10.不可避の爆炎

 こんな事になるなど予測していなかったので、ヒカリとフィルラーナは服装は魔界に適したものとはいえない。特に問題なのは靴であり、それが長時間の移動を妨げていた。

 フィルラーナの靴はヒールがついたブーツだ。社交界用の靴と比べれば歩きやすいが、そもそも長距離の歩行を想定しない靴でもある。あくまでちょっとした外出に適するものであって、魔界で何日も歩けばフィルラーナの足に負担がかかってしまう。

 そのためか、一行の旅は休みを挟みつつ進んでいた。


 魔界は広大である。歩き始めて約半日経ったが、景色は平地が広がるばかりで変わりない。ここまで景色が変わらないと、逆に悪魔の一匹や二匹見たくなるぐらいだ。

 今まで帰れた者が少ない理由が分かる。こんな所に一人で迷い込めば精神に悪影響があるだろう。ここは生き物の気配がない。植物も動物も何も存在していないのだから。


 しかし、ずっとこの状況が続くわけでもない。ここは魔界であり、つまり悪魔の領地である。七人の王とその下僕たる貴族達によって、全ての地は管理されている。

 魔界において異端の存在である人が無視され続ける事などありえないのだ。


「ッ――!」


 ズキリ、フィルラーナの頭が強く痛む。声にならない息が口から漏れ出た。

 運命神の祝福を受けるフィルラーナにとって、頭痛は最大の危険信号である。そしてこの魔界であれば、ここに悪魔が来ることをそのまま示している。

 空を赤い光が走る。それは真っ直ぐと三人の目の前に落ちてきた。


 頭は髑髏のように皮はなく目もなく、しかし人と異なる点として大きな二本の角を生やしている。体は白く硬質で骨だけのようであるが、その構造と形状は人のものと違い禍々しい。その骨だけの体は2メートル近くはあった。

 加えてその全身は強く燃え盛っている。赤い炎の中で青い双眸が、人魂のように揺れて三人の姿を映す。


「――汝、如何なる用件でこの地に踏み込む。」


 低く重い声が響く。

 その質問にフィルラーナは直ぐに答えられなかった。この返答次第で殺される危険性があるからだ。まず、先にこの悪魔が一体どんな悪魔で、何を目的として来たのか推測する必要がある。

 その為にはどうしても、数秒は返答が遅れてしまう。ただ他の人にはそんな思考を読み取れるはずはなく、付き合いが浅いプラジュは尚更だった。


「迷い込んでしもうただけや。用なんてあらへんよ。」


 あっさりと、プラジュはそう言い切る。

 炎の悪魔は首を傾げ、それから口のような空洞の部分が三日月の形へと変わる。

 ヒカリもフィルラーナも、いつ襲いかかられてもいいように準備を整えて――


「なぁんだ、ただの迷子かよ!」


 ――その準備は徒労に終わった。フィルラーナの頭痛も嘘のように消え去った。

 悪魔の炎は勢いを失い、その巨体が縮まっていく。みるみる縮まったその体は手のひらに乗る程度の大きさで、髑髏の仮面をつけた赤い肌の小人のようになっていた。毛一つ生えておらず、服も着ていないので精霊の方が近いと言えるかもしれない。

 その赤い小人は三人の周りを飛び回り、そして納得したように頷いた。


「危うく必要のない戦いをするところだったぜ。俺っちはバティン、ここら一帯を仕切る悪魔だ。この魔界を出たいなら案内してやるよ。」


 先程までの圧力というか恐ろしさはもうどこにもない。いるのは騒がしい悪魔が一柱だけだ。


「バティン……まさかとは思うけど、序列第十八位のバティン?」

「おお、よく知ってんな。偉大なる大公爵の一つ、『不可避の爆炎』バティンってのは俺っちの事だ。」


 専門家ほど詳しくはないが、簡単に名前が出てくるぐらいにはフィルラーナは悪魔の事を知っている。名前と序列、そして伝承に伝わる特徴程度ならば暗記していた。

 バティンは悪魔の中でも一、二を争うほどに友好的な悪魔だ。俊敏さと愛想の良さで彼に並ぶものは存在しないとも言われる。悪魔は嘘をつけないのだし、自分でそう名乗ったからには彼がバティンに違いないだろう。


「……私たちを案内して、貴方にどんなメリットがあるのかしら?」


 それでも、あくまでフィルラーナが知るのは伝承である。決して事実とは限らない。フィルラーナは念を入れて質問をする。


「ここは俺っちの領地だけど、もっと正確に言うなら俺っちの主君であるパイモン様の領地だ。俺っちがここに滞在することを許しても、いずれ俺っちにお前らを始末するように命令が下る。だけど俺っちはお前らと戦いたくない。面倒くさいから。それだったら脱出させた方がお互いにハッピーだ。」


 違うか、とバティンはフィルラーナに尋ねる。

 確かに悪魔の案内を受けて移動できるのはありがたい。今のところ、何の手がかりも無く歩いていたのだし。後は悪魔を信用できるか、という話になってくる。悪魔は言葉巧みに人を騙し魂を奪う生き物だ。そう簡単に信用しろ、と言う方が無理がある。


「いいんちゃう? うちは困らんよ。」

「私は、フィルラーナさんの決定を信じるッス。」


 プラジュとヒカリはそう言った。この二人は悪魔の事をそもそもよく知らなそうだ、と内心呆れつつもフィルラーナは答えを決める。

 そもそもこの状況で手段を選ぶ余裕はない。手がかりが一つでもあるならそれに飛びつくべきだ。


「それならお願いするわ、バティン。私達を案内してくれるかしら。」

「よし来た。お前は賢い選択をしたぜ。」


 バティンの手元から火が飛び、それが線となって形を描く。何の知識もない三人でもそれが地図である事は分かった。


「魔界は七人の王がいて、当然ながら領地も七つに分かれている。そこから更に下僕にいる貴族の数だけ領地を分かれるわけだが、まあ今回はどうでもいいな。」


 地図は大きく七つに分けられていた。その中でも中心にある正円状の領地をバティンは指差す。


「重要なのはここ、序列第一位『悪魔王』バアル様の領地に行くことだ。バアル様の領地にはお前らの世界へと通じる穴がある。バアル様の許可を得て、それから穴に落ちれば無事ゲームクリアってわけ。」

「それだけ聞くと簡単そうッスけど……」

「ところがどっこい、ここからお前らの足じゃ一週間はかかる。加えてベレト様とアスモデウス様の領地を抜けなきゃならない。想像するより大変だぜ、これ。」


 ただ、とバティンは言葉を続ける。


「俺っちと出会えたのは幸運だ。俺っちがいるだけでお前らはとんでもなく楽に『悪魔王』の領地へ辿り着ける。まずはパイモン様に会って事情を説明をしなくっちゃな。」


 バティンは鼻高々にそう言った。どうやら相当な自信が彼にはあるようだ。

 再びバティンの体は大きな炎に包まれる。そしてその炎は瞬く間に赤い四輪の車の姿へと変貌する。それはヒカリにとって、日本の、より正確にはテレビの中で見たことのあるようなもので。


「どうだ、イカしてるだろ?」


 どこから鳴っているか分からないが、その車から声が出る。


「異世界にあるスーパーカーってやつだ。昔、異世界人の友達に教えてもらったんだぜ。」


 誇らしげに語るバティンを尻目に、興味深そうにフィルラーナは車を眺める。対してヒカリはどこか納得がいっていないような顔だ。


「えぇ……なんか、異世界っぽくないッスね。」

「どっちでもいいじゃない。むしろ面白そうでいいわ。」


 フィルラーナとプラジュは中に乗り込んで座席に座る。ヒカリも少し悩む仕草を見せて、それから意を決して車に乗り込んだ。すると勝手に車のドアは閉まる。

 この車にはハンドルやアクセル、ブレーキがない。バティンが全てを動かすので必要ないのだ。

 車のランプが光り、必要のないエンジンが駆動し始める。どう考えても魔力の無駄遣いだが、それ以上にロマンがあるとバティンは考えていた。


 車には屋根がないが、風除けの魔法が使えれば乗組員に問題はない。それこそ時速300キロ以上の速度で駆け抜けたとしても、だ。

 大きな音を立てて車は発進した。恐らく目的地まで1時間もかからないだろう。

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