してしまった。母さんの子供に生まれてなかったら愛されることも知らなかったかもしれないのに……。

 初めての恋に翻弄される心。

ーこんな状態で王との話合いなんて出来ないよね。どうしよう。

 私のほんの少し残った理性が勇者としての仕事を思い出させる。


 コツン、窓を叩く音が聞こえた。

 私は布団から顔を出して窓を見る。

 窓の外にロビンがいた。ロビンの体は細い月に照らされて白く発光してるようだ。細い月だから光量は少ないはずなのに、輝いて見える。

 私は飛び起きてすぐに窓を開けた。

「ロビン」

 窓からスルリと入ってきたロビンを思いっきり抱きしめる。

 ロビンが小さな手で私の頬を撫でる。

「煮詰まってるね」

「うん、頭が爆発しそうだし、母さんのことが嫌になりそうだし、こんなのしんどい」

 ロビンが今度は私の腕の中で伸びをして、両手を私の頭まで伸ばした。可愛らしい仕草。私の心は少しだけほぐれる。

「ねぇ、ロビンはどうしてこんなにいつもタイミングよく来てくれるの?」

 ロビンが少し困った顔をした。

「実はね、ギプソフィラの動向は逐一把握できるようになってるんだ。神のいたずらだと思って」

 私は一瞬何を言われたのか分からなかった。

「え?何?どういうこと?神のいたずら?」

「そう、神のいたずら」

ーイヤイヤイヤ、神のいたずらってどう言うこと?私は神に監視されてるってこと?次の魔王候補として?

「ねぇ、ロビンは次の魔王になるかどうかは選べるって言ったよね?でも神に監視されてるってことはもう私が魔王って決まってるの?選べない?」

 ロビンがキトの姿のまま眉間に皺を寄せた。

「すまない、でも嫌ならならなくていいと思うんだよ。魔王がいなくても数年は多分この世界も崩壊しないし、この世界があるかぎり、神の気まぐれは続く」

 そこで一旦、言葉を区切って、ロビンが珍しく言葉を躊躇う。

「ギプソフィラ、君の犠牲の上にこの世界を存続させる必要はないんだよ。そう、君が辛い思いをしてまでこの世界を残す必要はないんだ。神の箱庭は他にもあるしね。普通に生きて普通に死ぬ、普通の人間としての生を全うしてもいいんだよ」

 私の頭は混乱してきた。キャパオーバーだ。

ー今ロビンが言ったこと、飲み込まなきゃ。

 私は慌てる。大事なものをしまっている私の小さな収納バックを手元に置き、中から紙とペンを取り出した。

 絶対に誰にも見せない私の秘密のメモ。

 誰かの前で出したのは初めてだった。

「ごめん、ロビン、私メモしたい。つまりは、私に選べるって言ったのはロビンの意思で、次の魔王は私に決定してるってこと?」

 ロビンが申し訳なさそうに頷いた。

 私はメモに「次の魔王は私に決定されている」と書く。

「私が魔王にならなかったら、この世界は滅びるんだよね?」

 ロビンはまた頷く。次に私は「私が魔王にならなければこの世界は滅びる」とメモに書いた。

「ギプソフィラ、私はずっと君を見てきたんだ。君に幸せであってほしい。この世界よりも君が大事なんだよ」

 ロビンが優しい顔に戻っている。でも言っていることはとても物騒だ。

「ロビン、ありがとう。そんなに大事に思ってくれて。でも、私、この世界を滅ぼしたくはないよ。この世界は私に幸せをくれたから、だから、魔王になる」

 自分でもビックリするくらい素直に言葉が出てきた。

 ザックだけでなく、リリーやハリー、テオやリックの顔が浮かぶ。そして、先日会ったハーミヤ卿の家族。私はこの人たちが好きだ。この人たちの大切な人が不幸になるのはやっぱり嫌。

「いいのかい?普通の生活は出来ない。人と共にあるためにはキトに姿を変える必要があるし、この国だけじゃなく、この世界全体を見ていく必要がある。

 それでいいのかい?」

 2度も確認される。私は頷いた。

「今すぐじゃないんでしょう?」

 今度はロビンが頷く。

「ザックが生きてる間は家族として人間として生きていたい」

 自分の希望が言葉になる。本当に素直に口をついて出てくる。

 ロビンは小さな首を大きく縦に振り、力強く頷いた。

「それは私が約束するよ。誰にも、神にも邪魔させない」

 私は胸を撫で下ろした。

 少し前まで、ザックが本当は母を好きで、私は代わりかもと思っていた事を思い出す。この世界が滅びるかもしれない問題に比べれば小さな悩みだと自分で思う。

ーなんだっていい。隣にザックがいて、私を大切に思ってくれているなら。ザックがいなくなることを思えばそんなの些細なことだ。

 私は今夜もロビンの隣で横になる。ロビンの体温が暖かくて気持ちいい。

 私はそのまま瞳を閉じる。頭にはみんなの笑顔が浮かんでは消える。私も笑顔だ。そこには母もいて、ゲオもいた。みんなに囲まれて幸せを感じながら意識を手放した。

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