第10話 秋の野の
《ごめんね、青柳くん。お昼》
《いえ、いいんです。忙しいんですね》
清水から謝罪のメッセージがきたのは、その日の夜だった。彼はあのあと、なぎさに引きずられるようにして去ってしまったのだ。それからは四限まで講義があってその後テニスサークル、さらにはアルバイトという予定だったらしい。やっぱり忙しい人だ。
まあテニスサークルの方は、まじめにテニスの技術を追求するというよりはコミュニケーションが目的のサークルらしい。テニスをしている頻度よりも他大学の人なども交えて飲み会をしていることが多いという。要するに、律には到底、入ろうとは思えないタイプの集団だ。
かく言う清水自身も男友達から拝み倒されるようにして入っただけで、自分から望んで参加したのではないという。要するに「顔のいい男がいると女子のメンツのランクが上がるんだよ~」ということらしい。
《あのときは『
《そう?》
《はい。俺も同じの、ネットで注文しちゃいました。すぐに》
《そうなんだ》
《はい。届くのは明後日ぐらいですけど。あっ、あと、ハンカチは洗って返しますね。ありがとうございました》
《そんなのいいのに。どうせ安物なんだから》
本当に話したいのはこんな他愛のないことではないのに、律はついついだらだらとつまらない話を続けてしまった。清水だって忙しいはずなのだから、短く切り上げるのがマナーなのはわかっていたけれど。
清水からの次の返信を待ちながら、律は昼間に見たあの女性、笹原なぎさのことを思い出していた。
ずいぶんと押しの強そうな人だった。現代的な美人で、さばさばした快活そうな感じがなんとなく昔の母──北条政子にも似ているような気がしなくもない。
清水の前世であるらしい北条泰時は、政子の弟だった義時の子だった。つまり政子から見れば甥っ子だ。政子の子である自分と彼は、要は従兄弟だったことになる。
(彼女もち……か。こんなところまで前世と同じでなくていいのに)
ちょっと溜息が出る。
前世、実朝だったときの自分は、坂東くんだりの田舎武士の棟梁ということで、文化の中心地である京に大変なあこがれを感じていた。和歌はそのころの王朝文化の
だからこそ、わざわざ京の貴族の娘をぜひにと
今でいったら、洗練された都会のきれいで品のいい女性を妻に望むようなことかもしれない。まあ今は、そう言ったところで望みどおりに女性が来てくれるわけではないけれど。
あのころは、鎌倉幕府の将軍である身として、妻を持たないとか子をもたないということが許されるような時代ではなかった。正直、女性にそこまで興味があったかと問われると「否」と答えるしかない自分だったけれど、あの時は妻を迎えたくないなどという勝手なわがままが許されるはずもなかったのだ。
同様のことは泰時にも言えた。彼もやっぱり武家の跡取りとして当然のように妻をもち、子をも成した。
しかしお互いがどういうことになったとしても、自分の気持ちは変わらなかった。
自分はあのころから、不思議と女性に関心がもてなかった。それはいま、この律としての人生を生きるようになっても同じだった。内向的であまり人と明るくしゃべるなんていうことに向いていない律だから、女性とあまり話をしなくても不思議に思う人はいなかったけれど。
だが実朝としての記憶がよみがえった今、なにかしっくりと納得できることがある。
自分はずっとあの人を愛し続けていたのだ。
そうして求めつづけていた。魂の奥底の部分で、ずっと。
《あらためて、明日とか会えないかな。大学のあとで。どう?》
《どうした?》
《見てる?》
《もしかしてもう寝ちゃった?》
《おーい。青柳くん?》
(あっ。しまった)
ぼんやりしているうちに、清水のメッセージはいつのまにか積みあがっていた。慌てて返信する。
《すみません。ちょっと親に呼ばれてました。明日、いいですよ》
《よかった。今度は学内じゃないほうがいいよね。授業が終わってからの時間で、場所は……》
恐らく清水は、笹原なぎさの襲来を防ごうとしているのだろう。
そう思うと、ほんの少しだけ律の胸は高鳴った。
(いや、ダメだ。変な期待はしちゃいけない)
彼女がいる、ということは、清水は前世のときのまま、やっぱり女性を愛する人だということなのだ。今世での自分もまた、つらい片恋を胸に秘めたまま終わっていく可能性が高い。変な期待はせず、そうなったときのための心の準備をしたほうがいいのだろうと思う。こうしてせっかく今世でも会えた、そのことだけでも幸運だと思わなければ。
なぜなら何より、清水が……今世での泰時が、しあわせになってくれることが一番だから。
秋の野の 朝霧がくれ 鳴く
『金槐和歌集』372
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