かみさまの エゴイズム

有理

かみさまの エゴイズム

「かみさまの エゴイズム」


なんでも私の言うとおり


洞木 圭介(うつぎ けいすけ)

久家 しおり(くげ しおり)

竜胆 千景(りんどう ちかげ)

小野田 莉子(おのだ りこ)


葛木(かつらぎ)※しおり役と莉子役で兼役してください



この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



莉子「あなたは私を愛してくれますか?」

圭介N「そう綴られた帯を纏う一冊の本。僕は彼女を知っている」

莉子「8月の暮れ、私は人を殺しました。」

圭介N「冒頭の告白。これは決してフィクションではない。」


莉子(たいとるこーる)「かみさまのエゴイズム」


千景「おーい!しおり!」

しおり「千景!久しぶり!」

圭介N「汽笛、海鳥の鳴く声、塩の味がする風。都会からかなり離れたこの島は1日に2便のみ本島からのフェリーにて行き来ができる。」

千景「久しぶり!元気だった?」

しおり「うん!迎えありがとう。圭介も。」

圭介「うん。」

千景「今年の祭り、俺が太鼓叩くんだ!花火の前!20時な!」

しおり「そうなんだ。張り切ってるねー!」

千景「当たり前だろ?太鼓役っていうのは1番神子様近くで見られるんだからさ!」

しおり「でも神楽笛は今年も圭介がやるんでしょ?」

千景「ぐ、」

圭介「うん。」

しおり「笛役には負けるんじゃない?」

千景「そりゃそうだけど…!」

圭介「千景の太鼓評判いいよ。音が遠くまで響いてさ。」

千景「あ!ほら!圭介がこう言うんだぞ?今年は太鼓も注目されるって!」

しおり「どーだかね!」

千景「20時!遅れんなよ!」


圭介N「8月半ば、島出身者が必ず帰島する日がある。正月は帰れなくてもいい。この日さえ帰ってくれば許される程の重要な祀り事。」


千景「圭介、着いたよ」

しおり「ああ、欲祓いか。」

千景「じゃあ、また夜にな!」

圭介「うん。」

しおり「笛楽しみにしてる」

千景「いや、去年も聴いたろ笛!今年は太鼓聴けって」


圭介N「波の音が聞こえる松林の奥、いくつもの朱い鳥居を潜ると辺りの温度が少し下がる。」


莉子「圭介くん。こんにちは。」


圭介N「白衣(びゃくえ)に緋袴(ひばかま)、緩く結われた黒い髪。青い血管が浮き上がるほど、白くて華奢な手首。透き通るガラスのような瞳。小野田莉子が首を傾げて神殿に立っていた。」


莉子「欲祓いに来たの?」

圭介「そう。」

莉子「今葛木(かつらぎ)さんが祓幣(はらいぬさ)綺麗にしてるからちょっと待っててくれる?」

圭介「…出直すよ。」

莉子「すぐ来るよ、きっと。」

圭介「…」

莉子「ここ、座ってて。ラムネあるよ。」


圭介N「小野田莉子。この島が祀る神社の神子。彼女のことを知らない島民はいない。それと同時に彼女のことを知っている島民もいない。」


莉子「はい。どうぞ。」

圭介「どうも。」

莉子「私の分も開けてくれない?溢さずに開けるの下手なの。」

圭介「ああ、うん。」


圭介N「押し込んだビー玉と引き換えに弾ける音がする。カランと落ちる音が好きで子供の頃はよくラムネを強請った。」


莉子「ありがとう。」

圭介「いや、こちらこそ。」

莉子「神楽笛、順調?」

圭介「まあいつも通り。」

莉子「今年もよろしくね。」

圭介「ああ、うん。」

莉子「ねえ。圭介くん何部だった?」

圭介「…美術部。」

莉子「そう。私好きな絵があってね。本物は見たことないんだけど、知ってる?ルドンのグラン・ブーケ。」

圭介「知らない。」

莉子「素敵なんだよ。もし外に出たら見てみて。」

圭介「うん。」

莉子「来年からは誰が神楽笛吹くのかな。」

圭介「さあ。」

莉子「相変わらずそっけないなー。」


圭介N「俺は昔からずっと、小野田莉子が怖かった。」


莉子「ねえ。圭介くん。」


圭介N「目を合わせたらガラスの向こうまで吸い込まれてしまいそうで。」


莉子「愛って、なんだと思う?」


圭介「え、何?」

莉子「“愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する。”」

圭介「…」

莉子「アリストテレスはこう言うの。」

圭介「はあ、」

莉子「でもね。“人を愛したら 賢いままでいることは不可能になる。”知ってる?フランシス・ベーコン。」

圭介「…知らない」

莉子「どうして愚かになるとわかっていて求めるのかな?愛って必要?」

圭介「知らないよ。」

莉子「私もこの島を出て、愛、探してみたい。」

圭介「君はここから出られないじゃないか。」

莉子「古いしきたり。つまんない。」


圭介N「小野田莉子は鳥居の外にすら年に数回しか出ることを許されていない。島から出るなんてもってのほかだ。彼女は神の子、穢れさせてはいけないと昔から島のしきたりで決まっていた。」


莉子「ねえ。圭介くん」

圭介「なに。」

莉子「連れ出してよ。せめて鳥居の外に。」

圭介「…っ。」

莉子「祀りの日、花火が上がる瞬間はみんな空しか見てないはず。その瞬間に、ね?お願い」


圭介N「覗き込まれたガラスの瞳にたまらず俺は目を逸らした。そして勢いよく立ち上がり彼女から距離をとる。」


圭介「俺、出直すよ。」

莉子「そう?」

圭介「うん。じゃあまた」

莉子「…またね。」


圭介N「俺は小野田莉子が、」


__________


しおりN「古臭い実家。神棚の榊を取り替える父。縁側に腰掛けて細く紡いだ糸を編む母。祀りの前はいつもこうだ。」


しおりN「辛気臭い。昔から私はこの祀り事が嫌いだった。」


しおりN「普通、この島の人間は高校までは島内の学校に通う。でも、私は早く出たかった。こんな田舎の島早く出てもっと広い世界を見たかった。高校生でこの島を出る人は少なかったが、父も母も快く許してくれた。この日に必ず帰ってくる、その約束を守るならば、と。」


千景「しおり?」

しおり「ああ、ごめん。考え事してた。」

千景「眉間すごいことになってるぞ。」

しおり「あはは」

千景「おじさんもおばさんもしおりが帰ってきて喜んでるだろ?」

しおり「祀りの準備で毎年それどころじゃないよ。」

千景「そりゃ、どこの家も同じだよ。でも、しおりに食わせてやるんだーって昨日から飯の買い出ししてたし楽しみにしてんだよ。」

しおり「どうだかね。」

千景「大学、行くんだろ?」

しおり「うん。」

千景「みーんな出てっちゃうな。」

しおり「千景は?」

千景「俺は残るよ。」

しおり「…そうなんだ。」

千景「うん。俺、実家継ごうと思ってさ。」

しおり「千景が花屋?」

千景「おう。」

しおり「似合わなーい」

千景「はは、そうだけどさ、誰かの帰ってくる場所守っていきたいんだ。」

しおり「…ふふ。千景らしいね。」

千景「似合わなーい、とか言ってたくせに」

しおり「お花屋さんは似合わないけど、そういうとこ昔から変わんないね。」


千景N「くすりと笑う彼女をそっと横目で見る。会わなかった時間はたった1年なのに、去年より少し垢抜けた気がする。」


千景N「俺たちが生まれたこの島には、神に酷く固執したしきたりが根付いている。しおりは昔からこの行事を好んでいなかった。屋台が並ぶ賑やかな祭りとは違う。花火が上がるまで鳴り響く神楽。その間島民の殆どが膝をつき首を垂れる。」


しおりN「私だって初めからこの祀り事が嫌いだったわけではない。生まれた時から当たり前に行われていた行事、それが私の当たり前だった。違和感を覚えたのは小学5年の時。出張から戻った父が“欲祓い”を受けていた時だった。」


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莉子「ねえ。しおりちゃん。」

しおり「あ、神子のお姉ちゃん。」

莉子「莉子って呼んで。」

しおり「莉子ちゃん。」

莉子「うん。“欲祓い”しにきたの?」

しおり「うん。お父さんが帰ってきたから。」

莉子「そう。今、葛木くんが祓幣(はらいぬさ)綺麗にしてくれてるからもう少し待っててね。」


しおりN「幼い私を見下ろして小野田莉子は微笑んだ。」


莉子「“欲祓い”ってなんだと思う?」

しおり「え?目を閉じてー、頭を下げたら莉子ちゃんが白いわさわさを頭の上で振ってくれるんでしょ?悪いことが起こりませんようにーって。ママはそう言ってたよ?」

莉子「それじゃただのお祓いだよ。」


しおりN「彼女の瞳は怖い。覗き込んではいけないような気がしていた。透き通った琥珀色。」


莉子「ねえ。しおりちゃん。」

しおり「何?」

莉子「欲祓いの時、目を閉じるのをやめてごらん。頭を下げて目をそっと開けるの。」

しおり「でも、それじゃダメだってママが」

莉子「気が向いたら。やってごらん。」


しおりN「そう言う彼女はくすりと笑って私の髪を撫でていった。」


しおりN「その日、祓幣の準備ができて行われた欲祓い。サラサラと頭の上で鳴る髪の音。“目を閉じるのをやめてごらん”彼女の言葉が耳に張り付いて、私はそっと目を開けた。」


しおりN「祓幣を振るっていたのは彼女ではなかった。世話役の葛木さんがサラサラと振り続けている。そして私の足元にしゃがんでいた彼女は嬉しそうに口角を引き上げる。」


莉子「あーあ。見ちゃった。」


しおりN「囁かれたその声に思わず舌を噛んだ。」


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しおりN「それからというもの、私はこの島が、島の風習が大嫌いになった。」


千景「あ、圭介」

しおり「あれ?欲祓いは?」

圭介「祓幣なかったから。また後で行くよ。」

しおり「そうなんだ。」

圭介「千景、そろそろ稽古。」

千景「え、うわ。本当だ」

しおり「後で差し入れ持っていくね。」

千景「まじで?俺アイスがいい!」

しおり「圭介は?」

圭介「俺はいいよ」

千景「圭介はラムネだよな!」

しおり「分かった!じゃあ稽古頑張ってね」


しおり母「しおりー?豆の筋取り手伝ってくれる?」

しおり「はーい。」


しおりN「いっそ、小野田莉子さえいなくなれば。」


__________


千景「神子様会えなかったのか?」

圭介「いたよ。」

千景「お前はいいよなー。洞木家ばっかり優遇されてさー。」

圭介「そんなに会いたいもん?」

千景「そりゃあ!神子様だぞ?そんな滅多に会えることないんだから。お前くらいだぞ。見飽きるくらい会ってるの。」

圭介「…」

千景「なんだよー。陰気な顔して。」

圭介「いや。そういえば言ったのか?しおりに。」

千景「へ?」

圭介「好きだって。」

千景「ばっ!ばっかお前!大きな声で」

圭介「別に大きな声じゃなかっただろ。」

千景「…い、言えるかよ。」

圭介「帰ってきたら言うんだって意気込んでたくせに。」

千景「いや、だってお前、しおりどんどん綺麗になって言い出しづらいっていうか、その」

圭介「なに?」

千景「あーあ。お前にはわかんねーだろーなー」

圭介「…。」

千景「な、圭介も島出るんだろ?」

圭介「うん。」

千景「俺、1人で待つ側になるんだな。」

圭介「…千景も出たらいい。」

千景「…いや俺はいいよ。」

圭介「なんで?」

千景「笑わないって約束しろよ?」

圭介「うん。」

千景「怖いんだ。外、出るの。」

圭介「…バケモノでもいると思ってんの?」

千景「違うって。…外にはさ、ここより目新しいものがたくさんあって多分すっごい自由でさ。俺、気付いちゃうと思うんだ。この島がいかに狭くて不自由だって。そしたら戻れなくなると思う。」

圭介「…みんなこの時期には帰ってくるだろ。」

千景「…外に出た人はみんな、仕方なく帰ってきてるんだよ。顔見りゃ分かる。」

圭介「…」

千景「俺、あんな顔して親父やお袋に会いたくないんだ。」

圭介「千景。」

千景「ん?」

圭介「“欲祓い”ってなんだと思う?」

千景「悪いことが起こらないようにって神子様がやるやつだろ?定期的に受けるやつ。」

圭介「…あれは」


しおり「圭介ー!千景ー!」


千景「あ、しおり」

圭介「…」

しおり「差し入れ!持ってきたよ」

千景「おー!ありがたい!」


圭介N「はにかむ千景に、俺は言葉を飲み込んだ。」


____________


葛木「高天原に坐し坐して(たかあまはら に ましまして)


天と地に御働きを現し給う龍王は(天と地に みはたらきを あらわしたまう りゅうおうは)


大宇宙根元の(だいうちゅう こんげんの)


御祖の御使いにして(みおや の みつかいにして)
一切を産み一切を育て(いっさいをうみ いっさいをそだて)


萬物を御支配あらせ給う(よろずのものを ごしはい あらせたまう)


王神なれば(おうじん なれば)


一二三四五六七八九十の(ひふみよいむなやことの)


十種の御寶を(とくさの みたからを)


己がすがたと変じ給いて(おのが すがたと へんじたまいて)


自在自由に(じざいじゆうに)


天界地界人界を治め給う(てんかい ちかい じんかいを おさめたまう)


龍王神なるを(りゅうおうじんなるを)


尊み敬いて(とうとみ うやまいて)


眞の六根一筋に(まことの むねひとすじに)


御仕え申すことの由を(みつかえもうすことの よしを)


受け引き給いて(うけひき たまいて)


愚かなる心の数々を(おろかなるこころの かずかずを)


戒め給いて(いましめ たまいて)


一切衆生の罪穢れの衣を(いっさいしゅじょうの つみけがれのころもを)


脱ぎさらしめ給いて(ぬぎさらしめ たまいて)


萬物の病災をも(よろずものの やまい わざわいをも)


立所に祓い清め給い(たちどころに きよめたまい)


萬世界も御親のもとに治めしせめ給へと(よろずせかいも みおやのもとに おさめし せめたまえと)


祈願奉ることの由をきこしめして(こいねがい たてまつることの よしをきこしめして)


六根の内に念じ申す(むねのうちに ねんじもおす)


大願を成就なさしめ給へと(だいがんを じょうじゅ なさしめたまえと)


恐み恐み白す(かしこみ かしこみ もおす)」


圭介「…。」

莉子「盗み聞き?」

圭介「いや、」

莉子「葛木さん、祓幣持ってきてくれる?」


莉子「欲祓い、しにきたんでしょ?」


圭介N「ぶつぶつ唱えていたのは、祀りで神子が唱えるはずの祝詞だった。小野田莉子は境内にだらしなく座り込み祀られるかのごとく、葛木さんの祝詞を聞いていた。スラスラと紡がれる祝詞。その光景は異様だった。」


莉子「サッとやっちゃおうか。」

圭介「今の」

莉子「聞かなかったことにしなきゃ。」

圭介「え?」

莉子「この時間、本当は立ち入り禁止だよ?しきたり忘れちゃった?」

圭介「…ごめん」

莉子「2人だけの秘密、作っちゃったね。」


圭介N「ニヤリと笑うその顔はただの少女でしかなかった。」


莉子「ねえ。圭介くん。」


莉子「神様っていると思う?」

圭介「…なんで毎回変なこと聞くんだよ。」

莉子「だって、こうやって話すこと許されてるの君くらいしかいないんだもん。」

圭介「洞木家だから?」

莉子「そう。変な風習。でも、君しかいないんだよ?そのかわり何度も何度も、どの島民より多く受けるでしょ?欲祓い。特別な血筋なの。」

圭介「欲祓いって、いいことじゃないだろう。」

莉子「あれ?悪いことが起こりませんようにーってお願いするのはいいことじゃないの?」

圭介「…冗談言うなよ。」

莉子「…」

圭介「何度も受けてりゃ分かる。あれは洗脳の一種。言わば呪いだよ。」

莉子「あららー。」

圭介「神様なんて、人間が作り出した偶像だろ。」

莉子「ふふ、圭介くん。悪い子になっちゃって。」

圭介「なに、」

莉子「ねえ。悪い子くん。」


莉子「神に抗うなら、連れ出してよ。私をここから。」


圭介N「俺の胸ぐらを掴み自らに引き寄せた小野田莉子は耳元で囁く。」


莉子「そしたら、そうしたら。何もかも自由にしてあげるよ。お友達も、君も。」


圭介N「ドクドクと脈打つ心臓が、鼓膜を破るほど喧しく、」


莉子「簡単だよ、愛されるより簡単。」


圭介N「神の子は、一層妖艶に顔に弧を描いた。」


____________


しおり「なに?」

千景「これ、店の余り。」

しおり「はは、ひまわり?」

千景「そ。こんな大きなの中々入らないからさ。」

しおり「でも、店の余りなんだ?」

千景「っ、う、うん。」

しおり「私に?」

千景「うん。せっかく戻ってきてんだから。」

しおり「戻ってきてるから、何?」

千景「…笑ってほしくて、」

しおり「…」

千景「絵、まだ書いてるんだろ」

しおり「うん。」

千景「絵になるかと思って。」

しおり「…」

千景「変かな、俺。変だよね。どうかしてるわ。」

しおり「ありがと。千景。」

千景「ううん。」

しおり「私、来年からは戻らないつもり。」

千景「え、祀りの日も?」

しおり「うん。」

千景「でも、それじゃしおりの父さん達が…」

しおり「嫌いなの。この島が、みんな、みんな。」

千景「しおり…」

しおり「バチ当たりだって、思ってる?」

千景「…」

しおり「でも決めたの。どんなバチがあたってもいい。画家になりたいの。外の世界で。だから、私はもう、戻らない。」

千景「しお、」

しおり「明日は、千景の太鼓ちゃんと聞くからね。」

千景「…」


千景N「しおりに抱かれた大きな向日葵が悲しげに見えた。」


_________


圭介「千景?」

千景「ああ、ごめん。」

圭介「どうした?」

千景「…しきたり、破ったらさ、」

圭介「…」

千景「どうなるんだろうな。」

圭介「千景」

千景「…はは、いや、破る気ないんだけどさ。」

圭介「…何考えてるんだ?」

千景「何も、ないよ。」

圭介「…ちか」

千景「今日、夜まで晴れてるといいな。」

圭介N「思い詰めた顔が空を仰ぐ。遠くで立ち昇る入道雲。茹だる夏の気温は昨夜を思い出させる。」


千景「あ、俺今日“欲祓い”だ。」

圭介「え、今日?」

千景「そう。急に朝店に葛木さんから連絡きてさ。」

圭介「…」

千景「いつもなら祀り当日は神楽の時しか神子様に会えないはずなのにな。」

圭介「千景、」

千景「へへ、ちょっとラッキー」

圭介「千景。」

千景「ん?」

圭介「気をつけろよ。」

千景「ああ、無礼のないようにって?」

圭介「違う。」


圭介「あいつは、小野田莉子は」


____________


しおりN「今朝、急に家に葛木さんから連絡があったそうだ。異例ではあるが、数人に“欲祓い”を行うという。私もその数人に入っているそうで、朝から朱い鳥居を潜っていた。」


しおり「あっついなー。まだ早い時間なのに。」


しおりN「少しゾクっとした。私の思う“いけない事”が神様にバレてしまったんじゃないかと。」


莉子「おはよう、しおりちゃん。」


しおりN「白衣(びゃくえ)に緋袴(ひばかま)、緩く結われた黒い髪。青い血管が浮き上がるほど、白くて華奢な手首。透き通るガラスのような瞳。小野田莉子が首を傾げて神殿に立っていた。」


莉子「ちゃんと来たんだ。」

しおり「…」

莉子「おいで。」


莉子「私が助けてあげるよ。」


__________


圭介N「この島には神様が生きている。人として、人の姿として。それが、小野田莉子だ。彼女のことを知らない島民はいない。しかし、彼女を知っている島民は1人もいない。」


莉子N「私は神ではない。生まれてから神という人の拠り所を押し付けられてきた。母を知らない。父も知らない。私は神になるべく育てられた。」


圭介N「“小野田莉子”それは彼女の名前ではない」


莉子N「“小野田莉子”になるべく育てられた」


圭介N「彼女のことを知っている島民は1人もいない」


莉子N「いっそ、“小野田莉子”さえいなくなれば。」


__________


千景「おはようございます。」

莉子「おはようございます、千景くん。」

千景「…島民の名前全部覚えてるんですか…」

莉子「それくらいしかここでする事ないから。」

千景「…あの」

莉子「私語禁止」

千景「…すみません。」

莉子「でも、今葛木さんいないから許してあげる。なに?千景くん。」

千景「…もし、」

莉子「うん?」

千景「しきたり、守らなかったら、」

莉子「…」

千景「…いや」

莉子「どうなるんだろうね。」

千景「え、」

莉子「試してみる?」


莉子「私を連れ出してよ。鳥居の外に。」

千景「え、でも」

莉子「祀りの日、花火が上がる瞬間はみんな空しか見てないはず。その瞬間に、ね?お願い」


千景N「覗き込まれたガラスの瞳に俺は目を逸らせなかった。」


莉子「そしたら、そうしたら。何もかも自由にしてあげるよ。しおりちゃんも、君も。」


千景N「ドクドクと脈打つ心臓が、鼓膜を破るほど喧しく、」


莉子「簡単だよ、愛されるより簡単。」


千景N「そうだ、神さえ、“小野田莉子”さえ、いなくなれば」


_________


莉子「愛って、なんだと思う?」


莉子「“愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する。”」


莉子「アリストテレスはこう言うけれど」


莉子「“人を愛したら 賢いままでいることは不可能になる。”フランシス・ベーコンはそう言うわ。」


莉子「どうして愚かになるとわかっていて求めるのかな?愛って必要?」


莉子「私もこの島を出て探したい。」


莉子「私も、あの子みたいに、愛されたい。」


__________


圭介N「8月の暮れ、日が落ち始めると島全体がざわめきだす。毎年変わらない燈籠が揺らめく石畳の階段。朱い鳥居にひしめき合う人の群れ。神殿のすぐそばに太鼓が置かれ、他にもいくつもの楽器が準備され始める。」


圭介「あれ、千景?」

千景「…圭介、しおり見なかった?」

圭介「ううん。見てない。」

千景「そっか、」

圭介「…どうかした?」

千景「いや、なんでもない。」

圭介「…そうか。」


圭介「…欲祓いで、なんかあった?」

千景「…いや」

圭介「だったら、いいんだけど。」

千景「…俺、俺さ。」


千景「しおりが、好きだ。」

圭介「うん。」

千景「でも、この島も好きだ。」

圭介「何だよ急に。」

千景「お前言ったろ。神子様は神様だって。神そのものだって。」

圭介「…」

千景「神さえいなくなれば、しきたりなんてなくなるんだ。」

圭介「千景?」

千景「…俺、やるよ。」

圭介「何言ってんだ」

千景「俺がしきたりを終わらせる。」

圭介「千景!」

千景「しおりを自由にしてやるんだ。」


圭介N「撥を握る千景の手が小刻みに震えていた。」


________


しおり「高天原に坐し坐して(たかあまはら に ましまして)
天と地に御働きを現し給う龍王は(天と地に みはたらきを あらわしたまう りゅうおうは)」


莉子「うん。上手。」


しおりN「白衣(びゃくえ)に緋袴(ひばかま)。さっきまで茶色だった私の髪は小野田莉子に黒く染められた。渡された紙に書かれた言葉を読みなさい」


莉子「あれ?続きは?」

しおり「…なんでこんなこと。」

莉子「祝詞くらい、最後にあげてよ。だって夜になったらあなたの王子様が助けに来るんだから。」

しおり「何言ってんの?」

莉子「いいなあ。愛されてて。」

しおり「意味わかん」

莉子「あのね。裏切ることより難しいんだよ。愛されるって。」


莉子「ねえ。神様って信じる?」


しおり「…信じてるよ。あんた、仮にも神子でしょ。そんなこと言っていいわけ。」

莉子「ふーん。しおりちゃんって大人びてるけど頭の中はまだまだお子様なんだね。」

しおり「いない、なんて言ったら。私達が今までしてきた事、馬鹿みたいじゃん。」

莉子「みたいじゃない。馬鹿だよ。」


しおりN 「覗き込まれたガラスの瞳に目を逸らせなかった。」


莉子「みーんな。いるはずもない、祀る存在でもない存在を崇めちゃって縋っちゃって跪いちゃって。どーしようもない。私はさー。そんなことより、もっと、もーっと人間じみたことやりたいのに。人間の世界に神なんかいらない。邪魔なんだよ、崇高な存在なんか。もっと自由になろうよ。私達。もっと俗に塗れてさ。抱いて抱かれて殺して殺されてもっともっとさ自由になろうよ。」


しおりN「目の前で笑う彼女は目が血走り、瞳孔が開いて揺らめいていた。欲情溢れる顔、こんなものが神様なんかじゃない。そうであってたまるものか。…なのに、私はそこから全く動けなかった。」


_________


莉子N「耳を劈く神楽にはもう慣れた。何年も何年も私をここに閉じ込めた。足りない、足りない、足りない。私は捧げられる祝詞なんかじゃ満足できない。後数年すればこの席から降ろされて私は子供を産む機械になる。神の器を作る葛木家の一員に。こんな不自由で窮屈で愛のない生活、捨ててやる。」


葛木「莉子様。」


莉子N「扇と鈴、決められた動き。子供の時からこれしか教えてもらえなかった。」


圭介N「震える笛の音は境内に響いては消える。」


千景N「島中、空高く、ビリビリと響く太鼓の音。迫り来る鼓動と湧き上がる熱。」


莉子N「でも、でも。やっと。自由になれる」


圭介N「風を切る音のすぐ後、高らかに花開く。」


千景N「瞬間、撥を投げ捨てて境内に上がり白くて細い手首を掴み林に飛び込んだ。」


圭介N「遅れて聞こえるドン、と言う破裂音。空いっぱいに開いた花はすぐに散り、また次、また次と音と共に咲き狂う。その中でカランと落ちた撥の音が俺には鮮明に聞こえた。」


圭介「ち、かげ」


圭介N「振り返ってもそこに千景の姿はない。代わりに境内の奥で揺れる緋袴が見えた。見覚えしかない、それはしおりだった」


しおりN「石畳に跪く母を、父を見つけた。呆けたように天に咲く花火を見上げている。目線を落とすと圭介がこちらを見ていた。今しかない。助けてもらうには今しかない」


圭介N「彼女の口が、たすけてと動く」

しおり「たすけて、圭介」

圭介N「力強く踏み込んだ右足。ギシ、と軋む床板。」

しおり「圭介!」

圭介「走るぞ」

しおりN「汗ばんだ手が私の手首を掴み駆け出した。」


_______


千景「はぁ、っ、はぁ、はぁ」

莉子「…ふ、ふふ。」

千景「っ、これで。いいんですか。」

莉子「うん。いいよ。十分。」

千景「しおりは、」

莉子「うん。しきたり破っても私が赦してあげる。」

千景「…そこに、船あります。明日の朝出航すると思うので、荷台にでも隠れてれば島からは出られます。」

莉子「ありがとう。」

千景「しおりは」

莉子「境内にいるよ。隠してあげてる。」

千景「俺が、俺が罰でもなんでも引き受けますから。」

莉子「愛だね。羨ましい」

千景「だから」

莉子「ほら戻って。花火終わっちゃうよ。」

千景「…じゃあ、」


莉子N「初めて踏んだ岩場。私の足袋は血で滲んだ。走り去るその背中にそっと」


莉子「神のご加護がありますように」


________


しおり「っは、はぁ、け、っ圭介、まって、」

圭介「止まるな。っ、走れ」

しおり「も、もう、無理、」

圭介「…、なんでそんな服着てんの。」


圭介N「しゃがみ込むしおりは大きく肩で息をしている。白衣(びゃくえ)に緋袴(ひばかま)、格好は同じなのにやはり彼女には見えなかった。」


しおり「っ、欲祓いの時、あいつに捕まって。」

圭介「小野田莉子?」

しおり「わ、私が島出ようとしてるの、気付いたみたいでさ。」

圭介「それと、服と、何の関係がある。」

しおり「分かんないよ。私だって。助けてくれるって言うから言うこと聞いてただけで、」

圭介「…」


圭介「何にしろ、逃げた方がいい。」

しおり「でも」

圭介「そのつもりだったんだろ。」

しおり「…しきたり、破ったら、お父さんとお母さんは」

圭介「出て行くんなら関係ないだろ。」

しおり「でも、」


葛木「洞木圭介。」


圭介「っ、」

葛木「来なさい。その女も連れて。戻りなさい。」

しおり「あ、」

圭介「戻らない、と言ったら?」

葛木「その女の家族に罰を与えます。」

しおり「っ、」

圭介「…」


千景「し、おり?」


圭介「ごめん、しおり。」

しおり「ううん、…ううん。」


千景N「俯いた圭介の顔と涙をぼたぼた流すしおり。2人の繋ぐ手が、脳裏に、こびりついた。」


______


圭介N「神社に戻ると祀りはほとんど片付いていた。投げ捨てた笛も転がっていた撥も太鼓ももうなかった。しおりは葛木さんに連れていかれ、俺だけが鳥居の外へ追い出された。」


千景「圭介。」


圭介N「泥に汚れた足袋と汗臭い服。顔を上げると千景が怖い顔をして立っていた。」


千景「圭介、なんで。なんでお前がしおりを」

圭介「…」

千景「何とか言えよ!圭介!しおりはどうしたんだよ!」

圭介「…」

千景「おい、しおりは。しおりはどうしたんだって言ってんだよ!!」


圭介N「胸ぐらを掴む千景の手は小刻みに震えていた。」


圭介N「そんな千景に、俺は何も言えなかった。」


________


葛木「読みなさい。」


しおりN「境内に引き戻されると地下深く続く階段を歩かされてひとつの部屋へ入れられた。壁も床も天井も真っ白な部屋。そこに置かれた一冊の冊子。」


葛木「読みなさい。久家しおり。」


しおり「た、た、高天原に坐し坐して(たかあまはら に ましまして)
て、天と地に御働きを現し給う龍王は(天と地に みはたらきを あらわしたまう りゅうおうは)」


しおりN「先ほども読まされた祝詞だった。」


葛木「何を思ってあの人はこんな代わりを置いていったのか。莉子様にするには時間がかかりすぎる。今からでは器になり得ないでしょう。それでも、我々はあの人の意思を汲み考えました。与えし罰を。これからやるべきあの人の代わりを命じます。」


しおり「大宇宙根元の(だいうちゅう こんげんの)
み、御祖の御使いにして(みおや の みつかいにして)
一切を産み一切を育て(いっさいをうみ いっさいをそだて)」


葛木「子を産み新しい器を作るのです。洞木の子なら多少の混血でも許される。この島のため、神のため」


しおり「恐み恐み白す(かしこみ かしこみ もおす)」※泣きながら


葛木「一生をここに捧げなさい。」


__________


圭介N「あれから少しして、小野田莉子は飄々と境内に現れた。ただ、今までと少し違うのは執拗に話しかけたりはしないこと。また新しい器に変わったのだとすぐにわかった。」


圭介N「“欲祓い”に呼ばれると境内には新しい小野田莉子と能面を付けた葛木さんが待っていた。」


葛木「あなた。本当はあの日莉子様を逃すつもりでしたね。」

圭介「…」

葛木「あの人は今まで1番神に近かったというのに。」

圭介「…あいつは神なんかじゃない。」

葛木「いいえ。代々引き継がれてきた教えの中に神の描写がございます。神とは、利己的で貪欲。尚且つその澄んだ瞳で己の欲を完遂する。あの人そのものでしょう。ようやく器に宿ったというのに、またもこの島は失ったのです。」

圭介「…」

葛木「あなたへの罰が漸く決まりました。」

圭介「罰、」

葛木「穢れた彼女と子を作りなさい。新しい洞木の子を。次の器を作る子を。」

圭介「っ、!」


圭介N「奥の襖から現れたのは変わり果てたしおりの姿だった。頬はこけ、髪は正気を失い、あまりにも疲弊しきった姿に恐怖すら覚えた。」


葛木「明朝、洞木家にも知らせます。あなたにはもう“欲祓い”などする必要もないでしょう。」


葛木「あなたにかける洗脳は、もう要らないでしょうから。」


________


千景N「秋の風が吹き始めた頃、虚な目をした圭介が店に顔を出した。あの祀り以来顔を合わせていなかった。」


圭介「千景。」

千景「何しにきたんだよ。」

圭介「しおりと会った。」

千景「なっ、」


圭介N「作業台の鋏が眩しいくらい夕陽を反射する。」


千景「…またお前だけ。しおりは、どこにいるんだよ。」

圭介「神社の中。」

千景「神社の、」


圭介N「俺は、あの日起こった事、これから起こる事、そして、小野田莉子の事。何もかもを千景に話した」


千景「俺の、せいじゃないか。」

圭介「千景」

千景「あいつを逃した、俺のせいだろ!しおりがそうなってんのも、お前が…」

圭介「…お前のせいじゃないよ」

千景「俺が、お前の言うこと聞いてあいつに近付かなかったら…しおりは、しおりは!」

圭介「千景」

千景「…」

圭介「あいつは、小野田莉子は。化物だ。」

千景「…あの日もそう言った。」

圭介「人の信仰心を弄んで、踏み躙るような。化物だよ。」

千景「…」

圭介「だから」

千景「抱くのか」

圭介「な、に」

千景「お前、しおりを抱くのか?」

圭介「千景、」

千景「お前、お前が、しおりを、」

圭介「っ、」

千景「俺、毎日頼みに行くから。しおりを助けて下さいって俺、毎日、願いに行くからさ」

圭介「千景っ!」

千景「だから、お前」


千景「ここから、出て行ってくれないか。」


圭介N「首の折れた向日葵が憎らしくこちらを睨んでいた。」


_____


莉子(しおり役)「毎日毎日飽きませんね」

千景「これ、今日の分です。」

莉子「もう冬なのに。」

千景「冬でも取り寄せればあるんです。」

莉子「冬の向日葵なんて需要がないのに。売れないでしょう」

千景「いいんです。」


千景「どうか、返してもらえませんか。」


莉子「…神のご加護がありますように」


………


千景「しおり、」

しおり「なに?」


しおりN「カタカタ鳴る床板の音」


千景「これ、店の余り。」

しおり「はは、ひまわり?」

千景「そ。こんな大きなの中々入らないからさ。」

しおり「でも、店の余りなんだ?」

千景「っ、う、うん。」

しおり「私に?」


しおりN「部屋に響くのは肉のぶつかる音」


千景「うん。せっかく戻ってきてんだから。」

しおり「戻ってきてるから、何?」

千景「…笑ってほしくて、」

しおり「…」

千景「絵、まだ書いてるんだろ」

しおり「うん。」

千景「絵になるかと思って。」

しおり「…」


しおりN「汗ばんだ体はもう鉛のように重くて」


千景「変かな、俺。変だよね。どうかしてるわ。」

しおり「ありがと。千景。」


しおり「ありがとう。ごめんね、千景」


……………


圭介N「全てを捨て島を出て3年が経った。親に居場所を知られ引っ越したばかりの新しい街。」


圭介N「賑わう駅前のロータリー。熱狂する人々。そっと差し出されたその一冊の冊子には見覚えのある顔。」


圭介N「“神代教団”掲げられた旗。」


圭介N「白いワンピースに赤いリボン、緩く結われた黒い髪。青い血管が浮き上がるほど、白くて華奢な手首。透き通るガラスのような瞳。」


莉子「たくさんの人に愛してもらえたよ。」


圭介N「そこには、神になった彼女がいた。」


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