第3話 侵入者


 夕刻、私は仕事場へ案内するというエズラの後ろを歩いていた。

 エズラの自宅へ行くと思っていたから、彼の家族へどう説明をすればよいか頭を悩ませていたが、執筆していた場所は別にあるとのこと。


 叔母の店から徒歩五分ほどの場所にある、閑静な住宅地にひっそりと佇む平屋の一軒家。

 ここが、エズラの仕事場だ。

 彼の指示のもと、庭石の下に隠してあった鍵でドアを開けた。


「ここには昼間ばかりで、夜に来るのは初めてだが……こんなに暗いのか」


 辺りをきょろきょろと見回しながら、エズラはどんどん家の奥へと進んでいく。

 エズラと違い『足』のある私は、ランプで足元を慎重に確認しつつ後をついていった。


「ここだ」


 ある部屋の前で立ち止まったエズラに「入るわよ」と一声かけ、一歩足を踏み入れる。

 部屋の中は壁一面が本棚になっており、中央にある大きな机の上には紙やペン、インク壺などが整然と置かれていた。


「ここだけを見ると、作家の部屋っぽくはあるわね……」


「俺は、本物だぞ」


 エズラはそう言うけど、簡単に人(霊)を信用してはいけないと兄は言うし、私もそう思う。

 ぐるりと部屋の中を眺めていたら、自然と本棚へ目が留まる。

 これまでに出版されたエズラ本が、ずらりと並べられていた。


「わあ! もしかして、全部揃っているの? 私はこれと、これは読んだわ。こっちは、まだね……えっ、こんな本も出ていたの? 今度、本屋で探さないと……」


 気付いたら、夢中で背文字を確認していた私。

 後ろから「フフッ」と含み笑いが聞こえてくる。

 どうやら、エズラの存在を忘れてしまったらしい。


「あっ、ごめんなさい! つい……」


「いや、構わない。そこにあるのは全て初版本だが、良かったら自宅へ持って帰ってくれ。ここで誰にも読まれず朽ち果てるより、クララに読んでもらえたら本たちも喜ぶ」


「そんな貴重なものは頂けないわ。それに、その……万が一のときは、ご家族が引き取るでしょう?」


「クララも、書類上では俺の奥さん……家族なんだけどな」


 呆れた視線を送っているであろうエズラから、ついと目を逸らす。

 たしかに書類上では配偶者だが、全くと言っていいほど実感はない。


「家族は俺が執筆活動をしていることは知らないし、興味もない。まあ、それは昔から変わらないが……」


 もはや諦めの境地に達しているのか、エズラは苦い笑みを浮かべている。

 話を聞いているだけでも胸が痛む希薄な家族関係に、言葉もない。

 

「俺は幼いころは体が弱く、ずっと家族と離れて生活をしていた。この家は、そのころ世話になった女性が晩年を過ごしていた家だ。彼女は身寄りがなかったから俺が管理をしていたが…………ここも、いずれは整理しないとな」


 最後にぽつりと呟いたエズラ。

 こちらへ視線を向けると、先ほどとは打って変わりにこりと微笑む。

 その雰囲気だけで、『誰でも』、『嫌でも』、察する。

 私は、おもむろに片手を上げた。


「ハイハイ。わたくしめが、あなた様に代わりまして諸々の手続きをすればよろしいのですね……旦那様?」


「クララは察しが良くて、本当に助かる。こんな優秀な秘書官がいたら、俺の執筆活動もさぞかし捗ったのだろうな……」


 うんうんと頷いているエズラは、実に満足げだ。

 つい、「あなたは、人を使うことにかなり慣れていらっしゃるのね?」とお上品に嫌味を返そうとしたら、外で物音が聞こえた。


「ねえ、いま何か聞こえな……」


「シッ! 俺が様子を見てくるから、クララはここに居ろ」


 そう言うと、エズラは壁をすり抜け出ていったが、すぐにまたドアから顔だけを出した。


「どうやら、泥棒らしい」


「えっ!?」


「安心してくれ、俺が撃退してやる。この家の物を盗もうなんて、許しがたい所業だからな……」


 言いたいことだけを告げると再びエズラは姿を消し、私に発言の隙を与えなかった。

 でも……


「姿が見えない霊なのに、エズラはどうするつもりなのかしら?」


 一人残された部屋に、私の声だけが響いていた。



 ◆◆◆



「なあ兄貴……こんな古家に、金目の物なんてなんもねえと思うが」


「ここは昔、る大金持ちに仕えていたと言われるばあさんが住んでいた家だぞ。慎ましい生活をしていたから、高額な給金は使い切っていない。まだ、どこかに眠っているはずだ」


 泥棒は、ヤックとコーダの二人組。

 彼らは家のドアをこじ開けようと懸命になっているが、なかなか開けることができない。

 それというのも、エズラによって防犯対策が万全に施されているからだ。

 ドアからの侵入を諦めた二人は、家の裏手へと回る。

 庭に落ちている石を掴み、今度は窓を割って部屋に入ろうと試みた。

 ここで大きな音を立てれば静かな住宅街に響き渡ってしまうのだが、あいにく彼らにそこまでの知恵はまわらない。

 弟分のコーダに窓の破壊を任せ、兄貴分のヤックが周囲に気を配っていると、「ひぇ~!」と情けない悲鳴が上がる。

 ヤックが振り返ると、コーダが腰を抜かし尻もちをついていた。


「おまえ、大きな声を出すんじゃねえ! 近所に気付かれるだろうが!!」


「で、出た……」


「何が出たんだ? 犬か? 猫か? ニワトリか?」


 弟分よりも自身の声のほうが大きいことにも気付かず、早口でまくし立てたヤック。

 コーダが指さす窓へ視線を向けると、家の奥の暗がりに淡くぼんやりとした人らしき姿が見えた。


「あ、兄貴……霊だ。ばあさんの霊が出たんだよ!」


「ハハハ! この世に『霊』なんて居るわけがねえ。何かと、見間違えているんだろう」


 高笑いをしながら窓へと近づいていくヤックは、恐れを知らぬ男だった。

 石を持った手を振り上げ窓を叩き割ろうとしたその時、彼の耳に『止めよ、ヤック』の声が届く。

 声はくぐもっており男とも女ともわからないが、相手が自分の名を知っていることに一瞬にして肝が冷えた。


『これからも悪行を続けるのであれば、おぬしとコーダの命はない。窓を割った瞬間にここで命を落とすか、数か月後に刑死するか、好きなほうを選ぶがよい』


 相手は、ヤックだけでなくコーダの名も知っている。

 これはただの偶然ではなく、明らかに自分たちを認識している『人ならざる者』がいる証拠。

 

「ど、どっちも嫌だー!!」


 コーダを引きずりながら、ヤックは一目散に逃げ出す。

 何があっても、絶対に後ろは振り返らない。立ち止まらない。

 の者と目が合ってしまえば、そこで人生が終わりを迎えるのだから。


 二人の姿が見えなくなったところで、「やれやれ……」という声が室内に響く。

 『人ならざる者』が頭から被っていた布を外すと、現れたのは茶色の髪にこげ茶色の瞳を持つ若い女性……クララだった。

 


「クララが機転をきかせてくれなければ、今ごろは侵入されていたな……危ないところだった」


「『俺が撃退してやる』なんて威勢のいい発言をしていたのは、どこの誰だったかしらね?」


 目を細め、さっきの仕返しとばかりに呆れた表情を向けるクララに、今度はエズラが目を逸らす番だ。


「本当にすまない。子供のころに読んだ物語では、霊は姿は見えずとも物は飛ばせたのだ。だから、俺にもできるつもりだった」


「ふふふ、まあ何事もなくて良かったわね」


 申し訳なかったと言わんばかりの表情をしているエズラの顔を眺めていたクララは、彼の姿が変化していることに気付く。

 以前は淡くぼんやりとしていた体の輪郭が、明確にくっきりと。

 曖昧だった髪色や瞳の色が、そして彼の表情が、はっきりと目視できるようになっていた。


「こうして見ると、エズラって結構男前なのね。さぞかし女性に人気があったでしょう?」


「いや、俺より優秀な兄たちのほうがずっと人気がある。それに、俺は彼らと違い人前に出ることが苦手で、たまにここへ来る以外はずっと家に引きこもっていたからな……って、クララは俺の姿がよく見えているのか? さっきは、かろうじて見えると言っていたはずだが」


「霊体が強くなったのか、あなたが金髪で瞳の色は緑ってことまでわかるわよ。やっぱり祖母の言う通り、生きる目標を見つけたからだわ」


「たしかに、大事なこの家を放置したままでは死ねないと思ったが……」


 あごに手をあて考え込んでいる姿も様になっているエズラに、クララはさらに言葉を重ねる。


「とにかく、今あなたにいなくなられたら、私が困るの。この家の手続きとか、あなたの言う通り本物のエズラだったら著作品の扱いとか……あなたの意向を聞きながらでないと片付かないものばかりだから、せいぜい長生きしてちょうだいね! それに、執筆の手伝いもあるのでしょう?」


「ハハハ、クララには敵わないな。鋭意、努力するとしよう」


「絶対、約束よ」


 ひとまず、エズラが生きる理由を複数見つけたことに、クララはホッと安堵の息を吐く。

 これで、少々投げやりな態度の彼が、少しでも自分の人生に前向きになってくれたらと願わずにはいられなかった。


「クララの言葉は、妙に説得力がある。それに、祖母から受け継いだというその能力は本物だ。さっきの泥棒も、それで恐れをなしたのだからな」


「彼らの守護霊が、『悪行を止めてほしい』と言っていたのよ。それより、どうしてあなたが祖母の能力のことを知っているの?」


「ミーサさんから、いろいろと話は聞いていたからな。『クララは、私より母の力を強く受け継いでいる』と言っていたぞ」


「『私よりも』って、ミーサ叔母さんも霊視ができたのね……全然知らなかったわ」


 叔母も同じ力を持っていて姪の能力も把握していたことに、クララは全く気付いていなかった。

 しかし、他人であるエズラは知っていた。

 それだけで、二人が相当親しい付き合いをしていたことがわかる。


「ミーサさんは、自分の運命を察しているようだった。だから、遺言書に……」


「……きちんと借金のことを書き記しておいたのね。おかげで、踏み倒さずに済んだわ」


 ちゃんと借金分の働きはするからね!と宣言する自分を、エズラが複雑な表情で見つめていたことに、クララは気付かなかった。


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