8.七十二柱

 1週間かけたシルードへの里帰りが終わり、ようやく俺はリラーティナ領へ帰ってきた。


「やっと、戻って来たか。」


 屋敷に入る俺を出迎えたのは、リラーティナ家の長子であるノストラだった。正直、俺はこの時点で強い違和感を覚えていた。

 ここに来るまでの街の様子はいつもと少し違っていた。一言で言い表すなら活気に欠けていた。そして俺を嫌っているはずのノストラが、俺を一番に出迎えた。しかも随分とくたびれた様子で。


「ついて来い。話はそれからだ。」


 質問をする前にそう言われたものだから、ノストラに何も聞くことができなかった。

 俺はノストラに黙ってついて行き、二階のとある部屋の前まで辿り着いた。ノストラが扉をノックすると、入るのを促す声が中から聞こえてきた。

 ノストラが扉を開けて中に入り、俺も遅れて中に入る。


 どうやらここは当主の書斎のようであった。奥に座るリラーティナ家現当主のシェリルの姿と、本棚に並ぶ領地関係の書類からそれが予想できた。

 加えて、中には見知った顔もいた。デメテルさんと旅に出ていたはずのティルーナであった。彼女もまた深刻な表情である。

 更に疑問は深まる。何故ここにティルーナがいるのか、何故ここに人が集められているのか、そして何故、ここにお嬢様はいないのか。


「――よし、揃ったね。」


 ノストラは近くにある長椅子に腰掛けたが、俺は座っちゃいけない気がして立ったままだった。

 この場を取り仕切るのは、当然ながら現公爵家当主であるシェリルだ。どうやら俺が最後だったらしく、早速話し始めた。


「単刀直入に言おう。私の娘、フィルラーナとヒカリが敵の襲撃により行方不明になった。」


 ――――は?


「護衛を務めていた騎士の話を聞く限り、安全ではあるらしい。ただ所在地は明確ではない。」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! いつ、どこでそうなった?」

「一昨日の事だ。場所はこの屋敷の近くの通りだね。」


 頭を金槌で叩かれたような気分だ。周りの人が俺に比べて落ち着いているのは、既に知らされていたからだろう。それでもここまで暗い表情を見せるのは、とても楽観視できない状況である事を意味していた。


「フィルラーナがあれだけ少人数で外出するのは珍しい。恐らくはそれを狙ったんだろう。」

「でも、護衛はいたんじゃないのか?」

「いたが、それを出し抜くほどに敵は厄介だったというわけさ。」


 公爵家の騎士は、手合わせをした事があるわけじゃないが強いのは知っている。こと護衛においては俺以上に上手いだろう。


「……アルスさんは、何も対策をしなかったんですか?」


 話を割るようにして、椅子に座るティルーナが口を開く。


「貴方が護衛についていれば、これは確実に起こらなかったはずです。そうでなくとも、何か対策はできなかったのですか?」


 反論をしようと口を開いて、やめた。ティルーナの言う通りだ。できる事はあった。それが上手く行くかは兎も角、俺はできる対策を怠ったのだ。

 言い訳をしても結果は覆らない。明確な事実として、お嬢様とヒカリがいなくなってしまったのだ。


「ああ、そうだな。すまない。」

「――ええ、そうでしょうね。冠位を得た魔法使いならば、できる事はもっとあったでしょう。」


 分身を置いていったり、転移の魔法陣を持っていったり、対策は今考えるだけで複数ある。そのどれも、俺はやっていなかった。


「私がどんな気持ちで、貴方に任せて旅に出たと――!」

「はい、落ち着いて。」


 パン、と手を叩く音が響き、ティルーナは舌を止める。止めたのはシェリルだ。


「もしも、例えば、そんな建設的ではない話をするなら、全てが終わった後にゆっくりとすると良い。人を集めたのは犯人探しの為じゃない。」


 諭すようにそう言われ、すみません、とティルーナは一言謝る。その後にシェリルの目線は俺の方に向けられる。


「君も、自分を必要以上に責め立てる事はしないように。反省は終わった後にするものだよ。まだ何も終わっていないのだから未来の事を考えなさい。」


 ……その通りだ。お嬢様を見つけ出すのが、今は最も重要な事である。見つけ出す事ができなければ、守る方法を考えたところで意味がない。

 そこで再び、視線がシェリルの下へ集まる。これからの方針を決めるのはこの人だからだ。


「まず、表立って公表はしていないが平民にもこの話が出回っている。恐らく目撃者がいたのだろうね。それでもこの一件は伏せるように。『真実と思われる』と、『真実である』というのには雲泥の差がある。」


 次に、と言って言葉を続ける。


「襲撃者が悪魔であった事と、あまりにも転移の予兆がなかった事。この二つの事から、恐らくは魔界に二人はいると考えられる。これは間違いないね、アルス君。」


 この場に俺以上に魔法に詳しい人はいないから、そう俺に尋ねたのだろう。実際、専門ではないが魔界への知識ぐらいなら俺は持っている。

 そもそも悪魔は魔法だけでなく、地法という特別な魔導を使う。魂をかけた契約をしたり、特別な魔法陣でこの世界に召喚されたりする魔導である。

 悪魔の召喚陣は特別で、こっちの魔力ではなくあっちの魔力だけを使って一方的に転移ができる。これは来る時も帰る時もだ。これをどうにかして二人にも適用させたのなら納得はできる。


「間違いない。間違いないが、それができるという事はかなり高位だ。恐らくは七十二柱の悪魔だろうな。」


 ノストラはあからさまに眉間へシワを寄せる。

 七十二柱の悪魔、それは魔界に君臨する七十二の王侯貴族達だ。破壊神に直接創造された眷属である彼らは、生まれながらに権能を保有している。

 それこそ天界で会った天使やディーテのようにだ。スキルのようで、スキルでない超常の力を彼らは持っている。


「……ふむ。アストルフォ、本当にその悪魔は二人が安全だと言い切っていたのか?」


 アストルフォと、そう呼ばれた騎士はハッキリとした声で返事をする。


「余程の何かがない限りは安全であると、そう聞きました。オジェもそう記憶しているので間違いないかと。」

「その理由が何故かまでは分からないんだね?」

「はい、申し訳ございません。」


 悪魔は嘘をつけない。だから断言せずあやふやな物言いで人を騙し、契約を結んで魂を奪って喰らう。

 俺もそこまで悪魔に会った事があるわけじゃないからそれが正しいかは分からない。もしかしたら抜け道があるのかもしれないし、嘘の定義にも寄ってくるだろう。ただ、今は無事を信じて、一刻でも早く助けに行かなくてはならない。


「アルス君、魔界に行けるか?」

「……必ず行く。どんな手を使ってでも。」

「なら良し。行くのは君一人だ。」


 これも事前に決めていたのだろうか、異論を唱える人はいない。


「魔界に行って無事に帰れる保証はない。むしろ変に人数を増やせば行動に制限がかかる。機動力があり、実力も確かな君だけが行くんだ。」


 俺自身も異論はない。むしろ単独行動は最も俺が得意とする分野であると言っても良い。


「その他で魔界の行き方を探しながら、敵の動きを探る。重要なのは悪魔の名と、悪魔が誰とどんな契約を結んだのか。目的を私達はいち早く知る必要がある。」


 何にせよ早さが肝心だ。遅れれば遅れるだけ後手に回ることになる。


「それでは細かい作戦を決めておこう。まずノストラは――」

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