[5] 解説
ここに連ねられた文章たちはいずれもペインターという不可思議存在について述べられている。それも極めて曖昧な言い方で。恐らく著者が表現したいのは、ペインターという謎そのものではなく、その情報が捏造されていく過程というものではないだろうか? 私にはその構図が現状の社会全体を模倣し、皮肉っているように思えてならない。存在しない何かをさも存在するかのように語り合い、それによって時に利益を得たり、不利益をこうむったりする。この現実に対しての幻想の比率が上昇しすぎた世の中において、警鐘をかき鳴らすために、また幻想が織り成されるというのは、どこかしっくりくるような気がする。
だがしかし、これだけの構図で終わっては所詮この小説は単なる現実非難であるにすぎないことになってしまう。そこらにある凡百のそれらに埋もれてゆく。この小説の本当に意味するところとは、その現実への警告というところにはないはずだ。著者は現実と幻想の境界の曖昧性について繰り返し言及している。あたかも我々は現実と幻想の間にしっかりとラインを引くことができるかのように考えている。実際のところ我々はそこまで明確に現実と幻想の違いを見極めていられているだろうか?
作品世界においてもっとも幻想的な存在として扱われるのはペインターである。しかしペインターは同時に現実的産物であり、その二つの境界線上をふらふらと歩き回っているかのように、行動している。あるものはそのペインターに対して、苛立ちを覚えざるを得ず、あるものはそれに対して、共感を覚えたりして、そしてまたあるものはそれを一個の病理の表出として考察してゆく。彼らはいずれも言葉を理解できないペインターへ言葉による投げかけを試みている。だがそのすべてがとても成功しているとは思えない。
幻想は言葉によって破壊されない。むしろ幻想の複雑性だけが増してゆくことになる。なぜだろうか? それは言葉こそが幻想を形作るもっともたる要素に他ならないからである。人はペインターの幻想を理解するのに、言葉を用いることをしなければならない。作中でも述べられているように、ペインターの奇異性とはどこか中途半端なところがあり、とくとくと説明されてはじめておかしいと思えるようなものなのである。故にこそペインターの噂は幻想の言葉による構築性を強く主張している。
果たしてこうやって言葉を繰り返してゆくことで、貴方にも気づいてもらえただろうか? 我々が持つもっとも巨大な言葉の群れ――強大な幻想とは、それは現実のことなのである。現実を運営する上で言葉は常に交わされる。言葉の交換こそが現実の営みであると定義してもさしつかえないほどに。著者はそれを強調し、さしもすると言葉を放ちつづけることこそが、現実をはたらかせてゆくことなのだと述べているのである。本当のところこの小説の著者は幻想と現実の境界というものを認めてはいない。そしてでは幻想と現実のどちらがすべてなのかと問われたとき、彼は幻想までを現実が飲み込んでしまうと答えるような気がしてならない。
これだけの幻想を放ちながら、ペインターは超的な現実主義者の位置に立とうとしている。現実にさえ強固な基盤がないと叫びながらそれでも現実に固執しようとしている。それは結局のところこの世界の誰もが現実以外の行き場を持ち得ないからなのかもしれない。そしてなにより現状が幸福であるからなのかもしれない。幻想に逃げ込むことはできない。どこまでいっても現実なのだ。どこを切り取ったところで現実なのだ。その現実に抱かれて人は幸福に生きている。幻想というものまでを利用して、広く現実を味わっている。現実から逃れられないのではなく、逃れようとはしない。あるいはこの著者の狙いをそれこそ現実批判だと述べる人もあるかもしれないが、それはまったく間違っている。これは紛れもない最大級の現実礼賛である。幸福に生きるものをうらやみそこにさらに祝福を重ねているのである。現実の構図をとことんまであばいていきながら、同時にそれを非常に高く評価しているのである。
現実に住まう君たちへ。そこにとどまりつづけることのできる状況を喜ぶがいい。現実の外にも現実しかない構造のすばらしさをかみしめるがいい。そこまで強固な幻想を作った自分たちを褒め称えるがいい。決して絶望などない。あるのは逃れられない幸福の津波だけなのだ。祝福せよ。だが著者によってよびかけられた側の私たちはそれを本当に額面どおりに受け取って喜ぶべきなのだろうか? 幸福を肯定しながらそこに疑問を抱かせる、非常に皮肉な小説だ。
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