いもうと、キミにきめたッ!【旧式・更新停止】

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


 とある邸宅のとある部屋。

 ノートパソコンの光が七色に溢れ出し、暗闇を切り貼りしている。同時にスピーカーからは、流行りのアニソンのカバー曲がだらだら垂れ流されている。


 光源はパソコンの液晶画面だけで、部屋全体は暗くどんよりしている。

 付け加えると、真夏なのに随分涼しい。それはそうだ、僕は冷房はガンガンの十八度を示している。


 その片隅で、僕はぼんやり窓の外を眺めていた。この邸宅は小高い山の上にあるので、真夜中の繁華街が煌めいているのがよく分かる。

 何の感慨もなく、何の興味もなく。今日も僕、朔柊也は、ブランケットに包まってゆるゆると時の流れに身を任せていた。


 この部屋があるのは、とある人物が個人で所有する宮殿の中。いや、宮殿というのは大袈裟だな。学校の校舎を一回り小さくしたような、二階建ての洋館だ。

 夜の洋館と言えば、なんともホラーチックな状況。だが、当然ながら恐怖対象と言えるものはこの中にはない。


 そうそう、それでいいんだ。人間、命あっての物種なのだ。ゾンビやらミイラやら不気味な怪物など、いない方がいいんだ。

 たとえそれが架空の存在で、大いなるスリルをもたらすとしても。


「ん……」


 なんだか頭の中身がブレているな。ううむ、やはり昨夜は飲みすぎたか。

 手にした缶チューハイは、まだ半分ほど残っている。自分がいかに下戸なのか思い知らされた。。


 輪郭のはっきりしない視野の中。低いテーブルやら勉強用のデスクやら通販の段ボール箱やらといった、いろんなモノが無造作に置かれている。


「ああーー……」


 僕がこんな生活をしているとバレたら、両親はどう思うだろう? 情けないやつだ、怠け者だと俺を叱責するだろうか? こればっかりは永遠の謎だ。もうこの世にいないのだから。

 しかし、明瞭な事実も一つある。僕が親戚中をたらい回しにされ、結局この邸宅に住まわされている理由は、間違いなく親父とお袋にある、ということ。


 僕は自分が悪いわけではないのだと、自身を宥めようと試みる。

 

「ったく何やってんだ、二人揃ってよ……」


 ううむ。気分が悪い。このダウナーな感じ、ブランケットに包まっていてもどうにもならない。

 急に鬱陶しくなったブランケットを剥ぎ取って、のろのろと立ち上がる。


「よっ、と……」


 一瞬でパジャマ姿の僕が冷房の下に晒される。

 滅茶苦茶な寝癖のかかった髪に、だらんと額から垂れたアホ毛。これでもかと気怠さを演出する長袖、長ズボンのパジャマ。


 今は八月上旬、夏真っ盛りである。こんな時季に長袖で睡眠を取るなど、正気の沙汰ではない。

 だからこそ、エアコンの温度設定を十八度にしているというわけ。環境団体からクレームのきそうな話だが、それより僕は忙しい。自分の心を守らなければ。


 俺は無言で、自室から脱出するべくドアノブに手をかけた。きいっ、と音を立てて、ドアを引き開ける。


「どうかなさいましたか、坊ちゃま?」

「うわっ!?」


 いつの間にか、ドアの前に人が立っていた。瞬間移動かと見紛うくらい。

 流石にこんな夜中にやられると心臓に悪いと思うのだが、僕はそれを言い出せずにいる。毛嫌いするような言動を取るのは、なんだか申し訳ない。

 この人物、俺に仕えてくれている執事で、名前は上村弦次郎という。通称ゲンさん。いついかなる時もいろいろと生活のサポートをしてくれている。


「坊ちゃま?」

「あー、いえ、ちょっと水でも飲もうかと」

「左様ですか。では、わたくしがお持ち致しましょう」

「ああ、ど、どうも、すみません……」

「お部屋で少々お待ちくだされ」


 そう言われてしまっては、僕はすごすごと引っ込むしかない。

 ドアを閉めて、溜息を一つ。


 上村さんはとうに八十歳を超えているはずだ。それなのに、身長は僕よりあるし、身体全体が引き締まっている。腰なんて全然曲がっちゃいない。

 きっと人知れず身体づくりをしているのだろう。それに比べて――。


「何やってんだろうなあ、僕……」


 ぼすん、とベッドに腰を落ち着ける。まったく、僕は何のために、何がしたくて生きているのだろう?


 俺が背を丸めながらまた溜息をつくと、ノックもなしに突然ドアが開いた。


「どわっ!?」

「失礼致します、坊ちゃま。どうかなさいましたか?」


 どうなさるも何も……。


「足音を消して移動するのは止めてくださいよ……。本当に心臓に悪いっす……」

「おお、これはご無礼を。ただ、坊ちゃまのスマートフォンが食卓に置きっぱなしにされていた様子でしたので、こうして運んできた次第でございます」

「それはどうも……」


 俺は軽く会釈しながらスマホをベッドに向けて放り投げた。


「では、何かご用命がございましたら、いつでもお知らせください」

「分かりました。ありがとうございます」

「それでは坊ちゃま、よい夢を」


 深々とお辞儀をする上原弦次郎さん。これが執事さんの本名だが、僕は親しみを込めて『弦さん』と呼んでいる。

 

 さて、入浴は済ませたし、歯磨きして寝るか。

 僕は歯磨き道具一式をまとめて、隣の給水室に向かった。


         ※


 僕の意識が浮上するのと、スマホの着信音が鳴ったのはまさに同時。慌てて枕元のスマホを取り、状況を確認。


「着信……? も、もしもし?」

《おう、朔坊! 遅くにすまんな》

「あ、岩浅巡査部長ですか」

《バーカ、警部補だよ。この前言っただろうが!》

「あれ、そうでしたっけ……」


 このザラザラ声の男性は、岩浅拓雄巡査部長……ではなく警部補だ。

 両親不在の俺を心配して、よく電話をくれる。俺の親父の大学時代の後輩だとか。

 こんな時間からフル稼働で勤務中とは、ご苦労様である。


「で、どうしたんです? 警部補殿」

《おっ、いい響きだな、それ! 今度から『殿』まで付けてくれよ》

「僕をからかうために電話してきたんすか? 切りますよ?」

《あーーーっ! ま、待ってくれ! お前さんに頼みがあるんだ! 聞いてくれよ!》

「冗談ですって。切りやしませんから、ゆっくり話してください」


 これまた職業病らしく、刑事という人種は言葉運びが早い。


《最近このあたりで、連続通り魔事件が起こっとるだろ?》

「そうですね」

《それで、今日から教育施設の警備強化を行うことになったんだ。お前の通ってる、あー、なんつったっけな……》

「国立機智ノ里大学」

《そうだそうだ! まあ、そこも俺の部下がちゃんと見張ってるからな、安心して通うがいい!》

「自慢ですか」

《まあな!》


 認めるんかい。って、そんなことはどうでもいい。

 僕は生きる価値だの目的だの、そんな大層なことは考えない。痛い思いをして死ぬのは嫌だ、くらいのもので。


 一瞬、ある光景が網膜に走った。夕陽、黒い人影、そしてコンバットナイフ。

 そこから先は――。

 いや、駄目だ、朔柊也。そんな広いかさぶたを捲り上げるような真似をするな。


「う、ううう……」


 俺が頭を抱えてしゃがみ込むと、受話器の向こうから心配する言葉が流れてきた。


《ああ、すまない。余計なことを言ったか?》

「い、いえ……」

「坊ちゃま、今お薬をお持ち致します」


 弦さんも心配してくれている。俺は軽く首を上下させ、肯定の意を示した。


 この一連の流れは、何も珍しいことではない。俺の脳に傷がついているから起こる、一種の精神疾患なのだそうだ。

 

 颯爽と歩み去る弦さん。

 俺はそれを見送りながら、胸中の荒波を押し留めつつ、警部補に話の続きを促した。


《ああ、相手がお前さんだから言っておくけどな――》


 彼曰く、全教育施設のガードを固め、さらに警察官の巡回頻度を街中で引っ張り上げるとのこと。こんな規模の人員展開は、今回が初めてなのだという。それほどの非常事態なのだろう。


「い、いいんですか? 民間人の大学生にそんなこと教えて……」

《ん……。まあ、よくはないがな。でもお前さんが登校して、警官や機動隊に出くわしたら、余計に混乱するかもしれん。だから前もって知らせておくんだよ。身内のよしみで、ってことで》


 確かに、それは一種の救いではある。

 僕は片手でドアノブを握り、もう片方の手をドアの板面について、ゆっくりと腰を上げた。

 くるりと振り返り、背中をドアに預ける。


「……」


 無言で、嫌に冷たい額の汗を拭う。弦さんが戻ってきたのはその時だ。


「坊ちゃま、どうかご無理なさらず……」


 差し出された盆を見下ろす。そこには、丁寧にアルミパックから取り出された錠剤がいくつか転がっていた。


「いつもすいません、弦さん」

「何を仰いますか、坊ちゃま。わたくしめのことなど、どうぞお使い潰しください。わたくしなどと違って、あなた様はこれからの世界を生きる御仁でいらっしゃいますから」


 ううむ、複雑な気分だ。弦さんに悪気がない、というより善意でそう言ってくれているのは痛いほど分かる。

 だが、夢も希望も見いだせずにいる僕のような不良ニート大学生にそんな言葉をかけるのは、お門違いもいいところ。どうにもならないし、心理的な圧力を増すばかりになってしまう。


 喉の渇きもあって、俺は錠剤をいっぺんに飲み込んだ。グラスの水は、そのまま飲み干す。


「はあ……。すみません、ありがとうございました」

「さあ、どうぞお休みになってください。何もご心配には及びませんよ」


 豊かな白髪と品の良い口髭。それに促されるようにして、俺は弦さんに頭を下げた。

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