29.冠は堕ちる

 魔法陣という技術は、遥か古代から存在する魔術の原点である。事前に複雑な形の陣を作る必要はあるが、高度な魔力制御を要する魔法でも確実に発動する。

 ここに大量に刻まれた魔法陣は全てが必殺級の大魔法だ。アルスが巨神炎剣レーヴァテインを使う時に他の魔法を満足に使えないように、大魔法とはそれを制御するだけで苦労する代物である。しかし魔法陣であれば制御に気を回す必要もない。この工房内に限り、ハデスはあらゆる魔法使いを凌駕する。


「転移の魔法で自分の工房に連れ込む。確かにそうだね。それは考えうる限り、唯一の勝ち筋だ。」


 ああ、凌駕するとも。あのレイ・アルカッセルよりも高速で同時に大魔法を行使する事ができる。しかし、それはあくまで魔法を扱う能力に限った話だ。


「さあ、僕を詰ませてみろよ。できるものならね。」


 戦いは技術だけでは決まらない。ハデスはようやくレイと戦えるステージに立っただけだ。まるで詰将棋の如く、ここからは相手の退路を立ち王手をかける必要があった。

 レイは一瞬の隙を見せれば全ての魔法を掻い潜り、ハデスの首を落とすだろう。有利であってもハデスに油断は許されない。

 言ってしまえば単純な話だ。一度もミスをしなければハデスが勝ち、たった一度でもミスをすればレイが勝つ。工房の中にレイを連れ出してやっと、ハデスはその条件を叩きつける事ができた。


「『流星シューティングスター』」


 目を開けていられないほどの極光が部屋を覆い尽くす。それが何であるか理解される前に、球体の光が真っ直ぐとハデスへと襲いかかる。しかし当然、ハデスはそれを結界で防ぐ。

 この程度の魔法は小競り合いに過ぎない。一度防いでも必ず次がくる。


「……眩しいな。」


 今度は一発ではない。十数発が同時に、多方向からハデスへと襲い来る。ハデスは魔力を一部の魔法陣にだけ器用に流し、魔法を発動させた。


 ――『闇の帷シャットアウト


 空から闇が。魔法だからこそ存在できる闇という物質が、重力の塊となって天井から部屋の中を暗く染め上げる。回避は不可能な上に並の結界なら意味をなさない超質量、通常なら体がぐちゃぐちゃになって死ぬだけだが――今回ばかりは相手が悪い。

 闇が晴れた先で、いつも通りの薄ら笑いを浮かべながらレイは立っていた。


「この部屋は魔力濃度が薄い。僕は強力な魔法を使えば使う程に、魔法の出力がどうしても下がっていく。対して君は、この部屋の外から直接魔力を供給して貰っているだろ。君が契約する土の大精霊カーキウによってね。本当にジリ貧な戦いだ。」

「だから言ったろう。儂の工房で勝てるイメージが湧くか、とな。」


 追撃が来る。火炎が、岩石が、紫電が、一斉にレイへと迫る。結界によってそれらを全て防ぐが、その分だけ部屋の魔力濃度は薄くなる。特に精霊であるレイにとって、魔力が薄くなるというのは空気を薄められているのと一緒の事だった。それは体にも負荷が訪れる。

 休みなく次々と魔法が襲い来る。ハデスにとって重要なのは反撃の隙を与えない事だ。長期戦はハデスの方が必ず有利である。兎に角、戦いを長引かせる必要がハデスにはあった。


「『猛獣星プロキオン』」


 だからレイも、奥の手の一つを切る。

 大魔法を食い破るようにして、光輝く巨大な狼が飛び出た。それはハデスのもとへと一直線に迫る。ハデスは複数の結界を構築しながら攻撃魔法を放つが、それを真正面から食い破りハデスの眼前まで狼は迫る。

 もう少しでその爪が届くというところで、狼は地面から生えた岩の槍に刺されて消えた。その隙にレイはハデスまで2、3メートルの所へ近付いていた。


「『武神星アケルナル』」


 光が再びレイの手のひらへ集い、その光は剣の形を成す。狙いは魂の在り処にして急所である心臓。一瞬の迷いもなく、吸い込まれるようにその切っ先はハデスの心臓部へと撃ち込まれた。

 無論、ハデスの周囲には常に結界がある。本来なら避ける必要はないし、ハデス自身もそう考えていた。ただハデスの本能はそれを否定した。


 ――『暴風テンペスト


 荒れ狂う風の息吹が、ハデスの体を真横に突き飛ばす。そのほんの僅か後に、光の剣はハデスの肩へと突き刺さった。

 風で体をズラしていなかったら、きっとこの剣は心臓に刺さっていただろう。

 ハデスがその光の剣の刀身に触れるとその光は消えていった。流れる血は簡単な回復魔法で止める。そうしている内にも、更にレイに時間が与えられてしまう。


「――遥か遠き寒空へ。」


 レイは唱える。ハデスが少し目を離した間に、無数の結界がレイを囲んでいた。


「目を開く事は許されず、四肢を動かす事は叶わず、その命の鼓動は音を消す。」


 結界は四方八方から迫る魔法によって壊された。しかしもう遅い。

 もう如何なる魔法も、レイの場所へは届かない。その手前で力を失って消えるだけだ。


「天然の彫刻、永遠の世界、全ての行き着く先の終わりへ。今、全天が究極の終焉を欲している。」


 この部屋の魔力を全て食い尽くして、魔法は顕現する。


「『厳寒星リゲル』」


 全てが停止する。音もなく、魔力もなく、生命もなく、レイを除いた全てがその運動する力を失っていく。これはただ全てを止めるだけの魔法だった。

 レイの口元から白い息が漏れ出る。


「僕の、勝ちだ。」


 氷の彫像と化したハデスの目の前で、レイはそう一言呟いた。






 ――その心臓を、炎が穿つ。


 終焉の炎ムスペルと言われる炎の魔法である。ただ強力なだけの炎を発する魔法だ。故にこそ他の魔法を圧倒する強さがある。


「なるほ、ど。」


 レイはその場に崩れ落ちる。魂さえも焼け焦げている。肉体的なダメージならともかく、魂の傷はレイでさえも治す事はできない。

 部屋は燃え始め、ハデスの体も動き始めた。


「……儂の体が死んだ瞬間に、魔法が動くようにしておいた。使うとは思わなかったがな。」


 流石に体力の消耗が激しかったのか、ふらふらと足が覚束ない様子で立ち上がる。それでも立っているのはハデスだった。

 あらゆる状況にハデスは勝てるように用意した。自分がやられた時ですらも想定していたのだ。

 レイは見誤った。だって自分が死んだ時に発動するように魔法陣を組むなんて普通は考えない。そんな事を試す奴はいないし、上手くいかなったらただ死ぬだけだ。

 ハデスの覚悟が、レイを上回ったのだ。


「安心しろ、殺しはしない。永遠にここで封印されるだけだ。」


 もうこの部屋の中に魔力はない。レイも如何なる魔法を使う事はできない。ハデスは部屋の外の魔力を一方的に利用できる。勝敗は決していた。

 レイの足元が光り、その体は結界に覆われる。それだけではなく、その体を地面から生えた鎖が縛り付けた。レイの魔力が奪われ、その意識が遠のいていく。

 レイは頭を下げて全身から力を失った。そこでやっと、ハデスは警戒を解いた。


「危なかったが、これで終わりか。次はオーディンを始末せねばな。」


 ハデスはレイに背を向けた――その瞬間の事だった。


「『終焉の炎ムスペル』」


 レイを追い詰めたのと同じ、意趣返しのような同じ魔法がハデスを背後から襲った。その右腕を炎は穿つ。


「な――!」

「ありゃ、外れちゃった。流石に封印されてる最中の魔法は上手くいかないか。」


 顔をあげて、レイは楽しそうに笑った。


「殺すんじゃなくて封印を選んだのは正解だよ。そうじゃなきゃ今ので君を殺していた。」

「何故、だ。何故魔法が使える……?」

「これぐらいの魔法なら自分の魔力で使えるよ。」


 これぐらい、とレイは言った。しかしあの魔法は並の魔法使いであれば一発で魔力がなくなるような大魔法だ。それを体外の魔力を使わずに体内の魔力だけで賄った。

 それは、レイの体には常人の数百から数千倍を越える魔力がある証拠である。


「……化け物め。」

「ふはは、言われなれてるさ。」


 血は止まる。だが、その腕が二度と生える事はない。魂を灼かれたからだ。


「組織に何を言われたか、大体想像がつく。その上で言っておくよ、君の願いは叶わない。」

「――お前に何が分かる。」

「いいねえ、初めて僕に人らしいところを見せたじゃないか。僕は分かるんだよ。君の行く末だって、ね。」


 今度こそやっと、レイは意識を失った。ハデスは一分、二分と警戒を続けて、そこでやっと再び警戒を解いてレイに背中を向けた。

 扉を開けて部屋を出て、何もない天井を眺める。


「ペルセポネ、儂は必ず――」


 壁を伝って、ハデスは歩いた。

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