第36話 馬鹿でもいいよ

私の最近の日課は、家の前でやつが通り過ぎるのを待つことだ。

やつは相変わらずお軽くて、本心で何を考えているのか分からない。

でも、それでもいいからやつに会いたいと思っている自分がいる。


「よっほー、かーおりん」


声が聞こえて、私は待ち構えていたことを悟られないように澄ました顔をした。

わざわざ外に出て毎日待っているなんて知ったら調子に乗るに違いない。

それに、私の気持ちを知ったらこいつは遠ざかって行ってしまうかもしれない。


「また来たの?長谷」


嬉しくて、嬉しくて嬉しくてたまらないのにそれを素直に表に出すことが出来ない。

だって、それが今まで私が長谷に見せてきた姿だから。

長谷はその姿を見てきたんだから、違う姿を見せて幻滅されたりとかしたくない。


「来ちゃった。だって、かおりんに会いたいし」


急に真面目な顔になってそんな事言って、私の気持ちを見透かしてるみたいで。

私の心臓の音が聞こえてるみたいで、悔しくなってくる。

なんでこいつに振り回されてるの、なんでこんなやつに心をぐちゃぐちゃにされてるの。


「毎日よく飽きないわね」


私はずっと優希のことが好きだった。

その気持ちに嘘偽りはなく、そしてすぐに諦められるほど軽い気持ちだったわけでもなく。

だからこそ、今の自分のこの状況がありえないことなのだと自分が一番わかっているし信じられないし驚いている。


「飽きないよ。俺はずっとかおりんの横顔を見つめてきた男だぜ?真正面から見れるなんて、贅沢すぎるだろ」


私が優希を見ている間も長谷はずっと私のことを見ていたのだと言った。

そうなのか、と思いながら少し喜んでいる自分に嫌悪感を抱かずにはいられない。

だってその分、長谷は辛い思いをしてきたわけでそれを自分の感情に合わせて嬉しいなんて感じている自分が恥ずかしい。


「贅沢…。やめてよ、変な事言うの」


頬が赤らんだのを気づかれないように顔をそらす。

恥ずかしい、見ないで、まだ私の気持ちに気づかないで。

気づかれたら、軽い女だと、優希への気持ちもその程度だったのかと思われそうで怖い。


「やめないね。かおりんに俺の気持ちが伝わるまで」


もう十分すぎるくらいに伝わっている。

長谷の気持ちはどこまでも真っ直ぐで、どこまで行っても私から離れない。

その気持ちを簡単に私が受け入れていいのか、たとえ長谷が私を好きだと言わなくてもきっとこの気持ちは私の中に生まれていただろうけど。


「バカみたい…」


今まで散々私に時間を浪費してきたくせに。

それを全く後悔していないみたいな、そんな曇りのない瞳。

その目に見つめられる度に、私の胸がどれだけ高鳴っているかなんて長谷にはこれっぽっちも伝わってないんだろうけど。


「馬鹿でもいいよ。かおりんが優希を振り向かせたように、俺はかおりんを振り向かせるから」


長谷の瞳が私の胸を射抜く。

やめて、それ以上心臓が暴れるようなことは言わないで。

言いそうになって、でも言えない。


「私がまだ優希を引きずってるかもとか思わないわけ?」


自分の焦りとか動揺とかそういうものを隠すために、わざと意地悪なことを言ってしまう。

違う、こんなことを言うために長谷を待ってたわけじゃないでしょ。

もっと言いたいことがあったでしょ。


「んー、引きずってても別に関係ないけどさ。でも、今までかおりんを見てた俺からするに今のかおりんは確実に前を向いてると思う。俺は、かおりんのそういう強いところも大好きだからさ」


胸に響いて染み渡る。

真っ直ぐな言葉で想いを伝えてくれるものだから自分も言いたいと思ってしまう。

でも、私はアイドルだしまだ優希と別れたばかりだ。


「強くなんか…ない…」


全く強くなんてないの。

きっと一人だったなら立ち直れなかった。

優希に別れを告げられて、誰も隣にいようとしてくれなかったのなら今だってこうして立っていることなんてできなかったはずだもの。


「んーん、かおりんは強い。自分に自信持てよな」


長谷、私…。

それ以上踏み出せないもどかしさにどうにかなりそうだった。

自分に自信が持てたなら、長谷にも自分の気持ちが言えるようになるのかな。


「ん…ありがと」


そんな淡白な言葉しか今の私には返せない。

もっと言いたいことはあるはずなのにいつも喉に引っかかって出てきてくれない。

長谷はいつもたくさんの言葉で私を包み込んでくれるのに、私はそれに応えられない。


「よし、そろそろ帰るわ。今日も顔見れて嬉しかった、じゃーな」


ニコッと笑って帰っていく背中を見つめる。

小さくなって見えなくなるまで見つめ続ける。

その背中に待ってと抱きついて、好きだと言えたならどれだけいいだろうかと毎日思う。


「立ち直れたのはあんたのおかげだって、今日も言えなかったな…」


そんな後悔が口をつく。

毎日待っているのはそれを伝えるため。

でも、その言葉はいつも伝えられずに終わってしまう。

だから、明日もここで待ってるからどうか会いに来てね。

私が長谷に素直に気持ちを伝えられるようになるまで、会いに来てね。





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