第21話 帰り道 沼

「スズちゃん、ギブ…。キャー。ちょっとー、ギブアップだってー」


 遥乃は体をくねらせても逃げ切れないとみて、鈴香の両腕を手で抑え込む。


「私だって怒らせたら怖いのよ。お分かりいただけた?」

「だからスズちゃんの勘違いだってー」

「あれが勘違いなの?」


 鈴香が手先をコチョコチョする動作を見て、遥乃は身を震わせる。


「お願いだから聞いて」


 鈴香は遥乃の顔をじーっと見つめる。

 十分反省したようなので、鈴香は手の力を抜く。


 それを感じ取った遥乃は、恐る恐る手を離す。


「違う理由ってなに?」

「ちょっと待って」

 遥乃は胸に手を当てて呼吸を整える。

「突然はやめて、ビックリしちゃうよー」


 ちょうど良く手を胸に当てているんだったら、その胸に聞いてみれば?発作がよく起こるのはどっち?

 私だって愛でられてばっかりだと、反撃もしたくなる。


 鈴香は口を横に広げて、いーっと歯を遥乃に見せる。遥乃はベーっと返す。


「スズちゃんならこのままで大丈夫だよ、って言いたかったのー」


 それならあんな小馬鹿にした笑い方しなくていいし、綺麗な人が沢山いるって部分もあんなに強調して言わなくて良かったと思うよ。

 他にも言いたいことは沢山あるけれど、言葉が遠回りして長くなるから、何もしないで次を待つことにした。


「サッカー部の男子からも愛でられてるスズちゃんを本格的に敵に回さないと思うから、トイレに入ると水を掛けられる、なんてあからさまなのは無いんじゃない?」


 じゃない?じゃないわよ。


「ちょっとハルちゃん、例えが極端なんだけれど、お願いだからこれ以上怖いこと言わないでね」


 さっきの話が頭に残っているから、可愛く言われた方が「もしかしたら」が本当にありそうで、何だか胸の辺りがソワソワする。


 鈴香は身構える。


「友好的な人もいるわけだから、そこまで酷いことをしたら自分に返ってくるわけでしょ?女子は誰だって、サッカー部を敵に回したくないの」


 良かった怖くなかった。


「女子人気が高い五人のうち三人がいて、そのうちの二人が次期生徒会長候補。おそらく生徒会にはいかないでキャプテンになるであろう北村君は、野球部のイケメン大杉以外にも次期キャプテンたちと仲が良い。樹が生徒会長になったら、文も武もサッカー部員が重要なポストにつくの。女子たちにとってこれ以上のご褒美がある?それが私たち高校の力関係なの」


 怖くはなかったけれど、ハルちゃんは闇を出しきれていないみたい。

 なんだか今日はいつもより多め。


「う、うん」


 それで癒しを求めてパパに会いたかったんだと思う。ぶりっ子とはハルちゃんそのものだから、それを我慢するのは相当ストレスが溜まるみたい。

 でも、弁当泥棒って何で人気なの?


「だから安心してー。嫌がらせを受けたたとしても、洗面台付近の陰口だったのになぜだかトイレの個室に聞こえてきたり、すれ違いざまに小言で「ちんちくりん」なんてことを言われる程度よ。その代わり、ネチネチと絶え間なくやられるけどねー」


 目を細めて口角を怪しげにあげる遥乃の笑顔を見て、鈴香の背中に悪寒が走る。


「それって、いっっっや」


 怖いというよりも心が削られちゃう。そっちの方が絶対にヤダ。


 鈴香が顔を歪めるのを見て、遥乃は優しく微笑み返す。


「それとも叶わぬ恋に、胸を灼かれ続ける日々の方が良いー?」

「それも、イヤかも」

「歓迎するわよ。修羅の道へようこそ」

「だから、そっちの世界にいかないって」


 鈴香は小悪魔の囁きから逃れるように、首を横に振る。


「どっちも誰もが味わえるものじゃないのよぉ、おすすめよ」

「両方とも極端じゃない。どっちにしろそんな経験したくないの。私は藤原君と千草ちゃんみたいな感じが良いの」


 春のポカポカな日差しの中、窓際で大笑いするわけでもなく、ニコニコ仲良くお話しする関係が良いの。


「それだと、さざ波程度しか心は波立たないって、それで満足?」

「それで良いの。あの二人みたいな、ゆっくりとした時間が流れる感じが良いの」

「スズちゃんには無理よ。無い物ねだりはやめなさい」

「分からないじゃん」

「ダーリンの優しさに包まれて生きてきたら、普通の男じゃ無理なんだって。あきらめよー」


 遥乃は元気よく両手を高く掲げる。


「愛は与え、与えられるものでしょ?」


 ドライヤーから運ばれてくるママと同じ髪の香りに包まれて、良く聞かされていた言葉。私の恋は、この言葉みたいに芽生えてほしいの。


「それはやんちゃなダーリンを包め込めるほどに心が広い、詠月お姉さまだから言える言葉なの。スズちゃんみたいなタイプには無理よ」


 遥乃は諭すように遥乃の肩に手を置く。


「無理じゃない。私だって与えることができるもん」


 鈴香は体を振って、遥乃の手を払いのける。


「むーり。スズちゃんには与えることが大好きで、与えられることに興味がない人じゃないと合わないの。ダーリンがそう魔法をかけちゃったの」


 遥乃は人差し指を立てて、クルクルと回しながら鈴香に見せる。


「誕生日に手作りのプレゼントあげたり、パパにだってちゃんとお返ししてるもん。すごく喜んでくれたよ?」

「ダーリンが欲しかったものとか、ちゃんとあげられてた?」

「うーん」


 考えたけれど次の言葉が出てこない。


「でしょ?与えることって難しいんだからー。だから、見返りなんて求めない、多少強引な人の方がスズちゃんには合ってると思うよ」

「それだと私はどうすれば良いの?」


 今まで思い描いてきた恋愛に、そのパターンはなかったかも。そもそも、人の恋愛ばっかりキャーキャー追いかけて、主人公と自分を重ねることしかしてこなかったんだと思う。


「いつもは興味なさそうに聞くのに、今日はどうしたの?」

「そう?」


 少し考え込む鈴香を見つめながら、「あて馬成功ね、あとで樹を褒めなくちゃ」と遥乃は呟く。


「えっ、なに?」

「何でもないよー。スズちゃんだったら、やってもらったことに対して、好き嫌いを素直な気持ちで返したらオッケー」

「それって偉そうじゃない?」

「偉そうもなにもスズちゃんてさ、好意でして貰ったほとんどのことに対して心から嬉しそうにするじゃない?」


 そうかもしれない。

 感情表現の基準がパパだからか、小さな頃は喜ぶのが大袈裟だってみんなから言われることは多かった。


「昔はね」

「今もよ」

「えっ?」

「いまも。困り眉してる時は顔も困ってるし、体から困ってるオーラが出ちゃう。嫌なことになると、本人は隠しているつもりだけど表情から漏れ出しちゃってるからねー。それがタイプの人達は反応が可愛いから、勝手に自分から沼にハマっていっちゃうの。それこそがダーリンにかけられた魔法よ。そして、私は幼い時にダーリンの沼に落ちてしまったの」


 ありがた迷惑な話だ。どうせなら、ママかおばあちゃんみたいになれる魔法を掛けてほしかった。


 そろそろ鈴香の家に着く。遥乃の足が弾みだす。

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