校舎内の禁足地
久賀池知明(くがちともあき)
第1話
この話をするのは久し振りの事なので、少し歪曲してる部分もあるかもしれません。
と前置きして話してくれたのは、彼が6年間過ごした学舎に存在する開かずの間ならぬ、開かずの廊下の話です。
その小学校は市内からそれ程遠くはない田舎にあり、車を30分も走らせれば市役所に着く距離にありました。生徒数はそれなりに過疎化が進み、1クラス20人前後。学年が下がる毎に教室は広くなっていく様な学校でした。
小学校を中心に徒歩10分圏内にコンビニは1件、最寄りのスーパーまでは車で10分掛からないくらい。竹林や溜池が至る所に存在していて、文字が風化で読めなくなった慰霊碑のすぐ横の空き地には、週に2、3度移動販売の車がやって来ては、子供達がお菓子を買い漁っている光景が見れたそうです。勿論彼、仮に菊池君としておきましょう、菊池君もその中の1人でした。休みの日には、無駄に広い校庭の隅っこでカードゲームに勤しみ、なけなしのお小遣いでコンビニに走っては新しいカードパックを買い、移動販売でお菓子やジュースを買う。至って普通の男の子でした。
然しながら、そんな普通の生活の中に1つだけ、異物が存在していました。
菊池君の通う学校は三階建てで各階に普通教室が3つずつ。1階には職員室と給食室、家庭科室、それに普通教室を改装した障害者用の教室「きらり教室」。
2階には理科室と図書室が。3階には理科室。
校庭から大まかに見て右側に職員室と図書室があり、左側にはそれ以外と保健室が教室の合間を縫ってちょこんと存在していました。校庭はそこそこに広く、1周が200メートルのトラックと、オーソドックスな遊具が複数設置されていました。
一見普通の学校にしか見えないのですが、校舎の2階にそれはありました。
机と椅子が天井までみっちり積み上げてあって、更に動かないようにチェーンで何重にも縛ってあるんです。ご丁寧に南京錠まで。それが真ん中の教室を挟むようにふた山。子供ながらにおかしいなと思いましたよ。隙間から覗ける廊下には特におかしい所も壊れそうな所もないし、教室に入れないようにしたいならドアだけ施錠すればいいじゃないですか。そのたった10メートルかそこらの廊下丸ごと封鎖してるんですよ。
その廊下に近づけば怒られるし、でも何があるのかと尋ねると決まって「よく知らない」か「お前達には関係ない」と答えるのだそうです。やり取りを何回か繰り返す内に殆どの生徒達は興味を無くして、当たり前として過ごす様になりました。
そういう摺り込み的な思考実験が猿で行われていた事を思い出し伝えると、あなたも中々趣味が悪いですねと苦笑いされてしまいました。
さて、殆どの、と言いましたが菊池君はその例から漏れ出たタイプでした。駄目と言われれば興味が無くなるどころか益々膨れるばかり。どうにかしてバリケードの中に入りたくて仕方がないのですが、基本先生が両隣りの教室で見張っていて、かつ放課後にはこの教室棟は完全に施錠されるのです。
煮え切らない日々が続いていましたがある日、菊池君にチャンスが訪れました。
5年生に上がって教室は3階になり、毎日大量に教科書を持ち帰るのが億劫だった私は、よくロッカーや掃除用具入れに隠していました。ちょっと前に話題になった、何でしたっけ。あんなのがあれば楽なんですけどね。まあとにかく常習化してしまっていたのもあって、その日家で使う予定の教科書を教室に忘れてしまって。校舎を施錠するギリギリの時間だったので、職員室へ向かって筆箱を忘れたって事に入れてもらおうかと思いました。教科書を置いてる事は黙っておかないとですからね。でも、校舎に設置された大時計を見ると施錠の10分前で、走って行けば間に合うんじゃないかとも思い駆け足で昇降口に向かいました。教科書を取ったついでにちょこっとバリケードを潜って、戻れやしないかと思い付いたんです。夕暮れに染まる校舎内って凄く不思議な空間ですよね。ノスタルジックとか昭和レトロとかそういう言葉が似合うかと思うんですが、子供だった僕には何でも飲み込む大蛇の口の中に居るような感じがしてとても居心地か悪い空間でした。
大丈夫だと分かっていても尻込みしてしまう事は生きていれば遭遇するでしょう。高い橋の上や大型肉食獣の檻の前、真っ暗な廊下。私もよく自宅の廊下に誰かいやしないかと想像し、背中から全身にかけて身震いが襲う事がしょっちゅうです。居たら居たで危険極まりないですが、つまり、普通に生活していてもそういう気持ちが芽生えるのに、菊池君の学校には想像を掻き立てる場所が存在しているのです。好奇心とは別の感情が生まれてしまったとしても、誰も文句は言えないでしょう。
とは言え本来の目的は忘れ物ですから、菊池君は一目散に3階へと駆け上がり、開かずの廊下を一瞥して教室に入りました。施錠間近だからなのか教室には先生もおらず、徐々に赤みを増す夕陽が蛍光灯の代わりに教室を照らしていました。
菊池君は掃除用具入れの前に立ち、確かここだったろうと扉を開きました。適当に突っ込まれた掃除用具と共に教科書達が落下し、菊池君の頭にぶつかります。痛いと言うより先に「音を立てないようにしなければ!」と危機感が体を動かして箒だけは床に落下する寸前に何とかキャッチしましたが、その他はバサバサと散乱してしまいました。
大きい音こそ出さなかったものの、施錠ギリギリなのと隠しているのがバレたら怒られるのとでひどく焦ったそうです。なにしろ施錠まで5分を切っているのが横目に見えたのですから。
このままモタモタしていれば先生が来るかもしれないし、来なかったとしても施錠されてしまえば職員室方面から出るしかない。となるとまず間違いなく見つかってしまう。
幸運にも目当ての教科書が1番上でひっくり返っているのが見えたので、箒を乱暴に収納し、教科書を拾い上げるとその他不必要な物は適当に重ねて掃除用具入れの上段に叩き込みました。恐らく明日開ける時にまたバサバサと落ちてくるのでしょうが、知ったことではありません。
教科書を持って急いで廊下に出ました。この時にはもうバリケードを潜ろうなんて気持ちは消えて、早く帰る事だけを考えていました。施錠時間より早く出ないと先生に鉢合わせますから。教科書を落とさなければちょっと入って、出てってしたんでしょうけど……いや、まぁ、ある意味では良かったんでしょうね。教科書を落として。廊下に出るなり何かがおかしいなと思ったんです。たった数分前と景色が違う気がする、間違い探しをしてる様な気分と言うか。夕方ですから一瞬の内に陽の当たり方が変わってしまったとか、そういう事じゃなく、決定的な違いがある気がしたんです。だからって止めとけばいいじゃないですか、振り向いて確かめるなんて。
誘惑に負けた菊池君がその違和感の正体に気付くまで、そこまで時間は掛かりませんでした。
自分以外誰もいない3階の廊下の、机と椅子で作られたバリケードの丁度真ん中。
埃でくすみ灰色の光を独りでに放つ蛍光灯が、まるで主人公を照らすスポットライトの様に、綺麗に揃えられこちらを向く赤い上靴を照らしていました。
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