第10話


「…なぁ、明日佳。俺の言った意味本当に分かったか?」

「分かったって。私が頑張り過ぎだから羽伸ばしていいってことでしょ?」

「違う。俺と一緒だとお前に気を遣わせるから俺以外の友人と遊べと言ったんだ」

「拓翔が目の届かないところにいる方が気になるよ」

「正にそれが問題だろ。だからこそ改善をしようと…」

「別に直さなくても良くない? 拓翔がずっと私の傍にいてくれれば解決」

「子供みたいな屁理屈を言うなよ」

「あ、そうだ。今日おじさんとおばさんは外食するからウチで食べてイイって」

「……明日佳。お前、俺の話を真剣に聞くつもりがないな?」


俺は久しぶりに車椅子に乗って外出している。何かリフレッシュさせたいと明日佳に言ったら久しぶりに車椅子を押したいと即答されたのだ。そういうことじゃないんだ、とさっきのような説明をしたが、まるで聞いてもらえなかった。結局そこからは車椅子を押したいの一点張りで、俺が根負けして今に至る。


医者からは時々車椅子も使うように勧められているがあまり乗る気にはなれない。車椅子は苦手だ。こっちを見ないように意識し過ぎる人が多くて逆に気になる。というか見られるとかそういうことじゃなくて、そういう気を遣われること自体が居心地悪い。そういう気遣いを相手に強制させてしまうのが心苦しい。


「なぁ、これ。何が楽しいんだ?」

「私は好き。あ、でも背負うのも好きだよ」

「俺は嫌いだ」


今日の明日佳とはあんまり会話が噛み合わない。車椅子のせいでテンション上がってるのか?


ブブブ


俺はスマホが振動したのでポケットから取り出す。すると液晶に桐島からのメッセージが表示されていた。どうやら俺に練習場に来て欲しいらしい。


「明日佳。桐島から「却下。絶対ダメ」


皆まで言う前に却下された。俺は桐島に断りのメッセージを送ろうとSNSを開く。その瞬間に上から伸びた手にスマホを奪われた。


「明日佳?」

「……ちょっと桐島ちゃんと連絡し過ぎじゃない?」


どうやら桐島とのSNS上の記録を見られているようだ。画面をスワイプする音が何度も聞こえる。

…どこまで遡る気だ?


「返してくれ」

「え、嘘。去年、こんなに連絡してたの…!? 全然気づかなかった…」

「進路の相談に乗っていたんだ」

「ふーん…」


癪然としない気持ちを全面に出した相槌だけが返ってきて、スマホは返ってこない。


「まだか?」

「大丈夫。桐島ちゃんにはスタンプ送っといた」

「いいから返せ」

「分かったよ」


ここでようやくスマホが返ってきた。明日佳が桐島に送ったスタンプを見てみると、全身真っ青の腹立つ顔をしたキャラクターが舌を出して手で大きくバツをつくっているやつだった。……後で桐島に謝らなきゃな。


「しかし車椅子のままだと入れる店が大分制限されるぞ」

「大丈夫。飲食店とかカフェに行くつもりないから」

「違うのか。じゃあなんでわざわざ駅まで来たんだ? ただの買い物なら近所で充分だっただろ」

「こっちの方が人目につくでしょ?」


明日佳は車椅子ごと俺の向きを変える。すると道路を挟んだ向こう側で見たこともない高校生くらいの奴らがこっちにスマホを向けて写真を撮っているのが正面に見えた。あれ、ウチの高校のやつらでもないよな。どこかの偵察か?


「どこの高校の奴らだ?」

「ただの地元の高校だよ。ほら、私たちって有名人だから。私もたまに声かけられたりするしね」


いや、俺はそこまで有名じゃない。よほどファンタジアに詳しくない限り、監督なんてチェックしないのが普通だ。こうやって多くの人に注目してもらえるのは間違いなく明日佳の人気のおかげだろう。


「プレイヤーに車椅子を押させる監督なんて炎上するんじゃないか?」

「話題になるなら別にそれでもいいよ」

「意外だ。チヤホヤされるの好きだったのか」

「一人だと別に。でも私たち二人で話題になると嬉しい」

「複雑な心理だな。正直あんまり理解できないぞ」

「拓翔だって自分より私たちが話題になるほうが嬉しいでしょ?」

「それとこれとは話が違う。俺はトレーナーで…」



その後も俺たちは下らない会話を続けながら買い物を続けた。最初は遠くから撮られるだけだったのだが、だんだん声をかけられるようになって、最終的には一緒に写真を撮ったり、握手までせがまれた。おかげで普段の倍以上は疲れた気がする…。



「はぁ…なんで親ってのは子供に握手とかさせたがるんだろうな」

「あれ、子供の方は全然したくなさそうだから気まずいよね」

「ああ、多分あの子は俺たちがどういう奴らなのかも分かってないぞ」

「あの年じゃファンタジアは見てないだろうしね」


食料品と雑貨を車椅子の後ろ側にあるスペースに詰め込んだのだが、明日佳の服だけは入りきらず、俺が袋を抱えている。明らかに女性ブランドの袋を膝に載せているのはちょっと恥かしいのだが、それを明日佳に訴えることはもっと恥かしいことに思えたので、甘んじて受け入れている。


「思ったより時間かかっちゃったね」

「でもその効果はあったみたいだぞ」


SNSで幾つか単語を入れると、今日の俺たちの画像が結構出てきた。対応が良かったとか、近くで見ても綺麗だったとかの美辞麗句がずらりと並ぶ中、時々俺たちへの敵意に溢れたコメントもある。…俺的にはこっちの方が気になって全然喜べない。


「これで嬉しいのか?」

「うん。とってもね」

「そうか…、お前がリフレッシュできたなら良かった」

「あ。私、ちょっとお手洗い。」

「分かった、邪魔にならないよう脇に寄せてくれ」

「勝手に動かないでね?」

「…明日佳。お前、俺が歩けること忘れてるだろ。別に一人でも平気だ」

「はは、そうだった」


明日佳は駅のトイレに行った。俺は周囲の視線を気にしなくて済むようスマホに集中する。今のうちに桐島へ謝罪のメッセージを送っておこう。


…と思ったらすぐに車椅子のブレーキが外されて動き出した。凄い早い帰還だな。さっきみたいにスマホを取り上げられたら堪らない。俺は慌ててスマホをポケットにいれた。


「……………」

「ち、違うぞ。たださっきのスタンプについて桐島に釈明をだな」

「…………………」


画面を見られたか? 明日佳は何も言ってこない。桐島の名前を出すだけであんなに嫌そうだったし、連絡しようとしたことに相当腹が立ったのだろうか?


俺は車椅子を押す速度が普段より速いことに違和感を覚えた。これじゃあまるで押し慣れてない奴の押し方だ。俺はおそるおそる後ろを振り返る。


「そ、ソラ! 何してんだ、お前!」

「残念だ、バレてしまったか。このまま東京に持って帰ろうと思っていたのに」


銀色のミディアムヘアーで凛とした顔立ち。こいつが男だったら、というか現状でも充分俺よりはるかに格好いい顔面。その上、若干のつり目と左目の下の泣き黒子のせいでとても高校生とは思えない色気が醸しだされている。


「久しぶりだね、拓翔」


中曽根ソラは『ファイト・ファンタジア』の主人公校 『翠晴高校』にてプレイヤーと監督を務める俺たちの中学の同級生だ。『ファイト・ファンタジア』では桐島の師となり、打倒明日佳に協力する重要なキャラクターでもある。


「去年の関東大会ぶりかな」

「あ、あぁ…、そうだな」


俺たち鹿王高校は何の因果か去年も一昨年も翠晴高校と直接対決をした。そして去年も一昨年も明日佳がソラを倒して、ウチが勝った。中学の頃からライバル関係にあった二人だけど、あの頃はまだ喧嘩するほど的な微笑ましさがあった。高校になってからはお互いにマジで嫌い合い、憎み合う犬猿の仲になったのだ。何があったのかは知らないが、とにかくこの状況を明日佳に見られるのはマズイ…!


俺はソラを見ながら彼女の後ろにも気を配る。よし、まだ明日佳は見えない。一瞬で会話を切り上げて元の場所に戻れば明日佳にはバレないはずだ!


「ソラ、悪いんだが実は明日佳も来ていて」


俺は正直に事情を話すことにした。ソラだって明日佳と会うのは気まずいだろう。


「知ってるさ。SNSを見て探したのだからね」

「わざわざ探したのか!? 連絡をくれれば」

「なに、気にする必要はないよ。偶然近くにいたものでね。会えたらいいな、程度の軽い思いつきさ。運試しといってもいい」

「…その軽い思いつきに何分費やしたんだ?」


偶然にしてはタイミングが良すぎる。間違いなく明日佳と俺が離れるのを待っていただろう。


「相も変わらず無粋な男だな、君は。そういう野暮なことは訊かないのがお約束だろ?」


わざわざ正面に回り込んで俺の顎に手をかける。小さいころ海外で育ったせいなのか、こいつはこういうキザなナンパ師みたいなこと躊躇いなくできるタイプなんだよなあ…。そして様になるから尚性質が悪い。


「分かった。野暮なことは訊かず、単刀直入に訊く。昔話したくて俺たちを探してたわけじゃないだろ。何の用だ?」

「それはそれで野暮だと思うけれど。けれど、君の潔いところは好きだ。こちらも前置きは捨て置いて、単純明快な答えを差し上げよう」


ソラはどんどん俺に顔を近づけてくる。逸らしたら負けな気がしてじっと見つめていると、俺の視界を通り越して耳元まで顔を近づけてきた。


「宣戦布告さ」


囁くとすぐに俺の頬に口をつけた。


「今年こそ全国も君も私がもらう」


挨拶のキスにしては長めの口づけを終えるとソラは言いたいことを言って軽いステップで帰っていく。遅れて俺は正気を取り戻した。監督が言われっぱなしで終わるわけにはいかない。


「王者に上からモノ言ってんじゃねえよ。今年も俺たち鹿王が勝つに決まってんだろ」


ソラの背中に慌てて言い返すと、彼女はその場で立ち止まり首だけをこちらに向ける。


「ふっ。残念だけど私の宣戦布告は君に向けたものじゃあない。君が応えるのは筋違いというものさ。なにせ君との勝負はとっくに私が負けてるのだからね」


ソラは颯爽と歩いていく。…まず、まだ気持ちが変わっていないことが驚きだ。中学の頃の恋なんて1、2年もすればただの思い出になるのが普通だろ。


中学の卒業式の日、俺はソラに告白された。そりゃあ嬉しかった。美人だし、原作を読んだ俺は彼女の性格がイイことも知ってる。とても光栄なことで天にも上るような気分だった。


でも、俺はどうしてもソラの告白を受け入れられなかった。『報われない努力があると知っているにも関わらず努力をつづける君のひたむきさに惚れた』。この文言がどうしても俺の本質を捉えているように思えなかったのだ。ソラが惚れたのはソラの頭の中の俺であって、現実の俺じゃない。


だから俺は高校が違うことや、トレーナーの仕事に注力することを理由にソラの告白を断った。


「拓翔。動かないでって言わなかったっけ?」

「明日佳…」


いつの間にか明日佳が車椅子を抑えてくれていた。俺は慌てて周囲を見渡す。幸い、既にソラは影も形もなかった。


「ここで何してるの?」

「い、いや…」

「いやって何?」


明日佳は明らかに何かに怒っている。…もしや見られたか?


「知り合いを見つけてな。ちょっと話をしてたんだ」

「ちょっと話すってのには頬にキスまで含まれるの?」


明日佳はスマホの画面を見せてくれる。そこにはソラが俺の頬にキスをし、宣戦布告をする短い動画が流れていた。……どうやらさっきの様子は周りの野次馬によってバッチリSNSにアップされていたようだ。なるほど、さっきのはSNSを通じて明日佳に宣戦布告するって意味だったのか。それにしても明日佳まで回るのが早すぎる。多分、部員とかが余計な気遣いで明日佳に知らせたのだろう。


「あいつにとってはそうなんだろう」

「……次闘う時はもっと徹底的に格の差を分からせてやらないとだね」


明日佳はまだまだ不満そうだったが、一度それらを呑み込んで、車椅子を押してくれる。


「…拓翔?」

「なんだ」

「私より強い高校生プレイヤーって日本にいる?」

「間違いなくいない。俺たちは名実ともに『最強コンビ』だ」

「じゃあ拓翔が私以外と組む理由はないわけだ」

「そうなるな。尤も、仮にそんな奴がいたとして俺と組んでくれるかは分からないが」

「…拓翔の夢は知ってるけど、トレーナーとして上を目指すなら最強と組み続けるべきだよ。桐島ちゃんとかソラとかそういうザコじゃなくてさ」

「急になんだ。何が言いたい?」


車椅子が止まった。信号が赤に変わったのだ。


「拓翔。卒業まで私が最強だったら専属になって」

「大学中ってことか? だったら「ううん」


信号は未だ赤だが明日佳は車椅子を少しだけ押した。俺たちは点字ブロックのすぐ前まで来る。事故以来、俺が車道に近づくことを極端に嫌っている明日佳らしくない行為だ。


「一生」

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