黒の柱ネロス


 あやふやではない、確かな現実感を伴って私たちの目の前に現れた悪魔。

 その威容が放つ強烈なプレッシャーに気圧され、私は思わず息を飲んで一歩後退ってしまう。


 アンゼリカもそれは同じだったと思うけど、彼女は自らを奮い立たせるかのように大きな声を上げた。


悪魔ディアボロ!!」


 その声に後押しされ、私は怯みそうになっていた身体を叱咤する。

 そして、悪魔にその正体を尋ねた


「あのとき私を襲ったのは……あなたね?いったい何者なの?」


 最初の問いは単なる確認。

 悪魔が放つ気配はカルロさんに取り憑いていたときとは比べ物にならないくらいに強烈なプレッシャーを放っているけど、それが同種のものある事は確信をもって言える。

 ミャーコみたいな鋭い感覚がなくても……だ。


 しかし、この悪魔がいったい何者であるのかは全くの謎……いえ、一つだけ分かっているのは、彼(?)が魔法絵から顕現した存在であろうこと。


 そして悪魔は、意外なことに私の問いに答える。


『我が名はネロス……【黒のピラストロ】なり』

 

「ネロス……黒の柱……?」


 聞き慣れない単語に私は疑問のつぶやきを漏らすが、むしろ悪魔……ネロスの方こそ意外そうな顔をして言う。


『お前は魔法絵師なのに、【柱】を知らぬのか?』


「……どういう事?私は【黒の柱】なんて言葉は聞いたことないわ」


 魔法絵師なら当然知っているような口ぶりだけど……メイお母さんの蔵書にある魔法絵師に関する書物には、そんな単語はなかったと思う。

 あるいは、師から弟子へ口伝で伝わるようなものだったりするのかしら?


「私は独学で魔法絵師の技を身に着けたし、そもそも私以外の魔法絵師に会ったこともないし……いったい何なの?黒の柱って」


『そうか、伝わっておらぬのか。ならば……やはりお前を殺せば良いということだな!』


「!!?」


 悪魔ネロスの雰囲気が変わり、彼の全身から黒い霧のようなものが吹き出した。

 先ほどから感じていたプレッシャーを更に高めてネロスが一歩踏み出すと、それまで何とか踏みとどまっていた私は思わず一歩二歩と後ずさってしまう。




「させないニャ!!」


「聖烈なる光よ、猛き炎となりて闇を討ち滅ぼせ!光炎フィアンマ・レッジェラ!!」


 私をかばうようにミャーコが飛び出し、アンゼリカは恐怖を打ち払うように光属性の中級攻撃魔法を放つ。

 フェデリカさんは、ネロスを倒してはならないと言っていたけど、そんな余裕もないだろう。


 しかし……!


 アンゼリカが放った光の炎は、ネロスに到達する前に闇の霧に阻まれ相殺されてしまった。


「効かない!?」


「だ、だったら……水竜破アクア・ドラゴ!!」


 無理やり恐怖を抑えた私は、自身が使える数少ない攻撃魔法の一つをネロスに放つ。

 前に突き出した両手の先に一抱えほどの水球が生まれ、そこから放たれた三条の水流が竜のようにくねりながらネロスに向かっていく。


 今度は闇の霧に阻まれることはなかったが……


『ふん……こんなもの効かぬわ!』


 岩に穴を穿つほどの威力を持つ超高圧水流が、まるで水鉄砲のように何ら痛痒を与えていない。


『大人しく闇に呑まれて果てるが良い……!』


 アンゼリカの魔法によって減じた闇の霧だったが、よりいっそう勢いよく悪魔の身体から噴き出し、部屋を覆い尽くそうとする。

 あれに触れたらどうなるのか……とても試してみる気にはなれないけど、このままではネロスの言う通り、為す術もなく呑み込まれてしまう。



『そうはさせません……!高位聖盾アルト・スクード・サクロ!』


 あわや私たちが闇に飲まれようとしたとき、フェデリカさんの魔法によって私たちの周りに光の防御結界が張られた。

 闇が光に阻まれ、ひとまず危機を脱したことに思わず安堵のため息がもれる。


 だけど、これで状況が好転したわけではない。

 例えこの場から逃げおおせたとしても……この悪魔を放っておいたらいったいどういうことになるのか?


 何としてもここで再び封印を施したいところだけど、その鍵を握るのはもともとその役目を担っていたフェデリカさん次第だろう。

 だけど、まだ魔法絵の修復が完全に終わってない状態の彼女の力で、果たしてこの悪魔に対抗し得るのか……?



『くくく……不完全な状態のお前が、我に抗えるのか?』


『不完全なのはそちらも同じでしょう。あなたこそ大人しくここで封印されてなさい!破邪聖風ヴェント・エゾルチッザーレ・デモニ!!』


 私たちへの防御結界を維持したまま、悪魔に向かって攻撃魔法を放つフェデリカさん。

 魔法の二重起動もさることながら、私の知らないその攻撃魔法もかなり高位のものと思われ、力が不完全であるにも関わらず彼女が凄まじい実力を持った魔導士であることを示している。


 そして、眩いばかりの煌めきが風になり、黒い霧を散らしながら吹き付けると、私やアンゼリカの魔法では小揺るぎもしなかった悪魔の顔に苦痛の表情が浮かんだ。


『くっ……小癪な……!』


『ミャーコさん!今です!』


「はいですニャっ!!」


 私を護っていたミャーコが、フェデリカさんの言葉に応じて一気に駆け出す。

 そして手にしたナイフで悪魔に斬りつけた。


「はぁーーーっっ!!!」


 気合一閃。

 ミャーコの繰り出したナイフが悪魔の肩口から袈裟に斬る。


『ぐっ……そんな玩具が効くものかっ!!』


 悪魔の身体に傷跡が刻まれたものの、すぐに塞がってしまった。

 全く効かなかった……わけではないなさそうだけど、致命傷を与えるのは困難なように思えた。



 しかし。

 ミャーコに攻撃を指示したあと、フェデリカさんが私の方に意味深な視線を向けてきたのを、私は見逃してなかった。


 それは果たして……何を意味していたのか?



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