第4話魔人ブルー

「げほッ、ごほっ……はぁ、はぁ……」


俺は咳き込みながら、必死に酸素を取り込む。男はそんな俺を見下ろしながら口を開いた。


「命は取らない。偽物とはいえ、怪人と殺し合うつもりはないからな」


声は低く、クリアで、そして落ち着きのある口調だった。

俺は咳き込みながら、手近に転がっていた鉄のフライパンを握り締め、奴の顔めがけて振り下ろす。


「うぁわぁあああっぁあ!!」


だが、奴は最小限の首の動きだけでそれをかわすと、素早い動きで俺の背後に回り込んだ。俺は振り返りざまに再度、フライパンを叩きつけようと振り回す。


しかし、奴の動きはまるで風に舞う木の葉のようで、全く捉えることが出来ない。


俺は焦って何度も殴りかかるが、全て空を切る。

そして奴は飽きたかのように小さく溜息を吐くと、揃えた人差し指と中指を軽く振った。


一瞬、何かが熱せられたような音が響き、鉄のフライパンが真っ二つに切断された。


切断面はブクブクと泡立ち、床に転がったフライパンの破片は真っ赤に燃え上がり、小さな火花を散らしている。

俺は呆然としながら、自分の手に残った柄の部分を見つめていた。


こいつは怪人だ。

いやそれはわかってる。でもただの怪人じゃない。


こいつ一人のために機動部隊が出動したっておかしくないレベルの危険度を誇る、超強力な個体。

こんな化け物が、どうしてここにいるんだ? 俺は恐ろしさのあまり腰を抜かし、腰から下を引っ張られるかのように倒れ込む。


「争うつもりはないと言っただろう。お前は偽ヒーローじゃないんだからな」


奴はそう言うと、ゆっくりとしゃがみ込むと、炎の中で燃え盛るその整った顔を俺に近づけた。


「おっ、お前が偽ヒーロー殺しか」

「偽ヒーロー殺しだと?……なんともつまらない呼び方をしてくれるな」


奴の表情は変わらなかったが少しだけ不機嫌そうな声がリビングに響く。いやだって、お前が偽ヒーローばっか殺してるからだろうが!俺は心の中で声を荒げる。


「俺の名はブルーだ。よろしく」

「ぶっ、ブルー……」


偽ヒーローたちを次々に葬り去った怪人。その正体は青い炎を纏う謎の男、ブルーだった。

その顔を呆然と見つめることしかできない俺に向かって、ブルーは青い炎が揺らめかせながら淡々とした口調で語り始める。


「力関係をはっきりとさせておきたかった。俺は力の理の中に生きる魔人。ヒーローとは異なる存在だ。偽のヒーローどもともな……。分かるよな?」

「……ああ、わ、わかった……あんたは、俺よりも強い。そっ、そっ、そそ、それは、はっきりと……痛いほどわかった……」


俺は歯をガチガチと鳴らしながらブルーに返答する。こいつに逆らうことは絶対に出来ない……本能がそう告げていた。


「よし、なら話は早いな」


魔人、奴は自分のことをそう呼んだ。こいつの強さの理屈などまるで分からないが、目の前にいるその存在は恐ろしく強大で、自分が敵わない相手だということは理解できた。


ブルーはゆっくりと立ち上がる。その所作一つ一つから恐るべき実力差を感じた俺は、ジリジリと後退りながら必死に生き残る術を探す。

だが何も思いつかない。奴の不興を買ったが最後、一瞬で殺されるビジョンが浮かんできた。


「どうした?そんなに怯える必要はない。力関係はハッキリしただろう。もう何もしやしない」


もしこの世に本当に悪魔や邪神がいて、その力を持つ者を魔人と呼ぶのなら、こいつ以外に考えられない。俺は恐怖と共に人知を超越したある種の神性を感じていた。俺のそんな気持ちを察したのか、奴は俺を落ち着かせるように静かに呟く。


「これからは俺の指示に従うだけでいい。命は保証しよう」

「し、指示?!」

「そうだ。まずはお前と取引関係にある偽ヒーローが所属する事務所をリストアップしてくれ」

「……えっ?」


「実は偽ヒーロー探しに行き詰まってしまったんだ。だからお前の力を貸してほしい」

「……へっ?」


あまりと言えばあまりのくだらない理由に俺は間抜けな声を上げる。何を言ってるんだこいつは?


「……おい、なに気の抜けた顔をしてるんだ。まさか知らないなんて言わないよな?」

「い、いや……知ってる。もちろん知ってるが……」


偽ヒーローなんて『ヒーロー』とついているものの、実態はただの詐欺師でしかない。

この世から一人残らず消えてしまっても、どうせ誰も困りはしない存在だ。そいつらの居場所を教えるだけで俺の命が助かるのなら何も問題ないだろう。


「あ、あ……あ、いや、その……やっぱり、そいつらも殺されるのか?」


だが、何故か俺は気づけば口を開き、そんなことを聞いていた。自分でも何を聞いているんだ、と思った。


「ああ……それがどうした……言えないのか?」

「わ、わからない。わからないんだ……じっ、じ、自分でも……」


偽ヒーローなんて守る価値もなければ、俺みたいな奴が誰かのために体を張らなきゃいけないような義理も道理もない。

しかし、どうしても彼らのことを口に出せなかった。


「わからない……?ほう、自分の命が惜しくないのか?」

「ち、違う。そうじゃないんだ!でっ、でも……その、言えないんだよ……」


なんの意味もない抵抗。抵抗と呼べるものかどうかすらわからない悪あがき。パソコンを覗かれればそれでおしまいだ。だが、俺は何故か彼らをブルーに売り飛ばすことが出来なかった。

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