第23話

◇日暮母・日暮家◇



「学習で一番大切なのは集中力。そして人間の集中はおよそ15分でピークを過ぎる。そこで、それぞれが行うべき課題を15分程度のセクションに分けて用意した。1セクション終わらす度に5分間の休憩を必ず取ってもらう。15分以上時間がかかりそうな際は俺が教える。各自、やり方は分かったか?」



あの子にしては珍しく、後輩たちや明日佳ちゃんを家に招いたとおもったら勉強会だった。定期試験が近いので、後輩たちに勉強させる必要があるそうだ。若干口調が偉そうすぎるんじゃないかと思ったけど、きっと監督という役職には必要なことなんだろう。


私はリビングを明け渡し、和室でテレビを見ている…フリをしている。本当はみんなの話に耳を澄ませている。ドアを開けっぱなしにしているおかげで向こうの声はここまではっきり届く。無粋は承知だけど、息子の交友関係が気になるのは当然。盗み聞きは母親の権利みたいなものだ。



「風間…、お前。やっぱりアホなんやなぁ」

「うっさいな! 俺は推薦だったから勉強はそんなにしなくてよかったんだよ!」

「お。じゃあ雪寝と一緒やん」

「仲間。一緒に頑張ろう」

「あんたと一緒にすんじゃねえ!」



何やら明るい子がいるみたいだ。確か去年はいなかったから新しい子だろう。

私たち夫婦は後援会にも入ってないし、拓翔が監督としてどういうことをしているのかも全く調べない。それはネットで悪く書かれているからじゃなくて、楽しそうにファンタジアをプレイしていたあの子の笑顔を思い出してしまうのが辛いからだ。



「ほらほら、雑談は5分休憩の時だけにしろ。今日はバッファが全然ないんだからな」

「はーい」

「承知。頑張る」

「なんで俺まで…」



やけに拓翔には素直だ。慕われているか、怖がられているかのどっちかね。あの子は昔からよく怖がられる子だった。親の贔屓目抜きにしても、あの子はちょっと聡過ぎる。話していると、どこか心を見透かされている気がする。



「拓翔、私は~?」

「そもそも明日佳は成績良いだろ。別に来なくてもよかったんだぞ」

「仲間はずれは嫌だったんだよ」

「それなら、まぁ、後輩たちが詰まってたら教えてやってくれ。他は好きなこと勉強しといていい」

「おっけー」



ずっと拓翔と友人でいてくれているのは明日佳ちゃんくらいだ。小さいころは異性なんて大した問題じゃないけど、思春期に入れば大問題。てっきり中学生にもなれば疎遠になるものと思っていたけど、いまだに仲良しのままでびっくりだ。やっぱりファンタジアっていう共通の趣味があるのが大きいんだろうか。



「あれ、長津。もしかして詰まってる?」

「あ、明日佳さんは風間か雪寝でも見てあげてください。拓翔さーん」

「ちょっと?」

「いや、だって明日佳さん教えるのアホほど下手じゃないですか」

「私に苦手なことなんてないよ」

「え、じゃあこの問題の解き方教えてみてください」

「どれどれ……。解き方もなにも公式応用するだけじゃない?」

「拓翔さーん、お願いしまーす」

「ええ!? なんで今ので分からないの?」

「できない奴の気持ちが分からない明日佳さんに期待した俺がバカでしたわ」



明日佳ちゃんと拓翔が仲良くなったのは幼稚園のころで、本当に幼いころはどっちかっていうと拓翔が明日佳ちゃんにべったりだった。



「ところで玲奈。お前、授業中ずっと寝てるそうだな。…この分だと自習もあまりしてないだろう?」

「なっ、なんでそれを…!?」

「お前のクラスにもトレーナーはいるんだぞ。当然報告を受けている。今まで放っておいたのは一年のこのタイミングで痛い目に合わせてやるためだ」

「ぐっ…!」

「火急の対応が間に合うのは今だけで、一年後期からは一日でどうにかすることはできない。これからは少しでいいから学習する習慣を身につけるように」

「はい…、すみません」


「ざまあ」

「風間。お前は、起きてはいるけど当てられたら自信満々に間違えるらしいな」

「うっ…」

「授業で理解できなかった点を放置してないだろうな? 確認用の小テストも用意してあるから、あとで確かめるぞ」

「はい…」



もっと楽しく教えてあげればいいのに。勉強そのものを楽しいと思っている節があるあの子には、楽しく学ぶことの大切さが分からないのかもしれない。…もしかして、母の出番だろうか。自慢じゃないが、私だって勉強はできる。高校生の内容くらい教えられるはずだ。


…いけないいけない。足のこと以外手のかからない子だったから、つい出しゃばりたくなってしまう。自省のためにこれ以上聞き耳を立てるのはやめよう。私は本当にテレビをつけ、あの子たちの会話が聞こえないようにボリュームを上げる。



「おばさん、いらっしゃいますか?」

「明日佳ちゃん? どうかしたの?」

「暇なんですよ。良かったら入れてもらえませんか?」



折角の自省が無駄になってしまいそうだ。明日佳ちゃんはショートだった水色の髪を少し伸ばして、色っぽくなった。女性としての魅力が一段と増してる。こんなに可憐な少女があんなに激しく闘うことができるんだから、人は外見によらないのだとつくづく思う。


和室に来た明日佳ちゃんは笑顔で私の隣に座った。座布団に座る所作すら洗練されている…ような気がする。



「あの、一緒にアルバムとか見ませんか?」



早速、本題に入ってきた。最初からそれが狙いだったに違いない。相変わらず強かな子だ。だが、そこが可愛い。恋する若人はこうあるべきだ。尤もウチのニブチン相手だとこれでもまだ強引さが足りないようだけど。



「仕方ないわね~。ちょっと待ってて。秘蔵ファイルがあるの」

「秘蔵!? ぜひ見てみたいです!!」






「これは明日佳ちゃんにババ抜きで負けて泣いてる拓翔ね」

「えー、こんなことありましたっけ?」

「あったよぉ。あ、こっちは明日佳ちゃんに駆けっこで負けて泣いてる拓翔ね」

「あー、これはなんとなく覚えてます。いつまでたっても拓翔が追いついてこなくて、振り返ったらコケてたんですよねえ」

「こっちは……」



私は秘蔵の拓翔の泣き顔ファイルを見せびらかす。もちろん悪意があってこんなファイルを創ったわけじゃない。幼いころの拓翔は泣いてばかりで、普通にアルバムをつくったら一冊が泣き顔で埋まっただけだ。



「私、今でも鮮明に覚えてるのよ。幼稚園の先生にね、神妙な顔で、拓翔君が毎日泣いちゃうんですって言われてね。イジメとかそういうの心配するじゃない? 幼稚園を変えるべきか、格闘技でも始めさせようかとか色々一瞬でよぎったのよ。そしたらね、先生が明日佳ちゃんに負けてばっかりなんですってね」

「決してイジメてたわけじゃないですからね」

「もちろん分かってるわよ! あの子が負けず嫌いで、明日佳ちゃんに執着してたのよね」



小学生になっても執着は変わらなくて、拓翔はなんとか明日佳ちゃんに勝とうと、鍛えるために格闘技兼スポーツのファンタジアをやりたがった。そしたら、明日佳ちゃんもやり出して、結局明日佳ちゃんに負けて泣いて帰ってくる日々が続いた。



「むしろごめんねぇ。あの子の相手は面倒だったでしょう?」

「まさか! とっても楽しかったですよ。だって負ける度にちゃんと改良してくるんですもん」

「拓翔はねぇ、昔から反省が上手い子だったから。でも大抵明日佳ちゃんには勝てないままだったわね」

「はは、そうなんですよね~。でも、ファンタジアだけは抜かされました」



大分盛り上がったところで、私は万が一にも盗み聞きされないよう声量を絞る。



「ねぇ、実際拓翔のどこがいいの?」

「え。普通に、カッコよくないですか?」

「母親に同意を求めないでよ~。そんなのフィルターかかりまくりなんだから。もっと内面的なやつ、ないの?」

「え~。愛するきっかけは言葉にしても美しいですけど、愛する理由を言葉にしたら陳腐になりませんか?」



さっきまでとまるで違わない愛想のよい笑みのままのはずだが、少し恐ろしい。



「例えば容姿も好きなとこですけど、拓翔が年老いてヨボヨボのおじいちゃんになったら好きじゃなくなるのかっていうとそういうことじゃないですか」

「ホント? 明日佳ちゃんくらいの子は、それでもいいのよ? 容姿が変わったら愛せないなんて全然普通のことなんだから!」

「あはは、見くびらないでくださいよ。拓翔が毒虫になっても私の気持ちは変わりません」



ぶっちゃけちょっと引く。この年の子がこんな視野狭窄でいいのだろうか。いや、この年だからこそ、か? 確かに若い時の恋は盲目になるものだけど。ここまで一途なのはちょっと異常じゃないだろうか。



「じゃあきっかけだけでも聞かせて頂戴」

「今思えばそれまでもずっと好きだったんですけど、本気になったのはファンタジアで拓翔に勝てなくなった時でした」

「それはなんで?」

「それまで私って、惰性でファンタジアやってたんですよね。なんとなく初めて、なんとなく才能があったから続けてたみたいな。というかファンタジアに限らずですね。それまでの人生が全部そんな感じでした」



まだ20にもなってない子が人生なんて重い言葉を使うと、むず痒いけど微笑ましい…って感じるのがいつもの私。でも明日佳ちゃんには恐怖を覚える。若者の浅慮ではありえない本物の気迫があるからだ。



「拓翔に勝てなくなって、ずっとファンタジアのことを考えるようになって、いろんな工夫もしましたし、作戦も立てるようになって。初めて真剣に物事に取り組みました。あの時、人生ってなんて楽しいんだろうって実感しました。そして、気づいたんですよね。私が楽しいのはいつも拓翔のおかげだって」



陳腐とかなんとか言いながら、結局好きなところまで語られたのは気のせいだろうか。



「明日佳〜。丸付けを手伝ってくれー」



拓翔の呼び声が和室まで届いた。明日佳ちゃんはご機嫌で拓翔の元へ戻ろうとする。そして、和室の扉を開ける手前くらいでこちらを振り返って、拓翔の泣き顔アルバムを指差す。



「写真のデータって残ってます?」

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